第二話 メイ子のお願い
「カチィーたま! 大変なのの! メイ子はついに、見つけたなののー!」
カシミルドの頭の上を何度も飛び跳ねながら、メイ子は同じ言葉ばかり繰り返している。
メイ子が飛び跳ねる度に白いフワフワが頭に当たり気持ちがいいから不満はない。
カシミルドはメイ子が話し出すことを待っているが、大変な事が起きた、ということから、話は一向に進む気配はなかった。
「メイ子。ほら落ち着いて。何が大変なのか、ゆっくり話してごらん」
カシミルドは優しくメイ子を両手で掴み、掌に乗せ、自分はソファーにゆったりと腰掛けけた。
メイ子はカシミルドの両の掌に丁度収まるほどの大きさだ。
真っ白な丸いモコモコの毛玉から焦げ茶色の丸っこい顔が覗く。
頭の横から生える2本の銀色の角は、先の方が内側に湾曲し、正面から見るとハートのような形に見える。
クリクリとした小さな紫色の瞳には歓喜の色が伺えた。
メイ子は魔獣という種族の生き物だ。
まだ幼いであろうその姿、そして支離滅裂でいつも自由なところから、多分まだまだ子どもだ。
カシミルドにとって、手のかかる妹のような存在だった。
メイ子は大きく息を吐いて話し始めた。
「えっと、えっとなの。メイ子の……メイ子のお姉たまを、見つけたなのの!」
メイ子は自信たっぷりに天を見上げて言った。
短いが白いしっぽもパタパタと嬉しそうに振られている。
「メイ子の……えっ!? どこに? 会えたの?」
突然の発表にカシミルドも驚く。
確か生き別れになった姉妹がいると言っていた。
左右を慌てて確認する。
カシミルドが驚きの中にも喜びの表情を見せると、メイ子は逆に、カシミルドの掌に身体を落とし、また大きく溜め息をつく。
これには落胆の色が伺えた。
「メイ子は、見つけたって言っただけなのの! 会いたくても、会えないなの。プンプンなのの」
カシミルドの方にお尻を向け、吐き捨てるように言った。
メイ子は完全にご機嫌斜めだ。
女心は秋の空。
ああ、まだ春だというのに。
「ごっごめん。僕の勘違いだね。メイ子? どこで見つけたの?」
小さい子供をあやすように優しく声を掛ける。
すると、メイ子がクルリとカシミルドの方を振り向き、急に責つくように言った。
「そうだなのの! カチィたま。覚えてるなのの? メイ子と約束したなの。初めて逢ったときに約束したなのの!」
約束?
何かしただろうか?
初めて出逢ったとき?
カシミルドは、メイ子と出会った時を思い出す。
あれは、確か五年ほど前。
僕が九才の頃。
僕が家の中に書庫を見つけて、少し経った頃だ。
僕は早く書庫に行きたくて、家の手伝いを如何に早く済ます事ができるか、家事スキルを上げる事に意気込んでいた。
薪を割るときも、ただ急ぐだけではなく、全て一発で割れたらスキルレベル1アップする。とか、木の葉が落ちるまでに薪を十本拾えたら1アップ。とか、今思うとあの頃はいつも独りだったな。
レベルが上がる毎に、畑の横の土に木の棒で線を書いていくのが唯一の楽しみだった。
一度、大雨が降って土に書いた線が全て洗い流されてしまったこともあった。
悔しくて今度は畑の横に石を並べるようにした。
そうしているうちに、家事スキルが後1でレベル100になる節目を迎えていた。
記念すべき家事スキルレベル100。
僕はいつもより難しいことをしようと決めた。
丁度その日は姉さんの誕生日だったから、崖に咲く花を採ってくることを課題にした。
もはや家事と全く関係が無いことだが、あの時の僕はそんな事ちっとも考えなかった。
太くしっかりした木にロープを巻き付け、自分の腰にもロープをつけ崖を下った。
高さ十数メートルある崖の途中に目標の花は咲いていた。
一輪だけ大きな花が逞しく咲いている様子がどこか姉さんに似ていると思った。
腰を落としてロープを握り締め、じりじりと一歩ずつ足を踏ん張りながら下っていく。
花までは上から二メートル位だったからすぐに花のところまで行けた。
「やったぁ。これで家事スキルレベル100!!」
僕は嬉しくて両手をあげて喜んだ。
掴んでいたロープをすっかり忘れて。
その後どうやって落ちたかはよく覚えていない。
僕は、幼い女の子の声がして意識が戻った。
ーーの。大丈夫なのの?わたちなら君のケガをーー
背中も腕も頭も、身体中が痛くて意識が遠のく。
心臓の鼓動と同調して、頭の辺りから熱い血がドクドクと流れ出していく。
瞳を開けると視界が真っ赤に染まっていた。
さっきまで頭が熱く感じていたのに急に身体が寒く感じる。
これが死……
そう思った時、また女の子の声がした。
ーーわたちが怪我を治ちてあげますなのの。さぁ、メイフェルコルヌを呼ぶなののーー
頭の中に声が響いた。
「メイ……コ……」
ーー惜しいなの。メイフェルコルヌなのの。あなたが強く願えば扉は開かれるなの。わたちは力を貸すなのの。ーー
もう一度声を絞り出す。
「メイ……フェ……コ、ちか……かして」
ーーはいなのの!ーー
冷えきった身体が熱を取り戻す。
真っ赤に染まっていた視界が真っ白い光に包まれた。
身体が中に浮かんでいるようだ。
暖かい光の中で、僕は太陽の香りのする、白いモコモコに出逢った。
「お加減はいかがなのの?」
横たわる僕の胸の上に、メイ子はいた。
メイ子の方を見ようと身体を起こそうとしたら、
「いっ……たくないや」
少し手に違和感があったが問題なく動く。沢山血が出ていた感触があったのに、身体の何処にも擦り傷すらなかった。
ただ、服はボロボロで血だらけだった。
ちぎれたロープと汚れていない一輪の花か横に落ちている。
僕が自分の身体を見回していると……
そうだ、この時だ。
「わたちは癒ちの魔獣、フェルコルヌ種が一人、メイフェルコルヌなの。わたちは良くできまちたなのの! だからわたちのお願いも聞いて頂けますなのの?」
こんな小さい子が僕を助けてくれたんだ。
魔獣って本当にいるんだ。すごい。
幼い僕は感動した。
「そっか君がメイ子ちゃんだね。ありがとう。君は命の恩人だもん。何でもお願いしていいよ。僕はカシミルド=ファタリテ。よろしくね」
僕は右手をメイ子の前に出した。
メイ子は僕の手に体当たり(ハイタッチのつもりらしい)をした。
「約束なのの!! むむっ人なのの。メイ子の事は秘密なのの!! また、メイ子の事、呼んでなののー」
そういってメイ子はパッと消えた。
なんとなく呼んだメイ子という呼び名は気に入ってくれたようだ。
その後は確か姉さんが助けに来てくれて、大騒ぎになって……メイ子のお願いの内容は、うやむやになったままだ。
「カチィたま! 忘れてるーって顔なのの!! プンプンなの!! メイ子のお願い聞くって約束したなののー!!」
メイ子はカシミルドをひどく非難し、短いしっぽで、カシミルドの頭を小突き回す。
「お願いを聞く約束は、ちゃんと覚えているよ。だけど……どんなお願いだったか、記憶が曖昧なんだ。ごめん。くすぐったいから、しっぽで叩かないで」
カシミルドはくすぐったいけれど笑うことを我慢し、頭をそっと守ろうとする。
すると、メイ子は急にしっぽを止めた。
「むむむっなの。お願いは今からするなの。話はちゃんと聞いて欲しいなのの」
勝手に怒りだしたのはメイ子であるが、カシミルドは慣れっこだった。
「聞くよ。教えて、メイ子」
カシミルドはメイ子の小さな瞳を見つめて言った。
メイ子は少し潤んだ瞳で見つめ返す。
そして少し考えた後、口を開く。
「メイ子を連れて行って欲ちいなのの!! 姉たまのところに。メイ子は、一人で遠くには行けないなの。カチィたまがいないと、ダメなのの。あーっちの方に姉たまの魔力を感じたなの。姉たま、少し元気ないなの。だから、連れてって欲ちいなのの」
こんな潤んだ瞳で懇願されたら、返事は一つに決まっている。
メイ子の頭をふわりと撫でる。
「行こう。今度は僕がメイ子を助ける番だね。場所は? わかる?」
メイ子は嬉しそうに即答する。
「はいなの! ここから南東の海を越えた先の方なのの。行けるなのの?」
海の先か……。
「多分、王都の方だと思うから、ここノワール山を降りて、海を渡れば三日ぐらいで着くんだけど……」
問題は海ではない。
このノワール山を出ることが、一番の難題だ。
カシミルドが住むノワール山は、黒の召喚士の一族の隠れ里。
この山には姉が結界を張っている。
何人も入れぬように。
そして何人も出られぬように。