第三十三話 リリィの家へ
静まり返った湖から、轟音と共に水柱が上がった。
岸で待っていたカンナ達は、水飛沫を浴びながらそれを見上げる。葉の隙間から差し込む光を反射して、水滴は七色に煌めいて見えた。
そしてクロゥはカシミルドを抱きかかえ、その光の水流と共に空高く打ち上げられていった。
クロゥは体を宙に投げ出されるも、カシミルドをお姫様抱っこしたまま、フワリと岸に降り立った。
「カシィ君、クロゥ、大丈夫!?」
「おぅ! カンナちゃん! カシミルドは魔力切れなだけだから心配すんなよ」
「カシィ君が魔力切れ?」
カンナは原っぱに寝かされたカシミルドを見つめた。
カシミルドでも魔力が切れることがあるのだと不思議に思った。
クロゥはリリィをチラリと見た。
リリィは満足そうに微笑んでいる。
「クロゥ。一歩前進だな。これで宿代はチャラにしてやろう」
「そういえば。そんな約束してましたね。ありがとうございます。ここまで連れてきて頂いて……さて。カシミルド~。このままだと風邪引くぜ~」
クロゥは眠るカシミルドの耳元で大声を出した。
カシミルドの顔が苦痛で歪む。
「ん!? クロゥ? あれ? カンナもいる。あー。また倒れたか~。今回は良いとこ見せられると思ったんだけどな」
「おう。カシミルドは良くやったぜ……ってか、また覚えてないのか?」
「ん? 湖の穢れを払って、転生の扉の前で……そうだ。呪文を唱えた所までは覚えてるよ。ごめん。また迷惑かけて……あれ? 体が動かないんだけど……」
カシミルドは体を起こそうとしたが、力が入らず、全く動けずにいた。
カンナが羽織っていたローブをカシミルドに掛ける。
「カシィ君、動けないの? 魔力切れだからかな……寒くない? 私がおんぶしてあげるから安心してね」
カンナにおんぶ?
カシミルドは悔しそうにクロゥに目を向けた。
クロゥもカシミルドの気持ちを察する。
「カンナちゃん。カシミルドは俺がおぶってくから」
「えっ! この前熱出した時だってクロゥが背負ったじゃない!? ズルいよ」
困り顔のクロゥを見て、オンディーヌはカンナにの前にフワリと降り立ち、澄んだ瞳でにっこりと微笑んで見せた。
「まぁまぁ。ここは仲良くいこうじゃないか。カシミルド様。クロゥ様。此度はありがとうございました。お困りの事があれば、この水の大精霊オンディーヌを御呼び付け下さい」
その言葉を聞いてカシミルドは顔をパッと明るくさせた。
「じゃぁ、早速なんだけどさ、オンディーヌ。……ラルムさんの事をさ、フォンテーヌとかじゃなくて、ラルムさんとして見てあげてくれないかな?」
オンディーヌは首を傾げ困惑する。
「そ、それはどういった意味だ?」
「そのままの意味だよ。ラルムさんはさ、ただの精霊好きの女の人なんだ。だからリリィさんと同じだよ。フォンテーヌ家への憎しみは……湖の底で聞いたけど、ラルムさんはそんな事、絶対に望まないから、むしろ精霊の味方になってくれる人だと思うんだ……」
「う~む。私には……そんな風に割りきることは出来ない。……あ、そうだ。あの女の装飾品を拾ったんだ。返しておいておくれ」
オンディーヌはラルムの眼鏡をカシミルドに差し出した。
「それは、オンディーヌが返してあげてよ。ラルムさんに……」
「う~~む。カシミルド様の頼みでは、無下に断れないではないか……」
オンディーヌは不満そうに大きく溜め息をつくと、ラルムの眼鏡を握りしめて、湖へと消えていった。
「行っちゃったね……」
「大丈夫だよ。カンナ。多分、オンディーヌはラルムさんの所に行ったよ……へっくしゅんっ」
「あっ風邪ぶり返しちゃうよ! 早く戻ろうっ」
カンナに取られまいと、クロゥはすかさずカシミルドを背負った。
「よっしゃ。帰るぜ」
「クロゥ。ありがとう。お城の時と反対だね。今度は僕が魔力空っぽだよ。クロゥの分けて~」
「空っぽだったら気絶してるよ。少しは残ってんだろ?」
「あー。そっか、そうかも。何かクロゥの背中、安心する。姉さんみたい……」
「はっ? こんな時にシスコン出すなよ。俺様の有り難みが薄れるだろっ」
「何か二人とも、益々仲良しになったね! 妬けちゃうな~」
三人は顔を見合わせて笑い合った。
そして、リリィの家へ向かって歩き出す。
カシミルドは去り際にふと、湖に視線を落とした。
「クロゥ。扉は開いたんだね。……見て、湖が碧色になったよ。底に生えていた水草が、本来の色を、そして役割を取り戻したんだね」
「ああ。本当だ。……湖に溜まっていた魂は、転生の扉に還って行ったぜ。……でも、扉は俺が閉じたから……」
クロゥはそう言ってまた俯いた。
「クロゥ。下ばっか見てないでさ、また開ければいいじゃん」
「また開けてくれよ?」
「……やっぱり開けたのは僕なのか……でも、今度はクロゥが……」
「カシミルドまでそんなこと言うのかよー」
クロゥは肩を落として少しおどけた様に言った。
先程より元気そうで何よりだ。
しかし、カシミルドまでとは、どういう意味だろうか。
「? 誰かに言われたの?」
「……ああ」
「ふ~ん。思い出したんだけどさ、命の精霊が言ってたよ。扉は開けるより、閉める方が難しいって。僕も閉めようとして魔力が切れたのかも……。だから、扉を閉められたクロゥなら……きっと出来るよ」
「…………」
カンナはクロゥの隣に並んで歩いた。
「クロゥ? 疲れたなら代わるよ?」
「カンナっ。大丈夫だから、それに僕、ずぶ濡れだからより重いだろうし……カンナも濡れちゃうからっ」
「ははは。カシミルドは結局おんぶに抱っこちゃんだな!」
「クロゥ!!」
カシミルドはわざと腕に力を入れてクロゥにしがみついた。
「なっ、首、首締まってるから!? んな元気なら自分で歩きやがれっ」
「ムリ。足に力入んない!」
「クロゥ? 苦しいなら私がっ……」
◇◇◇◇
賑やかな三人の後ろを距離を取って歩くルミエル。
リリィはその歩調に合わせて隣を歩いた。
「クロゥ達は仲が良いなぁ」
リリィはルミエルに声を掛けるが、完全に無視された。
「ルミエルはカシミルドと仲良くしたいのだろう? 会話に加わらないのか?」
ルミエルは聞いているのかいないのか、険しい表情のまま、前を歩く三人を見ていた。
そして呟く。
「リリエル。さっきの見たわよね? 湖一面が金色に輝いた……あの光」
「ああ。見たぞ」
「最後の光はクロゥの波動だった。でも。その前の輝き。あれは、カシミルドであって、そうじゃない……でも」
ルミエルは己の考えを否定するかの様に首を左右に振った。
リリエルは悩むルミエルに更に疑問を投げかけた。
「ルミエルが欲しいのは、カシミルドなのか? それとも、カシミルドであってそうでない方なのか?」
「それが……分からないのよ」
「ふふふっ」
神妙な面持ちのルミエルに向かって、リリエルは急に笑い出した。
「何で笑うのよ!?」
「いや。周りに無頓着だったルミエルが、他人の事を真剣に考えているものだから……面白くってな」
「馬鹿にしないでよ……もう。時間がないのよ」
「ん? 時間ならまだまだあるだろう?」
「無いわよ! リリエルだってそうでしょう?」
「ふふふっ。そんな事を言っても、カシミルド達人間の一生よりも、長い時間があるだろうに……」
ルミエルはハッとして立ち止まった。
「あ……そっか……」
「ルミエルはそそっかしいなぁ……」
ルミエルはリリィと会話したことを後悔するかの様に頬を膨らませ、足を早めた。
そんなルミエルの後ろ姿を染々と見つめるリリィ。
しかし、ルミエルの言う通りかもしれない。
時は刻々と過ぎていく。
今という時間はもう取り返すことは出来ない。
昔、誰かが言っていたな。
人間の生は短い。
だから、今という時を一所懸命に生きようとする。
その為に常に周りの者より自分が強く在りたいと思い、成長する生き物。
これを言ったのは……そうだ。ラビエルだ。
私と同じくこの地に残った変わり者。
しかし彼女はもういない。
二度と会えないと思うと寂しいものだ。
もしかしたら、ルミエルも彼女と同じ道を歩もうとしているのか……そうだとしたら、何とも寂しいものだ。




