第二十話 選定の儀
イリュジオン城と教会は、その回りを十メートル程の堀で守られ、堀には山頂からの澄んだ湧き水がキラキラと流れている。
城へ渡るたった一つの跳ね橋は今日は丸一日降りたままだ。
高い塀に囲まれた城はもう目の前。
跳ね橋を渡り門を潜り階段を上がると青々とした芝が広がり、白く太い石造りの道は城と教会への道と二手に分かれている。
右手には庭園が広がりその奥に城が見え、左手にはすぐ近くに教会が佇んでいる。
教会の前では教団の者が受付をし、中へと案内してくれるようだ。
親から離れ一人でも儀式を受けられる者は子供のみ中に入り、付添人は右手の庭園で待つらしい。
メイ子は庭園が気になるらしく、カシミルドとカンナだけで儀式に参加することにした。
メイ子の事は心配だがクロゥが付いていてくれる。
もし教団に入団出来れば、この辺りも怪しまれずに出入りが可能になるはずだ。
受付へ行くと教団の者はカシミルドとカンナを見て顔をしかめた。
「いやいや、君達が儀式を受けるの? 無意味だよ。ハハハ。それで? このお嬢ちゃんは庭園で待つって? 逆でしょう。笑わせないでくれよ。ハハハハハ」
明らかに馬鹿にされ、メイ子は瞳をうるうるとさせ教団の者を見上げる。
「メイ子、まだ儀式とか怖いなのの。お庭で待ってたいなの。うっうっうぇぇーん」
メイ子は顔を両手で覆い大声で泣き始めた。
周りにいた付き添いの大人達がひそひそと話す。
「あら、小さい子が泣いているわ……」
「可愛そうに……」
教団の者は完全に悪者扱いされ周囲から嫌悪の目で見られる。
「お嬢ちゃーん。おじさん達怖くないよー」
慌てて取り繕うが、メイ子はより大きな声で泣き喚いた。
「メイ子。泣かないで、ね。無理矢理試験を受けさせるなんてしないよ」
カシミルドが宥めるも、メイ子の嘘泣きはまだ続き周囲の憐憫の情を集める。
受付の前には人だかりが出来、教団の者達はお手上げ状態だ。
そこへラルムとシエルが通りかかった。
そして人だかりを押し退けるかのように、シエルが偉そうに声を上げた。
「おい。何の騒ぎだ」
「シエル様。それにラルム様。お気に為さらず。どうぞお通りください」
先程まで教団の者についてひそひそと話をしていた者も、皆一同に黙り道を開ける。
シエルは当たり前だと言わんばかりの顔で、誰の視線にも目もくれる事なく教会へ入っていった。
ラルムもその後ろに続くが、急に足を止めカシミルド達の方へ振り返る。
「彼らも早く通しなさい。門前でみっともないです」
「しっ失礼致しました。ほらっ、早く行けっ」
カシミルドとカンナも、ラルムの一声で教会へと通してもらえた。
メイ子はその隙にそそくさと庭園へと向かって行った。
「ありがとう」
カシミルドはこちらを見ているラルムにお礼を述べた。
ラルムの後ろから、シエルが汚いゴミでも見るような顔でカシミルドを見ている。
「ラルム。行くぞ」
「ええ。――それではまた、お会いしましょう」
ラルムはカシミルドとの再会を示唆し、教会へと入っていった。
カンナがラルムとシエルを見てカシミルドに早口で耳打ちする。
「あの人達、貴族だね! 貴族の出の人は十五歳になると、選定の儀を受けるそうだよ。それまではそれぞれの家で魔法について学ぶんだって。私達と同じ位の年齢の人は、あの人達だけかもね」
貴族……。年齢はさしてカシミルド達と変わらないのに、皆の態度が一変する程の権力を持っている身分。
田舎者の自分とは、交わることの無い真逆の存在に感じた。
教会に入ると大聖堂へと通された。
祭壇の奥の壁に輝く薔薇と十字架が描かれたステンドグラスが皆の目を引く。
天井は高くいくつもの天窓から、自然な陽の光が聖堂に差し込む。
儀式の参加者は水の入ったグラスが置かれた白い長椅子の前に案内される。
長椅子の分厚い背もたれには、グラスが置かれ、一人一つずつグラスの前にあてがわれた。
カンナとカシミルドは受付で揉めていたこともあり、最後の参加者だったようだ。
祭壇から一番遠い長椅子にカシミルド達はいた。
隣の長椅子には、先程助けてくれたラルムとシエルがいる。
聖堂には百人近くの子供達が集まっており、皆、祭壇の一人の女性が話始めるのを今か今かと待っていた。
白い薔薇を象った豪華なドレスを身に纏う女性は、そのドレスに引けを取らないほど美しく妖麗な輝きを放っている。
長い銀色の髪。薔薇色の唇。
ただ立っているだけならまるで人形の様である。
参加者が揃った事を受付の者が知らせると、その女性は口を開いた。
「皆様よくぞいらっしゃいました。私は王国直属聖魔術育成管理教団の教団長を務めております。リュミエ=ブランシュと申します。教団創設から、約四百年私達は――」
この教団についての歴史が語られ始める。
まるでおとぎ話を聴くかのように、子供達も緊張の中熱心に耳を傾けている。
しかしカシミルドにとってそれは子守唄のようだった。
話し始めて一分も経たないうちに意識は何処へやら、カンナの肩にもたれ掛かる。
「カシィ君? って寝てるの! やだっ起きてっ」
最初は驚いたカンナだったが、カシミルドが寝ていることに気付くと肩を揺すり起こそうとした。
しかし気持ち良さそうに寝入っている。
その様子をシエルがウザそうに見ながらラルムの肩をつついた。
「おい。あいつ寝てんだけど……」
「……クスッ」
ラルムは器用に立ったまま寝ているカシミルドを見て笑った。
カンナに揺さぶられカシミルドは目を覚ます。
「ごっこめん……すぅ……」
しかし直ぐに夢の中へ帰っていった。
今度はカンナにもたれ掛かる事なく、真っ直ぐ自分で立って寝ている。
カシミルドの器用な眠り方にカンナは感心し、周りの者も余り気付いていないようなのでそのまま寝かせておくことにした。
隣の長椅子にいるラルムは、カシミルドが立ち寝する姿を横目でじぃっと見ていた。
水の精霊に好かれた、足跡のない不思議な少年。
ラルムは目を凝らしてカシミルドを見据える。
眼鏡の奥の瞳が蒼く光る。一区で見かけた時は、水の精霊がカシミルドの近くに居たように見えたが、今はまた違う精霊の気配が見られる。
水の精霊使いであるラルムは水の精霊は解るのだが、他の精霊は何となくしか見ることが出来ない。
カシミルドの足元や背中、首の辺りに精霊が集まっている。
これは……カシミルドを支えているようにも見える。
風の精霊使い? さっきの水の精霊は見間違い?
……不思議な少年だ。――研究したい。
ラルムが隣の長椅子ばかり気を取られていると、またシエルに肩を突つかれる。
「どうした? 寝てる奴は放っておけよ」
「うん……」
不満そうにラルムは返事をした。
「それではこれより、選定の儀を始めます。皆様グラスをお手にお取りください」
カシミルドが寝ている間に歴史の話は終わり、ついに儀式が始まる。
皆、目の前の長椅子に置かれたグラスを手に取る。
カシミルドとカンナ以外は。
「このグラスの内側に針が付いています。この針に指を差し、グラスの水の中にその指を浸けてください。既に魔力が覚醒されている方には、ある変化が起こります。魔力が高ければ高い程、大きな変化があるでしょう。いずれも幻ですので、ご心配には及びません。では皆様、心の準備が整いましたらどうぞ……。天使の祝福があらんことを」
「カシィ君、起きて! グラス持って……」
「ん!?」
カシミルドも慌ててグラスを受け取る。
それと同時に聖堂が騒がしくなる。
やり方がわからない小さい子は教団の人が教えてあげている。
寝起きのカシミルドはまだ半分夢の中。
カンナに助けを求めた。
シエルとラルムは何の躊躇も無く指に針を差しグラスの水に浸ける。
シエルのグラスから緑色の大きな炎の様な光が上がり、ラルムのグラスからは青色の光が揺らりと上がる。
周りから歓声が上がりカシミルドとカンナもそちらに注目した。
シエルは大きく炎の光が上がったグラスを自慢そうにラルムに見せている。
ラルムは光の大きさなど気にすることなく、自分のグラスを誇らしげに眺めていた。
「変化があった方はこちらへ」
教団の者がラルムとシエルを壇上の方へ案内する。
その流れに反するように変化の無かった者達はゾロゾロと入り口の方へ肩を落として歩いて行った。
皆、聖堂から出る前にシエル達のグラスを羨ましそうに眺めていく。
カシミルド達の隣の長椅子には、いつの間にか人だかりが出来ていた。
ラルムは壇上へ行く途中カシミルドの方をチラチラと気に掛けて見ていた。
しかしまだ試した様子もなく気を揉んだ。
「カンナ……どうする? やり方は何となく分かったけど……せーのでやろっか」
「そうだね。そうしよう一人だと心細いしね」
カンナは自分に魔法の才が無いことを知っている。
このグラスに指を入れただけでそれが立証されると思うと勇気がいる。
でもカシミルドと一緒なら、
「じゃあ。せーのだよ」
「せーのっ」
二人は同時に針で指を差し、グラスの水に浸けた。
その頃メイ子は城の前の広場の芝生でゴロゴロしていた。
クロゥもそのゴロゴロに付き合い、芝で羽を休める。
「むぅぅ」
「どーした? 悩ましげだな」
「姉たまの気配なのの」
「おう。城はすぐそこだな。近いのか?」
メイ子は芝生にしがみ付いて考え込む。
「違うなのの。お城じゃなくて……そのもうちょっと下の方なのの」
「あ? 下……地下か? それは……探し辛いな。やっぱりカシミルドに教団に入ってもらって、探ってもらうか? アイツに出来っかなぁ?」
「出来るなのの! それで決まりなのの。姉たま、最近は気持ちがフワフワしてて元気そうなの。きっとまだ大丈夫なのの」
「そうか? ならいいんだが……陽向、気持ちいいな……」
メイ子とクロゥは柔らかい芝の上で二人仲良く陽向ぼっこしていた。
カシミルドとカンナが事件に巻き込まれているとも知らずに。
いや、事件を起こしているとも気付かずに。




