第二十六話 穢れ祓い
「命の精霊よ。我が呼び声に応えよ。我が名はカシミルド=ファタリテーー」
「お前。何して……」
シエルは急に呪文を唱え始めたカシミルドに驚き体を起こすが、カシミルドから涌き出る優しい金色の光を見ると口を接ぐんだ。
カシミルドは、心に響く女性の声に続けて、言葉を発した。
何処か懐かしく優しい女性の声だ。
「ーー我が魔力を用いてその力を示せ。穢れに侵されし魂を浄めたまえ……」
カシミルドの手から淡い金色の光がラルムに降り注ぐ。
すると、ラルムの白い頬に赤みが差し、目の下の隈も消えていった。
そしてゆっくりと、カシミルドからも光が収まる。
カンナはその光景を目にしたことがあった。
それも、一度や二度ではない。
「カシィ君? 私、今の知ってるよ。叔父さんもやってた。里の祠でも、王都に来てからも……」
シエルもカシミルドを訝しげに見ている。
カシミルドは自分の手の平を見て、先程の魔法の余韻に浸った。
しかしそれは、魔法の余韻というより、魔法を教えてくれた女性の声の方だ。
その声が、どうしても耳から離れなかった。
カシミルドは、彼女に言われたことを皆にも話すことにした。
「叔父さんもやっていたんだ。これが、黒の一族の役割なんだね……これは、魂を浄化するための魔法の一つらしいよ。地上でさ迷う魂は、長く居すぎてしまうと、気が枯れて穢れてしまうんだって。魂が穢れると、憎しみや負の感情に染まってしまうって。その穢れた魂が生きている人に影響を及ぼすことがあるみたいだよ……。ラルムさんも、穢れた気に当てられてた……きっと、森で会った精霊も……」
「お前、それどういうことだ? 穢れ? 何だよそれ……今みたいな事が出来るのに、何であんな化け物放っておくんだよ!? 知ってて黙ってたのか? ラルムは殺されかけたんだぞ!?」
シエルはカシミルドの胸ぐらを掴んで怒声を浴びせた。
カシミルドは興奮したシエルを落ち着かせるように言葉を返す。
「待ってよ。僕も今、教えてもらったんだよ……」
「って誰にだよ!? また精霊か? それとも魔獣か? お前本当に人間か!? お前が倒れなければこんなとこ来なかったのに……」
シエルの手に力がこもる。
カンナが見ていられず、二人の間に割って入った。
「シエルさん。やめて下さい。カシィ君は、ラルムさんを助けようとしただけで、何も悪くないじゃないですか!」
「……」
シエルはカシミルドから手を離し、腕を組んでラルムのベッドの傍らに立った。
ラルムの顔つきは普段と変わらない様子にまで回復している。
それは多分、自分が今、怒りを向けた相手のお陰だ。
カシミルドはシエルの背中に向かってポツリとポツリと話し始めた。
「シエルさん。僕も分からないことだらけなんです。黒の一族だっていっても、四つ歳上の姉と二人暮らしで、一族のことは何も知らないのと同じで……。さっき聞こえた声も、正直誰か分からないんです。命の精霊かと思ったけど……何か違う気もして……」
しかし、歯切れの悪い物言いのカシミルドに、シエルは心底呆れた。
こんな奴が何で俺達と一緒に行動してるんだよ。
何でこうも振り回されなきゃならないんだよ……。
その時ラルムが小さく声を上げた。
「んっ……」
「ラルム? 大丈夫か!?」
シエルがラルムの肩を強く握ると、ラルムは体を縮ませて、その手を振り払った。
そして怯え、消え入りそうな声で拒絶を示した。
「嫌っ! 来ないで……やめて……」
「ラルム……?」
「……シ……エル? シエルなの?」
ラルムはシエルに向かって震えながら両手を伸ばし、手探りでシエルの手を掴むと泣きながら強く握った。
シエルは勿論ラルムの手を握り返したが、ラルムの様子に動揺していた。
「ラルム……お前、目が……」
ラルムは体を起こすと、声を便りにシエルに抱きついた。
「シエルっ怖かったの……すごく、すごく……でも、シエルが助けてくれたんでしょう?……精霊が……水の大精霊が……」
泣きじゃくり震えるラルムの背中を、シエルはゆっくりと擦りながら、自分も冷静でいることに必死だった。
「大丈夫だから。もう。あいつはいないから……でも、ラルム……目が……」
ラルムは目が見えていない様なのだ。
精霊に何かされたのか……。一体どうしたら……。
するとラルムも自分の顔に触れ、異変に気づいた。
「そうだわ……私、眼鏡を失くしたみたい。どこかしら? シエル、持ってる?」
シエルは固まった。
今まで気づかなかったが、ラルムは眼鏡をかけていなかった。
「は? 眼鏡……あー。そっか。……目が見えないのは……そっか……何だよ」
シエルは勘違いして恥ずかしくなり頭を掻いた。
ラルムは気づいていないようだが、多分他のやつは……。
横目で後ろの二人を見るが、全く気づいていない様子だ。
鈍感な奴ばかりで助かった。
仲の良さそうなシエルとラルムの後ろで、カシミルドとカンナは顔を見合わせて微笑んだ。
精霊の事は気になるが、ラルムが目を覚まし、ホッと一安心した。
◇◇◇◇
テツは、右手に剣を持ち、左手に薬草を持って森を歩いていた。
怪我の治療のため薬草を採取しながらリリィの家へ向かっていた。
薬は少量なら所持しているのだが、調達出来るのならばそれが一番だ。
それに、薬を使わなくてはならないのは、恐らく自分だけだろう。
メイ子がいれば、怪我なんてあっという間に治してくれる。
テツが薬草採取に勤しんでいるのは、もう一つ理由があった。
後ろを歩く、ルミエルと会話をしたくないからだ。
湖での出来事を思うと、普通に顔を見て会話をする自信など無かった。
さっきの出来事は、どこまでが夢で、どこからが現実だったのだろうか。
自分では判断できなかった。
出来れば全て夢なら良いのだが、何となく唇に感触が残っている……ような。
顔が火照る。テツは首を何度も横に降り平静を取り戻す。
現実だと分かっていたのに、ルミエルを抱きしめてしまったし、涙まで見せてしまった。
きっとこの森のせいだ。
この森は彼らの記憶を呼び覚ます。
しかし、一番厄介な相手に自身を晒してしまった。
……まだ誰にも打ち明けていない。
自分の秘密を悟られはしないだろうか。
◇◇◇◇
ルミエルは、一度も振り返りもせずに薬草を取りながら、ズカズカと進んでいくテツの背をずっと見ていた。
歩くのが速く、追いかけるのでやっとだ。
しかし、考えれば考えるほど、湖でのテツの行動が不可思議でならない。
テツはアグという女と自分を勘違いしたのだろうか。
今まで見た中で、一番強引で、そして一番弱い姿を見せられた気がする。
でも、一番気がかりなのは、転生の樹という言葉だ。
彼は何故、森の中心にそれがあったことを知っているのか。
王家だけに伝わる書物でもあるのだろうか。
あの樹をそう呼ぶのは天使だけなのだ。
でも、彼は慈愛の天使の末裔……知っていてもおかしくはない?
ルミエルはそこで思考を止めた。
もう考えるのは止そう。
元々誰かの事を知ろうとしたり、推察したりすることは苦手だ。
分からないことは……それが知りたいことならば、聞けばいい。
「ねぇテツ。さっきの湖の事なんですけど……」
テツは足を止めてルミエルの方に顔だけ向けた。
顔が赤い。何故そんな恥ずかしそうな顔をしているのか、ルミエルは湖の事を思い返した……そして自分も顔を赤くする。
「さ。さっきの事は全て忘れてくれ。頭を何処かに打って、おかしくなっていたのだと思う」
テツはルミエルを説得するようにそう言ったが、それはルミエルのプライドを傷つけるだけであった。
こんなに可愛い少女の唇を奪っておいて、忘れたいとはいい度胸だ。
「はあ? こんな可憐な少女に、あんな事しておいて何て失礼な男ですの!?」
「可憐?」
「何故疑問系ですの?……ま、まあ、私はキスなんて挨拶みたいなモノですから、別に忘れてやってもいいですわよ?」
「……ああ。そうしてくれ。色々すまなかったな」
テツは口元を押さえて、くるりと前を向くと先程より速く歩きだした。
あらら? この反応は……。
ルミエルはテツに駆け寄り上着の裾を掴んだ。
「もしかして。初めてでしたの?」
悪戯に覗き込んだテツの顔は耳まで真っ赤で、ルミエルは反応に困った。
寝起きの俺キャラは何処へいった!?
頭を打ったせいだ、というのは事実かもしれない。
ますますテツが何なのか迷宮入りしていく。
ちょっとからかって笑ってやろうと思っただけなのに……。
その時。
「きゃぁぁぁぁ!?」
ルミエルは突然後ろから抱きつかれ悲鳴をあげた。
抱きつかれた、と言っても、腰の辺りに頭がある。
焦げ茶色の柔らかい猫のような髪の毛だ。
テツはそれを見て小さく驚いた。
「スピラル君じゃないか。何故森の中に?」
「あら? ここはさっき私達を呼びに来た場所じゃない……ずっと待っていたの?」
スピラルは目に涙を貯めた顔で頷いた。
多分迷子になったのだろう。両膝を擦りむき血が出ている。
テツはしゃがんでスピラルに背中を向けた。
「ほら、乗るといい。足を怪我してるぞ」
スピラルは少し戸惑った顔をしたが、テツの怪我に気付き自分の足で歩くことを選んだ。
ルミエルがスピラルの手を取り、迷わないように手を引いてくれた。
スピラルは森に目をやった。
人の手に侵されず自然のままの美しい森だ。
二人に会うまで、森を焼き払ってしまおうかと悩んでいたことは、黙っておこう……スピラルはそう心の中で思った。




