第三十六話 暴走
壇上では赤毛の子が魔法を暴発し続けていた。
虚ろな瞳で荒々しく黒い炎を燃え上がらせ、会場を破壊し続ける。
自分の魔力を……魂さえも全て捧げて呪いの炎をその手に宿す。
全て壊してしまえばいい。
全部、燃えろ燃えろ燃えろ……。
瞳が熱く何も見えない。
アンは何処だろう。
アンの笑った顔が思い浮かぶ。
生まれたばかりの、まだ名もないアンの娘も……。
それも全部俺が……燃やしてしまうのか?
嫌だ嫌だ嫌だ。そんなことしたかった訳じゃない……。
でももう止められない。
魔力が底を尽きるまで……俺が死ぬまで。
止められない。
◇◇◇◇
メイ子とカンナの回りはシレーヌが水の結界を張り、炎から三人を守る。
回復魔法をかけ続けるメイ子の膝に、己の血で紅く染まったアンの手が触れる。
「姉たま?」
「メイ……私はいいから。私の子と……スピラルを、止めて……お願……」
アンは苦しそうに言葉を絞り出すようにしてメイ子に訴えた。
「スピラル? 赤い髪の子なのの?」
メイ子の声にアンは小さく頷いた。
シレーヌの結界の外は炎に包まれ、スピラルの様子も籠に入れられていたアンの子供も何処にいるか見当もつかない。
「カンナ。どうしたらいいなのの? 姉たま血が止まらない……姉たまの子も、何処かわからないなのの……」
カンナも周りを見回すが客席がどちらかも見えないほど炎に巻かれていた。
もう少し炎が弱まれば……。
「シレーヌさん。何とか火を弱める事は……」
「無理ですわ。抑えるので精一杯です」
その時メイ子の背後の炎が一際燃え上がったかかと思うと、炎の中からアンの角を切り落とした大男がその巨体を現した。
大男はメイ子を捕らえようと二本の腕を炎の中から伸ばす。
「メイ子ちゃん! 頭、避けてっ」
カンナが大男の頭を目掛けて回し蹴りをするが、右足を男に簡単に止められてしまう。
「きゃぁっ」
カンナは大男に右足を捕まれ、宙吊りに持ち上げられた。大男は逆さまのカンナと目が合い、残念そうに言った。
「魔獣のガキかと思ったら。小娘か」
「ーー燃えよ」
客席からカシミルドの声が響く。
大男の足元から赤い炎が上がった。
「うおっ」
大男は驚きカンナを壇上の奥へと投げ飛ばした。
「きゃぁっ。痛っ」
カシミルドからは炎で見えないがカンナは無事のようだ。クロゥは火の魔法を操るカシミルドを見て有ることを思い付いた。
「なぁ。カシミルド。お前が火の精霊を奪っちまえよ」
「へ? 急に何?」
「だから、お前が火の精霊を呼べばあの赤髪から火の精霊を奪えるだろ? 俺、火とか無理だからお前がやれよ」
「やれって言われても……」
クロゥとカシミルドの会話を聞いていたシレーヌは声を荒げて、それを否定した。
「クロゥ様! それは危険ですわ。あの子供は魔力を暴走させています。気性の荒い火の精霊に、今御主人様の魔力を注げば火に油! 精霊を従える前にこの空間を全て火で埋め尽くすことになりますわ」
「怖っ。でもそれも一理あるな。だから火は嫌いなんだよ」
「よくわからないけど、どうする? カンナは大丈夫かな?」
カシミルドと壇上の間には、天井から落ちてきた大きな瓦礫があり、通路は塞がれ先へ進めずにいた。
クロゥは巨木に手を着きそこから離れられないようだ。
この木が燃えないで残っているのはクロゥの力なのだろう。メイ子にはシレーヌが付いている。
カンナとアンの子供が心配だ。
「クロゥ。瓦礫の向こうへ行くね。さっきの男がお姉さんの子供を抱えていたから、取り返さないと」
「わかった。やばそうな時は、そこらで寝てる人間らを見捨ててそっちに行くからな。無茶すんなよ」
カシミルドはクロゥに向かって頷くと瓦礫に足を掛けた。
◇◇◇◇
その時壇上の奥ではカンナとオークショニアが対峙していた。
「小娘が。どっから沸いてきた? まあ、それなりに高値で売れそうだな」
「……あなたが大事そうに抱えている、その子。こっちに渡しなさい」
カンナはオークショニアの言葉を無視し、拳を構え相手を挑発する。
オークショニアはそれを見て馬鹿にしたように笑った。
「はっ。気の強いガキだぜ、全く――」
オークショニアが嘲笑うそのすぐ後ろで爆発が起きた。その一瞬の隙に、カンナはオークショニアの懐に入り腹と顎に一発ずつ肘を埋め込み、籠を奪った。
オークショニアはよろめいて後ろに倒れる。
カンナは籠の中から震える白いモコモコを出してメイ子の方へ向き直った。
「メイ子ちゃん。受け取って!」
カンナはメイ子に向かってアンの子を投げ飛ばす。
白い玉は炎を飛び越え、メイ子の上も軽く飛び越えて行った。
震えるそれを捕らえたのはスピラルだった。
先程まで黒い炎を纏っていた腕は、嘘のように白く細くか弱く、アンの娘を優しく抱きしめた。
そしてそっとアンの顔の横にその子を降ろした。
アンの傍で魔法をかけ続けるメイ子を見て、
「お前。アンの仲間か? こいつの事、宜しくな」
スピラルは寂しそうな顔でそう言って、メイ子の肩にそっと手を乗せた。
痩せた小さな手は小刻みに震えていた。
そしてスピラルは炎の中に一歩踏み出すと黒い炎を全身に纏った。
殺気立つその背中にメイ子は身震いした。
こんなに殺意のある人間に出会ったことがない……いや、一度感じたことがある。
メイ子は思い出せない記憶の中の殺意と恐怖で動けなかった。
姉に頼まれたのに……スピラルを止めることを。
「きゃあっ」
壇上の奥からカンナの悲鳴が聞こえた。
オークショニアに後ろから襲われ、髪を捕まれ首にはナイフを突き付けられている。
一歩ずつゆっくりとオークショニアに近づくスピラルに対し、カンナを盾にナイフをちらつかせて威嚇する。
「おい。それ以上近づくんじゃねぇぞ。化け物が。こいつの首が飛ぶぜ」
オークショニアは少しずつ後ずさりする。
カンナを人質にして逃げるつもりだ。
その時漸くカシミルドは瓦礫の上に立った。
そこは壇上より少し高く、壇上の様子がよく見えた。
アンに回復魔法をかけるメイ子の姿。
それを守るように結界を張るシレーヌ。
そして今まで見えなかった壇上の奥の様子も窺えた。
赤毛の子供がオークショニアを追い詰めている。
そのオークショニアに囚われているのは――。
「カンナ!」
カシミルドはオークショニアに捕まったカンナの姿を見て動揺し、その名を叫んだ。
それと同時に強い頭痛に襲われその場に座り込んだ。
自分が叫んだカンナの名前が、頭の中で何度も反響して目眩を起こす。
カシミルドの異変にクロゥは直ぐに反応した。
「おっおい。大丈夫か? カシミルド!」
クロゥの声はカシミルドには届かなかった。
カシミルドの頭の中に過去の映像が蘇っていた。
これはあの日だ。
カンナと結界の外に出て、誘拐された八年前のあの日の記憶。
男達の下品な笑い声。
何度も殴られて意識が朦朧とする中、魔封具は全て剥ぎ取られた。
そして黒髪も貴重だと言ってナイフで乱雑に切り落とされた。
そうだ、首筋の傷はこの時のものだ。
首筋にヒリヒリと痛みを感じた。
髪は魔力を温存するための天然の魔封具のような役割をしている。
それを失って僕は魔力が制御出来なくなったんだ。
……いや違う。僕の記憶はここで終わらない。
――カンナが僕を助けようと男達に向かって行ったんだ……。
でもカンナは捕まって……今みたいに髪を引っ張られナイフを突き付けられ……。
僕の記憶はここまで。――そうだ。僕はそこで理性が吹っ飛んだ。
僕をこの世界に人として繋ぎ止めていた糸が、プツンと音を立てて切れた。
頭の中が真っ白に……いいや、真っ黒に染まっていったんだ。
踞るカシミルドの体から、どす黒い魔力が溢れる。
体の中から抑えきれない力が零れていく。
僕は……何のためにここにいるのか。
何故こんなにも己の魔力に翻弄されるのか。
心が二つ存在するかのように、自問自答する。
……世界の均衡を守る黒の一族に生まれたから?
いや関係ない。じゃあ何故?
今度こそ彼女を守るために……彼女?
その為にお前は生まれてきたんだ。
お前? ああ。僕に呼びかける君は誰?
「カシミルド、お前この魔力……。正気か!? おいっ何とか答えろよ。しかもこんな場所で……」
クロゥはカシミルドに必死で呼び掛ける。
その呼び掛けに答えることなく、カシミルドの体から金色と黒が混ざった魔力が溢れ出す。
髪の色は黒く戻り瞳は金色に輝く。
カシミルドが立ち上がると、溢れた魔力は黒い突風となって周囲を揺るがし会場の炎が全て掻き消された。
しかしそれは一瞬だった。
重い魔力の波動を受け、炎は先程より強く大きく勢いを増し燃え上がった。
クロゥはその波動を受けて、八年前を思い出した。
カシミルドの存在に気づいた日。
カシミルドが魔力を暴走させた日だ。
このままでは、
「カシミルド。なぁ、戻ってこいって。このままじゃお前、また暴走し……」
カシミルドが顔を上げ、ゆっくりとクロゥを見た。
金色の瞳は煌々と輝き、その圧倒的なプレッシャーにクロゥは言葉を失った。
「うるさいな。俺を誰だと思ってるんだ? クロゥ」
クロゥはカシミルドから手を離し、驚愕の表情のまま固まった。
「……に――」
クロゥが何か言いかけたとき、カシミルドは背後に突如現れた人物に背中を思いっきり素手で叩かれた。
体制を崩し瓦礫から落ちそうになるが、背中を引っ張られその場に座り込む。
ポムおばさんの百倍位キツイ一撃で、カシミルドは激しくむせ返った。
黒髪と金色の瞳はそのままだが、禍々しい魔力は何処かへと消え去っていた。
「ゲホッゴホッ……痛って……」
「カシミルド君。大丈夫かね? ちょっと具合が悪そうだったから……心配したぞ」
カシミルドが後ろを見上げると、そこにはテツが立っていた。
クロゥは見知らぬ青年の登場に驚き、巨木まで退避した。
「テツさん?……そうだカンナは!?」
カシミルドが立ち上がろうとすると、テツに肩を抑え込まれ、瓦礫に座るよう押し戻される。
「待つんだ。こういう時は相手の動きをよく見るんだ。相手の目的は何か。次にどうでるか。必ずチャンスは来る」
「でも……」
焦るカシミルドの肩を握りしめ、テツはオークショニアの動きを注視するよう指示した。
クロゥは二人のやり取りを複雑な心境で見ていた。
さっきのは何だ……。
カシミルドの魔力が暴走しかけていた……だが、あいつが一発叩いただけで……戻った?
それに、戻る前のカシミルドの言葉……あれはまるで――。
◇◇◇◇
「ラルム。大丈夫かっ!?」
木の根元に横たわるラルムを、シエルが心配そうに抱き上げた。ラルムは額から血を流し、気絶していた。
「んん……。シエル?」
「大丈夫か?」
「あ。ごめんなさい。詠唱中だったのに……続けるから、下がってて」
ラルムはシエルを押し退けると水晶を拾い上げ、詠唱を再開する。
カシミルドが起こした魔力の波動を受けてラルムは木の幹に叩きつけられて気絶していたのだ。
あと少しで術式が完成したのに……。
さっきの風は何だったのだろう。
ラルムはあの突風に何処か懐かしさを感じた。
これは何時の記憶だろうか。
駄目だ、雑念を捨て集中しなくては。
◇◇◇◇
参加者達は謎の燃えない木へ移動させた。
眠ったまま起きないものが殆どだが、シエルが出来ることはここまでだ。
シエルは辺りを見回した。
扉までの通路は、黒い炎で塞がれ他に逃げ場はない。
後はラルムの魔法が成功すれば脱出できるだろう。
そういえばテツの姿が見当たらない。
一体どこへ行ったのだろう。
というか、この状況は何なんだ。
テツがいることも謎だ。
それに魔獣の子供が白い煙を出してから記憶がない。
目が覚めた時にはデカイ木が生えてて、辺り一面火の海だった。
魔獣が仲間を助ける為にやったのか……?
わからん。だがそれが一番しっくりる。
シエルは状況を整理しようと試みるが、材料が無さすぎる。――しかし熱い。
ラルムを見ると顔色も悪く身体中汗だくだった。
薄いドレスが汗で濡れ、細く白い身体の線がくっきりとわかる……。
シエルはラルムのマントを拾い上げ、ラルムの肩に掛けた。ラルムがビクッと身体を震わせ反応した。
「灰が……飛んでるから、掛けとけ。無理すんなよ」
シエルは適当な理由を付けた。
ラルムは疑うこともなく、詠唱を続けながら頷いた。
フラムが気絶したままで良かった……。
シエルは心の中で強くそう思った。




