第二十八話 朝練
第四王区との境の河原にて、カシミルドの魔法特訓が始まろうとしていた。
周りの人間を巻き込まぬようにクロゥが周辺に結界を張ってくれた。メイ子は河原に落ちた枝をせっせと集め、蔦で縛って練習の的となる人形を作っている。
完成した人形を三体地面に突き刺し、数十メートル離れたカシミルドに向かって大きく手を振り合図する。
「カシィたまー! 出来ましたなののー!」
メイ子の声を受けてカシミルドも大きく手を振り返した。
そして右の掌を的にかざし左手を添えて集中する。
火の精霊に心の中で呼びかける。
火の精霊は少し傲慢で血の気の多い者が多い。
彼らは力の在るものに従う。
彼らを服従させる為には誰が主なのか知らしめなくてはならない。
カシミルドの瞳に紅く光が宿る。
体の回りに精霊の気配がする。
熱く騒がしくまとわりつく精霊達を右手に集中させ、的を狙う。
「爆ぜろ」
カシミルドの声と同時に三体の的が爆発し、地面に三つの焦げ後だけを残した。
シレーヌは顔を手で覆い溜め息を漏らし、メイ子も腕組みをして唸り声をあげた。
「それでは死にますわ。やり直しです」
「むぅ! 下手くそなの。……的をまた立てるなの!」
カシミルドは頭を掻きながら笑って誤魔化した。
肩を回しリラックスしてもう一度。
「爆ぜろ」
「はい。死にましたわ。――あぁまた死にましたわ。また……」
何度やっても地面に焦げ後だけ残し枝は消滅した。
小一時間程それを繰り返した。
すると河原の枝をせっせと集め、的を作り続けていたメイ子がついに怒りだした。
「カシィたま! いい加減にするなのの!」
「メイ子。ごめんっ。もう一度頼むよ」
「嫌なの! 無駄なの。朝から何体、丸焦げ通り越して消滅させてると思ってるなのの! もっと集中して欲しいなのの!」
メイ子は枝を地面に叩きつけて的作りを放棄した。
メイ子の小さな手にはマメが幾つも出来ていた。
クロゥは大きな欠伸をしながら木の上でその様子を見ていたが、メイ子が不憫になり口を挟む。
「なぁ。まずその台詞から変えた方がいいんじゃねぇか? イメージは大事だぞ。爆ぜろは過激すぎるだろ」
「言われてみたら……そうだね」
カシミルドは額の汗を拭いながら炎のイメージを考える。
確かにあのままではシレーヌの言った通り死んでしまう。カシミルドがしたいのは、相手を怯ませて脅す程度で良いはずだ。
「クロゥ様の意見を採用しますわ。もう火の精霊とは馴れましたでしょう。力を抑えていきましょう。そうですね……燃えよ! なんて如何でしょうか?」
カシミルドは頷き早速試す。
メイ子も頬を膨らませながらも的を急いで地面に刺した。
「燃えよ!」
瞬時に的が燃え上がる。
三メートル程の炎を巻き起こしながら。
先程よりはましだ。
枝は消滅せず黒焦げの炭が地面に残った。
「やった!」
カシミルドは上手くいったと拳を掲げて喜ぶが、
「あら……これでも死にますわよ。人間は脆いですから。クスクス」
シレーヌに冷たくあしらわれた。
「くそーっ。メイ子! 的は? まだ?」
「むぅぅぅ。そんなに早く作れないなのの! 手も痛いなのの!」
メイ子は半泣きで枝を蔦で縛っている。
蔦にメイ子の血が滲む。
距離的にカシミルドには見えないだろうが、クロゥにはよく見えていた。
「しょーがねぇなぁ。……メイ子、ちょっと休め。自分の手でも治してろ」
クロゥは金色の光の粒子に包まれ、黒鳥から人へと変化しながら木から舞い降りた。
そして地面に手を着き詠唱する。
「地の精霊よ。我が声に従え。その身を伸ばしウチの魔力馬鹿の練習を手伝ってやってくれ」
クロゥの傍にあった大木の根がウネウネと動きだす。
それは焦げた大地へ向かって地表を膨れ上がらせながら突き進む。
そして地面を鳴らし砂埃をたてながら数十本の根が地上へと突き出された。
「あらまぁ。あんないい加減な詠唱初めて聞きましたわ。クスクス」
「カシミルド。これでも的にしろ。――メイ子。俺様に感謝しろよ」
クロゥはメイ子に向って格好つけて言った。
メイ子は数多の根を眺め、それからクロゥの方にクルリと振り返ると感謝の言葉を……述べなかった。
「こんなこと出来るなら最初からやるなのの!」
「そう来るかぁ……」
ふてくされてその場に座り込んだメイ子を見て、クロゥは額に手を当て決まりの悪そうな顔で笑った。
「クロゥ! ありがとう。僕頑張るよー」
カシミルドはクロゥに向かって礼を述べると的を数えた。
十、二十、三十、まだまだ数えきれないほどある。
この全てが的……火の精霊はすぐ近くにいる。
大事なのはイメージだ。
魔力を、精霊を、右手に集中させ一気に解き放つ。
「燃えよ……」
カシミルドは悠々と静かに命令した。
一呼吸おいて、大地から突き出した全ての根が燃え上がる。
「やったぁ! 全部燃えたよ! シレーヌ」
「え……ええ。ですが、これでは全てお亡くなりになりますわ……」
まさか全ての的が燃え上がるとは思っていなかった。
シレーヌは唖然とし開いた口が塞がらない。
カシミルドは火の精霊との相性も良いようだ。
シレーヌは川の水を巻き上げ残り火を鎮火させた。
「そうだな。クロゥ! もう一回出して」
「へいへい」
カシミルドは根が生える度に何度も何度も挑戦する。
丸焦げの根がどんどん河原に山積みにされていく。
応援しか仕事がなくなったメイ子は、まるで生きているかの様に伸び続ける根を見てあることを思い付いた。
「クロゥたま。メイ子、良いこと思い付いたなのの! クロゥたまが、その根っこの生やし方をカシィたまに教えたらいいなのの。そしたらカシィたまは根っこで相手の行く手を邪魔したり、縛ったり、色々出来て便利なの! 実用的なのの」
根を次々と繰り出しながら、クロゥは目を丸くしてメイ子を見た。
「お前、意外と見る目があるな。だが、今回は地下だからな……地の魔法は大地を揺るがす。ちょっとでもやり過ぎたら地下はペチャンコだぜ。一日やそこらじゃ扱えねぇだろうな」
「確かに、時間がないなのの。難しいなのの……」
「でもよ。水の魔法なら、シレーヌももっと教えやすいだろうにな。何で火なんだ? 俺は風と地の魔法が得意だから、火はよくわかんねぇな」
「メイ子も魔法はよくわかんないなのの。でも、シレーヌが水の魔法を教えない理由は分かるなの! もし、カシィたまが水の魔法をやり過ぎちゃっても、シレーヌには止められないからなのの」
メイ子はクロゥに分からないことを知っているぞ、と言わんばかりの表情で自慢気に言った。
「止められない?」
クロゥが尋ねるとメイ子は呆れ顔で言った。
「クロゥたまにはわからないなのの? カシィたまが水の精霊に呼び掛けたら、精霊達は大喜びなのの。魔獣ごときの声なんて耳に入らないなの。シレーヌの力じゃ水の精霊はいうこと聞かないなのの。でも火の魔法なら、シレーヌの魔法で相殺できるなの。シレーヌも頑張って、カシィたまの力を伸ばそうとしてるなのの」
「ああ……。シレーヌでも、カシミルドの魔力の前には無力なんだな」
メイ子は隣で深く頷いた。
クロゥはミラルドと対峙した時を思い出す。
精霊は誰が主なのか分かっている。
人間なんかより俺様。魔獣よりカシミルド?
まあ自然な流れだと思う。
でも俺様とカシミルドだと精霊はどちらを選ぶのだろうか。
試してみたい好奇心もあるが所詮カシミルドは人間。
大人気ないような気もする。
考えに更けながらも絶えずに根を生やし続けるクロゥをメイ子は不思議そうに眺めて言った。
「クロゥたまって。器用なのの。でも……何でここにいるなのの? クロゥたまって――」
「やったぁ。クロゥ、メイ子、見て!」
カシミルドは嬉しそうに二人を呼んだ。
河原に生えた数十本の木の根。
その先っぽだけ火が灯されている。
メイ子は大喜びで飛び上がった。
「むぅ! すごいなのの! 敵もビックリして油断するなのの」
「ケケケッ。頭燃やしたら、皆禿げるな」
「それは可哀想ですわ。次は足や手をイメージして、狙って下さいませ」
「分かった。やってみるよ」
河原の訓練はまだまだ続いた。
◇◇◇◇
その朝、イリュジオン城の庭園で二人の少女が思い悩んでいた。
一人目は薔薇園にて。
「ユメア? 朝から浮かない顔だな」
ユメアは心ここにあらず、といった表情だ。
如雨露に水も入れずに植木に向かうユメアを心配し、テツは声をかけた。
「あっお兄様」
ユメアはテツの顔色を伺う。
昨日の事は気にしていないようで、一先ず安心する。
テツはユメアの何か探るような表情に気付いたものの、そしらぬ顔で如雨露を取り上げ水を注ぐ。
「どうかしたのか? ボーッとしているなんて珍しいじゃないか」
「そうですか? その……城下のお祭りは今日までなんですよね……。楽しそうだなぁって思って」
テツはユメアの代わりに薔薇に水をやった。
ユメアがお祭りに興味を示すなど初めてだった。
理由は聞かなくとも分かっているが、そこには触れないようにした。
「行ってみるか? 付いていってやるぞ」
「本当に! お兄様大好き! でも……まぁ仕方ないです――さぁ何を着ていこうかしら」
「目立つ格好は禁止だからな。それから単独行動も禁止だぞ」
「はーい」
ユメアは一瞬思い留まろうとしたが、テツに頼ることにした。
スカートを翻しスキップしながら自室へ着替えに戻っていった。
「あんなにはしゃぐなんて、可愛い奴だな……昨日の今日だというのに。そんなに気に入ったのか。あの少年が……」
テツはそう呟くと、如雨露の残りの水を薔薇にまいた。
◇◇◇◇
そしてもう一人は教会の前の庭園にて。
ラルム=フォンテーヌは水晶を胸に抱き、眉間にシワを寄せ一人でぶつぶつと呟きながら歩いていた。
教会への道を進んではまた戻り、進んでは立ち止まりまた戻る。そればかり繰り返している。
そして急に道のど真ん中で立ち止まると、道に水晶を置きしゃがみ込んだ。
水晶に手をかざすと、それは蒼く光を放つ。
「やはりここは占いましょう……。水の精霊よ。清廉なるその身に我が心を映し出せ。水は鏡。無垢なる鏡……」
フォンテーヌ家の誇りをとるか、それとも自らの探究心をとるか。ラルムは心の中で二つの選択肢を提示した。
「我を導きたまえ……」
水晶はラルムの瞳と同じく蒼い光を帯び、その光の奥から何かが浮かび上がる。
「フォンテーヌ家の……家紋?……フォンテーヌ家の誇り」
しかしそれは波紋と共に揺らめき消えてしまった。
光を喪った水晶には、憂鬱としたラルムの顔が写り込んだ。
「誇りは揺らめき消えていく。私がしたいことは……体裁を整えることよりも。研究……。そう捉えても良いのでしょうか」
ラルムが一番したいことは、精霊、魔法についての研究である。
フォンテーヌ家の長女だけれど、家督を継ぐのはどうせ弟だ。
少し位好きなことをしたって良いじゃないか。
あの少年を探し出して彼の生態を調べ尽くしたい。
しかし自分が教団に入団したことは皆知っているし、第二王区への門は通れるだろうか。
少年の居場所の見当すらついていないのに……街に降りても成果が得られるとは限らない。
研究に失敗やリスクは付き物だが、どうしても始めの一歩を踏み出せずにいた。
「はぁ。私の意気地なし……」
「あら? 貴方は昨日の……ラルムさん?」
ラルムが自分の弱さに落胆していると、後ろから可愛らしい少女に声をかけられた。
ラルムは振り返りその声の正体に驚くと、手に持っていた水晶を落としかけた。
「へっ? しっ失礼致しました。ユメア様。テツ様」
ラルムは慌てて道を明け、深々とお辞儀をした。
王族の通る道を塞いでしまうなど、あってはならないことである。
慌てるラルムを見てユメアはクスッと笑った。
「顔を上げて。ラルムさん。そんなに畏まらなくていいのよ」
「はい。ありがとうございます」
ラルムはずり落ちた眼鏡を直しながら恐る恐る顔を上げた。ユメアとテツは教団の制服を着ている。
ラルムは不思議そうに自分の服装と見比べた。
ユメアはマントを翻し、ラルムに制服を見せる。
「制服、お借りしたわ。これから第三王区のお祭りに行くの。ラルムさんは何をしていますの?」
「えっと……私もお祭りに行きたくて。その……」
ラルムは咄嗟に嘘を吐いた。
ユメアと一緒なら第三王区へ簡単に出られるだろう。
それに訓練をサボったことにならずに、済むかもしれない。
浅ましい考えが脳裏を過る。
「そうだったのね。フォンテーヌ家は厳しいですものね……。たまには息抜きも必要よね。良かったら一緒に行きます? お兄様もよろしいかしら?」
「二人が良いのなら。構わんよ」
「良いのですか!? ありがとうございます。宜しくお願い致します」
ユメアはラルムに軽く会釈し、兄を横目で見た。
ラルムがいれば兄に色々詮索されなくて済むだろう。
ラルムの目的は少々気になるが、好都合である。
三人はそれぞれの思惑を胸に、城下を目指した。




