第三十九話 漆黒の翼
カシミルドの背中にもしも翼を生やしたら……。
不安が込み上げてくる。
カンナにはある光景が浮かんでいた。
「ねぇ。翼って……大丈夫なんだよね?――黒い魔力がドバーって出たりとかしないよね?」
「何で……カンナちゃんが……もしかして、昔カシミルドが暴走した時のこと……見てたりする?」
カンナはクロゥから目をそらし、カシミルドの首の傷痕に目をやった。
「カンナ。僕、さっき地下でカンナが男に捕まってる時に、八年前の事思い出したんだ。あの誘拐された日の事。でも、カンナが男にナイフを突き付けられたその後の記憶が無いんだ。さっきも、昔と似た状況になって力の制御が出来なくなりそうだったんだけど……あれ? やっぱり記憶がないな」
「やっぱり、覚えてないんだな――そうだカシミルド! さっきヤバかったんだぜ? 暴走寸前で……。まあ、いいか。カンナちゃんが見た時はどうなったんだ? なぁ?」
クロゥはテツのことを伏せカンナに話を振る。
カンナは困った様子でカシミルドを見た。
この話はミラルドに口止めされている。
「僕も知りたい」
真剣な眼差しでカシミルドに言われ、カンナは大きく息を吐くと話し始めた。
「誘拐犯に私も捕まって、もうダメだって思った時、風が吹いたの。――黒くて、キラキラと輝く金色の光がカシィ君から溢れててね、それが強い風となって周囲に広がった。それで、誘拐犯達は吹っ飛ばされちゃった。後から両親から聞いて知ったんだけどね。その時の風が、覚醒の風って呼ばれているの。ミラルドさんは、覚醒の風でカシィ君が力に目覚めて暴走したと思ってるらしいんだけど……」
「本当はカシミルド自身がだした魔力の波動だったって訳か……」
カシミルドは俯き考え込む。覚醒の風を? 僕が? 俄には信じ難い。でもカンナの目をみればわかる。それが事実だと。これが黒の一族に生まれし者の宿命なのだろうか。いや、違う。前に誰かにそう言われた気がする。
クロゥは納得したように頷くが、まだ疑問が残る。地下でも魔力を放出していたが、あれは覚醒の風と呼ばれるには力が弱すぎた……。八年前とは比べ物にならない。今回はテツという謎の男が止めたが、昔はどうやったのだろう。
「で、その後どうなったんだ?」
「うん。――覚醒の風。国中の子供達の魔力を覚醒させた金色の突風。誘拐犯は倒れたけど、カシィ君から溢れた魔力はそれで終わらなかった。その後もどんどん膨れ上がって、カシィ君の背中に集まった煙のような魔力が濃くなって、黒い塊になったの。それは黒の一族の紋章と同じ、三対の黒い翼になった……。でもまだまだ何か溢れてきてね。また、弾けそうになって、私は怖くて目を閉じたの。――そしたらミラルドさんが来て、呪術を使って封印したの」
カンナはそう言うと震える手で右頬を押さえた。
顔色は真っ青だ。
クロゥは呪術に詳しくない。
しかしミラルドはあの頃十歳か……よくカシミルドを封印するだけの呪術が使えたな……。
黒の一族に生まれし者の才だろうか。
「で、あの怖ぁい姉ちゃんに一発殴られでもしたか? でもその状態のカシミルドをよく抑え込めたな……。俺が見物に行ったときはもう翼は無かったんだよなぁ」
「じゃあ、やっぱりカンナが里を追い出されたのも、里に戻れないのも、僕のせいなんだね。ごめん。何も知らなくて……」
カシミルドは震えるカンナの手に自分の手を重ねた。
冷たいカシミルドの手に、カンナの涙が伝う。
「違うよ。カシィ君を井戸の向こうに誘ったのも私。いつも大人達の言うことを聞かないで、カシィ君を連れ回してた私が悪いの。――それに怖かった。また私のせいでカシィ君を危険な事に巻き込んでしまったらって思ったら……私はあの里に居てはいけないって……」
優しくて温かいカシィ君を、傷つけてしまうだけの私なんかが居てはいけない。
そう思った筈なのに。
私はその優しさにまた甘えていたんだ。
「僕はカンナといると、何でも出来るような気がするんだ。暗い井戸の中を探検したり、崖から滑り降りたり、魔法で雨を降らせたり、炎を出したり、……何でも。僕一人だったら、きっとやろうともしなかった。――僕が魔力を制御出来ないのは、カンナのせいじゃなくて、僕が未熟だからだよ。もっと、強くなりたい。……余分な魔力を形に出来たら、自分を見失わずにコントロール出来るようになるかな……」
「それだ! やっぱり翼で飛んでみようぜ。八年前にも一回経験してるんだろ? 暴走何て俺様が止めて見せるから、な?」
クロゥはどうしてもやりたい様子だ。
他にも方法はあるだろうに。
「僕は覚えていないけどね。――でも八年前、溢れた魔力はどうして翼になったのかな? 黒の一族の紋章も翼だし、一族に代々仕えているのも、謎の黒鳥だし。何か関係しているのかな」
「そうだね。黒くて大きな六枚の翼を見た時は、一族の紋章をすぐに連想したよ。そっくりだったから。――それに凄く綺麗だったよ。人々に祝福を与えにきた天使様が、空から降りてきたのかと思ったぐらい……」
カシミルドは何だか恥ずかしくなってカンナから視線を外し、高い塀を見上げた。
空には幾千の星が輝き、空への散歩を誘っているかのようだ。
クロゥはカシミルドの背中に両手を付いた。
「よしっ。決心は着いたな! まぁ力抜けって。一個呪印を外す。俺様に任せろ」
クロゥの瞳が金色に光る。
ミラルドの呪印を掌で探ると、カシミルドの背中に六つの呪印が浮かび上がる。
その内の真ん中の二つの印は他と違い歪んでいた。
――やはり地下で暴走しかけた時に解けていたか。
クロゥはその二つを掌に擦り付け、完全に消し去る。
そこからカシミルドの魔力がジワジワと漏れだした。
「ちょっ。くすぐったいよ。クロゥ」
「我慢しろ。少し魔力を解放した。――さぁ。翼をイメージしろ。俺様の翼を思い出せ」
クロゥがカシミルドの魔力に手をかざし誘導すると、背中からうっすらと翼が形成されていく。
カンナは目を輝かせて二人を見守った。
二人が並んでいると、まるで兄弟のように似ている。
髪も、瞳の色も同じだからだろうか。
黒髪に、金色の瞳。
そういえば、カシミルドの瞳は金色のままだ。
八年前に力が暴走した時と同じ。
金色の瞳だ。
クロゥは二人をじっと見つめるカンナを横目で見て、自慢げに笑った。
「羽ばたけっ」
クロゥの声に合わせて翼が開く。
魔力の波動がカンナを通り過ぎ髪を揺らし、周囲の壁や建物にぶつかり静かに消えた。
「綺麗……」
カンナは懐かしさと切なさで胸が締め付けられた。
自然と涙が零れた。
カシミルドは自分の翼を不思議そうに確認し、寂しそうな顔をした。
「絵本で見たような白い翼をイメージしたけど……やっぱり僕の翼は黒いんだね。――あ、ちゃんと動かせる……」
「白い翼の天使? そんなものにお前がなれるわけないだろう? ケケケッ――俺はその赤毛のガキを連れて塀を越える。カシミルドはカンナちゃんな。その方がヤル気でるだろ? ケケケッ」
クロゥは嫌らしく笑うと、右手を伸ばし背中に一対の翼を具現した。
カンナからスピラルを受け取ると、大きく翼を羽ばたかせた。
「飛び立つ所が一番の難所だからな。難しかったら風の精霊の力を借りろよ? じゃ、お先に」
クロゥは地面を蹴って上空へと飛び上がった。
カシミルドはクロゥを見上げ、小さく息を吐く。
そしてカンナに右手を差し出した。
まるでダンスを誘っているかのように。
「カンナ。僕に掴まって」
「うん……」
カンナはカシミルドの首に手を回して抱きついた。
恥ずかしくて顔をカシミルドの肩に埋める。
「カンナ……恐い?」
カンナはカシミルドに訪ねられ、首を横に振る。
顔を上げて答えることも出来たのに、至近距離にカシミルドの顔があると考えただけで、心拍数が上がる。
目を合わせたら、心臓が爆発してしまうかもしれない。
カンナの鼓動はカシミルドに響いた。
強がっているけれど、鼓動は早く緊張が伝わってくる。
カシミルドの胸も高鳴る。
「僕は……少し恐い。――行くよ。カンナ」
カシミルドは翼をゆっくりと大きく二度と羽ばたかせる。
――行ける。
地面に強く魔力を込めて蹴り、飛翔する。
大きな工場の屋根を蹴り、高い塀の上を蹴り上げ空高く舞い上がった。
第三王区の街並み、そしてその先の海まで見渡せた。
窓から見上げる夜空とは違う、それは昔こっそり二人で家を抜け出して崖から見上げた夜空を思い出させる。
二人の目の前には、枠の無い自由な空が広がっていた。
カンナの瞳には数えきれない程の星が映り込む。
それは今まで見たどの星空よりも輝いて見えた。
「おー。上出来だぜ。ビスキュイまで行くぜ。――付いてこいよ。方向音痴。ケケケッ」
クロゥはそう言うと、東へ旋回した。
「一言余計なんだよ。カンナ、掴まってて」
「うん」
カシミルドもクロゥに続いてビスキュイへ向け、翼をはためかせた。
◇◇◇◇
星明かりの下を漆黒の翼の少年が二人、空を舞う。
その姿を白い塔の上で見つめる一人の女性がいた。
リュミエ=ブランシュだ。
ベッドで眠っていたが夢に彼が出てきたような気がして、夜風に当たりながら紅茶を飲もうとしていた所だった。
しかし、眼下の街並みに小さな黒い鳥が見えた。
夜に飛ぶ鳥を不思議と思い見つめると……。
手に持っていたティーカップを滑らせ床に落とした。
カップは割れ、その音でリュミエは正気を取り戻す。
「……っ……なっんてことかしら?――レーゼっ! 見て……東の方よ、あれ……」
「小さいですが……おや? あれは……お探しの少年……ですか!?」
「恐らくそうですわ。――まさか翼を? 素敵……。でも、もう一人いるわね。――あれは、クロゥ? あの子が何故ここに……」
リュミエは目を細めて考え込む。
まさかグリヴェールを探しに?
探そうと思えばすぐ見つかる筈だ……。
自身の役割も果たさずに何をしているのだろう。
クロゥの目的を気にかけた。
「お知り合いですか?」
「ええ、知っているわ。あの子がこんな所にいるから……まあ、私には関係ない事ね。――でもクロゥは邪魔ね。レーゼ。誰にも気付かれないように、彼らの拠点を探ってきて。それと――」
リュミエはレーゼに命令を下すと、指をパチンと鳴らした。
するとレーゼは白い光に包まれ、可愛らしい白い小鳥に姿を変えた。
「行きなさい」
「御意」
レーゼは小鳥とは思えない程の早さで三区へと飛んでいった。
◇◇◇◇
第一王区の市街地外れにて、ラルムは参加者を運び終えて漸くベンチに腰を下ろした。
その隣にテツも腰かけた。
「大丈夫か? 最後の参加者をシエル君が運べば、避難完了だ。――今日は災難だったな」
「いえ。あんな所にいってしまった私が悪いんです。テツ様が居てくださって、命拾いしました。本当にありがとうございます」
ラルムはテツに深々と頭を下げた。
しかしラルムはテツを見て違和感を覚えた。
テツの服はあの炎の中に居たのにも関わらずススすら付いていない。そして濡れてもいなかった。
「あの……テツ様、着替えましたか? 服が汚れていません」
テツは驚いた表情をしたが、すぐに微笑んで言葉を返した。
「自分は綺麗好きでね……。ラルム君こそ、いつの間にか服が乾いているね?」
「はっ! そうなんです。カシミルド君が乾かしてくれたみたいなんです。――あの、もしかして……カシミルド君って……魔獣なんですかね!? ほら、妹さんも角が有りましたし、人外の美しい魅力があると思いませんか?」
「はははっ。それは面白い考えだね。――しかし、ファタリテという姓に聞き覚えはないかい?」
ラルムは首をかしげた。
カシミルドの本来の姓……。確かに聞き覚えがある。
貴族……ではないし、地方の有力者?
人間の姓になど、興味が無いから覚えてなどいなかった。
「ファタリテ?……うーん」
「今日のカシミルド君はまた違う髪色だったね。覚えているかい?」
髪色……。確か、昨日と同じ水色だった……けれどさっき話した時は黒と、瞳は黄色っぽなったかな……。
「黒……でしたね。――黒? まさか黒の召喚士の一族ですか!? 百年前に彼らが住む島に結界が張られ、その存在を世界から切り離し、実在するかも謎の謎の謎のーー!?」
テツの胸ぐらを掴みラルムは興奮を隠せない。
「ラルム。顔が近いし、苦しいぞ……」
「きゃぁぁ! 失礼しました。私ったら何て恐れ多いことを」
ラルムは地面にしゃがみ込み丸くなって自分を責めた。
しかしすぐに顔を上げて呟く。
「ということは。妹とは嘘で、カシミルド君が召喚した魔獣ってことですかね?――もう一人いた黒髪の少年も、一族の者ですかね!? あぁ身ぐるみ剥がして隅から隅まで調べ尽くしたいです……」
「ラルムは母親そっくりだな」
「その言葉。私の最大の褒め言葉です!」
二人は顔を見合わせて笑った。
会話を楽しむ二人に、シエルは不満そうに口を挟んだ。
「おーい。参加者全員、地下への扉前まで運び終わったけど?」
「お、終わったか。シエル君」
「いやっ。テツ様に言ったんじゃ……。ラルム、早く帰るぞ。お前、服もボロボロだし……フラムが起きる前に帰るからな」
「そうね……。このドレス気に入ってたのに。――あっ。テツ様、参加者の方々は放っておいていいのでしょうか……皆さんずぶ濡れですが」
シエルもずぶ濡れのままだった。
ラルムの言葉で思い出し身震いする。
「警らの者に後で向かわせるよ。自分がここにいるのは知られたくないのでね。君達も親に知られたくなければ早く帰りたまえ」
テツはまた地下へ去っていった。
王家にしか知られていない秘密の地下通路があるそうだ。テツに言われた通り、二人は足早に家へ向かった。




