第三十七話 黒炎の中で
スピラルは一歩一歩オークショニアに近づいていく。
こいつだ。こいつのせいでアンは角を落とされた。
絶対にこいつだけは逃がさない。
黒い憎しみの炎に包まれたスピラルを見て、オークショニアは自分も火の魔法の使い手であることも忘れ、炎に対して恐怖を抱いた。
「そっそれ以上近づいたら、この小娘の血を見ることになるぞ! いいんだな!」
オークショニアは脅しをかけ、ナイフを持つ手に力を込める。
スピラルは足を止め、オークショニアの怯えた瞳に視線を合わせた。
「それが? 何?――俺に関係ないじゃん」
スピラルは拳を擦り合わせた。
そしてその拳に全身に纏っていた赤黒い炎を全て集中させた。カンナもろとも、焼き尽くすつもりだ。
「駄目なのの! カンナがいるなの! 止めてなの!」
メイ子がスピラルの腕にぶら下がり、泣きながら説得するが、スピラルはメイ子に目もくれず、オークショニアだけを見据える。
「バイバイ……」
スピラルがそう呟いた時、後ろから暖かい何かに包まれ、燃え上がる拳に優しく手が添えられた。
その手は容赦なく炎に包まれる。
スピラルの顔に生暖かい液体が垂れ、頬を伝い、赤い雫が床に落ちた。
「アン……?」
スピラルを後ろから優しく抱き締めたのはアンだった。
手は焦げ、白く柔らかい髪を紅く染め、それでも幸せそうにアンはスピラルに笑顔を向けた。
「スピラル。もう誰も傷つけなくていいの……。スピラルはこんなこと……しなくていいの。私の分も沢山、生きて。この子を……お願い」
アンの肩で震える小さな魔獣をスピラルに見せると、優しく微笑みその場に崩れる。
スピラルの拳から炎が消えた。
倒れるアンを支えようするがスピラルの力では支えきれず一緒に床に崩れた。
「姉たまっ姉たまぁ!」
「アン……俺が悪かったよ。ごめんっ。だから……死なないで。置いていかないで」
「メイ……スピラルと、仲良くしてあげてね。ありが……と――」
アンの手はメイ子の頬に軽く触れると、力なく床に落ちていった。
メイ子は何度もアンの名前を呼んだ。
しかしアンがそれに答えることは無かった。
動かなくなったアンを背に、スピラルはオークショニアを探すが、その姿はもうない。
オークショニアはスピラルがアンに気を取られている隙に、カンナを炎の中に投げ込み、そして自らは反対側の炎へと逃げ込んでいた。
スピラルは周囲を見渡し、奴の気配を探るが見つからない。
「くそっ。あいつだけはっ――」
スピラルは瞳を爛々と輝かせ、黒い炎に身を包んだ。頭の中に声が響く。
あいつを殺せと……己の魂を焼き尽くし、全てを呪いの炎に捧げよと……。
全部くれてやるよ。だから炎よ、俺に従え……。
◇◇◇◇
瓦礫の上で様子を伺っていたカシミルドは、カンナが炎の中に投げ込まれたと同時に、その場から飛び出していた。
迷うことなく炎に飛び入るカシミルドを見て、テツは気を込めた杖を振り下ろす。
壇上までの炎が切り開かれた。
しかしカンナは見当たらない。
テツの力も、カンナの所までは届かなった。
カンナはまだ炎の中にいるはずだ。
カシミルドは炎の中に躊躇なく入って行った。
「カンナっ」
黒い炎の中を進んでいくと、水の精霊に守られ蹲るカンナを見つけた。
炎を手で払いのけカンナを抱き上げ、二人は黒い炎の渦から脱出した。
ススで黒く汚れてはいるものの、カンナは無傷であった。カンナが炎に投げ込まれた時に、カシミルドが水の精霊にお願いして守ってもらっていたのだ。
「ごほっこほっ。ありがとう。カシィ君。あの男、私と反対に逃げたよ。……何処だろう?」
「カンナ。一人で無茶しないでね。――僕やっぱり、カンナがいないと僕でいられないみたい」
「ん? カシィ君はいつでも、――カシィ君だよ」
カンナはそうは言ったものの、心の中にモヤモヤが残った。自我を失った時のカシミルドをカンナは知っている。
自分なんかでは、遠く手の届かない存在であることを、カンナは知っていた。
「カンナ、メイ子の所へ行こう。お姉さんが……」
「うん……行こう」
◇◇◇◇
「くそっ。どこに逃げたっ」
スピラルの怒りに呼応して、会場ではまた爆発が起こる。
スピラルから発せられる炎は、黒く巨大な竜の如く会場あちこちで暴れまわり、壁や天井に亀裂を生む。
「スピラルっ。止めるなのの! 姉たまとの約束は!?」
メイ子の叫び声にスピラルはゆっくり振り向いた。
その瞳からは大粒の涙が零れていた。
――もう戻れない。
スピラルが口を開きメイ子に向って何か言いかけた時、背後の炎が赤く揺らめき、そこからオークショニアがナイフを手に突如現れた。
スピラルは殺気を感じ、身を翻して後ろに飛ぶが、一歩遅かった。
「かはっ……」
スピラルの腹部にオークショニアのナイフが深々と刺さる。
オークショニアは嬉しそうにナイフを捻り傷口を抉る。
そして、苦悶の表情を浮かべるスピラルの耳元で囁いた。
「あぁ商品を傷つけちまったよ……まぁ仕方ねぇな。――お前はもうゴミだ」
スピラルは口から大量の血を吐いた。
そして――笑った。
オークショニアの手を握り、自分の腹に、更に深くナイフを刺す。
腹部からもドクドクと血が溢れた。
「ゴミは……お前もだろう」
スピラルはそう囁くと、両手から赤黒い炎を繰り出し、オークショニアの体を炎で包み込む。
叫び声を上げる暇もなく、跡形もなくオークショニアは消滅した。
スピラルの腹からナイフが落ちる。
ナイフと共に鮮血が溢れだした。
「スピラル!」
メイ子が床に倒れ込むスピラルを空中で支えた。
そこにカンナとカシミルドも駆け付けた。
「ひどい……こんな傷……」
「メイ子が……治すなのっ」
スピラルの呼吸は小さくか細くなっていく、時折むせて吐血する。
血の気のない細く青白いスピラルに、メイ子は震え泣きじゃくりながら、回復魔法をかけた。
カンナはメイ子の震える手に自分の手を重ね包み込んだ。メイ子の手はカンナの温もりを糧により輝きを放ち傷を癒した。
◇◇◇◇
スピラルは倒れた、しかし会場の炎は益々勢力を増した。
「ラルムっどうだ? いけそうか?」
シエルが尋ねるが、ラルムは首を横に振る。
ラルムは詠唱を終えていた。
魔方陣も出来た。
術式も解いたのだが、水の精霊を地下に呼び込めずにいた。
――どうして? 何故魔法が発動しないの?
精霊よ……答えて……。
「……教えてあげるよ。ほら、私を見てごらん」
ラルムが目を開けると、そこは暗闇だけが広がる世界だった。しかし目の前に自分の姿がある。
「私?」
「うん。私だよ。何故魔法が発動しないかわかる? 私はわかる」
目の前で自分が自分に話し掛けている。
これは……私? 私の心?
「そう。私の心。――単純なことよ。私の魔力が足りないのよ。わかっているでしょう? 私はシエルみたいに、強い魔法を扱うことが出来ないって事を」
「それは……。でも魔力が足りないなら、どうしたらいいの?」
「そしたら、ここを使うのよ」
目の前の私は、私の左胸に手を乗せた。
ここは……心臓?
「ふふっ。違う……魂よ。魔力が足りなければ、自分の魂を精霊に差し出せばいいの」
「魂? そうすれば、シエル達を助けられる?」
「もちろん。シエルも助けられる。見返してやりましょうよ。私にも出来るって事を」
ラルムは自分に抱き締められ、優しく頭を撫でられた。
「選定の儀でもそうだったでしょう。シエルの炎は私より大きかった。いつもシエルは私を見下してた。自分の方が強いんだって。精霊に愛されてるって」
ラルムはシエルの顔を思い出す。
いつもシエルは自慢気に私の前で魔法を使う。
私が出来ない上級魔法にも、シエルなら手が届く。
私を見下して――いや。
そんな事はない。
シエルはいつも私を対等に見てくれている。
見下されたことなんて一度もない。
ラルムは目の前の自分を突き放した。
「あなたは私じゃない。誰?――あなたが魔法の邪魔をしていたのね」
「そうかな? そうだったら、私は誰? 当ててごらんよ……」
目の前の私が大きな口でニヤリと笑った。
魔力が足りないなら魂を差し出せ。
そう言っていた。
魂を欲しがる……何かの文献で見たような。
「魔獣?――人の魔力だけでなく、魂を食らう魔獣……それを総称して、悪魔」
ラルムが断言すると、奇妙な笑い声を響かせながら目の前の自分は煙のように消え闇と一つになった。
「待って。もう邪魔しないでよ! ねぇ」
「ヒッヒッヒィ。――邪魔はするよ。人間を助ける為に、魔法を使うんだろう? まあ、人を殺す為でも、あの子みたいに魂を捧げてもらうけどね。でも、ちょっとしか貰えなかったから。ラルムの魂、欲しかったなぁ……ヒッヒッヒィ」
目の前が急に明るくなる。
耳にはまだ悪魔の囁きの余韻が残っていた。
すぐ近くには燃え盛る黒い炎、心配そうにラルムを見つめるシエル。
――さっきのは夢? 違う。
あいつが邪魔してる? あいつって誰だっけ……。
ラルムはどうしても思い出せなかった。
テツはラルムの苦しそうな顔を見て、クロゥに尋ねた。
「悪いが、火を消せる魔法を使えるものはいるか?」
「あ? 俺に聞いたか?」
「ああ。えっと君は……」
「ただの通りすがりの少年Bだ。ちょっと待ってろ。――シレーヌ。そろそろ出ないと不味い。火を消せるか?」
シレーヌはクロゥの傍まで飛んできた。
隣にテツの姿があり、シレーヌは目を細めた。
テツにシレーヌの姿は見えない。
「何故ですの?」
「いや、皆避難するし。扉まで行けないだろ?」
シレーヌはテツにも聞こえる声で冷ややかに言い放つ。
「人が……人間ごときが天使の力を使うから、こんなことになるのです。私は手を貸しませんわ。自らの手で道を開けないものは、皆死ねばいいんですわ」
「おい。この状況でお前なぁ」
「おお。とてもサディスティックな女性だね。気に入った」
「いやいや、あんたもさぁ」
「クロゥ! 僕がやるよ」
瓦礫の向こうから顔を出してカシミルドは言った。
クロゥを探していたようだ。
「カンナとメイ子は今、赤毛の子の治療をしてるから、僕たちで脱出経路を確保しないと。――雨を降らせればいい? でも地下だから……水を呼び込めばいいかな」
「それなら、ラルムがやってるから、いいよ。後少しだろうから……」
シエルはラルムを指差して言った。
ラルムは汗だくで、顔は青ざめ今にもぶっ倒れそうだ。
「僕がやるよ。あの状態で無理して魔法を使ったら、何日も寝込むよ……任せて」
シエルは言い返そうとしたがテツが制止した。
クロゥは巨木を登り始めた。
そして下の者達に向かって叫んだ。
「おーい。皆、木の根に捕まっとけよ! 自分の身は自分で守れよー」
「まだ起きない者はどうするかい?」
いつの間にか隣の枝に立っていたテツに話し掛けられ、クロゥは足を滑らせて枝から落ちそうになった。
「うわっビックリした! 急に声かけるなよ! それと、俺に話しかけるな。――その辺の奴等は気絶してんなら大丈夫だとは思うが……」
クロゥは気絶した者を蔦で拾い上げ天井近くまで吊り上げる。テツはそれを天晴と言わんばかりに見上げた。
「便利なものだな。――礼を言うよ、クロゥ君」
クロゥはテツに名を呼ばれ苦笑いを浮かべた。
何故だかこの人にだけは名前も存在も知られたくなかった。
◇◇◇◇
カシミルドは手を前にかざし水の精霊に呼び掛ける。
そうだその前に、
「シレーヌ、カンナとメイ子のこと――」
「それはお任せ下さい」
シレーヌはカンナとメイ子、そしてスピラルを水泡で包み込んだ。
カンナはアンを背中に担ぎその水泡の中まで運んだ。
アンの体はまだ温かく、微かに鼓動を感じた。
カンナはスピラルに回復魔法をかけ続けるメイ子にそれを伝えた。
メイ子は涙と共に、顔からは笑みが零れる。
カシミルドは瞳を閉じ精霊の気配を辿る。
カシミルドから青白い光が涌き出る。
そして、瞳は煌々と金色に輝いた。




