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天使の祝福があらんことを  作者: 春乃紅葉@コミック版『妹の~』配信中
第二章 東方への誘い 第二部 精霊の森
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第二十九話 仕舞い込んだ罪悪感

 伸びた草をかき分けると、大きな湖に出た。

 キラキラと陽の光を反射し、木々の緑を映した美しい湖だ。


 その中心に声の主がいた。

 カシミルドはそれが何か一目見て理解した。

 水の大精霊オンディーヌだと。


 俯いて嘆き悲しんでいたオンディーヌは、ふと顔を上げた。

 そして、カシミルドと目が合う。


「あれがーー」


「!!! リリィさまぁぁぁぁ!」


 オンディーヌは両手を伸ばしてリリィ目掛けて一目散に飛んで来た。

 そしてリリィの胸に涙を擦り付け、顔を埋める。


 まるで子供をあやすように、リリィは優しくオンディーヌの頭を撫でた。

 精霊って触れるんだ。カシミルドは驚いた。


「よしよし。オンディーヌ。怖かったね……もう大丈夫だよ……」


「グスングスン……リリィさまぁぁんっ」


 見た目の大人っぽさとは裏腹に、オンディーヌは子供のように派手に泣き散らしている。


 カンナはそっとカシミルドに耳打ちする。


「大分話と違うね……襲われたとか言ってたよね?」


「そうだね……何か可愛いね」


「だね」


 オンディーヌにはリリィしか見えていないのか、周りの事など目もくれずにリリィに抱きつき甘えている。


「さっき……人間が来たの……私ったら、つい穢れに負けてしまってぇ~。そしたら……リリィ様の……妹君が……とても怖かったのです~グスンっ」


 オンディーヌはリリィの豊かな胸に顔を擦り付け心を落ち着かせようとしている。


 ルミエルはリリィの後ろでボソッと呟いた。


「何よ……昔と変わっていないのね……」


「ひゃぁぁぁぁぁぁ!? ルミエル様がどうしてここに!」


 オンディーヌはルミエルに気が付くと叫び声を上げてリリィから離れカシミルドとカンナの後ろに隠れた。

 そして隠れてから気づく。


「ん? おっお主ら、いつからここにっ」


 オンディーヌは急に改まり、大人ぶって話し始めた。

 リリィはその変貌振りを鼻で笑い、カシミルドとカンナを紹介した。


「オンディーヌ。紹介しよう。黒の一族の者を連れて来たぞ。カシミルドとおまけにカンナだ。ルミエルは気にするな。私がいるから安心なさい」


「ほぅ。先に言ってくだされば……ファタリテ。いつも世話になっておる。今日も穢れを……ん? 前より若返った様に見えるな?」


 オンディーヌはカシミルドに顔を近づけ、澄んだ青色の瞳で凝視した。カシミルドの鼻に、ひんやりとした冷気が触れた。


 さっきとキャラがまるで違うが、そこには触れるな、という空気をオンディーヌは醸し出している。


「えっと……。一族の人に会ったことがあるんですか?」


「ああ。たまに来てくれるぞ。そろそろ来る頃だと思っていたが、別の者が来るとは……。ここは転生の扉の一つがあるからな。魂がより集まってくるのだ。だから、穢れる事も多い。ファタリテには、いつも世話になっているぞ」


「そうなんですね……僕はカシミルド=ファタリテ。いつも来る人の名前は何て言うんですか?」


「ほ? そう言われてみれば、ファタリテとしか知らないな。今度来たら聞いておこう」


 オンディーヌは屈託のない笑顔をカシミルドに向けた。とても無邪気で、可愛らしい精霊だ。

 シエルが会ったのは別の精霊ではないのだろうか。


 しかしオンディーヌは、湖に目を向けると急に瞳を曇らせた。

 そして瞳からポロポロと涙を溢す。


「ああ。湖の底が淀んでいる。……どうせ私は、また穢れに負けて……グスン」


 オンディーヌはまた、リリィに細い腕を伸ばし抱きついた。

 リリィも受け入れ背中を擦ってやる。


「すまないな。オンディーヌはとても純真で無垢な精霊なのだ。周りの人や魂に感化され易いのだ。常に躁鬱状態だと思っておくれ」


「そううつ?」


「うむ……浮き沈みが激しいとでも言っておこう」


 カンナはそれを聞いて納得したように頷いた。


「じゃあ、ラルムさんと会った時は、落ち込んでいた時だったんですね!」


 ラルムと聞いてオンディーヌはリリィを抱きしめる手を緩めた。そしてカンナにゆっくりと振り向く。

 その瞳の内に、黒い影が過る。


「ラルム。ラルム=フォンテーヌ……人間の女。フォンテーヌのあの娘はどうなった?」


 オンディーヌの声音に冷気が加わる。

 そして、カンナの眼前にまで詰め寄った。これが鬱なのか。


「へっ部屋で寝ています。意識も戻って……」


 カンナは言葉の途中で、オンディーヌから殺気を感じ身を引いた。

 カシミルドはカンナを庇うように、オンディーヌの間に立つ。

 オンディーヌの瞳は益々淀んでいった。


「そうか。生きているのか……あの娘だけは、この湖の底に沈めてやりたかったのに」


 オンディーヌは悔しそうに湖を見つめた。

 カシミルドもその視線の先を見た。


 キラキラと輝く水面の底に、黒い何かが蠢いたように見える。



 これは……魂の穢れ?

 これが、死者の魂の成れの果て?

 オンディーヌは穢れのせいでそんな事をいうのだろうか。


「オンディーヌ……。今言った事は本心なの? ラルムを……殺したいって思ったの?」


「……思っては駄目か? 同胞はフォンテーヌの者に消されたのに……。精霊は、天使に似た転生をするのだ。今生を全うし、転生の扉をくぐり生まれ変わる事で、より格の高い精霊になれるのだ。なのに……あいつらのせいで……若き精霊の命は燃え尽きた。そして、扉は開かず、転生も出来ず。ただ、湖の底で穢れ、憎しみの中、苦しむだけなのだ……」


 オンディーヌの憎しみと共に、湖の淀みも色を増す。

 カシミルドは周囲を警戒し、怯えるカンナの手を握りしめた。


「オンディーヌ。ラルムさんが死ねば、魂は穢れずにすむの? 転生できるの? 違うよね……」


 カシミルドの言葉に、オンディーヌは湖を睨む瞳が緩んだ。


「ああ……違う。違うだろうな…………リリィさまぁぁぁぁんっ」


「お~よしよし。オンディーヌの苦しみは分かるぞ。私も何も出来ず見ているだけだからな。……カシミルド。ここ十数年で、急に精霊の数が減ったのだ。転生の扉がどうこうだけではない。急にだ。この大陸の何処かで、何かが起きているのだろう。そしてそれは、人間のせいなのだと思うのだ」


 泣きじゃくりながら、リリィの言葉にオンディーヌも続く。


「そうだ。死者の声が私にも聞こえる。湖の水に溶け込み、響き、私の耳に届くのだ! カシミルド。お前に分かるまい、身内を殺された者の気持ちが……」


 身内の死……カシミルドは経験している。

 それは自分の記憶には残っていない。


 だって、その身内は自分のせいで死んだのだから。


 カンナの手を握るカシミルドの手が緩む。

 思い出そうとしても、記憶の欠片にも残っていない父と母の顔。

 

 オンディーヌは、カシミルドの虚ろな瞳を自分と重ねた。


「その目……お前もあるのか? なら分かるだろう? 我の気持ちが……」


「……どうかな? 僕には母さんがいないんだ。でもそれは、僕を産んだから。そのせいで亡くなったんだ……。だから、身内の死を経験したのとは……ちょっと違う。いや大分違う。だって、母さんを殺したのは僕だから。僕さえ生まれてこなければーー」


「カシィ君! そんなことないよ!」


 カンナがカシミルドの手を引き自分の方に向かせた。

 カシミルドの瞳が曇っている。こんなカシミルドの瞳を、カンナは初めて見た。


「カンナ。叔母さんも姉さんも、誰も僕を責めないよね……何でたろう。ーーでもさ。父さんだけは違うと思うんだ。きっと僕を恨んでる。……父さんは、僕が生まれた日。いや、母さんの命日に毎年里へ帰って来るんだ。花を手向ける為に里へ。……でも、姉さんと僕の所には、顔も見せない。きっと僕の顔なんて、見たくないんだよ。最愛の人を奪った。僕なんて」 


 カンナは大粒の涙で頬を濡らした。

 カシミルドの手を握りしめて、何度も何度も首を横に振る。


 カシミルドはカンナを泣かせてしまい胸が痛んだ。

 こんなこと、言うつもりなかったのに。

 心の奥底に仕舞い込んでいた罪悪感が勝手に膨らんでいく。



 これが、穢れの影響だろうか。

 何故かそんな事だけは冷静に考えられた。


 でも、カンナがいくら否定しても、涙を流しても。

 変わらない事実が一つある。


 僕は……。


「僕は……生まれてすぐに人殺しになったんだ」



 





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