第十話 出立前夜
カシミルドの部屋の前で、シエルは戻ってきたカンナと鉢合わせた。
「あ。カシィ君の制服。ありがとうございます。まだ寝ていましたか?」
制服を抱えたカンナがシエルに申し訳なさそうに尋ねる。シエルはカンナをまじまじと見返した。
確か、宿屋で働く庶民だそうだ。
小柄で怪力? で、黒の一族の人間でもあるらしいが……ただの庶民が視察団についてくるなんて、どうも納得がいかない。
この少女もカシミルドも、どこの馬の骨とも分からない輩と行動を共にすることが不安で仕方なかった。
カンナはシエルの冷たい瞳に、緊張して顔を強ばらせる。
「あの。制服は私が届けます。お手を煩わせてしまってすみません」
「……これは必要なかった。俺はもう戻る」
シエルは不機嫌そう口にすると、踵を返し去っていった。カンナは緊張から解放されて、息をついた。
しかし、必要なかったとはどういう意味だろう。
部屋の扉を開けると、カンナはその意味がすぐに分かった。カシミルドの胸に手を当て、親しげに会話を楽しむユメアの姿が目に入った。
ユメアはカンナに気が付くと、瞳を曇らせる。
カシミルドはそんなことに気付きもせず、嬉しそうにカンナに話しかけた。その首元には、紫色の宝石が嵌め込まれたネックレスが光る。
「カンナも制服貰ったんだね。僕の分はユメアが持ってきてくれたんだ!」
「そっか……なら良かった。私、明日の準備、手伝ってくるね。また、夕食の時にね!」
「え? 僕も手伝……」
カシミルドの言葉を最後まで聞きもせず、カンナはユメアに気を使って急いで部屋を出て、隣の客室に引きこもった。
ユメアを見ると胸が苦しい。
何故か、ユメアと向き合うことが怖かった。
カシミルドと親しくしているからだろうか。
カシミルドが傷ついたり、悲しむのは嫌だ。
でも、楽しそうに笑っているのに、どうしてこんな気持ちになるのだろう。
自分の気持ちが理解できず、カンナはベッドに突っ伏し枕を抱き締めた。
すると扉からトントンと音がした。
扉が開き、顔を出したのはカシミルドだった。
カンナは驚いて体を起こす。
「カンナ? 僕も手伝うよ。ユメアは自室に戻るって。何すればいい?」
「あ。何だったかな。忘れちゃった」
カシミルドを見ると、心がホッと落ち着いた。
手伝いなんて嘘なのに。
あの部屋から逃げるための言い訳。
それなのに、カシミルドは自分を追いかけてきてくれたようだ。あの子じゃなくて、自分を。
「ははは。カンナが物忘れするなんて珍しいね。……今日は迷惑かけてごめんね。もう、大丈夫だから」
「うん。無理しないでね。何かあったら、すぐに言ってね……」
「ありがとう。カンナも僕を頼ってね」
カシミルドの胸に紫色の宝石が光った。
制服もきっちりと着こなしている。
不器用なカシミルドは、きっとボタンを掛け違えるだろうと思っていたのに。もう、カンナより背だって高い。
何だかカシミルドの事が遠くに感じる。
「そのネックレス。綺麗だね」
「あ、ユメアがくれたんだ。慈愛の加護石だって。一度だけ、どんな怪我でも治せるらしいよ……あれ? でも、メイ子がいるから、僕がもらっても余り意味がなかったかな?」
「駄目だよ。ユメアさんの気持ちなんだから、ちゃんと持っていてあげなよ」
「わかった。……手伝いが何か思い出すまで、隣の客室でタルト食べる? クロゥがつついた跡があるけど……」
「……うん食べる」
◇◇◇◇
城の裏手にある墓標の前に、一輪の紫色の薔薇を手向ける。
ここは歴代の王族が眠る墓。
王家の者と、それに近しい者しか入れない場所だ。
テツは墓に手を合わせ、明日の出立を報告する。
「……明日からエテへ行くよ。一度だけ一緒に行ったよな……あの頃から、この国はどれほど変わっただろう。この手で触れたこともない君の温もりが、今でも恋しいよ…………いってきます。ーー」
テツは、その墓に眠る女性の名前を呼び追慕する。
心に迷いが生じた時、王都から離れる時、テツはいつもこの場所に訪れる。
ここに来れば、自分を愛してくれた人がいる。
両親から見放されても、回りが敵だらけでも自分の存在する意味を見い出せる。
自分が何をすべきか、受け継がれた使命を再確認することができる。
暫くその場に佇んだ後、沈みかけた陽を背にテツは墓を後にした。
薔薇の庭園に戻るとグラスがテツを待っていた。
「テツ様? ご挨拶は済みましたか?」
「グラスか。何か進展があったか?」
「はい」
グラスは周囲を確認し、小声で話し始めた。
「蜥蜴の尻尾に動きが見られました。オークション会場が潰れたことにより、オークション部隊は廃止だそうです。ですから、顧客からの依頼のみ。より奴等の動きが見えにくくなりましたね」
「そうか……」
「先発隊は、早々に出発されました。議会の翌日に出発だなんて。前々から機会を窺っていたのが見え見えですね。テツ様、討伐の件は……」
「討伐などさせてたまるか。目的の種族はルナールなのだろう?」
テツは腰に携えた剣を握りしめた。
「はい。ルナールという獣の種族だそうです。耳と尻尾が生え、身体能力の高い戦闘部族だそうです」
テツはグラスの情報に首をかしげた。
「それだけか?」
「はい。謎の多い種族です。貴族の間では、その毛皮が重宝されているようです。隠れ里に身を潜め、里に近づく者は抹殺されるそうです」
「ほう。謎が多いままなのか。なら、まだ時間はあるのだな。ーーそうだ。グラスにユメアを頼みたい。カシミルド君に肩入れしているから、機嫌が悪くてね」
グラスは驚いて、ずり落ちた眼鏡を直しながら頭を抱えた。
「私、ユメア様とは余り関わっていないのですが……そうです。キヨラ様にお願いしておきます。ユメア様もお気を許していると存じますので」
「では、その様に計らってくれ。何かあったら、すぐに手紙で知らせてくれ」
「はい。テツ様。どうぞ、お気をつけて」
テツはグラスに微笑み掛けるとその場を直ぐに立ち去った。二人の密会はいつも五分と決めている。長居は無用、敵は何処に潜んでいるか、分からないのだから。
◇◇◇◇
明日の出立を前に、皆それぞれの場所でそれぞれの前夜を過ごす。
ラルムは母に旅の心得と書かれた書物を読んでもらっている。シエルは自室で兄から貰ったら杖を丁寧に磨く。
スピラルはアヴリルを抱きしめてベッドでスヤスヤ夢の中。テツは剣の手入れに精を出している。
カシミルドは、星明かりに照らされて見える、カンナの寝顔を見つめていた。
子供の頃も、こうやって二人で一緒に寝ていた事を思い出す。
昨夜と同じく、カシミルドのベッドでクロゥを真ん中に三人で寝ようとしていた。
城のフカフカのベッドとは今日でお別れだ。
病み付きに成る程柔らかいベッドに身体を埋め、癒しの一時を味わう。
明日からはどんな毎日を過ごすのだろう。
子供の頃、行ったことのない場所へカンナと二人で探索する時は、あんなにドキドキワクワクしていたのに。
これからの事を考えると、どうしようもなく不安が付きまとう。でも、行かなければならない。
テツが自分を必要としてくれたように。
きっとこの旅の先にも、誰かが待っている。
そんな気がした。
カシミルドは、目の前で寝ているカンナの頬をそっと指でつついた。
カンナは一度寝ると周りが騒がしくても大抵起きない。
手のひらで頬を覆っても、指で唇に触れても……起きない。
「キスするなら俺が寝てからにしろよ~」
二人の間で寝たふりをしていた黒鳥が、静かな夜にその声を響かせた。カシミルドは慌ててカンナから手を離す。
「すっする訳ないだろ!! クロゥの馬鹿! おやすみ!」
「ケケケッ。可愛い女の子が目の前にいたらさ? それぐらい男ならしようとしろよ~。邪魔して悪かったな……おやすみ。カシミルド」
「…………」
カシミルドはクロゥに背を向けて無視をした。
クロゥもそれ以上冷やかすことなく、部屋には静寂が訪れる。
しかし、クロゥの言葉が頭から離れなかった。
男ならしようとしろ?
カンナに会いたくなったり、抱きしめると安心したり、触れたかったり近づきたかったりするのは……男として当たり前なのだろうか。
姉さんと二人で暮らしていた時は考えた事もなかった。
姉さんは可愛い女の子じゃないからかな……怖い女王様みたいな感じだし……やっぱり、カンナだからかな。
カンナも姉さんも、僕にとってかけがえのない大切な家族だと思っていたけど……姉さんを思う気持ちと、カンナに向ける気持ちは、似ているけれど違う。
この感情は何ていうんだろう……。
◇◇◇◇
その頃リュミエは自室にて旅の支度に勤しんでいた。
その横でレーゼルが心配そうにリュミエの支度を手伝っている。
「あの。本当に実行されるんですか?」
「モチロンよ。はい。これ、予備と予備と予備と……」
リュミエはジャラジャラと黄色い小さな宝石のついた指輪をレーゼルに渡した。数が多過ぎて、レーゼルの大きな手のひらから溢れるほどだ。
「あ、あの。こんなに必要でしょうか?」
「だから、予備の予備の予備のって言ってるでしょう? 遠征が長くなったら、困るのはレーゼルよ。備えあればなんとやらよ」
「はい……」
レーゼルは浮かない顔でリュミエに返事をした。
リュミエはその顔を見て、勇気付ける様に肘でレーゼルの脇腹を小突く。
「大丈夫。誰にもバレないわよ! 教団内の事は、レーゼルに一任するわ。ーーフフフ……オーホッホッホッ」
リュミエの高笑いが部屋中に響く。
昨日から終始機嫌の良いリュミエに、レーゼルは深い深い溜め息を漏らした。




