番外編 君との「初めまして」(シエルの回想)~後編~
俺はいつも通りラルムと薔薇園にいた。
今日は魔法の練習をしようと思って、ラルみたいに分厚い本を持ってきていた。
昨日みた女の子は多分同い年位だ。
学園に入ったらきっといるはずだ。
あの子にもう一度会うまでに、魔法の技術を磨きたいと思った。
もしかしたら、姿を消す魔法もあるかもしれない。
取り敢えず、一番簡単な魔力探知の魔法をやってみよう。自分の魔力を風に乗せて周囲に放ち、それが触れた物の魔力を感じることの出来る魔法だ。
昨日兄様から譲り受けた杖を持って、地面に魔方陣を描く。
ん? 俺は視線を感じて後ろを振り向いた。
ラルムが長ブランコに座っているがこちらは見ていない。
気のせいだろうか。
魔法の練習をしていると、たまに視線を感じる。
もしかしたら、母様が何処かで見ているのかもしれない。
気を取り直して魔法の続きだ。
尊敬する兄様から教わった魔法。
まだ殆ど使えないけど、魔法を使うと胸の奥がザワザワするんだ。
冒険にでも出かけるみたいに。
魔方陣の中心に杖を着く。
瞳を閉じて、杖を持つ手に力を込める。
そして、大気に響かせるように声を発する。
全部、兄様が教えてくれた。
「風の精霊よ。我が呼び声に応えよ。我が名はシエル=ミストラル。我が魔力を捧げよう。故にその力を委ねたまえーー」
呪文を唱えると、瞳に熱を感じる。
杖を中心に大気が揺れ動く。
この感覚は病み付きになるんだ。
「さあ。自由に放たれよ。我が魔力と共に静かなる風となりて……」
どのくらい遠くまで届くかな。
俺は意識を杖に集中させた。
初めに感じたのはーー冷たい水のような微かな魔力……これはラルムかな?
今度は明るい感じの魔力……次は暑苦しいな……離れれば離れるほど、相手の魔力に靄がかかり、感覚が鈍くなる。
そろそろ魔法を解こうと思った時、俺は今まで感じたことのない魔力に触れた。
底無しに黒く重い魔力の塊……全身の毛が逆立つようなプレッシャーを感じて、俺は怖くなって杖から手を離した。
「うわぁぁっ!?」
「!?」
急に魔法を解いたことで、風の魔法が逆流して杖から溢れだした。
風に煽られその場にひっくり返った俺に、ラルムが駆け寄り手を差し伸べる。
初めて俺にラルムが反応した。
しかも手を貸してくれるようだ。
でも、女の手を借りるなんてカッコ悪くて出来るもんか。
心配しているのか馬鹿にしているのかも分からない眼鏡面で、ラルムは俺に顔を向けていた。
その時、遠くの木々がざわめく音が聞こえた。
音の方に顔を向けた瞬間。
俺達は黒い突風がすぐそこまで迫っているのが見えた。
俺は咄嗟に目の前の手をとり、二人で体を寄せ合い地面に伏せ、突風に耐えた。
風は一瞬で過ぎ去っていった。
目を開けると、俺はラルムと両手を握り合ったまま、原っぱに寝転んでいた。
ラルムは怯えたように肩をすくませ、瞳をしっかりと閉じたままだった。
俺は体を起こしてラルムの肩を揺すった。
「だっ大丈夫か? もう風は止んだぞ?」
「……」
そうだ。こいつしゃべらないんだった。
ラルムの扱いに俺が戸惑っていると、ラルムはゆっくりと瞳を開けて体を起こした。
分厚い眼鏡は何処へ行ったのか……ラルムの顔が俺の目の前にあって、その大きな水色の瞳は、水鏡のように澄んで美しく、俺をくっきりと映し出す。
俺はこの瞳を知っていた。昨日の夜も見た。
あの時の女の子と同じ瞳だった。
しかしその瞳は、次第に青白い光を宿して俺を見つめ返した。
胸の奥がザワザワする。
魔法を使っているときよりも、もっと大きく激しく。
ラルムは俺を見つめたまま、小さく口を開いた。
「綺麗……貴方の周りに何かいるの……これは……精霊?」
俺の周り? 俺を見ていた訳じゃなかったのか。
でも、ラルムの声を初めて聞いた。
こんな、透き通った鈴の音のような声をしていたんだ。
……これは、俺に話し掛けているんだよな?
「俺の周りって? 精霊が見えるの?」
「多分そう。……貴方は誰?」
「俺? し、シエル=ミストラルだけど……」
「初めまして。私はラルム。ラルム=フォンテーヌ。……ミストラル? と言うことは、風の精霊かしら」
あれ? こいつ。俺のこと、知らない感じか?
眼鏡が無いからか?
そうだよな。今までずっと、薔薇園に一緒にいたもんな……。俺は落ちていた眼鏡をラルムに渡した。
「ラルム。眼鏡……掛けた方がいいんじゃないかな?」
「ありがとう」
ラルム。普通に喋れるんじゃん。
でも、いつもと同じ分厚い眼鏡を掛けても、いつもと同じ顔には見えなかった。
眼鏡の奥に見える、澄んだ水色の瞳はさっきと変わらず美しく輝いて見えた。
ラルムってこんな顔してたんだ。
きっと見ようと思えば見えたはずなのに。
さっきラルムが言った言葉は正しかったのかもしれない。
俺はこの時がラルムとの「初めまして」だったんだ。
ラルムは立ち上がると、恥ずかしそうに俺を見て言った。
「あの……シ、シエル君……お願いがあるんだけど……」
ラルムは顔を赤らめながら、ぎこちなく俺の名前を呼び、お願いがあるそうだ。
今まで兄様の周りにいた女共と全く違う。
清廉で可憐で可愛い女の子が目の前にいる。
「なっ何?」
「あのね。シエル君の周りに、風の精霊が沢山いるの……きっと、シエル君と仲良くなりたいんだと思うの……」
「仲良く……?」
俺には精霊何て見えない。
でも確かに、さっきの風を受けてから体が変だ。
ラルムと会話して緊張しているのもあるけど、それとは別に……今まで感じたことのない力が、体の中から込み上げてくる。
そうだ、今なら……。俺は分厚い本に手をかけた。
ページを捲っていくと、旋風を巻き起こし、対象物を浮かすことの出来る中級魔法の呪文を見つけた。
これが出来るようになると、媒体に乗って空を飛べる者もいるらしい。
ラルムも興味深く魔導書を覗き込んできた。
「それ……やってみるつもり?」
「うん……何か出来そうな気がする」
俺は落ちていた杖を広い上げ、地面に魔法陣を描いた。
何か物がないと浮かせなれないな……。
すると魔方陣の上にラルムがひょいっと立った。
大事そうに魔導書を抱えながら。
「シエル君。私でいいよ。試してみて!」
「でも、失敗とかしたら……」
「大丈夫! 風の精霊はそんな意地悪しないわ」
理屈はよく分からないが出来るような気がした。
ラルムの熱い視線に応えたい一心で、俺は呪文を唱えた。
「風の精霊よ。我が呼び声に応えよ。我が名はシエル=ミストラル。我が魔力を喰らいてその糧とせよ。荘厳なる風の力よ。その力を分け与えたまえ。集い巻き起これーー旋風……」
ラルムの足元の魔方陣が緑色の光を帯びて輝きを増す。
そして周囲はざわめき、ラルムの周りに風の精霊が集まった。
「きゃっ」
ラルムの小さな悲鳴と共に、魔方陣から旋風が巻き起こる。ラルムは瞳をギュッと閉じて、魔導書を抱き締め風を受けた。
そして全身に風を帯びて数センチ程体が浮かび上がると、風はそのままラルムを残して天空へと過ぎ去っていった。
「あ……白……」
……俺はつい、見えてしまったラルムのスカートの中の……色を言ってしまった。
ラルムには聞こえていない……よな?
見るつもりも、スカートを捲るつもりも無かったけど、マズイよな……。
必死に言い訳を考えるが、何も思いつかなかった。
ラルムは数秒浮いた後、地面にゆっくりと降り立つが、そのまま力なく座り込んだ。
本を地面に置き、ほっと胸を撫で下ろす。
「だ、大丈夫か?」
「……はい。シエル……見ましたか? 今の……」
ラルムは俯いて肩を震わせている。
……ヤバい。謝らねば……。
「ごっごめん。俺、そんなつもりは……」
「シエル! 凄いです!」
ラルムは目を輝かせてシエルに詰め寄った。
ラルムの笑顔は、その時初めて見た。
好奇心に満ちた、眩しいぐらいの笑顔を。
「もう一回! もう一回やって!」
「えっ……とぉ~……」
もう一回やったら、また見えちゃうんだけど……。
「大丈夫! シエルならできます! まだ近くに精霊は沢山います。お願い! シエル」
「じゃあ。もう一回だけ……」
俺はもう一度魔方陣を書き上げ、呪文を唱えた。
先程と同じように旋風が巻き起こる。
ラルムのスカートを景気よく翻し、風は空高くへと舞い上がる。
「凄い! シエル凄いよ!」
「お……おう」
褒められて嬉しいけど、罪悪感が沸き起こり、俺は微妙な返事をした。
「凄い。精霊ってこんなに美しいんだね! 世界ってこんなに綺麗だったんだね! ね? もう一回だけ!」
「……」
スカートの事を言うべきだろうか。
俺はその後もラルムの期待に答え続け、結局ぶっ倒れるまで魔法を使った。
その後俺達はそれぞれの家で、母親にこっぴどく叱られた。俺はラルムを対象物にして魔法を使ったことと、自分の力量も計れず魔法を使いすぎたことを怒られた。
ラルムは俺に無理させたことを怒られたらしい。
そして次の日から、ラルムはスカートを履かなくなった。母様からスカートのことは、直接言われたりはしなかったが、やっぱり昨日の様子をどこからか見ていたのかもしれない。
それから俺達は、薔薇園で精霊や魔法の話を沢山して過ごした。
ラルムは思っていたより、よく話す子だった。
よく笑うしよく怒る。
でも、学園に入ってから分かったけど、それは俺の前でだけだった。
他の生徒との間に、会話の意味を見いだせないそうだ。
あの時の風が覚醒の風と呼ばれるようになったのはこの少し後のことだった。
大陸全土を駆け抜け、祝福を受けたもの達の魔法を目覚めさせた風。
その正体は謎だが、ラルムと一緒にいるときに起きて良かった。
あの風のお蔭で、俺はラルムと初めて出会うことが出来たのだから。
でも、未だに分からないことがある。
ラルムは俺をどう思っているのか。
俺の使う魔法に興味があるだけなのか。
それとも、俺という人間にも興味があるのか。
ラルムが他の男に興味を持ち出してから、そんな事を考えるようになった。
本人はその男の事を研究材料だと言っているからそうなんだよな?
俺は……材料扱いされたことはない……と思う。
◇◇◇◇
「シエル? 初めて会った日のこと覚えてる?」
ラルムは急に立ち止まり、俺に尋ねた。
ラルムも同じようなことを思い出していたのだろうか。
「え? 覚醒の風の時だろ?」
「うーん。それは初めて話したときかな。初めて会ったのは、薔薇園で過ごすようになった前日の、顔合わせのとき」
覚醒の風が……初めましてじゃ無かったんだ。
俺のこと、ちゃんと分かってたんだ。
「急にどうした?」
「私、子供の頃からだが弱くて。同い年の子と話すの初めてだったの。だから、シエルとどう接したらいいか、分からなかったの。薔薇園で魔法の練習をするシエルをいつもこっそり見てた。でもあの風が吹いたとき、初めてシエルと話せた。……あれからずっと一緒にいてくれて感謝してるのよ。シエルはいつも私を対等に見てくれている。……見下したりなんかしていないでしょ?」
「当たり前だろっ!?」
「そうよね。誰かにそんな事を言われた気がして……でも、シエルの方が色んな魔法が使えるし、優秀なのは本当だもの。それに、いつも冷静に私を助けてくれる。ーー今日もありがとう」
ラルムはそう言って俺に微笑みかけた。
「き、今日、付き合わせたのは俺だし……ごめんな。危ない目に合わせて……でも。ラルムのことは、俺が守るから。ちゃんと隣に居ろよ……」
「ふふっ。二人だけの同期だものね。これからもよろしくね」
「ああ。訓練サボるなよ」
「もちろん。じゃあ、また明日」
よく見たら、ここはラルムの家の前だった。
「おう。また明日」
また明日……か。
教団に入ると一年は研修期間の様なものらしい。
それが終わればそれぞれの職務が確定する。
家督を継ぐ訳ではない俺やラルムは、地方の管理職に着くことになるかもしれない。
そしたら、お別れか……。
願わくば二人の道がより永く交わることを……。
いや、願うだけじゃ駄目だ。
自分でその道を切り開いていかなくてはいけない。
長いようで短いこの一年を、俺はどうやって歩いていこう。
「はっくしゅんっ!」
夜風が凍みる。
……まずは早く帰って風呂に入ろう。
風邪なんて引いている暇はないんだから。




