第四話 荒波の魔獣シレーヌ
荒波の魔獣シレーヌ。
瑠璃色の長い髪。
肌は白く透き通り、手や顔に髪色より少し薄い色合いの鱗の様なものがみえる。
腰から下は光沢のある瑠璃色の魚の尾が生えている。
カシミルドの両手に収まるほどの大きさの水泡の中にシレーヌはいる。
想像していたより小さい。
とても小さくて儚げで、海色の瞳に吸い込まれそうになる。
「君がシレー……」
「チレーヌなののー!!」
カシミルドの声をかき消し、メイ子が大喜びでシレーヌに飛びつく。
「おっ。お待ちなさい。メイっ」
シレーヌがそう言い終わる前に、メイ子はシレーヌの水泡に激突した。
「きゃぁっ」
パチンッと音をたてて、シレーヌは水泡と一緒に弾けて泡となって消えてしまった。
「む……むむむむっ!!」
メイ子は驚き、辺りを飛び回りシレーヌを探すが、その姿はない。
カシミルドも辺りを見回す。
しかしメイ子ほど焦った様子はない。
何故ならば、カシミルドはシレーヌの気配を感じ取っていたからだ。
「ぢれーぬぅぅ。ごめんなざいなののぉぉ」
メイ子はシレーヌを壊してしまったと思っているようだ。
カシミルドはシレーヌの無事を知らせようとしたが思いとどまった。
シレーヌが止めたからだ。
「メイが五月蝿くてお恥ずかしい限りです。しばし反省させてくださいませ」
カシミルドだけに聞こえる声で、シレーヌは話しかけてきた。カシミルドも口に出さず心の中で尋ねる。
君はメイ子の友達?
僕に召喚されたの?
僕はどうやって召喚できたの?
どうして消えたの?
君はどんな子?
魔獣界ってどんなところ?
心の中で尋ねようとすると、次から次へと疑問が湧いてくる。
「クスクス。一度に沢山聞きすぎですわ。私はメイのお世話係のようなものです。そして御主人様に召喚されました。召喚と言っても……召喚とは本来なら合鍵を作って扉を開けて、力と犠牲で私たちを引き摺り出すようなイメージなのですけど。御主人様の場合は……世界の理を無視し、その魔力を呈するだけで、私たちを魅了し、自然と従わせてしまう……その様な感じですわ。私自身の事は一緒に過ごす中で、御主人様の目でお確かめください。クスクス」
「シレーヌ」
カシミルドがシレーヌの名前を呼ぶと、そっと冷たい何かがカシミルドの頬に触れた。
「カチィたま!? 今。チレーヌって呼びまちたなのの? どこかにいるなのの?」
メイ子は目に涙を貯めて、カシミルドの方に全速力で飛んできた。
シレーヌは見えないがすぐ目の前に気配を感じる。
よく見ると、うっすら透明な何かが見えたような気がした。
カシミルドがそこに手を伸ばすと、水面に指を入れた時のような波紋が広がる。
「ひゃんっ」
シレーヌはくすぐったそうに声をあげ、カシミルドの指の間をすり抜けて上空へ飛んでいった。
そして井戸の方でピチャンと水を叩く音がした。
メイ子がすぐに反応する。
「むむっ!! 水の音なのの」
「メイ? こっちよ。井戸の方よ」
カシミルドは、泣きじゃくるメイ子と一緒にシレーヌの声がする井戸を覗き込んだ。
水の中にシレーヌの姿があった。
「メイ? ここは魔獣界じゃないのよ? 私、水の中でしか姿が保てませんの。気をつけてくださいね」
「ごめんなざいなののぉぉ」
「もうよろしくてよ。メイ。少し黙っていてくださる? 私、メイと同じように、カシミルド様と主従誓約を結びたいのですの。よろしいかしら?」
メイ子と同じ?
誓約を交わした記憶は無いのだが。
そもそも、主従誓約とは、なんだろうか?
カシミルドは頭を捻る。
「メイ子に任せるなのの!」
そう言うや否や、メイ子はカシミルドの左手にガブリと噛みついた。
「いっ痛いよ。メイ子」
「後でメイ子が治すなのの。大丈夫なのの」
カシミルドの左手にはメイ子の歯形がくっきりと付いている。そして傷口から血が一筋流れ落ちた。
その血は井戸の水面に音もなく吸い込まれ、シレーヌに届く。
水面が青白く光を放つと同時に、また井戸から水柱があがった。
今度はカシミルドの目の高さまで水柱が上がり、その上に水泡に包まれたシレーヌがいた。
シレーヌは不適な笑みを浮かべている。
「カシミルド様。あなた様の血、確かに頂戴いたしました。誓約完了です。これからは私の事を下僕と思って何でもお申し付けくださいませ」
「チレーヌ。メイ子がやったなのの!! 褒めて褒めてなの」
「やりすぎですわ。御主人様を傷つけるなんて、愚行ですわ。早く癒しなさい」
シレーヌに一喝され、メイ子は泣きながらカシミルドの傷を治した。
カシミルドは主従誓約が、どういったものなのか聞きたいが、二人の会話に入れないでいる。
「ところで、どうして私を呼んだのかしら? 私としましては、噂のカシミルド様の魔力に触れられて本望でしたが……。人間は嫌いだってメイも知っているでしょう?」
「そうなのの! メイ子のお姉たまを見つけたなのの!」
メイ子は姉を見つけたこと、ミラルドの結界のこと、シレーヌを呼んだ理由を説明している。
聞きたいことがどんどん増えていくが、カシミルドは置いてきぼりだ。
「うーん。そう言うことでしたのね。でもそのような話でしたら、もうミラルド様に色々とばれちゃっていると思いますわ」
「そっそれは、なんででございまするなのの!?」
ミラルドにばれたら外に出られない。
メイ子は顔を真っ青にし、言っている事もおかしくなっている。
カシミルドも何をやらかしてしまったか必死に考えた。
「お顔が青いですわよ。お二人とも。クスクス。ここはミラルドって人間の結界の中なのでしょう? 召喚魔法なんて使ったら、大量の魔力を使いますのよ? 御主人様が、どこで、何をしたのか、絶対に気付いていますわよ。クスクス」
カシミルドはしゃがみこみ姉の怒った顔を思い出す。
背筋に冷たいものが走った。
憧れの召喚魔法がつかえたのに、ちっとも喜べる状況ではなくなってしまった。
「メイ子。井戸の近くで使う。すっごい魔法ってあるかな?」
「メイ子。魔法のこと、よくわからないなのの……」
シレーヌはその様子を見てクスクスと笑う。
「御主人様がそんなに恐れるなんて、ミラルドってどんな人間なのかしら? クスクス。ですが、何故隠すのですか? お姉さまなのでしょう?」
「確かに」
何故隠そうと思ったのだろう。
姉から逃れて、こっそり外界に行くなんて、やっぱり無理だ。
いっそのこと、全て話してみようか……。
でももし話したら――。
「絶対行くなって言われる」
ミラルドはカシミルドが外へ行くことを極端に嫌っている。近くの村すら許可が降りないのに。
海を渡って王都側の大陸に行くなんて、許すはずがない。
暗い表情のカシミルドを見て、メイ子は明るく言った。
「わかったなのの! もう結界ぶち破って正面突破するなのの!!」
「海まで出られれば、私の支配圏ですわ。人間なんかに手出しさせません」
言葉遣いは綺麗だが、シレーヌはなかなか好戦的な性格なようだ。
しかし海か……。
「姉はこの大陸からは出られないんだ。今、黒の一族で山に残っているのは、僕と姉の二人だけ。ノワールの里を守る人柱が必要だから、海にさえ出られれば……姉には止められないと思う」
「カチィたまも、ヤル気出てきたなのの!!」
「問題は結界をどう破るかだと思いますわ。井戸の奥にも結界が張られていますし。術者を痛めつけるか、殺すかかしら?……冗談ですわ」
シレーヌは自分の発言に、カシミルドの顔色が悪くなったことに気付き、取り繕う。
悩める三人を木の上からずっと見ていた一羽の鳥が、フッと鼻で笑った。
「おーい。俺もまぜろよ。さっきから面白そうな話してんじゃねぇかよ。ケケケッ」
三人は声のする方を見上げた。
黒い小鳥がバサリと羽を広げ、カシミルドの頭の上に降り立つ。
「大体の話は聞いていたぜ。俺にいいアイデアがある」
黒鳥クロゥは、小さな胸を張って自信満々に言い切った。