第三十二話 地下へ
テツは薔薇園で杖を振り一人稽古に励んでいた。
振るといっても魔法を使うことが目的ではなく、まるで剣を扱うように素振りを繰り返している。
魔法使い達によって発展してきたこの国では、剣を扱う者は殆どいない。
武器なども杖が一般的である。
しかし魔法の使えないテツにとって、杖は只の棒である。
「せいっ。はっ。せぃっ!!」
気合いの込めたひと振りは、鋭い疾風となって十メートルも先の薔薇の花を切り落とす。
「しまった。またユメアに叱られるな」
それでも手は止めず、杖の先に集中し力を込めて振り続けた。
そこに水色の真っ直ぐな髪を風に揺らせながら紫色の制服を着た女性が通りかかった。
女性はテツを見つけると足を止め深々とお辞儀をした。
「テツ様。ご機嫌麗しゅう。精がでますね。何か良いことでも?」
「ふっ。グラスか。――面白いことがあってな」
「左様ですか。どの様なことかお聞きしても?」
テツは動きを止め腰に杖を戻した。
グラスが差し出したタオルで汗をぬぐう。
「ユメアが……友を紹介してきたのだ。それも、男のだぞ。しかも只の男ではないのだよ。彼は……黒の一族の者だ」
途中まで淑やかに笑って聞いていたグラスは、最後の一言で表情を変えた。
テツの顔を覗き込み、瞳の色からそれが真実だと察する。そして顎に手を添え真顔で話す。
「黒の一族の者とは……。是非、御近づきになりたいものです」
「御近づきって……研究材料にでもするつもりか? はははっ。ラルムと考えが同じだな」
「ラルムとですか? 我が娘ながらあの子はとても内向的で心配なのです。――しかし何故テツ様がラルムをご存知で?」
グラス=フォンテーヌはラルムの母親であり、女王の側近の一人でもある。
テツも幼少の頃から母以上に慕っている数少ない味方の一人だ。
「成り行きでな。ラルム君とユメアと三人で城下の祭りに行ってきたのだよ。ユメアは友と会いたくて。ラルム君はその、黒の一族の少年を探すために行ったようだ」
「はい?……不思議な巡り合わせもあったものですね。――しかし黒の一族が王都にいるとは……噂は本当でしたか」
「噂?」
グラスは回りに人がいないか確認すると、ひそひそと小声で話し出した。
「世界に異変が起きていると……。その調査に黒の一族が動き出しているそうです。近頃、精霊の力は弱まりつつあります。魔法の弱体化に比例して、人々は魔道具の開発に尽力してきました。生活は向上してきましたが、人口も精霊使いの数も減りつつあるのです。その調査を各地で行っているそうなのです。――その少年の目的はお分かりですか? わざとユメア様やラルムと近づいたのですか?」
「さぁ? 目的は何か有るようだが、分からん。――しかし、ユメアと会ったのは偶然のようだな。今日会って分かったよ。少年に敵意はないし、ユメアが王女だということも知らないようだ。ラルムは選定の儀で彼を見たそうだ。ラルムに質問攻めにされて、困っていたぞ。はははっ」
「流石我が娘。しかし選定の儀の騒動はその少年の仕業でしたか。あんな事を起こすとは……少年はまだまだ未熟な世間知らずという事ですね。ふふっ……今のうちに懐柔して、飼い慣らしておきましょうかね」
不敵に笑うグラスの目は本気である。
グラスならやりかねないとテツも不安を覚えた。
「グラス……怖いこというね……」
「あ。リュミエ様は何と? 教団の内部でも、まだ少年を探している筈ですが?」
「あの人苦手でね。ラルムも少年を教団に誘ってはいたが、無理やり突き出すつもりはないようだぞ。教団側には、まだ内密に頼む。――そうだ、グラスがここにいるという事は、何か用があるのだろう?」
「そうです。忘れておりました。――奴等の情報を手に入れまして……」
グラスは懐から、一枚の招待状を取り出した。
◇◇◇◇
そして翌日、王都はいつもと変わらぬ朝を迎える。
「カシィたま。カシィたまっ! 朝なのの!」
「んっ……」
体を激しく揺らされて、騒々しくカシミルドの一日が始まる。メイ子のこんな起こし方は初めてだ。
「メイ子。おはよ……どうした?」
「眠れなかったなののぉ……」
メイ子の目は真っ赤に充血していた。
一睡も出来なかったようだ。
「昨日のお昼寝のせいかな? もっと早く起こしてくれて良かったのに……。昼まで寝ているといいよ。出発するときには起こすから」
今日はもう、地下の闇市の日だ。
緊張もしていたのだろう。
メイ子はカシミルドにギュッと抱きつくと、カシミルドの胸で涙をゴシゴシと拭う。
頭を優しく撫でられると安心したようにスヤスヤと眠りについた。
メイ子を抱き上げベッドに寝かそうとすると、カンナが目を覚ました。
「あれ? おはよう。メイ子ちゃんどうしたの?」
「ずっと寝られなかったみたい。緊張してたのかな。今寝たから、行くときに起こしてあげよう」
「そっか。まだこんなに小さいのに……。私が守ってあげるからね」
小さく寝息をたてるメイ子の額を、カンナは優しく撫でて言った。
カシミルドはそんなカンナを見てメイ子の姿を幼い日の自分に重ねた。守ってあげる、はカンナの口癖だ。
「じゃあ。カンナは僕が守ってあげるからね」
「へっ? それ駄目。そう言ってあの時も……何でもない」
カンナは急に口を尖らせてカシミルドから目を背けた。
「あの時って……いつ? もしかして、カンナも僕と一緒に誘拐されたの? カンナは僕が誘拐された時のこと覚えているんでしょ?」
カンナは口をキュッと結び、辛そうにカシミルドの首筋の傷を見つめた。
「カンナ。僕はもう昔みたいにカンナの後ろを付いていくだけの子供じゃない。魔法も少しは使えるし。シレーヌだって、クロゥだっている。だから……僕を頼って。もっと僕のこと、信じてよ」
カンナはカシミルドの首筋の傷にそっと手を触れた。
八年前を思い出す。
口にしてはいけない。
あの日の出来事を。
カシミルドはカンナの手に自分の手を重ねた。
カンナの目に決意の色が滲む。
「やっぱり駄目。カシィ君は私が守る。昨日の打ち合わせ通り、昼食後に広場で集合ね。私は朝からパトさんのお手伝いに行くから」
カシミルドの手を振り払い、カンナは身支度をし始めた。
「ちょっ……カンナ!!」
そしてカシミルドを無視してさっさと部屋を出ていった。
カシミルドの後ろからクロゥの笑い声がする。
「ケケケッ。情けない奴だな。振られてやんの」
「クロゥうるさい。今日も特訓するから……行くよ」
カシミルドは雑に髪を三つ編みに結う。
今すぐ行く気満々だ。
「ハイハイ。なぁ、カンナちゃんも怒るんだな。誘拐された時って何があったんだ?」
「うーん。それが覚えてないんだ。僕が六歳の時だから、八年前かな……昔、壊れた古井戸の近くでカンナとよく遊んでたんだ。ある日そこがペシュ村へ続いていることがわかって、何度か二人で結界の外に行っていたんだ。誘拐はその時だろうから、多分カンナも一緒だったんだと思う。誘拐されたのは僕一人って聞いてたんだけどな……」
「へぇー。八年前ねぇー」
「そうだ。八年前といえば覚醒の風が吹いた年だ! 覚醒の風の時に、僕は力が暴走して……一年くらい魔力の制御が出来なくて、洞窟に閉じ込められていたんだ。だからその辺りの記憶が曖昧なんだ。僕がやっと洞窟から出られた時には、もうカンナも里に居なかったし」
「ふぅーん……誘拐、覚醒の風、魔力の制御不能、カンナちゃんが島を出る。なるほどねぇ。カシミルドに話さないなら、俺には話してくれっかなぁ? 今度カンナちゃんに聞いてみるわ」
覚醒の風が吹いた日。
その風によってカシミルドは魔力に目覚め、暴走したようだが……。
クロゥは覚醒の風と皆が呼ぶものが何なのかよく分からなかった。
カシミルドの魔力が暴走したのは知っている。
その魔力の波動で、クロゥはカシミルドに興味を持ったのだから……。
カンナはきっとクロゥが知りたいことを知っている……クロゥはそう踏んだ。
◇◇◇◇
昼食を簡単に済ませ、カシミルドとシレーヌそしてクロゥは待ち合わせの噴水広場でカンナを待つ。
メイ子は井戸に入るまで魔獣界で待機。
シレーヌは透明な姿で上空を浮遊中。
クロゥはカシミルドの肩の上。
一見、カシミルド独りにしか見えない。
「お待たせ!」
荷馬車に乗ってカンナとパトは広場にやって来た。
パトは天を仰ぎ微笑むとカシミルドに向かってウインクした。
「良い天気ね。さあ。樽に隠れて。後は私に任せなさいね」
カシミルドとカンナは荷台に積まれた樽の中に一人ずつ隠れた。
地方のワインと交換で魔道具を仕入れているらしい。
パトはやはり顔が広い。
二区への門番とも仲良く会話をし、荷台のチェックも簡単なものだった。
特に怪しまれることもなく第二王区東の外れにある井戸まで送ってもらった。
パトは荷馬車を降り井戸を覗き込んで言う。
「あら。本当に井戸なんてあったのね。――明日、工場が始まる時間……昼前になるかしら、またこの辺りに迎えに来るわ」
「はい。よろしくお願いします」
パトは心配そうに二人を見た。そして、
「もし……もしもよ。何か困ったことになったら、私を頼ってね。ここまで連れてきたのは私。私にも責任があるわ」
「いえいえっ! ここまでしてくださったただけでも有り難いのに……責任だなんてっ」
「カンナちゃん。あなたは私の妹みたいな存在なんだから、そんな冷たいこと言わないで。忘れないでね」
パトはカンナを包み込むように抱きしめると名残惜しそうに手を離した。
パトに優しく見送られ、カシミルドとカンナは井戸へと潜入した。
シレーヌは一人地上に残り、パトの前に姿を現した。
パトは目の前に現れた小さな人魚を笑顔で歓迎した。
シレーヌは冷たい表情のまま口を開く。
「久しぶりね。パトリシア」
◇◇◇◇
井戸の中は薄暗く、奥へ目をやるが暗闇で何も見えない。
「暗いね……カシィ君……」
「メイ子、暗いの嫌いなのの……」
「大丈夫……」
カシミルドが奥の通路へ手をかざすと、壁に掛けられた燭台が一斉に灯る。
「あっ」
カシミルドは何か不味いことでも思い出したのか、声をあげる。
「何? どうしたの?」
「潜入するのに、沢山灯したら不味いかなって……。会場は一層上だから平気かな? ――カンナ。もし誰かに見つかったら……」
カシミルドが言いかけると、カンナは食い気味で即答した。
「気絶させて縛り上げる!」
「えっ!?」
カンナはロープを握りしめて目を輝かせながら言った。
過激な発言に驚くカシミルドの隣でクロゥが吹き出して笑う。
「ケケケッ頼もしいねぇ。――まずは人に見つからないことが第一だな。シレーヌを先頭に進むぞ」
「あれ? シレーヌは……」
井戸に入るまでは居たのに、シレーヌの姿が見当たらない。
カシミルドはもう一度シレーヌに呼び掛ける。
するとシレーヌは何処からか現れ珍しく慌てた様子だ。
「はいっ。お呼びですわね。失礼しました。私がご案内しますわ。――その前に、御主人様。両手の人差し指と親指で円を作って下さいますか?」
カシミルドはシレーヌに言われた通り、指で円を作った。
「こう?」
「はい。失礼しますね」
シレーヌがその円の間をすり抜けると、円の中央から波紋が広がる。
よく見ると薄い水の膜が張られている。
「これは水鏡ですわ。メイ、掌を出してください」
シレーヌはメイ子の手の上に水鏡を浮かせた。
メイ子は鏡を覗き込むが自分の姿は映らず、水鏡を見つめるメイ子を上から見た様子が映っている。
「これは私が目にした物を映す鏡です。メイが持っていなさい。何か見えたら、御主人様達に伝えるのですよ」
「メイ子じゃ落とすんじゃねぇの?」
「むぅ! 落とさないなのの!」
クロゥとメイ子が睨み合っていると、シレーヌがカシミルドだけに聞こえる声で話した。
「御主人様には、こうして私の声は届けられますし、カンナ様とクロゥ様は大事な戦力です。ですので、メイに持たせて下さい。水鏡を持っていれば、無茶なことはしないでしょうし、水鏡を手にした者の心は私に伝わりますから、どうかメイに」
シレーヌなりに、メイ子を心配して持たせたようだ。
「クロゥ。メイ子にお願いしよう。 出来るよね?」
「任せるなのの!」
カシミルドに水鏡係を任命され、メイ子はクロゥに向かって得意気に舌を出した。
一行はシレーヌを先頭に第一王区の地下を目指した。




