第二十二話 迷子と夢空
クロゥは城近くの庭園で教団の者達に追われていた。
その表情は涼やかで庭の散歩でもしているかのようだ。
風、そして地の精霊魔法が得意なクロゥにとっては、もしも戦闘になったとしても対処しやすい立地。
ましてや人間相手、全く負ける気等しないからだ。
「なんだ。あの速さは。向こうの角に追い詰めるぞ! 四方に分かれよ!」
教団の者達が何やら策を練っているようだが、クロゥにもその作戦は全て聞こえている。
普通の人間なら聞こえないだろうが、風の精霊がクロゥの耳に情報を運んでくれる。
それに走っているように手足を動かしているだけで、実際は飛んで移動していた。
「こんだけ城の方まで来れば、あいつらも逃げられただろ……ちょっくら巻くか」
クロゥは角を曲がって直ぐの植え込みに飛び込むと身を低くして植え込みの奥へと進む。
その横を教団の者達がバタバタと通りすぎていく。
「むっどこだ? いないぞ?」
「奴の足は早い、もっと先だ! 行くぞ!」
クロゥはその様子を植え込みで腹を抱えて聞いていた。
「教団の奴ら、ちょろすぎるぜ。ケケケッ。お前らが俺様を追い詰めようとした場所で後ろから襲って殲滅させてやる……ケケケッ」
そして随分と腹黒い策略をしていた。
――ガサガサ。
クロゥが隠れた後ろの植え込みから草の擦り合う音がした。
クロゥはそこから見知った気配を感じ、顔がひきつる。
すると植え込みから二つの陰がザザッと姿を現した。
それはクロゥが想像した通り、反対方向へ別れた筈のカシミルドとメイ子だった。
「あっクロゥたまなの!――ほら、やっぱりこっちじゃなかったなのの!」
「あれ? おかしいな……」
「おかしいなじゃねぇだろ! この方向音痴がぁ!――おい。メイ子。カシミルドの事頼んだよな?」
「ごめんなさいなの」
「ごめん」
「あー、もういいよ。俺が橋まで案内すっから……」
気まずい空気の中、遠くの方で教団の者達の騒ぎ声が聞こえた。
先刻別れた四チームが庭園の角で合流し標的がいないことに憤慨していた。
「何! いないだとぉ!」
「こちらの道にも現れていません!」
「こちらもです!」
「よし、橋だ! 橋に向かうぞ! 領地から逃げ出す気だ! 絶対に奴を逃がすな! 植え込みの中にいるかもしれん! 注意しろ!」
植え込みに注意を払いつつ、教団の者達は猛然と橋を目指す。クロゥが頭を抱えた。
「……橋は駄目なのの。クロゥたま。どうするなのの?」
「めんどくせぇ事になりやがったな。――仕方ねぇ。俺は第一王区で奴らに姿を見せてから逃げるから、カシミルドはそっちの薔薇園の方に隠れてろ。そっちは城の管理みたいだから教団の奴らも滅多には行かないだろうし……。夜になったら迎えに来る。空飛んで逃げるから。勝手に動き回らねぇで植え込みの中でずっと寝てろよ! 絶対に見つかるなよ!」
「わかった! 最善を尽くすよ」
「ケッ。メイ子も囮役を頼む。さっき寝転んでた辺りの植え込みをガッサガサ揺らして奴らを引き付けておいてくれ。んで、見つかりそうになったら魔獣界へ戻れ」
「はいなのの! カシィたま。何かあったらメイ子を呼ぶなのの」
「ありがと、メイ子。二人とも気を付けてね」
カシミルドは真逆の方向へ進まないように、クロゥとメイ子に見守られながら薔薇園の中へと入っていく。
「よし。俺たちも行くぜ」
「はいなのの」
◇◇◇◇
カシミルドは薔薇園の片隅で隠れ場所を探していた。
植え込みに隠れろと言われたが、どこも棘だらけで正直入りたくない。
丁度目の前に大きな紫色の薔薇が咲き誇っている。
香りも芳しくカシミルド好みだ。
教会での出来事を忘れてしまいそうになる程、この場所にいると癒された。
「良い香りだな。薔薇って美味しそうだな」
「美味しいですよ。香りをかぐだけでリラックス効果もありますし、老化防止にも効果があるんです」
「そうなんだ。詳しいね……えっ?」
気がつくとすぐ隣に、同い年位の女の子が立っていた。
手には如雨露を持ち、紫色のメイド服を着ている。
肩まで伸びた青紫色の髪、そして瞳も同じ色をしている。
そして、ニコニコと警戒することもなく、カシミルドに笑顔を贈る。
「私の薔薇園へようこそ。何故こちらへ?」
「あ、えっと……。迷子になりまして」
カシミルドは無理矢理笑顔を作って言った。
女の子はそれを見て口元を押さえて上品に笑う。
「クスクス。嘘が下手ですね」
カシミルドは笑顔のまま固まった。
終わった。クロゥごめん。
もう見つかってしまいました。
――しかし、女の子は思ってもいない言葉を返してきた。
「ご一緒にお茶でもいかがですか? 薔薇ジュースもありますよ。迷子でも何でもいいんです。あなたは私のお客様……何ていかがでしょう? 誰か来る前に、こちらへどうぞ」
カシミルドは無言で頷いた。
そして園芸道具や食器棚が置かれた温室の隅に案内された。温室の中も薔薇で一杯だ。
「あ。ご紹介が遅れました。私はユメア。この庭園のお世話をしています」
「僕は、カシミルド=ファタリテ……あ、ファタールだったかな……」
「クスクス。どちらでもいいですよ。嘘が下手ですね。カシミルド君」
そう言ってユメアは薔薇ジュースをカシミルドに出してくれた。
赤く透き通った香りの良いジュースだ。
「私の手作りです。薔薇とレモンとお砂糖で作るんですよ。あ、ハチミツとサクランボのタルトもありますよ」
カシミルドの目が輝く。
呑気にお茶をしている状況でないのは重々承知しているが、甘党男子としてこれを逃すことは出来ない。
「もしかして……甘いものお好きですか?」
「うん! あ、……はい」
ユメアは嬉しそうにタルトを用意する。
カシミルドは自分もビスキュイのサンドイッチを持っていたことを思い出し、慌ててテーブルに置いた。
「良かったら、サンドイッチも一緒に食べませんか? 僕がお世話になっている宿屋のサンドイッチなんです」
「美味しそう。じゃあ半分こしましょう!」
二人はテーブルで向かい合い、タルトとサンドイッチを食べた。
「美味しい。このサンドイッチ! 今度食べに行きます。場所は何処ですか?」
「第三王区の南東の端にある、ビスキュイって宿屋だよ。ユメアさんのタルトも、ジュースも美味しいです」
「えへへ。ユメアでいいですよ。今度食べに行きますね。その時タルトとジュースも持っていきます! カシミルド君はその宿に泊まっているんですよね? 遠くからいらしたんですか?」
「うん。楽しみだな。当分はそこに居ると思うよ。ユメア……は、ここに住んでるの?」
「はい。私の母も城で生まれ育ち、仕事をしていますので。本当は両親の手伝いをしなくてはいけないのですが……この薔薇園のお世話が今は一番のお仕事です。とても広くて、水やりが大変なんですよ」
「なら僕が後で水やりを手伝うよ。助けてくれたお礼」
「助けただなんて。私はいつも一人だから、お友達が欲しかったんです。私のエゴですよ。カシミルド君は嘘が下手だから、初めて会った筈なのに、とても信頼できます」
ユメアは少し恥ずかしそうに笑った。
カシミルドはその笑顔が何処か懐かしく感じた。
「ユメア……。何処かで会ったこと……あったかな?」
「えっ?」
カシミルドに真剣に聞かれ、ユメアは驚きと共に胸を高鳴らせる。
そして本当に会ったことがあるかのような気持ちになる。
「どう……でしょう? そうだと嬉しいんですけど……」
ユメアが恥ずかしそうにジュースに口をつけると、温室のドアが音をたてて勢いよく開いた。
「ユメアー。いるかー?」
ユメアを探しながら、背の高い端整な顔立ちの青年が温室に入ってきた。
声と同時にユメアが椅子からあたふたと立ち上がる。
「テ、テツお兄様!?」
「おっいたいた。無事で……ん? どちら様かね?」
テツお兄様と呼ばれた青年は、紫色の髪と瞳。
そして上質な服を身に纏っている。
どうみても上流階級の人間といった身形だ。
これが兄だとしたら、ユメアはただのお世話係……ではないのかもしれない。
そしてその兄にカシミルドは真っ直ぐ見つめられていた。
教会の前で会った貴族の少年とは全く違う、人の見た目ではなく本質を覗き込もうとするような目だ。
「彼は私のお友達です! 選定の儀のついでに、こちらにいらしてくれたんです」
「ほぅ。ユメアに友達がいたとは……。君、名前は? 何処の家の者かね?」
「えっ……と」
ユメアと同じでこの人には嘘が通じない気がした。
元々嘘は下手だが。
「お兄様! 放っておいて下さい! 邪魔です! 何か御用があっていらしたんでしょう?」
「あ。そうだった。今話に出た選定の儀で、厄介な事が起きたらしい。しかもその犯人はまだ逃亡中だとか……」
テツはチラリとカシミルドを見ながら話した。
カシミルドは食べかけのタルトを見つめ、頭の中をタルトで一杯にして、その場をやり過ごそうとしていた。
「私は知りません。お兄様、不審者がいないか外を見てきて下さい。私はお友達と一緒なので大丈夫ですから。ねっ」
「そうか? まぁ、正直そうな少年だ。妹の友達など初めてで驚いたが、宜しくな。――では失礼するよ」
テツはカシミルドの頭にポンっと手を乗せると、温室を颯爽と出ていった。
ユメアが胸を撫で下ろし椅子に腰かけた。
「ごめんなさい。驚かせちゃいましたよね。外はまだまだ危険みたいですね。――実は地下に抜け道があるんです。そこを通れば第二王区に出られるんです。夕刻前にそちらへ着ければ、門も開いていますし……そろそろ出ないと間に合いませんね」
ユメアは寂しそうにカシミルドを見つめた。
「お土産用意しますね。実は、誰かに手料理を食べてもらうの初めてなんです。まだあるので、良かったら持って行ってください」
「ありがとう。ユメア」
お土産のピーチパイを鞄にしまい、二人は西塔を目指した。
迷路の様な庭園を抜けた先に塔が見える。
その道中、右も左も色とりどりの薔薇が咲き誇っていた。
「これ、全部ユメアが世話をしているの?」
「はい! 私の自慢の子供達です。まだ水やりが終わってないんですけどね」
「あ。そうだ。それなら僕に任せて。ユメアはそこで見ているだけでいいから」
カシミルドは心の中でシレーヌに語りかけた。
するとすぐ隣にシレーヌの気配がした。
シレーヌはカシミルドだけに聞こえる声で話す。
「あら。素敵な薔薇園ですこと。カンナ様とデートですの?……あらら? どちら様かしら」
「色々あって、彼女の手伝いがしたいんだ。薔薇園の水やりなんだけど……僕がやったら、水をやり過ぎちゃうだろうから。シレーヌお願い!」
「薔薇のためでしたら、よろしくてよ」
見えない誰かと話すカシミルドをユメアは不思議そうに眺めていた。
するとカシミルドの体から青白い光が溢れだした。
そしてその光がカシミルドの目の前に光の球体となって集まると、薔薇園の上空へゆっくりと上がっていく。
その光の球はカシミルドから溢れる光を吸収してみるみる大きくなり、強く光を放つと同時に数多の光の粒となって、薔薇園全体に散り広がった。
陽の光を受けて七色の虹が顔を覗かせ、光の水滴は輝きを放ちながら薔薇達と一つになって消えていった。
「シレーヌありがとう。――ユメア。水やりはこれで大丈夫かな?」
「はいっ。すごく綺麗でした。……カシミルド君は精霊魔法が使えるんですね。こんな美しい魔法。初めて見ました」
ユメアはこんなに美しい魔法を初めてみた。
教団の者に知り合いも多い。
精霊魔法など何度も目にしてきた。
しかし、こんなに光を放つ美しい雨を見たことは無い。
心臓の鼓動が速くなる。胸が熱い。
こんな気持ちも初めてだった。
こんな気持ちになるのは、美しい魔法のせいか、それともそれを使う彼のせいなのか。
そのどちらもだろうか。
「ユメア? どうかした?」
「へっ? いえ。……行きましょうか」
西の塔まで二人並んで歩く。
ユメアは薔薇の事やタルトの事をあれこれ話ながら、カシミルドの横顔をずっと見つめていた。
何を話したかなんて何も覚えていない。
覚えているのはカシミルドの笑った横顔だけだった。




