第二十九話 ビスキュイへ
「もう無理! 疲れたぁ!」
カシミルドはそう叫ぶと河原に寝転んだ。
服は所々焦げ身体中汗だく。
顔には疲労の色がうかがえる。
シレーヌは空高く昇る陽を見上げ、目を細めて言った。
「そうですわね。大分、陽も高くなりましたもの。休憩にしましょう」
「お昼なのの。ビスキュイに帰るなの!」
「だな。正直飽きたぜ」
クロゥはへとへとのカシミルドとは対照的に涼しい顔で木の根から立ち上がる。
そしてカシミルドの所まで軽く飛んでいくと、カシミルドの顔を見て笑った。
「ケケケッ顔中ススだらけだぞ? 川で洗ってこい」
「えー。分かった。お腹すいたぁ」
カシミルドは力なくそう言うと、へろへろと川へ足を運びバシャバシャと洗い始めた。
クロゥはその様子を見て呟く。
「よくあんだけ魔法使って動けるな……」
クロゥは川原を見渡す。
黒焦げの木の山は、優に千を超え、焼失した枝も数えると幾つになるだろう。
早朝からずっと魔法を使い続け、しかも魔獣を二体召喚したまま。
それに消火の為シレーヌもカシミルドの魔力を使っていた筈だ。
カシミルドの魔力は人間ばなれしている。
でもまだまだ……。
シレーヌがふらっとクロゥに近寄り声をかけた。
「あら。クロゥ様はお元気そうじゃありませんか。御主人様はお疲れですけど。クスクス」
「いや……俺様はなぁ。現役だし」
「げんえき? 面白い言葉をお使いですね。でも御主人様だって、げんえきの様に感じますわ。いかがです?」
「……そうか? それは俺にとってこの上なく有難い話なんだが……あいつは人間だぜ?」
「そうかも知れませんけど。そうじゃないかも知れません。御主人様から感じる魔力はクロゥ様にそっくりですわ」
「俺……?」
今までおどけて話していたクロゥだが、急に真剣な面持ちになった。
「クロゥ様はどうして御主人様の傍に? 御主人様の為ですの?」
「為?……というか、あいつのせいって言うか……俺の……」
クロゥは髪をかき上げ瞳を閉じて口ごもる。
そこへメイ子が大きな声で二人に呼び掛けた。
「シレーヌ! クロゥたま! 帰るなののー」
「今行きますわー」
メイ子に呼ばれ川の方に目をやると、すっかり汚れの落ちたカシミルドとメイ子が、街へ向かう道の上で並んで待っていた。
その姿を見てクロゥは、
「カシミルドさ。自分の服も髪も……いつも魔法で乾かしてるよな」
「ですわね」
「あれって火の精霊と風の精霊の絶妙なコンビネーションで乾かしてるよな。そういう細かいことが出きるなら……今日やったことなんて朝飯前なんじゃねぇのか?」
「クスクス。あれは無意識ですわ。意識して行う魔法は、御主人様にとって、とても難しい事なのです。それに、魔法を使い続ける持久力そして集中力。御主人様には必要な特訓でしたわ」
「成る程。これからもカシミルドに魔法の特訓してやってくれよ。俺もたまには派手に魔法を使いたいし」
「そうでしたか。私はいつでも大丈夫ですわ。――街に戻りますよね。私は失礼しますね」
シレーヌはそう言うとカシミルドに挨拶をしてから魔獣界へ帰っていった。
◇◇◇◇
第三王区、港近くの広場は今日も賑わっていた。
子供達は噴水を取り囲み、楽しそうに水に手をつけて遊んでいる。
ラルムは人の多さに圧倒されつつ、子供達に混ざって噴水を眺めていた。
子供達が噴水を見て思い思いの言葉を発する。
「なんで、お水出てるの? まほう?」
「いいなぁ。欲しいなぁ」
「私にも天使様の祝福がありますように」
「ありますように」
天使像が持つ水瓶はフォンテーヌ製だ。
祖母が開発した商品が褒められ、ラルムは嬉しくて聞き耳をたてる。
いつの間にか子供達は皆で天使像に向かってお祈りを始めていた。
その姿が可愛らしくラルムはうっとりと子供達を眺めていた。
「わぁい! 噴水だぁ」
別のグループの子供達が噴水に駆け寄ってきた。
そしてその中の一人の少年がラルムの背中に勢いよくぶつかった。
「きゃぁっ」
ラルムは予期せぬ衝撃に抗うことも出来ず、少年と地面に倒れ込んだ。
倒れた拍子に持っていた水晶も、掛けていた眼鏡も失う。
「うわぁぁぁん」
ラルムの背後で少年は激しく泣いているようだが、眼鏡が無く何も見えない。
必死で地面を手探りするが眼鏡は見つからなかった。
「ラルムっ。大丈夫か?」
テツが噴水の人だかりに気付き、人々を掻き分けてラルムに駆け寄って来た。
「あっ、テツ様。子供が泣いていて大丈夫でしょうか? 私、眼鏡が無いと……」
ガシャリ。ラルムの横で何かが割れる音がした。
「おっ。すまない。やってしまった……」
「テツ様……?」
テツの右足の下から壊れた眼鏡が見つかった。
テツはラルムを噴水の縁に座らせ、壊れた眼鏡をハンカチで包みラルムの隣に置いた。
ラルムは両膝を擦りむき、出血していた。
ラルムにぶつかり泣いていた少年は、その母親が真っ青な顔でなだめている。
教団の人間を傷つけ、その所持品を壊したのだから顔色も悪くなるだろう。
「あら。ラルムさん。怪我をされたのですか?」
ユメアが籠いっぱいのイチゴを持って現れた。
お祭りを満喫しているようだ。
ユメアは泣いている少年にイチゴを渡して言った。
「ボクは怪我してない? これイチゴ。お母さんと食べて、元気出してね」
「もっ申し訳ございません。息子がお怪我をさせてしまって……」
母親は青白い顔で、息子にも頭を下げさせながら言った。ユメアは優しく言葉を返す。
「子供がしたことです。お気になさらず。お祭りを楽しんでください」
「私がボーッとしていたんです。すみません」
ラルムも一緒にフォローしようとするが、周りが見えずテツに向かって頭を下げている。
「ラルムさん。そっちじゃないですよ。――怪我は治せませんが……眼鏡なら」
ユメアはイチゴの詰まった籠をテツに渡すと、壊れた眼鏡に両手をかざし小さな声で呪文を唱えた。
「慈愛の精霊よ――」
壊れた眼鏡は薄紫色の光に包まれ、みるみると元の形へ戻っていく。
広場の喧騒に埋もれ、ユメアの声はラルムには聞き取れなかった。
ラルムは精霊の気配を感じそわそわと辺りに目を向けるが、眼鏡も無いのでユメアの回りに精霊が集まっている事しか感じられず、悔しがる。
姫様の魔法、滅多に見られるものではないのに。
惜しいことをした。
「はい。どうぞ。夜までしか持ちませんので……替えの眼鏡はありますか?」
ユメアはラルムに眼鏡を掛けてやった。
「あっありがとうございます! 大丈夫です。家にあります」
眼鏡は元通りだった。
と言っても、どれくらい壊れたか見てはいないのだが嫌な音は聞いた。
確実にレンズは割れていた筈だ。
ユメアの家系、即ちこの国の王家は、傷を癒す慈愛の精霊の力を行使できる唯一の家系だ。
夜までと言っていたが、まさか物まで直してしまうとは。しかし先程、怪我は治せないと言っていたような……。
ラルムはユメアの言葉に疑問を抱く。
膝がヒリヒリと痛んだ。
それに、テツは魔法を使えないという噂もある。
二人ともラルムの怪我を治そうとしないのは、治せないからなのか。
もしくは、たかが一名家の娘、傷を治す価値もないからだろうか。
ああ、気になる。
「ラルムさん? 眼鏡、合いませんでしたか?」
「いえいえ、完璧です! ありがとうございます」
「良かった。あの、そろそろお腹が空きませんか? 私、行きたいお店があるんです。ラルムさんはどうします? 何か目的があるんでしょう?」
「私は――。へっ?」
ラルムはユメアの不意打ちに、危うく口を滑らせそうになった。
やはり裏があることは勘づかれていたようだ。
ユメアだったら全て話しても受け入れてくれそうだが、気を使わせてしまうのも申し訳なく感じた。
「私は……お腹が空きました。是非、ご一緒させてください」
「あら。いいの? ではご一緒しましょう。兄様、ビスキュイの場所は分かりまして?」
テツは露天の女性と話していた。
ユメアの方を振り向くと東の方を指さす。
「ビスキュイ? 何だか美味しそうな名前ですね」
「でしょう?」
三人は第三王区南東の端にあるビスキュイへと足を向けた。
◇◇◇◇
「ただいまなののー」
まるで自分の家かのようにメイ子はビスキュイに我が物顔で入店する。
そんなメイ子をポムおばさんは笑顔で迎えた。
「あら。メイ子ちゃん。カシミルド君。お帰り。お昼まだでしょ? お客さんも今は落ち着いてきたから、今日は下で食べて行きなさい。何がいい?」
「メイ子、サンドイッチ!」
「僕も同じで」
厨房で皿洗いを終えたマロンは、カシミルドを見て驚いて飛び出してきた。
「ちょっ。何かズボン焦げてますよ! 袖も! 何してたんですか!? あっ……もしかして魔法ですか?」
マロンは大声で騒ぎ立てたかと思うと、最後だけカシミルドの耳元でこっそり言った。
カシミルドと内緒話をするマロンを見てメイ子は不服そうにマロンの腕を引っ張り、カシミルドから離した。
「おにぃたまに、くっついちゃダメなのの!」
「うわぁっ」
メイ子に腕をつかまれたままマロンは真っ赤な顔で厨房まで引っ張られて行った。
メイ子のふんわりとした髪が顔に当たり、昇天しかける。
カシミルドは改めて自分の服を見た。
汚れは落ちているが、マロンに指摘されたようにあちこち焦げている。
訓練の最後の方はクロゥが段々と調子に乗り、木の根をカシミルド目掛けて何度も地面から突きだしてきたのでその時だろう。
根を避けながら焼き払い、いつの間にか服も焦がしてしまっていたようだ。
カシミルドが替えの服の心配をしていると、
「カシミルド君」
突然目の前から可愛らしい少女の声で名を呼ばれた。
顔を上げるとその声の主に正面から抱きつかれ、ふわりと甘い薔薇の香りがした。
カシミルドが驚き呆けていると、メイ子がすかさず反応した。
「むぅぅ! おにぃたまから離れるなのの!」
メイ子は敵意を全面に出し、少女を引き剥がし二人の間に入った。
カシミルドは少女と顔を合わせると、驚きつつ顔を綻ばせた。
「あっ。ユメア!?」
「早速来ちゃいました」
と言ってカシミルドの手を握った。
ユメアのあざとい笑顔を目にして、メイ子はユメアを敵と判断した。
そして、注意深く言動を見定めることにした。
「おーい! また会ったな。少年」
奥の丸テーブルから声が上がる。
教団の制服を着た男女が腰かけていた。
一人はユメアのお兄さんだ。もう一人は誰だろう。
カシミルドからは顔が見えなかった。
ユメアにテーブルの方へ手を引かれたが、カシミルドは引き留めた。
「ちょっと待って。ユメアっ。教団の人だったの?……格好が……」
「あっ。違いますよ。メイド服じゃ街を歩けませんから、お借りしたんです」
「そっか……なら良かった」
「さぁさぁ。お昼をご一緒しましょう!」
ユメアに背を押されカシミルドはメイ子と一緒に奥のテーブルに着いた。
カシミルド、その隣にユメア、ラルム、テツ、そしてメイ子。
五人の気まずい食事会が始まる。




