第三十一話 王女の秘密
カシミルドはメイ子を背中におぶり、ユメアからのお土産とポムおばさんから受け取ったカンナの昼食を手に二階へ上がった。
カンナの様子がおかしかったので心配だ。
部屋に入るとカンナの姿は無かった。
メイ子をベッドに寝かせていると洗面台のドアが開き、いつもと変わらぬ様子のカンナがひょっこりと顔を出した。
「おかえり。お昼持ってきてくれたんだ。ありがとう。朝練はどうだった?」
「ただいま。まあまあ上手くいったかな?……カンナは? 大丈夫?」
「うん! パトさんの方はバッチリだよ。明日の昼過ぎに仕入れの手伝いに混ぜてもらえるって。翌日の朝も井戸まで迎えに来てくれるから、二区への出入りは大丈夫だよ!」
カンナは一仕事終え、昼食を満足そうに頬張った。
「それは良かったよ。でも、僕が聞きたかったのは……さっき下で頭ぶつけてたよね? そっちは大丈夫?」
「あっ平気平気。私、石頭だから」
「そっか。そう言えば、カンナの頭は丈夫だったね」
カシミルドはカンナの向かいに座ると、イチゴの詰まった籠からオレンジのタルトと薔薇のジュースを鼻歌交じりに取り出した。
前にも同じような物を見た、とカンナは思った。
カンナがタルトをまじまじと見つめていると、カシミルドはそれに気付き、急に真剣な面持ちで話を切り出した。
「カンナ……。さっき下に来ていた女の人見た? 覚えてる?」
カンナは食事の手を止め、先程見た光景を思い浮かべた。
白くて細い指、上品な顔つき、カシィ君にキスをしていた女の子。
おしとやかで儚げな女性らしい姿を思い出すと、全てにおいて自分が劣っているように思え胸が苦しくなる。
「覚えてるって……知らない……かな?」
「ほら、選定の儀で会った人だよ。僕たちを助けてくれた……」
「あぁ……」
やっぱりさっきの子がカシィ君を助けてくれた薔薇園のメイドさんなんだ。
わざわざ会いに来るなんて……しかもまたお菓子まで作ってきてるし……。
カシミルドはカンナの言葉を肯定と捉え、真剣な表情で話を続ける。
「ラルム=フォンテーヌさんって言うらしいんだけど。儀式の時、僕が寝てる所も見ていたらしいんだ。隣の長椅子だったからね」
「ん? 隣?」
カンナは首をかしげた。
隣にいたのは貴族出身の二人組だった。
女性の方は確か青い長い髪で眼鏡を掛けた……。
確かにさっきテーブルにいた一人だ。
やっと話が噛み合った。
「なんだ……そっちか」
「え、そっち?――まあ、それでさ、ラルムさんにバレちゃったんだ。僕たちがやった事だったって」
カシミルドが深く溜め息をついた。
「そっか。……って、えっ!? バレたって……バレたらどうなっちゃうのかな!?」
「ごめんね。でも大丈夫だと思う……メイ子と相談して決めたんだけど……」
カシミルドは入団を薦められた事、ラルムの家にお世話になる話、テツがリュミエに話を通してくれるという事を、カンナに簡潔に説明した。
カンナは眉間にシワを寄せ、考え込む。
「うーん。それで、明後日どうするか聞きにくるんだね……」
もし第一王区の人間にメイ子の姉が買われたら、カシミルドは教団に入りフォンテーヌ家に世話になるのだろう。
いや、十中八九そうなる。
貴族しか入れない場所だ。貴族しか買えないのだから。
「もし、そのラルムさんって人の家にお世話になることになったらさ……私はどうしよう? メイ子ちゃんの力になりたかったんだけどな」
「カンナはここで待ってて。――それで、メイ子のお姉さんを助け出したら、一緒にミヌ島に帰ろう」
「……うん!」
待ってていいんだ。
待っていたらまた、会えるんだよね。
カンナは内心ホッとした。
カシミルドはオレンジのタルトを切り分けるとカンナの皿に一切れ乗せた。
「そうそう。さっきカンナが階段の下で話していたのが、このタルトをくれたユメアだよ。その後ろにいたのがテツさん。ユメアのお兄さん」
カシミルドはそう言うと、タルトを一口食べ満足そうな笑みを浮かべた。
一方、カンナは口に入れかけていたタルトをお皿に戻した。
何だ……やっぱり、あの子がそうだったんだ。
どうしてあの子がこんなに気になるんだろう。
胸が苦しい。
「ユメアさん……とテツさんか……。――そうだ。あの男の人、教会の前でぶつかった人なんだ。今まですっかり忘れてたけど……変なのよ」
「変?」
「皆、時間が止まってるみたいだったのに、あの人だけ普通に歩いていたの。変でしょ。あの人は……教団の人なの?」
カシミルドもテツのことは謎だ。
ユメアの兄であるという事以外何も知らない。
しかし食堂でユメアに耳打ちされた事がある。
そうだとしたら、
「教団の人ではないよ。実はさっき、ユメアが僕に耳打ちしてきたんだけどさ。ユメアの名前を教えてもらったんだ……ユメア=イリュジオンって」
「イリュジオン? どっかで聞いた……ってこの国の名前じゃない!?」
「そうなんだよね。ということはさ……」
「この国の、王女様と王子様ってことじゃない!?」
◇◇◇◇
ラルムはテツの口添えもあり、教会でレーゼに小言を言われたものの何のお咎めもなく家路に着いた。
オレンジ色の夕陽がいつもより眩しく輝いて見え、足取りは軽く、心も体もフワフワ空を飛ぶような気持ちだ。
明日一日我慢したら、またあの不思議な少年に会えるのだから。
見るからにご機嫌なラルムを横目に、シエルの不満は爆発寸前だ。
「……で? あいつを見つけてご機嫌な訳な。……ムカつく」
「サボったことは謝ったじゃない。人の幸せを喜べないなんて、シエルはお子様ね。――あっ、もしも教団の誰かに喋ったら絶交だからね!」
「絶交って、それこそ子供じゃねぇんだからっ。――お前がいなかったせいで、レーゼさん、すっごく機嫌悪かったんだからな!……あー、ムカつく」
シエルが何度も苛々をアピールするのだが、ラルムには響かない。
シエルとは対照的に、スキップでもし始めるのでは無いかと思うくらい軽快に歩いている。
重い足取りのまま、シエルは第一王区の赤い屋根の屋敷の前を通りかかる。
ここはソルシエール家の屋敷だ。
シエルは屋敷を見てフラムの事を思い出した。
「あ、そうだ。明日の訓練の後、空いてるか? フラムから誘われたんだけどさ……」
「フラム? フラム=ソルシエールとの約束なら私はパスするわ」
ラルムは振り返りもせずに即答した。
フラムの事が嫌いなことは知っているが、ラルムの態度にシエルはカチンときた。
「ラルム。話は最後まで聞けよ。――この間の火事、覚えてるだろ? 屋敷が一棟全焼した奴。それの犯人が捕まったんだって?」
「それで?」
ラルムが足を止めてシエルへ振り返った。
シエルも自慢気に話を続ける。
「その犯人が見れるんだって!――貴族の遊びを知ることも、そろそろ俺達の年齢から始めないとな! 行こうぜ?」
ラルムは心底つまらなさそうな顔をした。
「何それ? フラムに言われたんでしょう? シエルらしくない。見世物小屋か何かかしら? 私は嫌よ」
「……今日の埋め合わせ」
「えっ?」
「サボった分の埋め合わせしろよ!――今日は朝からお前がいなくて、俺は講義室でレーゼさんと二人きり。一時間ずっと向かい合ってお前が来るの待ってたんだぜ。あの氷のような目で睨まれながらな……」
シエルは両腕を擦りながら身震いする。
ラルムはレーゼの事を思い浮かべた。
確かに、レーゼの瞳は確かに氷のように冷たい。
灰色の瞳は、左目だけ黄色がかった色をしていて、色味の違う二つの瞳に見つめられると、二人の人間から見つめられているようなプレッシャーを感じる。
しかし時折見せる笑顔とまではいかない緩んだ素の表情をラルムは見たことがある。
「口数の多い男性より、レーゼさんみたいに寡黙でクールな方、私好きだけどな」
シエルはラルムの呟きに顔を引きつらせた。
謎の少年ばかり気にかけているのかと思えば、まさかレーゼにまで好意を持っていたとは。
しかも人が怒っているというのにそんな言葉を返すとは、いい度胸だ。
シエルが噴火寸前の顔をしている事に気付くと、ラルムは先手を打った。
「明日はついていくわ。今日の埋め合わせね。――それと、次からはシエルに言ってから訓練を抜けるわ」
「えっ?――おう! フラムに言っておくからな。っていうかもうサボるなよ!」
ラルムは鼻で笑い、シエルに背を向け歩き始めた。
明後日訓練を抜けることは、明日の夜にでも伝えよう。
今シエルに伝えれば、レーゼと二人きりの状況をどうやり過ごすか考え混むだろう。
それは余りにも可愛そうだ。
◇◇◇◇
ユメアは第一王区にある王立医院に来ていた。
ここは貴族が病気や怪我を治療するための施設だ。
ここの院長を任されているのはユメアの叔母、母の妹であるキヨラ様だ。
王女であるユメアはこの医院の手伝いが義務である。
民の為に己の時間を割き、怪我を癒し、病気の治癒を行う。
それは代々女王に為るために必ず通る道であった。
しかし叔母であるキヨラ様は、ユメアに医院の手伝いをさせなかった。
ユメアが毎日医院に通うのは、受付や診察室に飾る薔薇を生けるためだけだ。
だが、それは決してキヨラの意地悪という訳ではない。むしろキヨラの優しさから生まれた事なのだ。
ユメアには人の傷を癒す力が無い。
慈愛の魔法が使えない訳ではない。
しかし傷口を癒しても、時間が経つとまた傷口が戻ってしまうのだ。
覚醒の風が大陸を疾風の如く過ぎ去ったとき、ユメアはキヨラの息子であるサクと庭で遊んでいた。
強い風が吹き、サクは木から体勢を崩して落ち大怪我をしたのである。
枝で腕を裂かれ、右足は骨折していた。
しかし、痛みに苦しむサクを見てもユメアは不思議と動じなかった。
ユメアは覚醒の風を浴び、自分の体の芯から暖かい光が溢れてくるのを感じていた。
自分ならサクを救える……そう自信があったのだ。
ユメアは兄やキヨラの癒しの魔法をいつも近くで見ていた。
そして、見様見まねでユメアはサクの怪我を癒した。
サクの顔から苦しみが消え、直ぐに歩けるようにもなった。
キヨラにも母にも誉められ、ユメアはその日は夜寝ることが惜しいぐらい、幸せな気持ちで満ちていた。
――その日一日だけは。
翌朝医院に行くと、キヨラもサクも暗い顔をしていた。
「わざとか? わざとやったのかよっ!」
サクはユメアを睨み付け叫んだ。
そしてユメアに掴みかかろうとしたが、キヨラに止められた。後からキヨラはユメアに説明した。
深夜、ベッドの上でサクは急に苦しみだしたそうだ。
キヨラが駆けつけたとき、サクの腕は切り裂かれ、右足もおかしな方向に曲がっていた。
――昼間怪我したときと同じ怪我だったそうだ。
キヨラもサクも、この事は誰にも言わなかった。
むしろキヨラはユメアに癒しの魔法を教えてくれた。
しかしいつもキヨラは言うのだ。
「そうじゃなくて……逆なのよ……」
ユメアが慌てて反対側から魔法をかけるが、キヨラは何も言わず首を横に振るだけだった。
イリュジオン王家は、代々癒しの力を持ち、民を傷病から救うことで国民から愛され信頼されてきた。
そんな王族の第一王女として生まれ、将来玉座が約束された身でありながら、ユメアはその癒しの力を行使することが出来なかった。
王も女王もユメアの力には薄々気付いているであろうが、いつか力に目覚めるであろうと信じているようだ。
ユメアは後半年で十五歳になる。
力に目覚めるのは十五歳までだと言われている。
今のままの自分なら、王も女王もユメアを認めないかもしれない。
テツのようにいないものとされたら、どうしたらよいのかと、急に恐くなるときがあるのだ。
そう――テツは魔法が使えない。
テツが十五歳になった日から、王も女王もテツの声も姿も見えなくなってしまったかのように、
その名を口にすることも無くなった。
三人いた兄の中で、唯一ユメアに優しくしてくれたテツ。
上の二人の兄は魔法が得意で、いつもユメアをバカにしていた。
そんな兄達は隣国の姫様と政略結婚し国を出た。
女系の一族である王家だから仕方ないが、ユメアは秘かに喜んでいた。そのバチが当たったのだろうか。
魔法の練習も自分なりにしてきた。
最近は壊れた物も直せるようになった。
夜には魔法が解けてしまうけれど……。
周りの人はユメアを大切にしてくれている。
でも、必要としてくれてはいない。
誰も私を頼る人などいない。
ずっと心の奥底でそう思っていた。
そんな時、ユメアは迷子の少年に出会ったのだ。
自分の事を全く知らない相手だからか、自然と振る舞えた。
甘いものが好きで、嘘が下手で不器用な少年。
迷子の少年をただ助けてあげたいと思った。
そして初めて誰かに、逢えて良かったと言われた。
ありがとうとも言われた。
自分の存在を初めて喜ばれたのだ。
それに彼の魔法は、とても輝いていた。
城で王女として過ごし、時が来れば母の後を継ぐ。
そんな未来しか考えたことはなかった。
でもそれで良いのだろうか。
少年と出会い、私を必要としてくれる人、私をただのユメアとしてみてくれる人、そんな人との未来を想像したくなった。
「また。会いたいな……」
ユメアは寂しげに花瓶に薔薇を生けた。




