第三十話 昼下がりの食事会
カシミルドが教団の若者たちと同じテーブルにつくと、ポムおばさんは意外な組み合わせに驚いた。
「あら。カシミルド君のお友達だったのかい! ほら、マロン。サンドイッチ運んで」
「ほーい」
テーブルにビスキュイ特製サンドイッチが並ぶ。
ユメアは食事の前に、カシミルドの向かいに腰掛ける女性を紹介してくれた。
「こちら私のお友達のラルム=フォンテーヌさんです。ラルムさん。こちらは私のお友達のカシミルド君です。偶然会えたので、ご一緒してもいいですよね!」
やけに偶然を強調していたが、ラルムはそんな事よりユメアのお友達と紹介された事が嬉しく口元が緩む。
「宜しくお願いします。ラルム=フォンテーヌです」
「よろしく。僕はカシミルド……ファタールです。こちら妹のメイ子です。――メイ子。ご挨拶して」
メイ子は既に口一杯にサンドイッチを頬張っていた。
三人に順番に視線を移し、
「むぅ!」
何とか一言だけ挨拶した。
カシミルドの隣に座るユメアはそっと耳打ちした。
「ここでは偽名ですか? ファタリテさんですよね?」
「あ。……うん。内緒だよ」
ユメアにはついつい本名を名乗っていたのだった。
カシミルドは決まり悪気に言葉を返す。
ラルムはカシミルドを見て不思議な感覚に囚われていた。
水色の髪に緑色の瞳の少年。
その周りには精霊の気配を感じる。
この少し荒々しい感じは、火の精霊だろうか。
さすがユメア様、面白そうな人と友達だ。
取り敢えず付いてきて正解だったと心の中で喜ぶ。
その隣に座るテツは早々にサンドイッチを頂いていた。
「ほう! このサンドイッチは絶品だな! カシミルド君とやらは、ここの宿の者なのか? 先程親しげに厨房の者と話していたようたが?」
「……ほんの数日、こちらに泊めていただいているだけですよ」
「成る程。その数日で、ユメアと友達になったのかい?」
テツの率直な質問に、カシミルドが笑顔のまま固まりユメアに助けを求める。
ユメアも笑顔でサンドイッチを食べているが、目が笑っていない。
三人の間にぎすぎすと流れる空気にラルムも気付いた。
妹の男友達とは、兄にとって排除対象の害虫なのだな……とラルムは解釈した。
「彼とは随分と前から文通友達なんです! ね、カシミルド君!」
ユメアの言葉にカシミルドも頷き笑って誤魔化す。
テツもそれ以上の詮索をするつもりはないようだ。
「文通とは古風ですね。あの……カシミルドさんは精霊使いですか? 周りに精霊の気配がします」
ラルムはそう言うとサンドイッチを一口食べ、幸せそうに頬を染める。
「えっと……そうなのかな?」
カシミルドは歯切れ悪く言葉を濁す。ラルムというカシミルドの向かいに座る女性は精霊の気配がわかるようだ。
彼女からは水の精霊の気配を感じる。
眼鏡をかけ、真っ直ぐに伸びた濃い青色の長い髪。
瞳は透き通った水色をしていて、落ち着いていて凛とした澄んだ声色。
どこかで会ったような……。
そう考えていると、メイ子がカシミルドだけに聞こえる声で話しかけた。
「教会の前で助けてくれた人なのの」
カシミルドはその言葉にハッとして隣のメイ子に顔を向ける。
ガシャン、振り向いた拍子に肘でグラスを倒してしまった。
「きゃっ」
グラスの水はユメアのスカートにかかり、それを見たマロンが素早くタオルを持ってきてくれた。
「ごめん。ユメア」
「大丈夫ですよ。気にしないでください」
カシミルドがユメアのスカートをタオルで叩くと、スカートはふわりと揺れユメアは太腿の辺りに暖かい風を感じた。
濡れたと感じた筈なのに、スカートは一瞬で乾き、ユメアは驚いた。
一方カシミルドは焦っていた。
ラルムは選定の儀で隣の長椅子にいた女性だ。
精霊使いなのに……あの場にいたのに教団に入団していないことに気付かれてしまってはマズイ。
ラルムは気付いていない様子なので、なるべく目を合わせないように心がける事にした。
しかし意識してしまうと逆に目が合ってしまい、すぐに目をそらす。
その様子にユメアはすぐに気がついた。
サンドイッチを頬張るカシミルドに小声で尋ねた。
「ラルムさんと……お知り合いですか?」
ゴホッ。
痛い所をつかれカシミルドはサンドイッチでむせ返る。
「おにぃたま!」
メイ子は椅子から立ち上がりカシミルドの背中をさすった。
ラルムは目の前の小さな女の子とカシミルドを見て、第一王区の木の下で見かけた栗色の髪の二人を思い出した。
そして隣の長椅子で立ったまま器用に寝ていた栗色の髪の少年を思い出す。
髪の色も目の色も違うが、よく見たらそっくりではないか。
最初に見た時は水の精霊が傍にいて。
次に儀式で見た時は風の精霊。
そして今は火の精霊が傍にいる。
この不思議な感覚……絶対、昨日の少年だ。
ラルムは沸き上がる衝動に身を任せ、椅子から勢いよく立ち上がった。
テーブルに身を乗りだし、目を輝かせなからカシミルドに向かって口を開く。
「あのっ! カシミルドさん。……昨日、私の隣で寝てましたよね! せっ選定の儀で、寝てましたよね!」
「ぶほっ。寝ていたとは。……カシミルド君。君は面白いね。はははははっ」
今度はテツが吹き出した。
お腹を押さえて大笑いした。
カシミルドは両手を振って否定する。
「違いますっ。人違いですよ」
カシミルドの声は上ずり明らかに動揺している。
ユメアも始めは知らん顔していたが、我慢できずに口を手で塞ぎクスクスと笑う。
「嘘が下手です。カシミルド君」
「やっぱり――そうなんですね! 私、貴方ともう一度会いたくて城下まで探しに来たんです。リュミエ様は昨日の事をデモンストレーションだったと仰いましたが、私は貴方がやったと思っています。貴方の周りにはいつも精霊がいます。こんなにも精霊に好かれた人と、私は出会ったことがありせん。貴方は教団に入るべきです。一緒に魔法を学び、この国に我が身を捧げませんか?」
ラルムの熱の入った弁舌に、皆呆気に取られた。
メイ子以外の三人に注目され、ラルムは顔を赤くし恥ずかしそうに椅子に腰を下ろす。
縮こまって俯くラルムにユメアは同意を示した。
「確かに……。教団に入れば、毎日会えますね! カシミルド君。真剣に考えてみたら如何ですか?」
思いもよらぬ味方にラルムは肩の緊張が解れる。
ユメアとラルムの熱い視線にカシミルドは戸惑った。
教団には、あのリュミエ=ブランシュがいる。
率直に言って怖い。
困窮するカシミルドをみて、メイ子は最後のサンドイッチを断腸の思いで皿に戻し、カシミルドに抱きつき大声で泣き始めた。
「びぇぇん! おにぃたまに意地悪しないでなのっ。メイ子にはおにぃたましかいないなののぉーびぇぇぇん」
メイ子の泣き声はビスキュイの外まで響いていた。
丁度、雑貨屋から戻ってきたカンナは、すぐにメイ子の声だと分かった。
しかし、メイ子はすぐに泣くような玉ではない。
カンナは警戒しながら、そっとビスキュイの戸を開けた。覗き込むと予想外の風景に己の目を疑った。
知り合いもいない筈のカシミルドが誰かと食事をしているようだ。
しかも向かいの女性と隣の女性はカシミルドに迫っている様子である。
そしてメイ子はカシミルドに抱っこされて大泣きしているし、もう一人男性もいる。
紫色の髪に見覚えがあるような……。
それにあの服装は……教団の服装だ。
カンナは二階へ上がる階段の影に身を隠し様子を伺うことにした。
大泣きするメイ子を見てテツは席から立ち上がり手を差し伸べた。
「メイ子君。お兄さんが抱っこして上げようか?」
「イヤっ。あっち行くなの!」
メイ子に一喝されテツは眉間を押さえて涙を飲む。
大人しく自席へ戻っていった。
ラルムもメイ子を泣かせてしまい、申し訳無さそうに言った。
「ごっごめんなさい。無理に教団に入って欲しいなんて思ってないわ。兄妹二人きりでは大変よね。――そうだ。私の家に二人ともお招きすることもできるわ。私にもメイ子ちゃん位の弟がいるの。寂しくない筈よ」
それにカシミルドを家に置けば研究し放題である。
一石二鳥だ。またしても浅ましい考えが過る。
「イヤなの。行かないなの」
ラルムの下心を察してか、メイ子にキッパリと断られた。ブラコン幼女は手強そうだ。
しかしあんなに可愛く泣かれたら従わざるを得ないだろう。
自分の弟もメイ子位可愛気があれば良かったのに、とラルムは思った。
しかし折角見つけたのに今日でお別れなんて御免だ。
ラルムは頭を捻る。
「リュミエ殿には、話を通しておいてやってもよいぞ? 理由は知らぬが、一度逃げた手前気まずいだろう」
テツの助言にカシミルドとメイ子は顔を見合わせた。
メイ子がまたカシミルドの心の中に話しかけてくる。
「この人達、それなりに権力を握ってるみたいなのの。姉たまの買手はお金と権力のある人間だと思うなの……」
メイ子の言いたいことはわかった。
三人を利用するようで後ろめたいが……。
メイ子に潤んだ瞳で見つめられたら断ることは出来ない。
カシミルドは意を決して三人と向き合った。
「少し時間を戴いてもいいですか? 明後日まで……考えさせてもらっても……?」
テツはカシミルドの意外な発言に驚き、顎に手を当て椅子に深く腰かけた。
ユメアは顔を綻ばせカシミルドの手を握る。
「前向きに検討して下さいね」
「うん……」
「あの。念のため幾つか質問をしてもいいですか?」
「へ?」
ラルムは水晶と手帳と羽ペンをテーブルに出すとカシミルドににっこりと微笑んだ。
絶対に逃がさないぞ。と顔に書いてある。
「では、まずはお名前ですね。カシミルド=ファタールさんですよね。お歳はいくつですか?」
「……十四歳です」
偽名だけどまぁいいか。と年齢だけ答える。
ユメアも興味津々で話に聞き入る。
ラルムは手帳に書き記しながら質問を続ける。
「私の一つ下ですね。では、魔法を使えるようになったのはいつですか?」
「多分、覚醒の風の時かな?」
「八年前ですね。私と一緒です。あの風に身体を貫かれた時、精霊が見えるようになったんです」
「ラルムさんは精霊が見えるの?」
「ええ。目は人より良い方です。眼鏡ですけどね。カシミルド君は何が起きたんですか?」
「あんまり覚えてなくて……」
力が暴走したなんて言ったら、もっと質問攻めに合いそうだ。カシミルドは曖昧に答えた。
ラルムは残念そうにメモを取る。
「では、出身はどちらですか?」
「えっと……北東のイヴェールの先の孤島です」
これはカンナから教えてもらった偽の出身地だ。
寒いところらしい。
「あら、遠いですね。勝手に帰ったりしないで下さいね。よし、取り敢えず名前と年齢と出身地が分かれば逃げられませんね」
ラルムは手帳を大事そうに胸ポケットにしまった。
年齢以外ほぼ嘘だが、ラルムに気付かれずに済んだようだ。
質問が終わったところでテツが口を挟んだ。
「おい。カシミルド君。メイ子君が寝ているぞ」
「えっ。通りで静かだと思ったら……」
メイ子は泣きつかれてか満腹でか、カシミルドに抱き付いたまま熟睡していた。
「ベッドで寝かせて上げたほうが良いですね」
ユメアはメイ子の頭を撫でながら優しく言った。
テツは椅子から立ち上がり、
「我々も戻ろう。今帰れば夕暮れ前には戻れるだろう」
「はい。わかりました。――カシミルドさん。また二日後に来てもいいですか? 別に二日後ではなくても、我が家はいつでもお二人をお迎えできますので、お気持ちが決まりましたらラルム=フォンテーヌ宛にお手紙下さいね」
テツとラルムはポムおばさんに食事代を支払おうとするが、カシミルドの友達からお金は貰えないと競り合っている。
ユメアはカシミルドの耳元でそっと囁いた。
「さっきの質問。嘘ばっかり吐いていましたね。私には本当の事を教えてくださいね。……もし街を離れる時は手紙を下さい。絶対ですよ。私の名前は、ユメア=――」
◇◇◇◇
カンナはその様子をこっそり見ていた。
ユメアが耳打ちする姿が頬にキスしているように見え、いてもたってもいられなくなり立ち上がる。
「ったぁい」
そして階段下に思いっきり頭をぶつけ踞った。
「あの……大丈夫ですか?」
甘い薔薇の香りと共に目の前に白く細い指が差し出された。
顔を上げると、カシミルドにキスをしていた少女が目の前に立っていた。
この人がカシィ君に……。
肌も白く何処か気品のある話し方、青紫色の瞳は儚げで可愛らしい少女だ。
痛みで涙目になっていた瞳からポロポロと雫がこぼれ落ちた。
そんなカンナを見て、ユメアの後ろからテツが顔を覗かせた。
「おや? お嬢さんは昨日教会の前でお会いした方では? 覚えていらっしゃいますか?」
テツはしゃがみこみ、床に着いたカンナの手に触れようとしたが、カンナは身を引いてそれを避けた。
そして自力で立ち上がるとテツとユメアの間をすり抜け二階に駆け上がって行った。
カシミルドが心配そうにカンナを目で追った。
ユメアはそれを見て尋ねた。
「お知り合いですか?」
「うん。幼馴染なんだ……。今日は来てくれてありがとう。タルトもジュースもイチゴまでお土産にくれて。大切に戴くよ」
「はい。では、失礼しますね。また……」
「うん、またね。ユメア」
ユメアはカシミルドに、また、と言われ顔を綻ばせた。
三人が宿から出るとラルムは思い出した様に言った。
「あっ階段の下にいた女の子! 選定の儀でカシミルド君と一緒にいた子です。彼女は誰なんでしょう?」
「カシミルド君の幼馴染だそうですよ」
ユメアは不服そうに言った。
テツは嫉妬するユメアを見て鼻で笑った。
「あの子、少しユメアに似ていると思わないか?」
「そうですか?――でも、ラルムさんがカシミルド君と顔見知りだったとは驚きました。教団に誘ったのは流石ですわ。……でも、もしもラルムさんの家にカシミルド君がお世話になることになっても、彼が私の友人だということは、決して忘れないで下さいね」
「……はい」
ユメアは終始にこやかに話していたように見えたのだが、その瞳は何処か冷たくラルムの体に緊張が走る。
「すまんな。ラルム君。彼はユメアにとって初めての友達なのだ。理解してやってくれ。――それと、今日見たユメアの魔法。そして彼と会ったこと……他言無用で。頼んだぞ」
「はいっ! もちろんです! 私の方こそ、お騒がせしました」
テツはラルムの肩をポンと叩くと、不敵な笑みを浮かべた。




