第三十五話 乱入者
時は少し遡る。
「次ですわ。御主人様……」
ついにオークションはメイ子の姉の番になる。
シレーヌの言葉を伝えると水鏡を覗く三人に緊張が走った。
そして壇上に立つアン=フェルコルヌの姿が水鏡に映し出された。
メイ子は手を震わせながら必死で訴えた。
「姉たまなの!! 姉たま。メイはやっと、姉たまを見つけたなのの!――あのおじさんは、何て言ってるなのの!?」
「えっと、メイ子のお姉さんに子供が生まれたって……あの、籠の中の子だよ」
「むう。びっくりなのの……」
「おっ。落札されたぜ。変なおっさんに。……何か喋ってるけど……カシミルドわかるか?」
男は壇上に向かって話しているため上手く聞き取れなかった。
「いや……聞こえない。――あっ。オークショニアが……角を落とせば、絶命しますって言ってる」
「どういう流れだ? あのおっさんが買ったんだろ? 何か、すっげぇ笑ってねぇか? あのおっさん」
メイ子の顔色が真っ青になる。
助けを求めるような、恐怖に満ちた顔でカシミルドを見る。
「カシィたま。どうなってるなのの? 角……落とすって……何でそんな話をするなのの! 教えてなの! ねぇ、カシィたまっ」
「メイ子、落ち着いて。――ほら、オークショニアが何か言って……」
メイ子の声で、オークショニアの言葉は最後の一言しか聞き取れなかった。
「切断するのは角だけで宜しいですか?」
という一言だった。
状況を飲み込みきれず眉を潜めるカシミルドの表情を見て、メイ子は悟った。
水鏡からは言葉に出来ないほどの憎悪と殺意が伝わってくる。これはシレーヌの感情だ。
メイ子は水鏡から伝わる感情に恐怖し手が震えた。
鏡はメイ子の手から滑り、床に落ちて小さな水溜まりとなってしまった。
メイ子は涙を浮かべ立ち上がり、会場へ向かって飛び立つ。
「メイ子ちゃんっ。待って」
一番に反応したのはカンナだった。
しかし見た目は小さな女の子だが、メイ子は魔獣だ。
カンナの手をすり抜け一目散に駆けていく。
「僕が追いかけるよ。カンナは待ってて」
「待てるわけないでしょ」
カンナはそう言い終わる前にメイ子を追いかけ走り始めていた。
カシミルドもその後を追う。
クロゥは一人その場に残された。
「まずったな。鳥じゃ追い付けねぇ……」
◇◇◇◇
地下通路を全力疾走していると、シレーヌの声がカシミルドの頭の中に響いた。
「御主人様。今どちらですか? 状況は最悪ですわ。今すぐこのゴミどもを海の藻屑にしてやりたいのですが。この場所は特殊なようで、派手な魔法は御主人様がもっと近くにいないと使えそうにありません。それと、メイ子は……」
「今行くから! でも、メイ子が先に飛び出しちゃって……」
「あ。メイ子はこちらに来たようですわ。もう殺るしかありませんわね……」
それから何度呼び掛けてもシレーヌの返答はなかった。
「カンナっ。メイ子、もう会場だって!」
「えっ。じゃあ、私たちも――行くよ」
会場の入り口はこの階段を上がってすぐの筈だ。
メイ子は受付の見張り達の間を上手くすり抜け会場へと駆け込んで行った。
頭に結っていた髪は解け銀色の角が顕になる。
余りの速さに男達は呆然と立ち尽くしていた。
「何だ! 今のチビ」
「おい、角生えてなかったか?」
「嘘だろ? でも、受付の時あんな参加者はいなかったぜ」
「何っ!? 捕まえようぜ」
見張りの男達がメイ子を追いかけようとした時、後ろからカンナの飛び膝蹴りが一人の男の首元にヒットした。
「ぐへっ」
悲痛な声と共に男は会場内へと吹っ飛ばされる。
他の三人は驚き振り返ると小柄な女の子が一人立っていた。
「へっ何だよ。ガキ一人かよ」
カンナが構えると男達は表情に余裕を見せ腰からナイフを取り出した。
「燃えよ」
カンナはその声を聞くと、口元に笑みを浮かべて後ろへ跳ねた。
それと同時に三人の男達の腕や足から炎が上がる。
「ひっ……あっつ。うわぁぁぁ~」
炎に巻かれ方向感覚を失った男達は、一人は会場内へ錯乱状態のまま逃げ込み、後の二人は通路をころげ回って気絶した。
「御主人様。近くにいらっしゃいますね……お力御借りします」
「シレーヌ、どうする気?」
もしや本当に水没させる気ではないかとカシミルドは懸念した。
「メイ子を手伝いますわ……後二十秒入らないで下さい」
シレーヌの声は落ち着いていた。殺意は無さそうだ。
カシミルドはシレーヌを信じて待つことにした。
会場に入ろうとするカンナの腕を掴み、場外へと引き戻す。
「カンナ。二十数えて。シレーヌからの伝言だよ」
「わかった……」
◇◇◇◇
メイ子は会場の中央、シレーヌの真下まで走り込むと体を宙に浮かせた。
光輝く銀の角を見て周りの人々がざわめく。
メイ子はそんな事を気にも止めず壇上の姉を見つめた。
「シレーヌ。いるなのの? 手伝って欲しいなの……」
「わかっておりますわ。おやりなさい」
メイ子は瞳を閉じた。どうか姉の所まで……届け。
「行くなの。――ネムネム、プードゥー!!」
メイ子の必殺技に合わせて、シレーヌは霧の魔法を発動した。
会場中が煙のような白い粉で覆われた。
それは数秒で跡形もなく消え去り、後には倒れた人々が現れた。
会場から音が消えた。
「や、やったなのの!」
いつも必殺技の度に自らも寝てしまっていたメイ子だが、シレーヌの霧で無事だった。
「メイ子!!」
カシミルドが入り口からメイ子に呼び掛け、駆け寄ろうとしたその時、
「カシ……ミルド君?」
倒れた男の人の下から、ラルムが顔を出した。
カシミルドはそれが誰かわからなかった。
髪型も服装も雰囲気も気品があり、カシミルドにそんな知り合いはいない。
瞬きをして首を傾げるカシミルドを見て、
「あの、ラルムです。ラルム=フォンテーヌです。――これは一体……」
カシミルドとラルムがお互いを認識しあったとき、壇上から男の高笑いが響いた。
「はっはっはっはっは! まさか商品が自分からやって来るとはなぁ! よぉくぞいらっしゃいました。おチビちゃん」
オークショニアがメイ子に向かって礼儀正しくお辞儀した。メイ子達の魔法は、壇上まで届いていなかった。
「折角お越し下さったので、おチビちゃんの為だけに、素晴らしいショーをお見せしましょう」
オークショニアは厭らしい笑みを浮かべ、アンの後ろに立つ鋏を持った大男に合図を送る。
その瞬間、アンはメイ子と眼が合った。
「メイ……大きくなったね……逃げて」
◇◇◇◇
壇上に固いものが落ちる音が場内に響いた。
アンは片角を喪い、血溜まりの上に倒れた。
オークショニアは満足そうに口角を上げ、立ち尽くすメイ子に尋ねた。
「次は何処がいいかい? お客様がご所望の角以外だったら、おチビちゃんにプレゼントするよ。はっはっはっはっは!」
男の笑い声がメイ子の頭の上をこだまする。
メイ子の瞳から涙が溢れる。目の前が真っ白になる。
白? 違う。
赤? 赤い……姉たまの……。
「アン……姉たま……。姉たまにさわるなぁ!!」
メイ子は叫び、震える拳を握りしめ壇上の姉目指して飛び上がった。
「メイっ。お待ちなさいっ」
シレーヌがメイ子の前に立ち塞がるがメイ子は勢いを殺すことなくそのままシレーヌを無視して突っ切って行った。
シレーヌの身はメイ子にぶつかり水の粒となって弾け、形を無くす。
「メイ子ちゃんっ」
カンナも入り口からメイ子の元へ急いだ。
カシミルドも行こうとするがラルムに引き留められる。
「待って。ねぇ、カシミルド君」
「ごめん。今は無理。メイ子がっ」
しかしラルムは引き下がらない。
カシミルドの手を両手で握り離そうとしなかった。
カシミルドは動揺していて気付いていない、ラルムは怯えていた。
「そっちは行っちゃ駄目。カシミルド君。わからない? ねぇ……」
「どういう……」
「うおぉぉっ」
壇上からオークショニアの叫び声が上がった。
壇上ではオークショニアと鋏を持った大男の体が、黒い炎に包まれ悶え苦しんでいた。
しかしオークショニアは呪文を唱えると己の炎で黒い炎を飲み込み相殺させた。
その隙にメイ子はアンに駆け寄り、回復魔法をかける。
アンの鼓動に合わさって、角が切り落とされた箇所から血が溢れる。
――心臓が動いている。まだ生きている。
メイ子は涙で歪んだ視界の中、姉の名前を呼び続け掌に魔力を集中させた。
「くそっ誰だ!」
オークショニアは大男の体に纏わりついた黒い炎も相殺させると、魔法の出所を探し始めた。
カンナは会場中央で立ち止まり、カシミルドに振り替える。
「今の炎……」
カシミルドは首を横に振った。今の炎は自分ではない。
一体誰が……?
そう思った時、壇上にオークショニアの手下の者達が黒い炎に巻かれながら逃げ込んできた。
「おっお頭! やべぇです。あのガキっ……うぁっうぉぉぉ」
一人また一人と、手下達を纏う黒炎の威力が増し一気にその身を焦がして行く。
人が燃える、焦げた鼻につく匂いが辺りに広がる。
炎に遊ばれのたうち回る手下達の後ろから、足枷を引き摺る赤毛の子供が壇上へゆっくりと足を踏み入れた。
カシミルドも漸く気付いた。
ラルムが何に怯えていたのか。
手足に魔封具の錠が付けられているが、それを超過するほどの魔力がその子供から溢れ出ていた。
こんなにも殺気と憎悪で満ちた気配に、どうして気付けなかったのだろうか。
その子供の両の掌からは、手下達を焼き尽くした炎と同じ、黒い炎が生み出されている。
そして、紅く黒く、憎しみで燃え上がるような光を帯びた瞳は、壇上の血の海に横たわるアンの姿を捉えていた。
オークショニアもその事に気付き、床に落ちていた籠を慌てて拾った。
赤毛の子は口をゆっくりと開く。
「アン……? 何だよこれ……。ハハハっ何がショーだよ。――お前ら全員……そうだよ。アンじゃなくて! お前らが死ねよ!!」
赤毛の子はそう叫ぶと、荒々しい火の精霊を全身に呼び込み黒い炎に包まれた。
その炎はまるで九つの黒い竜の如く形を為し、会場に放たれた。
会場の至る所でそれらは暴れのたうち、各所で爆発が起きる。天井を破壊し壁を抉り、辺りは一瞬で火の海と化した。
「メイ子ちゃんっ。――せいっ」
カンナはメイ子とアンに降り注ぐ瓦礫を、片っ端から蹴り飛ばし二人を守る。
クロゥはいつの間にか会場の中央に立ち詠唱していた。
そして巨大な木を生やし、参加者達を崩れ落ちる天井から守ってくれた。
カシミルドはと言うと、クロゥが生やした木の蔦に足をとられ、宙吊りにされていた。
「ちょっ。クロゥ! 何するんだよ」
「あ? わりぃ。やり過ぎたか?」
◇◇◇◇
ラルムが瞳を開けると、男の人が覆い被さり守ってくれていた。
「シエルっ」
余りの恐怖でラルムは咄嗟に抱き付いたが、シエルより体が大きい。
男性の顔から仮面がずれ落ちると、それは見知った顔であった。
「テッテツ様! 失礼しました」
「無事か? ラルム君。まさかこんなことになるとはな……。シエル君を起こせるか? この火の手は不味い。急いで脱出せねばな。会場に残った参加者は、二十数名、避難を手伝ってもらえるか?」
「はっはい」
見渡すと辺りは黒い炎に巻かれていた。
突然現れたこの巨木は何故か火が燃え移ってこないようだ。
シエルはすぐ横でまだ眠っている。
そのシエルの裾に炎が飛び火した。
するとテツが杖を構えシエルに向かって空を斬るように振ると、巨木の根は縮み、炎は数メートル先のものまでかき消された。
ラルムは驚いてテツを見上げた。
魔法が使えないという噂は嘘だったようだ。
しかし今はテツに見とれている場合ではない。
ラルムはシエルを必死で起こそうとする。
その間も何度も爆発の音がした。
ラルムのすぐ横でも爆発が起こる。
「きゃぁっ」
「んっ!?」
ラルムの悲鳴でシエルは目を覚ました。
焦げた匂い、そして爆発の音でシエルは飛び起きる。
「なっ何だよ。ここどこだ?……おいっフラム起きろ」
「シエル。大丈夫? テツ様が、皆を避難させろって」
「は? テツ様?――もしかして、ここはまだオークション会場なのか? それにこの火は?――ラルムはこの火を魔法で消せ。俺とフラムで避難させる」
すぐにシエルは状況を計りフラムを蹴り起こす。
しかしフラムは起きる気配すらない。
ラルムは会場の広さと炎の大きさに圧倒されていた。
こんなに燃え上がる炎を消すのには、大量の水を具現化させなくてはならない。
「時間かかるよっ」
「それでもやれっ。ってかこの木は何だよ。何故か燃えねぇし。ラルム、木の近くで詠唱しろ。後は俺に任せろ」
「うん……」
ラルムは巨木の木の根が重なる窪みに立ち、水晶を手に洪水をおこす呪文を唱え始めた。




