第二十五話 夢か現実かそれとも幻か
目が覚めると、目の前に彼女がいた。
彼女の柔らかい膝の上で俺は目覚める。
……でも私は知ってる……これはいつもの夢だと。
銀糸のように長く細く光を反射する髪が、俺の頬に触れる。
ずっと君に会いたかった。夢でしか会えない君に。
俺が生涯愛し続けて、僕がずっと追い求めた……君に。
逆光で顔がよく見えないのが残念だ。
でも、君の顔を忘れる筈がない。
俺はゆっくりと顔を近づけてくる君の頬に手を伸ばした。
「あら? 起きましたの?」
「うん。おはよ……アグ……」
彼女の頭に手を添えて顔を近づけさせる。
俺は体を起こして、彼女にキスをした。
「んんっ!?」
あれ? こんな反応は初めて……。それにこの感触も……。
次の瞬間、彼女は俺を両手で突き飛ばした。
彼女の膝の上から転がり落ち、地面に頭をぶつける。
痛い。普通に痛い。
これは、夢じゃない?
「あれ? ここは精霊の……森?」
目の前の彼女は、顔を真っ赤にして俯き呪文を唱えている。
彼女の周りには精霊が集まってくる。
「光の精霊よーー」
そうか。光の精霊だ。彼女が使うのは……。
テツはそこで現実と悟った。
腰に手を当て短刀を探すが、無い。これは不味い。
「ルミエル君。……すまない……寝ぼけていた様だ……少し落ち着いて……」
巨大な魔方陣を形成するルミエルに言い訳をするが、聞く耳は持っていないようだ。
この至近距離は危険すぎる。
テツが後退りすると、丁度地面に落ちていた短刀に手が触れた。
「光の鎖よ。彼の者を縛り上げ、その全てを絞り尽くせ……ゆけっ」
ルミエルの魔方陣から、今まで見たことの無いほど巨大な鎖がテツに向かって猛進する。
しかしテツはそれを短刀一本で受け止め、周囲に膨大な魔力を飛散させ弾き返した。
鎖に込められた膨大な魔力は行き場を失い術者に逆流する。
ルミエルの軽い体は宙に飛ばされた。
「きゃぁっ」「ルミエル!」
テツは短刀を腰に戻し、地面を蹴りあげ大きく飛び上がると、ルミエルの手を掴み自分に引き寄せた。
小さなルミエルはテツの腕の中にすっぽりと収まる。
小柄な彼女と同じ、小さな体。その体は小さく震えている。
それは、恥ずかしさと怒りのせいだ。
「ちょっと……さっさと離しなさいよ……」
ルミエルはテツの胸を押し返そうとするが、ビクともしなかった。
「ねえ。さっきから誰と私を間違えていますの!? テツ?」
テツの普段と違う様子にルミエルは困惑した。
ルミエルを強く抱きしめ、肩を震わせている。
「泣いて……ますの?」
テツの視線の先には広大な湖がある。
「湖……。転生の樹は、天使と共に……この地を去ったのだったな……」
「……テツ? あなた、何故それを?」
「テツ? そうだ。すまないルミエル君。どうもここにいると、幻ばかり見てしまうようだ……」
テツはルミエルを解放すると、サッと涙を拭う。
そして急に脇腹を押さえてしゃがみ込んだ。
脇腹から背中にかけて、シャツが裂け血が染み込んでいる。
「あら? 怪我してますの?」
「落ちる時に何処かにぶつけたようだな。大事ない。ーー皆は無事か?」
「ええ。先に戻ったわ」
「私たちも戻ろう」
テツはリリィの家に向かって真っ直ぐ歩き始めた。
ルミエルは無言でその後に続く。
話し方も雰囲気もいつものテツだ。
さっきのテツは何だったのだろう。
夢? 寝ぼけてた? 幻?
初めて見る顔ばかりされた。
しかし、元々テツの顔などあまり見たことも無かったかもしれない。
この男は何者なのだろう。王子だから色々知っているの?
森の地理にも詳しくて、転生の樹も知っている。
アグって誰だろう。
ルミエルは前を歩くテツの背中を、不思議そうに眺めた。
カシミルドは、窓から差し込む朝陽に照らされ目を覚ました。随分と寝ていた気がする。
脇がくすぐったいと思ったら、メイ子がしがみついていた。
ここはどこだっけ?
窓の外に目を向けると、どうやら森の中のようだ。
森……精霊の森?
そうだ、精霊の森近くの街道を移動中だったんだ。
それで確か具合が悪くなって……。
また色んな人に迷惑をかけたに違いない。
自分が情けなくて泣けてくる。
「むぅ? カシィたま! 起きたなのの!?」
「メイ子。心配かけてごめんね。怪我もメイ子が治してくれたんだよね……」
「怪我? カシィたまは怪我なんかしてないなのの!」
「あれ? 馬から落ちた気がするんだけど……」
カシミルドの最後の記憶は、馬に揺られて落ちそうになったところだった。
メイ子がカシミルドで顔をゴシゴシ拭きながら答えた。
「それならクロゥたまが受け止めてくれたなの。クロゥたまの怪我は大したこと無かったなのの!」
「そっか……クロゥが……」
「カシィたまを治したのは姉たまなのの。姉たまの角を、テツがお薬にしてカシィたまに飲ませたなの!」
「え? メイ子のお姉さんの? それにテツさんが?」
「そうなのの! 姉たま喜んでるなのの。テツがお医者さんみたいに手際よくお薬にしてくれたなの。いいやつなの」
「そっか。ありがとうメイ子。テツさんって、何でも出来るんだね」
「なのの!」
二人の会話でカンナも目覚めた。
元気そうに話すカシミルドを見てベッドから飛び起きる。
「カシィ君! 良かったぁ!」
カンナはカシミルドに顔を近づけ顔色をじっくりと観察する。
そして満足そうに頷いた。
「もう大丈夫そうだね。無理しちゃ駄目だからね。ここはリュミエ様のお姉様の家なんだって。精霊の森のすぐ近くに住んでるらしくて……」
カンナが話していると、一階が何やら騒がしくなった。
誰か帰ってきたようだ。
「私が見てくるから、カシィ君はもう少し休んでてね」
「でも……」
カシミルドが言葉を濁らせると、メイ子が見張りとしてカシミルドの前に立ちふさがった。
「わかったよ。ちゃんとベッドで寝るから……」
「むぅ!!」
カシミルドは仕方なさそうに、もう一度ベッドに横になった。
カンナが一階に降りようとしていると、下からシエルが息を切らせながら上がってくる所だった。
背中にぐったりと項垂れたラルムを背負っている。
それに二人ともずぶ濡れだ。
「シエルさん! ラルムさんも……何が……」
「どけっ! 邪魔だっ」
シエルはカンナを押し退けると、カシミルドが寝ている部屋の扉を蹴り開け入っていった。
シエルの後ろにはレーゼもいた。
右手に枝がくくりつけられ固定されている。
こちらも重傷に見える。
「レーゼさん。腕が……」
「平気だ。部屋を借りるぞ」
レーゼはカンナの腕を振り払うと、シエルに続いて部屋に入っていく。
カンナは状況がわからず、困惑したままレーゼの後を追った。
部屋の中ではカシミルドが魔法でシエルとラルムを乾かし、メイ子がラルムを診ていた。
シエルがそれを心配そうに見守る。
「むぅ? 少し凍傷になってるけど、治したなの。他に……怪我はないなのの」
「そうか……ありがとう」
シエルはホッと胸を撫で下ろす。
メイ子は驚いてカシミルドの手を引いた。
「カシィたま! こいつお礼言ったなのの! キャラじゃないなの!」
「お礼くらい誰でも……いや、確かに珍しいかも。ーーそれで、朝早くから何があったの?」
シエルは俯いて何も話さなかった。
その横で、カンナはメイ子にレーゼの怪我の事を伝えていた。
「むぅ! すぐ治すなの」
「別にいい……放っておけばすぐ……」
「でも、メイ子ならもっと早く治せるなのの! 任せるなの!」
メイ子は嫌がるレーゼに回復魔法をかけた。
レーゼの怪我はすぐに癒え、副木を取り外した。
「あれ? テツさんは? 皆何処で何してきたの?」
カシミルドは疲れきった様子のシエルに尋ねた。
シエルは深いため息をつき、空いているベッドに腰かけて話し始めた。
「ラルムが……精霊の森に入ったんだ。そこで精霊に会って……襲われてた」
「襲う? 精霊が? 何でだろう。そんな話聞いたこともないよ」
カシミルドはシエルの話が信じ難かった。
そして眠るラルムの顔を見つめた。
「俺だって何でかなんて分かんねぇよ。行ったらラルムが首絞められてて……。よく大精霊に認められるために己の力を示す……とか言うお伽噺はあるけど。そんな雰囲気でもなかったし……あの精霊からは、殺意を感じた」
シエルはオンディーヌの瞳を思いだし身震いした。
そして大蛇に飲まれた時の事を思い出す。
沢山の声が聞こえた。
それは皆、人が憎い、消えたくない……と、シエルの耳元で、いや、否が応でも頭の中にその声を響かせてきたのだ。
「あの。シエルさん。よかったらそのままベッドで休んでください。顔色が悪いですよ」
シエルは何も言わず、カンナが言った通りにベッドに横になった。ラルムが見えるような体勢で。
ラルムの様子をずっと観察していたカシミルドだったが、急に部屋を見回すとレーゼに尋ねた。
「そうだ。スピラルは? テツさんと一緒ですか?」
「いや。私を森に呼びに来て、その後は知らないな……」
「えっ迷子かな……僕、探してきます」
「駄目だよ! カシィ君方向音痴でしょ! 熱だって下がったばかりだし」
「あ……」
カシミルドは気まずそうな顔をした。
「私が行く。スピラルに最後にあったのは私だ。怪我も君のお陰で良くなった。皆は待っていなさい」
レーゼはメイ子の頭にポンっと手を乗せると、部屋を出ていった。
スピラルはレーゼに任せておけば大丈夫だろう。
やはり問題はラルムだ。様子がおかしい。
カシミルドはもう一度ラルムの顔を見た。
顔色が悪く、目の下に隈が出来ている。
何処かで感じたことのある、嫌な気配だ。
「カンナ……ラルムさん。目の下に隈があるよね。顔色も悪いし……」
「そう? 顔色は悪いけど、隈はないよ」
カンナには見えていないようだ。
カシミルドはラルムの目の上に手をかざした。
この感じ……王都へ行くときに、海で感じた気配だ。
「これは……気枯れ……いや、穢れだっけ?」
カシミルドが問いかけると、何処からとなく声が帰ってきた。
『そう。それを祓うのが黒の一族の役割よ。ほら、私に続いて……』
誰だろう? これは精霊の声だろうか。
耳じゃなくて、心の中にスッと溶け込むような、心地よい女性の声がする。
カシミルドはそっと瞳を閉じた。
そして呪文を唱えた。




