第十八話 無意識の魔法
カシミルドがビスキュイの裏庭で魔法を使う様子を、木陰からこっそり見ている者がいた。
井戸に水を汲みに来ていたマロンだ。
カシミルドの頭上に魔方陣が輝くところも、青白い光が天に登っていくところも、そして恵みの雨が降り注ぐところも。
一部始終見ていた。
「すげぇ。キレイだ。あいつ、精霊使いなんだ……」
マロンは生まれて初めて見る魔法に心を奪われた。
カシミルドは大樽が水で一杯になったことをポムおばさんに報告した。
「すごい雨だったわね。久しぶりだわ。あら、ずぶ濡れじゃない! 風邪引く前に着替えてらっしゃい」
カシミルドの後ろからマロンも厨房に入ってきた。
マロンももちろんずぶ濡れだ。
マロンはカシミルドと目が合うと顔を赤くしてそっぽを向いた。
「マロン君も降られた? 大丈夫?」
「おっお前もだろ。早く着替えろよ。風邪引くぞ……」
カシミルドに名前を呼ばれマロンは恥ずかしそうにカシミルドを見る。
先程の光景が甦り、水が滴るカシミルドがやけに格好良く見えた。
そんなマロンとカシミルドの背中をポムおばさんは容赦なくバシバシと叩く。
「ほら。早く着替えといで! 二人とも。――カンナちゃんもあがっていいよ。二人でお昼でも食べておいで」
「はーい。ありがとう。ポムおばさん」
ポムおばさんが作ってくれたサンドイッチを持って、二人は海の見える丘で昼食をとることにした。
カシミルドは二階へ着替えに上がりメイ子も誘う。
しかしメイ子は歩く練習で疲れた様で部屋で休む事になった。
「あれ? カシィ君。着替えた?」
ビスキュイの前で待っていたカンナがカシミルドを見て驚いた。
濡れてはいないが先程と全く変わっていない。
「え? 着替えてはないよ。叩けばすぐ乾くから」
「そっか」
こんな短時間で服も髪も乾く筈がない。
しかしカンナは何となく納得して頷く。
少しずつ自分の普通とカシミルドの普通の違いに慣れてきていた。
「じゃあ。行こう」
二人は並んで丘の方へ歩き出した。
少し遅めのランチを、海が良く見える丘の切り株に座って食べる。
ポムおばさん特製のサンドイッチはハムと野菜がたっぷり詰まっていて最高だ。
一口食べただけで虜になる。
「美味い」
「ね。外で食べると最高なんだよね」
カンナは徐に小石を蹴り、砂利を踏んで大地の感触を確かめる。
カシミルドはこの感触も知らないのだろうか。
「ねぇ。カシィ君。人って歩く時、地面にしっかり足を着けて歩くんだ。普通の人は浮いたまま歩け無いの」
「……そうみたいだね。今朝カンナに言われて、街を行き交う人を見てみたけど。皆カンナが言っているように歩いてた」
カシミルドは地面をトンと軽く足で蹴る。
地面は固く、慣れない感触だ。
「水樽も水を入れないと出ないんだよ。カシィ君は水がなくても出せるみたいだけど。メイ子ちゃんが言ってたズルしてるって。魔法の事だったのかな?」
「うん。さっき雨を降らせた時、水の精霊が言ってた。いつも手伝ってくれていたらしい」
「服も髪も、叩いただけじゃ乾かない。ランタンだって触って付くなんてあり得ない。皆、火打ち石で火を起こしたり、暖炉から貰って付けるんだよ」
「えっそれも?……魔法道具じゃなかったんだ……」
「やっぱり自覚して無かったんだね。カシィ君は……無意識の内に魔法を使っているんだよ。解る……かな?」
カシミルドは遠くに見える故郷の島を臨む。
初めてランタンに火をつけたのは?
水を出したのは? 歩いたのは?
どれ一つ記憶を辿ろうにも、初めての時には行き着かなかった。
「普通では無かった事は……解ったけど。解らないんだ。――魔力が暴走して、やっと落ち着いて。そしたらカンナも叔母さん達も里から居なくなってて。その頃、姉に家事とか色々教わったような気はするんだけど……。魔法だとは思わなかったな。魔法って、召喚魔法しか頭に無かったから。島を出る時に姉さんが言っていたんだ。僕には色々と話さないで来たことがあるって。これもその一つかな?――カンナに教えてもらえて良かったよ」
カシミルドは寂しそうな微笑みをカンナに向けた。
里で姉と二人っきりで生活していた時より、王都に来て沢山の人の中にいることの方が孤独を感じる。
大勢の人々の中で自分だけが異質で孤立した存在のように。
「カシィ君。明日の選定の儀で、もしも魔力が認められたら、王国直属聖魔術育成管理教団に入団できるの。そしたら、きっと魔法を学べるよ。カシィ君なら凄い精霊使いになれると思う。メイ子ちゃんのお姉さんがお城にいるなら、探すのにもいいかなって思うし。黒の一族ってことは秘密にしておけば……大丈夫だよね?」
「多分…… 大丈夫かな。でも、そこなら精霊使いが沢山いるんだよね。姉さん以外の魔法って見たことないな。興味はあるけど……。僕、今までどうやって魔法を使ってきたのか、まだよくわからないんだよね。そんなんで大丈夫かな? それにメイ子のお姉さんが見つかったら、里に帰らなくちゃいけないんだ。姉さんと約束してて。教団って簡単に抜けられるかな?」
「それはわからないや。公的な教団だから、それなりの規則はあると思うけど……」
「それはその時考えるか! とりあえず、明日は儀式に参加してメイ子のお姉さんを探そう。カンナ、明日はよろしくね」
「うん」
もし明日メイ子の姉が見つかったら……。
カシミルドはすぐに里に帰ってしまう。
そう思うとカンナは胸がチクチクと痛んだ。
メイ子の姉はもちろん見つかって欲しい筈なのに。
二人は海の向こうに故郷の島を眺めながら、陽が暮れるまで、子供の頃の思い出話に花を咲かせた。
夕食時のビスキュイは昨日に増して大賑わいだった。
カシミルドもカンナと一緒に配膳を手伝い、慣れない仕事にくたくたになって部屋へ戻った。
「おかえりなさいませ。おにぃたまぁ」
メイ子がテーブルの上に正座してカシミルドの帰りを待っていた。
どうやら妹設定らしい。クロゥに仕込まれたようだ。
「ただいま。体には慣れた? 明日はお城まで出掛けるからね」
「はいなのの! 姉たまを必ず見つけて、連れ帰るなのの!」
メイ子はテーブルの上に仁王立ちし意気込みは十分だ。
「メイ子ちゃん。テーブルは乗っちゃダメよ」
「むぅ」
メイ子はふてくされながらベッドへ飛び移りゴロゴロと寝転ぶ。
窓辺からクロゥもその話の輪に加わった。
「明日は俺もついていくからな。何かやらかしたら俺様の指示に従えよ」
「へっ? 誰?――鳥が喋ったの? この子も魔獣?」
カンナはクロゥが話している姿を初めて見たようだ。
驚いてカシミルドに尋ねた。
「魔獣じゃないぜ。お嬢さん。俺様は黒の一族に仕える黒鳥クロゥ。以後お見知りおきを」
クロゥは普通に自己紹介をした。
カシミルドは珍しいものを見たようだと面白がる。
「クロゥってさ、女嫌いなのかと思ってた。普通に挨拶出来るんだね」
「俺様は黒の一族の女が嫌いなだけだぜ。お前の姉ちゃんと一緒にすんな」
「なんだよそれ! 黒の一族に仕えているとか言いながら矛盾してないか?――それにカンナは僕の従妹だよ。カンナだって黒の一族なのに」
クロゥとカシミルドの言い合いにカンナがピクリと反応した。
クロゥは言い合いを止めカンナをまじまじと見つめる。
「へぇ。このお嬢さんが?」
「六歳ぐらいまでは里にいたんだよ。僕も毎日一緒に遊んでたのに。何で覚えてないんだよ」
「従妹ねぇ。カシミルド耳貸せ」
カンナが不安そうにそのやり取りを見る。
「従妹同士も結婚できるんだぜ!」
クロゥはカシミルドの耳元で大声で言った。
カシミルドは耳を押さえるとクロゥを睨み返した。
その横で、カンナはホッと息をついた。
今日は敷き布団を一組借りられたので、カンナの部屋で皆で寝られることになった。
メイ子というカシミルドの妹も居ることを知り、マロンも渋々納得したようだ。
ベッドの横に布団を敷いてカシミルドは下で、カンナとメイ子はベッドで眠ることにした。
カシミルドは慣れない食堂の仕事で疲れていたのかすぐに眠ってしまった。
メイ子も枕を抱きしめると数秒で寝付く。
カンナはワンコフを抱きしめるが眠れないでいた。
「なぁ。カンナちゃん。なんで嘘つくんだ?」
クロゥが夜の静けさに一石を投じた。
カンナは黙っている。
先程より強い口調でクロゥは問う。
「なぁ。何とか言えよ。お前は誰だ?」
「私は生まれてからずっと、カシィ君の従妹のカンナだよ。私は嘘なんか吐いてない。……嘘をついたのは私じゃない。嘘かどうかも確かめられないままだけど」
「それって……?」
「私は嘘が怖い。――ううん。嘘が怖いんじゃなくて、その嘘に隠された真実の方が怖いのかもしれない。それと向き合うのが怖いんだ……」
カンナの背中は小さく震えていた。
泣いているのだろう。
クロゥはカンナを責めた事を悔いた。
「何か……わりぃ事聞いちまったな。嘘とかそういうんじゃねぇって事は理解した。カンナちゃんの中でその真実って奴に向き合う覚悟が出来たら、あいつに話してやってくれな。おやすみ」
「うん。クロゥって……優しいんだね。おやすみ」
二人の会話が終わり、カシミルドはそっと目を閉じた。
その頃教会では粛々と明日の儀式の準備がされていた。
大聖堂の壇上で長い銀髪の女性が指揮をとっている。
「これで準備は終わりですわ。皆様明日は頼みましたよ。解散」
「はっ!」
教団の白い制服を着た者達が教会から出ていくと、銀髪の女性は大きな溜め息をついた。
「はぁ。レーゼ。あの方は見つかりまして?」
レーゼと呼ばれた長身の教団の者が女性の前に姿を現す。
銀色の短い髪に灰色の瞳。
右目だけ、黄色がかった色をしている。
レーゼは申し訳なさそうに深々と頭を下げた。
「申し訳ございません。リュミエ様。港に船を着けた者は全て確認しましたが、お探しの者はおりませんでした」
「変ね。どこに隠れたのかしら。流石に明日の儀式には顔を出さないでしょう。そうでなければ、今まで姿を隠してきた意味が解りませんもの。明日は忙しいから、儀式が終わってから街の中も探しなさい。はぁ」
リュミエはまた、深い溜め息をついた。
「リュミエ様。溜め息をつくと、幸せが逃げるそうですよ」
レーゼが苦言を呈す。
リュミエはそれを聞くと大きく息を吸い込んだ。
「これで大丈夫かしら?」
「はい」
「ああ。早くこの目で彼を見たいわ。レーゼはお会いしたことがないでしょうけれど。一目見て彼だと分かるかしら? ふふふ」
リュミエが手を伸ばすと、光輝く鎖に縛られた漆黒の杖が手中に現れる。
それをそっと抱きしめ、遠い日の記憶を懐かしむ。
すぐ近くにいても手の届かない人。
それを今度こそ我が物にするために、リュミエはここにいる。
「愛しております。――様……」




