第二十八話 懐かしい森
朝食を終え、カシミルドはカンナと二人でリリィの部屋を訪れる。スピラルが心配そうな顔をしていたが、レーゼさんに任せる事にした。
部屋の中には、やはりクロゥがいた。
窓枠に腰掛け、外をじっと見ている。
いつもなら、「よっ!」とか声を掛けて来るのに。
カシミルドの存在に気づいているだろうに、無表情のまま、こちらに顔すら向けないでいる。
リリィの部屋は、白を基調とした明るい室内だった。
しかし、独特の緊張感が漂っている。
ふかふかのソファーに案内されたが、それとは対照的にカシミルドの体は強張った。
カンナはというと、もっと緊張していそうだ。
「カンナ。大丈夫?」
「ふぇ!? うん平気」
カンナの固い表情とぎこちない返事。
最近カシミルドはある事に気が付いた。
恐らくカンナは、キラキラしたものに弱い。
レーゼやルミエル、そしてリリィに対しては特に、畏まった態度を取る。
こういう時、いつもカンナはカシミルドの服の裾をギュッと握りしめている。頼りにされているようで、結構嬉しかったりする。
「して、カシミルドと言ったな。もう具合は良いのか?」
「はい。部屋を貸して頂いてありがとうございます」
「良いのだ。きっとお前がここに来ることは定め。何かに導かれたのだろう。えっと、お前は……」
「カッカンナです!」
「ふむ。カンナだな。二人とも会えて良かったな。ーーさて、早速森へ行こう。ここで話すより見た方が早い。覚悟は良いな?」
リリィは晴れやかに尋ねた。
いきなり覚悟を問われて、カシミルドは戸惑った。
「えっと……どんな覚悟ですか?」
「……精霊と向き合う覚悟だ。対話すれば良い。難しく考えずと良い。あの娘にした様に、穢れを祓って欲しい。そして、魂を導いてやっておくれ……後は森を歩きながら話そう」
リリィはそう言って直ぐに立ち上がった。
意外とせっかちな性格のようだ。
「クロゥ。行くよ」
リリィの言葉を受けて、クロゥは黒鳥に変身しカシミルドのフードに潜り込んだ。
「クロゥ? 元気ないけど……大丈夫? 僕がまた、迷惑かけたから? あっタルトが甘くなかったから?」
「どれも違う。気にすんな……わりぃな」
クロゥは顔も出さずにフードの中で呟いた。
やはり、様子がおかしい。
部屋を出るとき、リリィは何故か窓を選んだ。
不思議そうに見つめるカシミルドとカンナの視線に気付き、リリィは微笑んで答えた。
「こちらの方が近道なんだ」
リリィはやはり、せっかちな性格のようだ。
◇◇◇◇
窓から出る時、リリィはカンナに手を貸してくれた。
カンナはその細く長い指に触れ、緊張した。
美しいからだけではない。
この人に逆らってはいけないような威圧感がある。
間近で見るリリィの瞳は宝石の様にキラキラしていた。
「カンナ。欠片はお留守番か?」
「欠片?」
「知らないのか……まぁ良い。もし、オンディーヌと喧嘩になったら、手当ては頼むぞ?」
「はい」
欠片? とは何だろうか。
さっきも言われた気がした。
「カンナ? どうかした?」
カシミルドがカンナの顔を覗き込む。
「大丈夫! 行こう!」
◇◇◇◇
森の前ではルミエルが待ち構えていた。
オンディーヌがどうのこうのと、リリィは文句を言っているようだったが、ルミエルは半ば強引に付いてくることになった。
リリィを先頭に、カシミルドは初めて精霊の森に足を踏み入れた。
初めて来た筈なのに、懐かしさを感じる。
故郷の森に似ているのかもしれない。
この森は、大きく育った木が多く、寝るのに丁度良さそうな根っこが沢山ある。木の根ばかり見ているカシミルドとは対照的に、カンナは上ばかり見ていた。
カンナは寝心地の良さそうな枝を探しているのだ。
「カンナ。丁度いい枝あった?」
「うん! って、私、そんな顔してた?」
「してた。この森、何だか懐かしいと思わない? ミヌ島の森に似てるからかな?」
カンナは辺りを見回した。巨木ばかりの森だ。
樹齢は千年ぐらいありそうだ。
木にはふかふかの苔が生え、枝には鬱蒼と葉が生い茂る。
ミヌ島の森よりも、深く長い時の流れを感じさせる森だ。
「そうかな? あんまり似てないよ」
そうこう話していると、カシミルドか急に足を止めた。
何かを探すように遠くに目をやる。
「声が……する。これは……誰?」
「カシィ君?」
リリィも立ち止まりカシミルドに近付いた。
「聞こえるのか? 私には聞こえないのだ。だからこそ断言できる。それは死者の声だ」
「死者?」
「ああ。死んだ者の魂は、命の天使に導かれ、新しい命へと生まれ変わるために、転生の扉をくぐるのだ」
リリィは淡々と話続けた。クロゥがカシミルドのフードの中でモゾっと動いた気がした。
「しかし、たまに迷子になる魂がいるのだ。地上に残され迷い、輝きを失い、気が枯れ、魂は徐々に穢れていくのだ」
「その穢れを祓うことが、黒の一族の役目なんですよね」
カシミルドの言葉にクロゥはビクッと顔を上げた。
「カシミルド……知ってたのか?」
「さっき知ったばかりだけどね……」
カシミルドはラルムの穢れを祓った時を思い出した。
そして、あの時の女性の声を頭の中で再生する。
やはり、心地いい。
「知っておるなら話が早いな。それがお主ら人間の役目だ。しかし昨今、転生の扉をくぐれない魂で溢れておってな……」
「何故ですか?」
「扉が閉まっているからだ」
「転生の扉……ですか?」
「ああ。本来その扉を開ける役目を担う者がいるのだがな。現行不在でな……」
「それも、黒の一族の役目なんですか?」
「いや……違う。それは……」
リリィが言葉を濁すと、クロゥがフードから顔を出した。
「それ、俺の役目なんだ。あーっと……黒の一族に使える黒鳥の俺様が、引き継ぐ役目。でも俺は……」
「へっ? クロゥが?」
カシミルドは、クロゥが自分の事を話していることに驚いた。カンナもクロゥをまじまじと見つめた。
「転生の扉……生まれ変わる? 天使の導き? まるでお伽噺みたいだね! クロゥは、扉の番人みたいな感じってことかな?」
「おー? それだ。カンナちゃん流石」
「クロゥ……だから元気ないの? 扉を開けるのは、難しいの?」
「ん。俺じゃ無理なんだよ。だから……扉を開けられる者を探してる」
クロゥは小さな金色の瞳でカシミルドを見つめた。
そんなクロゥの頭をリリィは人差し指で優しく撫でた。
「クロゥ。そう重く取るでない。穢れを祓ってくれるだけでよい。穢れたままでは、どのみち転生の扉をくぐれないのだ」
「だから黒の一族は、各地で穢れを祓っているのかな?」
「そうだよ。カシィ君」
カンナが当たり前の様に答えた。カンナは知っているのだ。
黒の一族なのに。知らないのは自分だけ。
「いつも、僕は何も知らない。すべき事も、自分がしている事すらも……知らない」
「ふふふっ少年は……いや。カシミルドは、知らないと言うことを知っているのだ。案ずることはない。必要なことは、時がくれば自ずと知るものよ。ーーゆっくりと。自身の歩幅で進みたまえ。な? クロゥ?」
「はい。リリィさん」
クロゥは小さく頷いた。
カシミルドは、クロゥを見て思う。
クロゥはリリィさんには従順だ。
凄く懐いているみたいに。でも少し分かる。
カシミルドはリリィを不思議そうに眺めた。
リリィは一緒にいると、安心する。
リュミエの姉だそうだし、似ているけど、全く違う。
とても優しい眼差しを僕に送る。
この人は……人?
「リリィさんって何者なんですか?」
「ん? いずれ時が来ればわかるさ。ほら? 聞こえてきたぞ?」
リリィは森の中心に目を向けた。
耳を澄ますと、女性のすすり泣く声が聞こえる。
カシミルドとカンナはリリィの後を追い、声のする方へと足を進めた。ルミエルもその後ろをゆっくりと付いていった。




