第百十四話 封魔の雨
テツ達は炎の中、長老の家を目指していた。
そこの裏手が里から外への出入り口の一つなのだ。行く手を阻む炎を斬り裂き、パトが先へ進む。
「火の手が早い、パト、大丈夫か!?」
「ええ。あの大木の辺りが長老の家よ。みんな、無事に脱出出来ていると良いのだけれどっ。──きゃあっ」
パトは何かにつまずいて転びかけたところを、テツに腕を引かれ、何とか体勢を立て直した。
足元の大地が所々裂け、幾つも亀裂が入り、里の中央には大きな谷が出来ていた。
レオナールは割れた大地の窪みに、人影を見つけた。
「れ、レティ姉!」
「兄様?」
シエルはそう呟くとレオナールと顔を見合わせた。眼下で互いの兄姉が戦っていたのだ。
「俺はレティ姉に加勢する」
「俺は兄様を止める。──って加勢じゃなくて止めろ!」
シエルが怒鳴った時にはレオナールはレティシアの元へと駆け出していた。シエルも風の魔法を唱えて後を追う。
テツはシエルの後ろ姿を見ると叫んだ。
「シエル。任せたぞ。私はパトリシアと先へ行く」
「は、はい!」
シエルは、テツからこの場を任せられ力強く返事をした。
シエルが裏切ったのに、テツは何も言わなかった。
それどころじゃなかったのか。シエルは何か言葉をかけるほどでもない些細な存在なのか。
それとも信頼しているのか。
そんな事を考えながら窪地へ向けて滑り降りていると、ヴァンの声が響いた。
「シエル。来るなっ!」
ヴァンは、数名のルナールを杖一本で攻撃を受け流し弾き飛ばしていた。
それはおかしな光景だった。
ヴァンならあれぐらい、簡単に凪払えるのに。
どう見ても、手加減している。
「レオナール。早くルナールを止めろっ。兄様は戦う気なんかないんだ!」
レオナールは耳を引くつかせると、レティシアに叫んだ。
「レティ姉。一度距離を取れ。そいつは人間だけど敵じゃない! ミィシアは生きてる!」
「「ミィシアが!?」」
ヴァンとレティシアの声が、そして杖と爪が重なり合った。
その瞬間──空から大粒の雨が降り注いだ。
黒煙を晴らし、青い空の下、その雨は里中に降り注いだ。
ヴァンもレティシアも周りにいたルナールも、その青い空を見上げた。
エルブも木の上で呆然としていた。
その雨は、里の炎を消し、肥大化したルナールの爪も徐々に小さくさせた。
レティシアはハッと我に返る。今しかないと──。
皆が空を見上げる中、雨音に紛れ、肉を裂く音がレオナールにも聞こえた。レティシアの腕には雨とは違った生温い赤い液体が伝っていく。
「ヴァーーン!?」
エルブは杖をヴァンに向け叫んだ。
ヴァンの腹をレティシアの腕が貫く瞬間をその目で見ていたのに、何もできなかった。止められなかった。
何度呪文を唱えようとも、魔法が使えなかったのだ。
「に、兄様!?」
「レティ姉!?」
レオナールはレティシアの身体をヴァンから引き離した。シエルは膝から崩れたヴァンの身体を受け止め腹部を押さえた。
「に、兄様……」
「シ……エル。──ミィシアは、生きているのか?」
「えっ?」
ヴァンが最初に聞いたのは、ミィシアのことだった。
「は、はい。今、メイ子が、治療しています。そうだ。兄様も、早くメイ子のところへ」
「これぐらい。大したことは……」
「ふん。そいつ、まだ喋れるのか」
「レティ姉。この人はミィシアを守ってくれていた人なんだ。さっき、ミィシアが……言ってたんだよ」
「レオ、気でも狂ったの? 人間がそんなことする筈がない」
「俺も……俺もそう思ってたけど。違ったんだ。レティ姉、俺達が戦わなくちゃいけない奴は、この人じゃないんだ!」
「レオ……」
レティシアは首を横に振り、すがり付くレオナールを引き剥がそうとしたが、ヴァンの傷口を見ると手を止めた。
止めどなく溢れる血液。
この人間は確実に死ぬ。
そう悟ったのだ。
「シエル! そんなボーッとしてないで!」
木から飛び降りてきたエルブは、ヴァンの身体をマントできつく巻き上げた。
「このままじゃ死んじゃ……あーー!! やっぱりマント取って、シエル。早くっ早くっ!?」
「は、はい」
エルブは慌てて胸から光輝くペンダントを取り出した。
「あっ。これじゃないんだよーー」
慌ててもう一つのペンダントを──紫色の宝石が嵌め込まれたペンダントを取り出した。
「これは使えてくれよっ。慈愛の加護石よ。今こそ力を解き放て──」
エルブはヴァンの腹部に当てた。
王都を出立する時、ユメアが贈った加護石だ。
紫色の宝石は淡い光を放つと、儚く砕け散っていく。
「ヴァンっ!? なぁ、生きてる?」
「げほっ──ああ……」
ヴァンは激しく血を吐き言葉を返した。
完治はしていないのだ。
「兄様。良かった」
「シエル。それより、今はあの双剣使いを追わねば。それから、地の魔法を操る奴が何処かに潜伏している」
「そいつらだよ。レティ姉。俺達の敵は、蜥蜴の尻尾。早くテツを追いかけよう」
「テツ? テツ王子がいるのか?」
ヴァンはシエルに支えられ、体を起こした。
「空里に置いてきたのですが、もうここに来ています。カシミルドも……。でも、この炎を消したのはカシミルドです」
「そうか。雨を浴びたら、魔法が使えなくなった」
「えーー。テツ王子が来てるの!? だからまた光ったのか。何だよ。もぉ!」
エルブは一人でペンダントに文句を言っている。
「エルブ。それは後だ。今は──」
ヴァンは立ち上がろうとして地に腹部を押さえて膝を着いた。
「兄様。動かないでください。──レオナール。俺は一度カシミルド達のところに戻る。兄様の手当てをしないと」
「俺はレティ姉と里長のところへ行く」
「あ、じゃあ。僕も付いてくよ。人探しの最中なんだ。あ、人間ってこの里にいる?」
「いない。いるわけないだろ?」
「えー。まあ、取り敢えず付いていきます。ヴァン。後で合流しよう」
「ああ。すまない」
◇◇
カシミルドはオンディーヌに礼を言い、術式を解いた。オンディーヌは静かに森へと帰っていった。
カンナは水鏡をカシミルドに見せた。
「カシィ君。シレーヌさんの声、聞こえる?」
「えっ? そうだ。シレーヌはどこだろう」
カシミルドもカンナと共に水鏡を覗いた。
シレーヌの視界は川の近くだった。
「シレーヌ。今どこ? シレーヌ?」
水鏡の視界は靄ががっていて良く見えなかった。
「カシィ君?」
「シレーヌの返事がないんだ……」
カシミルドは意識を水鏡に集中させ、シレーヌの気配を辿った。
「あっちの方からシレーヌの気配がする。カンナ、行ってみよう」
「うん」
「メイ子、ミィシアは?」
「ミィシア。もう大丈夫そうなのの。でも、まだ身体を動かしちゃ駄目なのの。メイ子が抱っこするなの」
ミィシアは獣型のまま丸くなり、それをメイ子が抱き上げた。すると横からルミエルがミィシアをすくい投げる。
「私は見ているだけしかしませんの。ですから、この子を守るぐらいはしてあげるわ」
「あ、ありがとう」
ミィシアは掠れた声で礼を述べた。
メイ子がカンナのポシェットに収まると、カシミルドはじっとクロゥを見つめた。
「はいはい。俺も行きますよ?」
クロゥは嫌そうに返事をすると、渋々カシミルドに付いていった。
◇◇
ミシェルは川原で一人、回収作業に勤しんでいた。
今日の獲物は素晴らしい。
皆、生きた獲物なのだ。
川が近いから洗うのも簡単。
いつの間にか、川の淵は真っ赤に染まっていた。
さっきまで炎の赤色が川に映り気が付かなかったが、雨で消えたので、赤い川がよく見えた。
「さてさて。回収はあと少し。もう少しだけ待っていてね。──お魚さん?」
ミシェルは小さな風の渦に向かって微笑みかけた。