第八話 呪いの種子
カシミルドはソファーに寄りかかり、瞳を閉じると、皆の声に耳を傾けた。
外からの声ではない。内から聞こえてくる声にだ。
その声は遠くから聞こえ、何を言っているのかは分からないが……これはシレーヌの声、そしてもう一人……魔力が暴走した時と同じ声だけど、違う声にも聞こえる。
あの時の穏やかに冷静な声ではなく、もっと違う感情のこもった声だ……この感情は……憎悪?
一体誰に向けられた憎悪なのだろうか。
ただただ胸が重くて苦しくて……痛い。
この感覚は、前にも感じたことがある気がした。
「カシィ君? 顔色悪いよ……それにすごい汗……」
カンナの手が僕の肩に触れる。カンナが触れた所だけが温かく、自分の身体だという感覚が甦る。
しかしそれ以外は、まるで自分ではないかのように重く苦しく言うことを聞かない。シレーヌの声が大きくなる。
遠くて聞き取れなかった言葉が漸く形を成し始めた。
「人は何故、自分の力で満足しきれず、他者から奪う道を選ぶのだろう……」
「カシミルド君?」
ラルムの問いかけをテツが制止した。
「魔獣と人の世界を二つに分けた天使は、人への憎悪を己の魂に植え付けた。再び人々が他種族へ略奪と殺戮に落ちた時、天使の魂は、呪いの種子にその身を蝕まれ、人々を世界から滅ぼすであろう。人々の魂を浄化するために。世界を浄化するために……」
「カシミルド君。それは誰が言ったのだ?」
落ち着いた声でテツが尋ねた。するとカシミルドは深く呼吸をし、苦悶の表情のまま頭を抱えて俯いた。
「シレーヌが……語りかけてくるんだ……僕の中の……意思に……」
カシミルドは言葉の途中で胸元の服を握りしめ、そのまま意識を失った。
「おっおい!? 大丈夫かよ」
「シエル。ベッドに寝かせよう」
「ああ……」
カシミルドはベッドに横になると、顔色が落ち着いた。それを見て皆ホッと息をつく。
「カンナ君。シレーヌとはどんな女性なんだ?」
「シレーヌさんは、水色の綺麗な人魚の魔獣です。大人っぽくて、上品で好戦的で、人間に好意はもっていない方ですね……」
「そうか……人間が嫌いか……一度会って話してみたいものだな」
テツはそう言うと瞳を曇らせた。あまり感情を出さない人だと思っていたが、普段と違い、憂いを帯びたテツの表情に、カンナは驚いた。
その横で、シエルはカシミルドの顔を覗き込みながら首を傾げて言った。
「さっきのこいつの話。魔獣に危害を加えたら、天使が人間を滅ぼすってことか? でも、天使なんか本当にいるのかよ。お伽話だと、もうこの地にいないんだろ?」
「そうね。そんな絵本があったわね」
「しかし、呪いの種子か……。聞いたこともないな。カンナ君は知っているか?」
カンナは、心配そうにカシミルドを見つめながら首を横に振った。
「テツさんは、どうしてカシィ君を視察団に入れようと思ったんですか?」
「それはだな、魔獣達に一番近い存在なのが黒の一族だと思ったからだよ。昔は同じこの地に住んでいた魔獣達は、何時からか自分達の世界に隠るようになっていた。それを召喚という形でこの世界に喚べるのが黒の一族なのだろう? 魔獣達と対話するには、今のこの国の人々では遠すぎる。より近い存在に、間に入ってもらいたいと考えたのだ」
「昔はこの地にいた?……そうなんですか? メイ子ちゃん達が言う魔獣界って、いつからあるんだろう……」
「私、精霊の本で読んだことがありますよ」
ラルムが遠慮がちに声をあげた。
「確か、五百年ほど前に、魔獣達はこの地に現れたそうです。主なき精霊の森で、長い時をかけて進化した種族だといわれています。そして今から三百年ほど前、突如種が減り、魔獣達は人を避けるようになったとありました。丁度その頃です。黒の一族が黒の召喚士の一族と呼ばれるようにようになったのは。我が家の書庫にある古い文献で見ました」
「フォンテーヌ家の書庫は宝の山だからな。国立図書館よりも、王族の書庫よりも、古くからフォンテーヌの者が研究してきた文献の方が多いらしいからな」
「はい! フォンテーヌの著書ばかりですけど、山ほどあるんです! 一つの事柄を研究しつくしたマニアックなものばかりですけどね」
ラルムの瞳がキラキラと輝いている。
フォンテーヌ家は代々研究気質の者が多いようだ。
「昔から本ばっかり読んでるもんな。……テツ様? こいつ寝ちゃいましたけど、どうしますか?」
「ふむ。カシミルド君もぐっすり寝込んでしまったし……皆、明日の仕度もあるだろう。今日は解散しよう。明日から、宜しく頼むぞ。ーーシエル、カシミルド君を下の客室までお願いできるか? 自室の方が休まるだろう」
「あっ大丈夫です! 私が連れて帰りますから!」
カンナは早口でそう言うと、カシミルドの身体を起こして軽く背中に担いだ。小柄なカンナが思わぬ怪力を発揮し、皆驚く。
「え……俺、やるけど……」
「だっ大丈夫です! 明日からよろしくお願いします。では、失礼しますね」
シエルの申し出を笑顔で断り、カンナは部屋を出た。
そして、扉の前に立っていたユメアと鉢合わせになる。
ユメアはタルトとティーセットの乗せたカートを引いていた。カンナと目が合うと、キッと目を細めたユメアだが、その背中で眠るカシミルドを見て顔色が変わる。
「あ……。カシミルド君、どうしたのです?」
「えっと……」
「ユメア。貧血か何かだ。気にするな」
口ごもるカンナにテツが説明した。
困り顔のカンナを睨み付けてユメアは言った。
「……後でお部屋にお茶をお運びしても宜しいですか?」
「はっはい! では、失礼しますね……」
カンナはユメアから逃げるように去って行った。
どうしてもユメアに見つめられるのが苦手だった。
カシミルドを見るユメアの瞳と、カンナを見る時の瞳が余りにも違うからだろうか。
ユメアと目が合うと、何故か胸が苦しくなる。
これは何という感情だろう。
◇◇◇◇
「ユメア。お茶は頂けないのか?」
扉の前で立ち尽くすユメアにテツが声をかけた。
「あっ。そうでした! 私、失礼しますね」
「おいおい。明日から当分会えないというのに冷たいものだな……」
「え? あの、私も……」
「何度も言ったと思うが、ユメアは留守番だからな。母上と父上を頼んだよ」
「…………ずるいです」
ユメアは俯いて震える小さな声で呟いた。
涙を溜めた瞳でテツを睨むと、カートを残したまま廊下を走って行く。
その後ろ姿をラルムが心配そうにユメアを目で追った。
「ユメア様、大丈夫でしょうか?」
「心配ではあるが……グラスに頼んでおくよ」
「母にですか?」
「ああ、一番信頼している」
「そう……ですか。あの、視察団の目的は、魔獣達との接触、理解を深める。という認識でよろしいですかね? 私、精霊の次くらいに、魔獣にも興味があるんです」
「ほう。そうか。ラルム、君は目がいい。物事を純粋に、君の視点で見てくれると期待しているよ」
そう言ってテツはラルムに笑顔を向けた。テツに褒められ、ラルムは驚きと恥ずかしさで目をパチパチさせた。何だか二人の世界に入っている様子のラルムとテツに、シエルは後ろから咳払いをした。テツがシエルに向き直る。
「シエル。君は、何も見ていないような顔をしているが、実は色々なことに目が行き届いているよな。それに耳がいい。他の者とも、身分は気にせず仲良くしてくれたまえよ?」
「はっはい……」
「明日からは宜しく頼む。下がっていいぞ」
「はい!」
二人は声を揃えて返事をし、部屋を後にした。
城を出て第一王区の自宅へと戻る道を並んで歩く。
まだ昼過ぎだ。陽が高い。
「シエル。明日からだね。……視察ってもう少し後かと思っていたから……ちゃんと私に出来るかな?」
「確かに急だよな……俺はメンバーが気に入らない」
「カシミルド君? それともカンナ?」
「どっちも……。特にカシミルドって何なんだ? 黒の一族って皆あんな感じなのか? 人間離れしてるっていうか……急に倒れるし、呪いがなんだって……」
「きっと……私達には分からない、精霊とか他種族とかと、通じ合える力を持ってるんだよ。でも、天使なんて言葉が出てくるなんて、次元が違うよね!」
重い話だと思ってしたが、ラルムから鼻歌が聞こえ始めた。
「ラルムは楽しそうだな。ーーでも他のメンバーもな……」
「……? もしかしてテツ様!? あんなに格好良くて優しくて頼りになる人なのに??」
ラルムは足を止めてシエルの前に立ちはだかった。
シエルは呆れた顔をしている。
「違うよ。テツ様は色々謎過ぎだし、それはそれでアレだけど……俺はレーゼさんが怖いんだ!」
「え? あ、そっか教官ってレーゼさんか。何だかバラバラなメンバーだけど、楽しそうだね!」
ラルムは軽い調子で歩き出した。
反対にシエルの足取りは重い。
「バラバラ過ぎるだろ……。そうだラルム。単独行動は禁止だからな。何か気になるものがあっても、一人でどっか行くなよ?」
「え? 分かったわ~」
声の調子からして、全く分かっていない様子だ。
目を離さないようにしないとな……とシエルはラルムの背中を見て思った。
「ラルム。俺から離れるなよ……」
「何か言った?」
「もういい。……そう言えば、東のエテにはラルムの父様がいるんだよな?」
「そうよ。エテの研究所にいらっしゃるわ。私と会ったら話があるそうなのよね……何かしら」
この時期に親からの話といえば……教団の研修後の役職についてか……お見合いか?
いやいやいやいや。見合いはないよな。
「ラルム。お見合いとかだったらどうする?」
「え? お見合いか。ありそうだね。お父様が話すってことは地方の貴族か何かかしら? まぁ、どうでもいいや。私は精霊の研究さえ出来れば」
「……なあ。ラルムは精霊の研究さえできれば、他には何も要らないのか?」
「うーん。王都にいるよりは地方にいたいかな。その方が色々な所に出掛けられるもの。シエル、精霊の森って視察で行くかな? 私、精霊の森に行きたいのよ」
「行かないだろ。森の横は通るけどな」
やはりラルムは精霊への探究心で形作られているようだ。まだ、将来のことなんて興味ないんだろうな。
今はこのままでもいいのかな。
「行かないの!?」
「ああ。観光でもいかないから。あそこは、入っても入っても入れない、入れずの森って異名があるんだぞ」
「そんなこと本に書かれてなかった……」
「迷信だからな。噂話みたいなもんだよ」
ラルムはシエルを尊敬の眼差しで見つめ返した。
「シエルはすごいよね。魔獣の事も、噂話も、色々知ってる」
「褒めても何も出ないぞ」
「ふふっ明日から宜しくね」
「おう」
シエルは喜びを隠すように素っ気なく言葉を返した。
視察団のメンバーにラルムがいて良かったと、心の中でそっと思った時、ラルムが急に立ち止まった。
「あ! シエル、遠征用の制服ってまだ支給されてないわよね?」
「え? そういえば……俺達は新人だし、家にあるのじゃ駄目か……」
「戻ろうか?」
「だな」
二人は来た道に向き直り、城へと足を戻した。




