番外編 君との「初めまして」(シエルの回想)~前編~
地下オークションの帰り道。
街頭の明かりを避けつつ、俺とラルムは足早に家へと向かう。
でも、まさかあんなことになるなんて思ってもみなかった。さっきまで俺もラルムも、炎に巻かれ水流に襲われ……溺れかけたなんて嘘みたいだ。
空にはいつもと変わらず無数の星達が瞬いている。
俺の心を見透かしたように、不安な心を明るく照らす。
さっきの出来事は、ただの悪い夢だと笑っているかのようだ。
俺に現実を思い出させるのは、ボロボロのドレスをマントで隠したラルムが俺の隣にいるから。そして、濡れたままの体が冷えて、夜風が凍みるからだ。
「さっぶ!」
「大丈夫? 今日は凄い一日だったわね……」
「だな。疲れた」
「私も。でも私、何の役にも立てなかったな……何かに魔法を邪魔されてた気がするんだけど、思い出せなくて……」
「あ、あれか? あの黒く光る突風。黒炎を一瞬だけ掻き消した風ーーあの風のせいで、ラルムは詠唱を中断させられたんだろ?」
「へー。そうなんだ。詠唱に集中してたから……気付かなかったな」
でも、あれは何だったんだろう。
魔法? 風の魔法であんなのあったか?
でも……あの風。何処か懐かしさを感じたな。
何時のことだろう。
ああ。
あれは確か……ラルムと初めて言葉を交わした時だ。
ラルムの笑顔を初めて見た時だ。
◇◇◇◇
今から八年も前の事だ。母様が昇格して、女王様の側近になった。
時を同じくして、たった一人の兄も教団に入団し、俺だけ家に取り残されそうになったんだ。
只でさえヤンチャばかりしてて、家の使用人にも手を焼かせてばかりだったから、母様は俺を心配してある提案をしてきた。
その提案により、俺はラルム=フォンテーヌと出会うこととなった。
ラルムの母親は、俺の母様と昔から交流があり、この度共に女王の側近となった。
ラルムの母親も自分の娘が心配で傍に置いておきたかったらしく、俺はラルムと二人で、城の横の薔薇の庭園の一角で過ごすことになった。
そこなら母様達の目も届くそうで、何かあっても安心だそうだ。
ラルムは一人っ子で俺と同い年の女の子だと聞いていた。年齢の近い友達なんていないから緊張した。
水の魔法の名家であるフォンテーヌ家のご令嬢。
どんな奴か楽しみだった。
しかし、初めて会ってすぐに、俺の期待は粉々に砕け散った。
俺より少し背の高い、青色の長い髪の女の子。
肌が白くて顔にそばかすのある表情が全く読めない女の子が、母親に手を引かれ俺の前にやってきた。
何故表情がわからないかって?
目の前の女の子は、見たこともない位、分厚い眼鏡を掛けているからだ。
顔は俺の方を向いているが、俺を見ているかすら分からない。母様はラルムを見ると嬉しそうに微笑んで俺に言った
「シエル。この子がラルムよ。ご挨拶して」
「シエル=ミストラル。よ……よろしく」
俺はラルムに向かって右手を出した。
爽やかな笑顔で手を出した訳ではない。
多分、面倒臭そうに取り敢えず礼儀として出してやったぞって感じで、右手をつき出した。
「…………」
何だよコイツ。何か言えよ。
俺が睨み付けると、ラルムは母親の袖を引っ張り合図を送り、そして母親に何か耳打ちした。
「まあ。そんな事言って。ほら、挨拶しなさい」
ラルムは母親に叱責され、俺に向かって丁寧に頭を下げた。
「…………」
しかし、一言も発する事はなかった。
「ごめんね。人見知りなのよ。ステラ、シエル君、無口な子だけどよろしくね」
ラルムの母親は物腰が柔らかくて優しそうな人だ。
何故この人からこんな無機物みたいな奴が生まれるんだ? 俺は絶対に仲良くなれないと思った。
だって向こうは俺と会話する気すら無いんだから。
俺は行き場のない右手を握りしめてポケットに突っ込んだ。
翌日から俺の大嫌いな時間が始まった。
ラルムはいつも庭園の長ブランコに座って本を読んでいた。分厚い眼鏡よりも、も~っと分厚い本だ。
あいつから話し掛けてくることもないし、勿論、俺から話し掛けることもなかった。
俺達はただ、同じ場所を共有しているだけの無関係な存在だった。
でも、薔薇園は気に入った。
香りも良いし、俺の大好きな虫も沢山いる。
俺はバッタを追いかけたり、土を掘り返したり、虫探しに没頭した。
たまに、兄に教えてもらった風の魔法の練習もした。
俺の兄様は凄いんだぜ?
貴族だけが通うことのできる学園で、いつも首席だった。俺も十歳になったら入学するんだ。
それまでに、兄様みたいに魔法が使えるように練習するんだ。家だとすぐに使用人に止められるけど、ここなら誰も止めやしないからな。
俺が好き勝手している間も、あいつはずーっと本を読んでいるだけだ。
しかも分厚い本の癖に、毎日違う本を読んでいる。
折角外にいるのに本ばっかり見てて何が楽しいんだか……俺には全く理解できなかった。
ある日、俺はバッタと風の魔法を使って面白い遊びを思い付いた。
バッタを五~六匹捕まえて、風の魔法をかけてどこまで飛べるか競うんだ。
題して「空駆けるバッタグランプリ」だ。
たまにバッタが魔法でバラバラになったけど、あの頃の俺は気にしなかったな。今思うと、結構グロい。
で。そのバッタグランプリで、初めてラルムを怒らせたんだ。
バッタの中でも、キングバッタと俺が命名した種類のバッタがいる。
あの日に見つけたのは体長八センチメートルの立派な奴だった。
そいつと俺の風の魔法が上手く絡み合って、今までの最高記録十メートルを優に飛び越える記録を弾き出したんだ。
これは二十メートルも行けるかもって……俺は一人で盛り上がっていたんだが。
そのバッタの先には、長ブランコに座って本を読むラルムがいたんだ。そしてバッタは、奇跡的にラルムの分厚い眼鏡に着地した。
ラルムは一瞬何が起きたのか分からなかったんだと思う。俺もどうしたらいいのか分からなくて、立ち尽くしていた。
少し時間を置いてから、ラルムが持っていた本は地面に力なく落ちた。
よく見るとラルムの手は小さく震えてて……。
俺が「ヤベッ」と思った時には、眼鏡ごとバッタを投げ捨てて走り去っていった。
その後すぐに城からラルムの母親が出て来てラルムの後を追った。
そして俺は後から出て来た母様にすっげぇ怒られたんだ。
ラルムは虫が大の苦手だったそうだ。
それなら先に言っておいてくれたら良かったじゃないか。
あの時俺は……自分が悪いなんて、これっぽっちも思わなかった。
でも、それから一週間あいつは薔薇園に来なかった。
だんだん罪悪感が沸いてきて、俺のせいかもって感じ始めた時、あいつはまた薔薇園に来るようになった。
ラルムの母親曰く、新しい眼鏡が出来るまで外出が出来なかっただけだから気にしなくていいとのことだが、俺は一応謝った。
そして、あの日投げ捨てた眼鏡をラルムに返そうと思った。
「ラルム……この間はごめんな」
「…………」
ラルムは顔をこちらに向けることなく、無言だった。
顔は分厚い本に向かい、平然と次のページをめくり、本を読み続ける。
俺のことは完全に無視だ。
何だよ。折角謝ってやってるのに。
眼鏡だって、拾っておいてやったのに。
こんな奴に二度と謝るもんか!
俺はこいつが大嫌いだ。
同じ空間にいることも嫌になってきた。
でもそんな事、母様には言えなくて、なるべくラルムを視界に入れないようにして過ごすことにした。
そんな日々を過ごしている時、兄様の地方への視察が決まった。新人団員の登竜門だそうだ。
俺は子供だったし、どっかの地方の門をくぐりに行く観光みたいにしか思ってなかったけど、この視察で兄様は英雄になって帰って来た。
まあ、それは置いといて。
その視察前の出立パーティーが教会で開かれたのだ。
着なれない正装に身を包み、俺もおまけのおまけのおまけで参加した。
兄様は色々な人に囲まれて、皆の中心にいる。
俺もいつか兄さんみたいになりたいな……てボーッとしてたら、後ろから声を掛けられた。
「よっシエル! 旨いもん食ってっか?」
一つ年下のフラム=ソルシエールだった。
こいつの姉も俺の兄と同い年で視察に参加する。
フラムは人懐っこくて、自分に正直な奴だ。
よく姉にくっついて家に遊びに来ていた。
「おう。やっぱこういうパーティーってつまんねーな」
「そうか? 食い物は旨いし……ほら。良く見ろよ~。可愛い女の子がいっぱいじゃん!!」
ドレスを着飾った女の子達を指差してフラムは言った。
同い年より少し年上の令嬢ばかりだが……俺はあんまり興味ない。
むしろ嫌いだ。兄に纏わりつく女達には引く。
兄の前ではニコニコしてんのに、いなくなると態度が一変する。そんなのばかりだからな……怖い。
「な。あの子可愛いと思わねぇ? あの、一人でずっとすました感じの子! ほら、青色の髪の……」
「あー。俺達と同い年くらいかな?」
「だよな! シエルも知らない奴か。ーーちょっと声掛けてくるわ!」
そう言うとフラムは真っ直ぐに女の子の所へ歩いて行った。
フラムは凄いな。女なんかと俺は関わりたくもない。
薔薇園のあいつも、そう言えば女だったな。
俺は女とは相性が合わないようだ。
フラムは必死に女の子の注意を引こうと何か話しかけているが、女の子は視線すら合わしてくれないようだ。
少しフラムが不憫に思えた。
それでもフラムは女の子の視界に入ろうと何度も女の子の顔の前に立つ。
その度に女の子は顔を反らす。
ふと女の子が俺の方に視線を反らした。
水色の大きな瞳と目が合う。
透き通った水色の瞳は、湖の水面のように光を反射しキラキラと輝きを放ち、青色のふんわりとしたドレスとよく合っていた。
目が合ったのはほんの一瞬だったのに、俺はその瞳を忘れられなかった。
女嫌いな俺の、初恋だった。一目惚れって奴だ。
「シエル~。名前すら教えてもらえなかった~」
フラムが肩を落として戻ってきた。
名前……正直、俺も知りたかった。
しかしフラムは俺の前に来ると、胸を張って言った。
「でも、絶対俺に気がある!!」
「えっ何で!?」
「だって。俺を試して来たんだよ。試すってことは、クリアしたらOKってことだろ!」
「……? よくわかんないけど、何て言われたんだ?」
「しっしっしっ」
フラムは嬉しそうに笑いながら答えた。
「き・え・ろって言われた! シエル。そーいう魔法知ってる?」
「……知らない」
あれこれ考えるフラムを尻目に俺は思う。
それは試されているのでは無いだろうにと。
でも、俺もフラム位ポジティブに考えられたら、どんなに楽しく暮らせるだろうかと感じた。
フラムと話している間に、さっきの女の子はいなくなっている。
俺が辺りを見回していると、フラムは俺の横で急に大きな声を上げた。
「ぬおぉぉ! シエル! ちょーぜつ美人がいた!」
「へっ?……あの人? あれはリュミエ様だろ」
「は? 誰?」
リュミエ様を知らないとは、何故だ?
「月に一度の祈りの日があるだろ? あの時いつも祭壇にいるじゃん。教団長様だぞ?」
「マジか。いつも寝てて見てなかったわ。すんっげぇ美人だなぁ~」
「……あの人、俺達の親世代だけど? あの隣にいるレーゼって人が息子らしいよ」
「ひぇ~。信じらんねぇ。親と一緒か……でもアリだな」
「へぇーー」
フラム、お前のように自由に生きたいよ。
パーティー何かつまらないと思っていたが、フラムのお蔭でそれなりに楽しめた。
フラムは女の子ばっかり見ていたけどな。
そしてこのパーティーの翌日。
兄様達が王都を出た日に……覚醒の風が起きた。




