第二十一話 切り離された時間
カタカタカタカタ……。
大聖堂に異様な音が小さく響いた。
それは、シエルの出した炎に沸き立つ子供達の歓声に紛れるが、徐々にそれを凌駕する。
「何……かしら?」
その音は祭壇で全体の様子を伺うリュミエまで届いた。
選定の儀で今まで耳にしたことがない音だ。
グラスが震えている?
リュミエが音の出所を探ろうとした瞬間
――大聖堂の入り口近くで閃光と共に炎柱が上がった。
音もなく立ち上る光の炎。
黒と紫の炎柱が螺旋状に交じり合い天井高くまで登り上がり、聖堂の中の全ての人々の目を引き付けた。
黒炎は天井を這うようにして広がると、天窓からの光を遮り辺りを暗くした……かと思えばその黒炎はすぐに煙のように消えてしまった。
騒がしかった聖堂からは音が消え、皆思いがけない出来事に立ち尽くす。
静寂に包まれた聖堂の中で、五歳位の少年が目を輝かせながら口火を切った。
「すごーい! 今の何!?」
すると此処彼処から感嘆の声が上がった。
炎が上がる直前激しい閃光が走ったため、皆誰がやったのかどこから炎柱が上がったのか分からず火元探しに躍起になり始めた。
皆があちらこちら見回すなか、ラルムだけは一点を見つめていた。
ラルムは自分達の隣の席から炎が上がったと分かっていた。
だが当の少年が見当たらない。
栗色の髪に夕陽のような瞳の色をした少年を探す。
しかし彼が居た辺りは、シエルの炎のせいで人が多く集まっていたため見つけらないでいた。
そして火元である二人は、シエルの炎の前で人混みに紛れつつ二人で顔を見合わせ固まっていた。
カシミルドもカンナも想定外の出来事に戸惑っていた。
――――グラスに指を入れた途端、グラスはカタカタと震え始め二人は驚いてグラスを長椅子に置いてしまった。
グラスの中から何か得体の知れないものが飛び出してきそうだったからだ。
そして激しい閃光で視界を奪われたかと思うと、先程の光の炎柱の様なものが上がったのだった。
カシミルド達が居た長椅子には、倒れたグラスが二つ落ちていた。子供達はそこに群がり、
「これだよ! きっとここから出たんだよ」
と口々にはしゃぎグラスを囲む。
そこへいつの間にか教団長であるリュミエも加わっていた。
そしてグラスを手に取り、
「……絶対に。捕まえなくっちゃね……」
と呟いた。
その瞳は獲物を見つけた蛇の様に鋭く妖しく光を宿す。
カンナはそれを見てしまった。
カシミルドの腕をしっかりと掴み小声で話す。
「カシィ君。ビックリしてグラスから逃げちゃったけど……名乗り出た方が良いのかな? なんて考えてもいたんだ……けど――。駄目。不味いよ。あの人怖い……」
カンナは小刻みに震えていた。顔も真っ青だ。
カシミルドはカンナが怯える方へと目をやる。
カシミルドが先程まで握っていたグラスを手に取り、教団の者に扉を塞ぐように指示しているリュミエの後ろ姿が見えた。
様子を伺うカシミルドの腕をカンナが慌てて引く。
「駄目だよ。見ちゃ駄目。眼があったら、きっと逃げられない。さっき、私たちの事捕まえるってあの人が言ってたの! どうにかして逃げよう」
「逃げるって言っても……。でも、僕達がやったなんてバレて無いんじゃないかな? 何もなかったように入り口から出ちゃえばさ……」
カシミルドがそう言い掛けた時、二人の背中にぞっと悪寒が走る。
振り返ることを躊躇うほどの威圧感を背後から感じた。
そしてカシミルドは腕を後ろからがっしり掴まれた。
冷たく細い指に驚き、腕ではなく心臓を掴まれたかのような感覚に陥る。
「捕まえましたわ。グラスに残った甘くて芳しい血の匂い。クスッ。あなたですわね? 私にお顔を見せて……」
カシミルドはリュミエに腕を捕まれた事で彼女の魔力に直に触れた。
見えない鎖で縛られたかの様に体が動かない。
カンナが言っていた通りだ。リュミエが怖い。
クロゥが言っていたのもこの人の事だろうか。
どうにかカンナだけでも逃がさないと……。
カンナだけでも……。
カシミルドがそう願った時、リュミエからのプレッシャーが急に消えた。
いやそれだけではない。
周りの声も、気配も、空気さえも存在を感じない。この世界にいるのは、自分と、
「カシィ君? 何が……起こったの?」
カンナだけだった。カシミルドとカンナ以外の全ての時間が止まってしまったかのように、皆動かない。
いや実際に止まっている。
動かなくなったリュミエの手から腕を外し、カシミルドは解放された。
この状況がどうして生まれたのかは分からないが、これは好機だ。
「カンナ。今のうちだよ。早く逃げよう。外がどうなっているかわからないし、僕が囮になるから、先に逃げて」
「えっ何でいつもそう言うの? 私の方が足だって早いし強いんだから! カシィ君が先に逃げなきゃ。この女の人も、カシィ君が目当てみたいだし……」
「カンナは女の子でしょ! 僕が囮になるのは当たり前だよ!」
「だからっ――」
「囮だったら俺に任せろ! 全く世話のかかる奴らだなぁ」
二人の頭上からもう一羽、言い合いに参戦した。
二人とも顔をあげ、目を潤ませながら声を揃えて彼の名を呼んだ。
「クロゥ!!」
「ったく様子がおかしいと思って来てみりゃ、やっぱりお前らの仕業だったか。何をしでかし……ゲッ!」
クロゥは二人に待ってましたとばかりに名前を呼ばれ上機嫌だ。
しかし、カシミルドの後ろにいるリュミエを見て固まった。
「クロゥ? 知り合い?」
カシミルドが頭の上に降り立ったクロゥに話しかけるが無視される。
「この人は教団長のリュミエ=ブランシュ。色々あって私達を捕まえようとしてるの。どうやって逃げたらいいかな? 外の様子はどうなの?」
「ルミエ……か。ってかお前ら何をやらかしたんだよ? とりあえず、皆が動き出す前にずらかろう。さっきも言ったが俺様が囮になる。カシミルドは庭園で寝てるメイ子を拾ってから逃げろ。カンナちゃんは出たらすぐに第二王区目指して走れ。皆が動き出したら周りに紛れて先に宿屋に帰ってろ。一緒だと目立つからな、バラけて逃げるぞ。いいな?」
「……わかった」
カンナは自分だけ先に逃げることに納得がいかなかったが、クロゥの提案に了承した。
しかしこんな小さな黒鳥に囮なんか出来るのだろうか。
そう思ってクロゥを見た瞬間、急にクロゥの体が光だし、その容貌が変化する。
黒髪に黒い瞳。カンナがよく知るカシミルドの姿にクロゥは変身した。
声も出ずに驚くカンナを見て、クロゥはカシミルドの顔でカシミルドらしくない悪戯な表情で笑った。
「俺様、変身が得意なのよ。おっ! いけね。今は栗毛にオレンジか」
クロゥが髪をかき上げ瞬きを何回かすると、今のカシミルドそっくりの姿になった。
「な、何それ? 魔法?」
カンナはそう言ってクロゥの頬を掴んで伸ばす。
「本物だぁ……」
「いひゃいよ。カンナひゃん。――これは俺様特別魔法って事で。説明は無し。この状況も何時まで持つかわかんねぇし、そろそろ出るぞ? あっ、念のためお前らも髪色変えろ」
カンナは急いで鞄から小瓶を取り出し、カシミルドと自分の髪と瞳を青色に染めた。
クロゥはカンナの髪留めのリボンをほどくと、それをカンナの腕に蝶々結びする。
さっきまで鳥だった人に蝶々結びが出来るとは……意外と器用なものだとカンナは驚いた。
クロゥはカシミルドの顔でカンナを見つめて話す。
よく聴くとカシミルドと声が少し違う。
「よし。髪も下ろしとけ。それとな。第一王区を半分過ぎてもまだ誰も動き出さなかったら、俺達が無事に帰れるように祈ってくれ。メイ子が止まっちまって動けないから、このままじゃ逃げられないかも知れない」
「わかった。お祈りして待ってるから。絶対追いかけてきてね」
「じゃあ、カンナ。また後でね。クロゥ、メイ子はどこ?」
「あっちだ。ちゃんと付いてこいよ。方向音痴」
カンナと別れ、カシミルドとクロゥはお互い文句を言い合いながら庭園へと急いだ。
◇◇◇◇
カンナは橋へ向かって全速力で走った。
選定から漏れた者達の背を何人も追い越した。
通りには思っていたより人が多く、これなら紛れてしまえば逃げ切れそうだ。
――あの恐ろしい教団長から。
顔を思い出しただけで背中に悪寒が走る。
またすぐ後ろに立っているのではないかと不安になり、振り向くが教団長の姿は無かった。
ホッと息をついてまた走り出そうとしたが、
「きゃあっ」
背の高い青年とぶつかりカンナは尻餅をついた。
さっきまでいなかった筈なのに何処から沸いてきたのか。
身なりがよく腰に細身の杖を差していることから、貴族の精霊使いだろう。
紫色の髪と瞳からは気品が溢れている。
そんな青年がカンナに手を差し伸べて言った。
「大丈夫ですか? お嬢様。おや? どこかでお会いしたことがありませんか?」
カンナは差し伸べられた手を取ろうとしていたが、咄嗟に手を引っ込めた。
きっとこれは女性を誘う時の常套文句に違いない。
パトさんはこういう男とは関わるなと強く言っていた。
カンナは自分で立ち上がり服を直すと、丁寧に謝罪した。
「私の方からぶつかってしまい申し訳ありませんでした。急いでおりますので失礼します」
相手の目も見ずペコリとお辞儀をすると、カンナはまた橋の方へと勢い良く走っていった。
青年が何か言っていた様な気はしたがカンナは振り返らなかった。
跳ね橋を駆け抜け、また何人もの背を追い越し、クロゥに言われた辺りまで一気に駆け抜けた。
周りを見回すとまだ誰一人として動いていなかった。
「そうだ。お祈り……あれ?」
誰も動き出さなかったらお祈りして、とクロゥは言っていた。
しかしぶつかった青年は確かに動いていた。
会話もした。何故彼は動いていたのだろう。
不思議ではあるが、今の状況だって謎だ。
こんな何故皆動かないのか分からない状況でそんな事を考えても無意味だとカンナ思った。
今はまず、自分に出来ることを……カンナは手を合わせて、カシミルド達の無事を祈った。
◇◇◇◇
庭園の芝生の真ん中でメイ子は気持ち良さそうに眠ったまま動かなかった。
陽の光を全身で受けて至福の笑みを浮かべている。カシミルドはそんなメイ子に声を掛ける。
「メイ子! 起きて!……ダメか。寝てるというか動いてないな。――クロゥは何で動けるの? 僕もカンナもだけど」
「そんなの、この状況を作った奴が必要だと思う奴等だけ動くようにしたからだろ? これも精霊の力を借りた魔法だよ」
クロゥは芝生に寝転がり、時の流れを悠々と待ちわびる。
カシミルドも隣に寝転がる。
陽が当たっているのに暖かくない。
時の流れから切り離されたような、どこからも命を感じられない不思議な感覚。
クロゥはこんなことも出来るのか。
「すごいな。魔法って。――クロゥは時間を止められるってこと?」
カシミルドの問いにクロゥは身体を起こして呆れ顔で言った。
「いやいや。俺じゃねぇし。多分これは――」
「むぅぅ!!」
「メイ子? 起きた!?」
メイ子の唸り声と共に風が吹く。
カシミルドは全身で陽の暖かさを感じた。
メイ子はカシミルドを見ると飛び起き、一気に話し出した。
「カシィたま。あっおにぃたま。いつからいたなのの? そだ、姉たまの場所がわかったなの! お城じゃなくて、お城の下なの! 地下って言うなの!」
「あっ、メイ子。騒ぐな。取り敢えずカシミルドとこっちこい」
茂みからクロゥがメイ子とカシミルドを呼んだ。
教会の方が騒がしくなり、教団の者達が慌ただしく誰かを探しているような声がした。
茂みに隠れるカシミルドとメイ子、そしてカシミルドに変身したクロゥ。
メイ子は状況をすぐに察した。
「カシィたま。何したなのの?」
「ごめん。ちょっと色々あって……逃げてるところ」
メイ子は頬を膨らましてそっぽを向いた。
明らかに怒っている。
「メイ子。わりぃな。取り敢えずこっから宿まで帰らねぇと。説明は後でな。カシミルドのこと頼んだぜ? そいつ方向音痴だし。ケケケッ。じゃあ、ちゃんと逃げろよ。お先に」
クロゥが先に茂みから飛び出して行った。
カシミルド達の後ろの方から教団の者達の声が上がる。
「いたぞ! こっちだー」
クロゥが追っ手を引き付けてくれている。
カシミルドはメイ子の手を引き、騒がしくない方の道へと茂みから抜け出した。
「行くよ。メイ子」
「むぅ? 反対なのの」
「そっちはクロゥが行った方だから違うよ。行くよ」
「むぅ?」
カシミルドとメイ子は人気のない庭園の奥へと入って行った。




