第百十三話 炎
「何だよ……これ」
シエルは燃え盛る炎を前に立ち尽くした。
その隣で、ヴェルメイユは平然としている。
「私はヴァン様の所に行きますわ」
「でも、火がっ」
「私は火を操れますもの。これだけ火があれば、敵に襲われても負けませんわ」
ヴェルメイユは自信たっぷりに言い切り、杖をかざして炎を裂くと、里の中へと入っていった。
シエルは動けずにいた。
この状況で自分は何が出来るのか。
魔獣と戦う覚悟もない。
ミィシアの仲間に、杖を向けたくなかった。
そんな自分に何が出来るのか。
その時、視界の隅で何かが動いた気がして、シエルはそちらへ警戒心を露に目を向けた。
隆起した大地の隙間に白い何かがうごめいていた。
「あれは……」
土で汚れた白い三角の耳。見覚えがあった。
「ミィ……シア?」
シエルはミィシアに駆け寄り抱き上げた。
小さな身体は震えていた。生きている。
「大丈夫か?」
「ぅ……」
ミィシアは瞳を固く閉じたままだが僅かに唸り声を上げた。
しかし、大分弱っている。
シエルはその冷たい背中を必死で擦った。
その時、首元に固く冷たい何かが背後から当てられた。
「おい。ミィシアから手を離せ……」
「……お前。レオ……ナールか?」
シエルはその声で背後にいるのが誰かすぐに分かった。そしてそれを理解した時、ミィシアがなぜシエルを兄と呼んで抱きついたかも、レオナールがずっと誰を探していたかも、全てが繋がった。
「ミィシアを離せ。でないと首を掻き切る」
シエルはゆっくりと地面にミィシアを寝かせた。
即座にミィシアをレオナールが抱き上げた。
頬を擦りよせ、レオナールはシエルの前で大粒の涙を流している。
「シエル。と言ったわね? 貴方は蜥蜴側の人間なの?」
シエルの前には、いつの間にかパトが立っていた。
手には短剣が握られ、それはシエルへと向けられてている。
「俺は、違う。あんたは、何故魔獣と?」
「……私は──」
「パト様っ。ミィシアが息をしてない!」
「えっ。そんな……ミィシアっ」
必死にミィシアを擦る二人を見て、シエルはメイ子を思い出した。
「あ、あいつは? ほら、カシミルドの白いチビ魔獣の……」
「メイ子……。そうか。でも、ここにはあいつは」
「カシミルド君が来たら呼んでもらいなさい。私は里の中へ行くわ」
「で、でも。パト様は戦ったり出来ないですよね」
「それでも、ここで待つなんて出来ないもの。里の者を避難させなきゃ」
「なら。俺が一緒に行く。少しは役に立てる」
シエルの申し出にパトが戸惑っていると、空から声がした。
「──私が行く。パトリシア。里の中を案内してくれ」
上空から飛び降りてきたのはテツだった。
空里に閉じ込めた筈のテツが、シエルの目の前に立っていた。
テツはどこから来たのだろうか。
テツの登場に驚いていると、いつの間にかその後ろにクロゥの姿があった。
それに、カシミルドもカンナもルミエルもいた。
シエルは会わす顔がなく視線を落とした。
パトはテツを睨み冷たく言った。
「……私は貴方を信用していないわ」
「それで構わない。カシミルド君は、メイ子君を呼べ。それから、火を消してくれ」
「はい。──メイ子っ」
「はいなののっ」
メイ子はレオナールが抱えるミィシアの治療を始めた。ルミエルはそれを見て首をかしげた。
「私の光の加護があった筈なのに。何があったのかしら」
「多分、それがなかったら、命は無かったと思うなのの」
「なあ、メイ子。ミィシアをお願いできるか? 俺は里の中へ行く」
「大丈夫なの。レオナールは行くなの」
「ああ」
パトを先頭に、テツとレオナール、そしてシエルは炎に包まれた里の中へと進んで行った。
カシミルドは炎を消すために杖をかざした。
そして水の魔法を唱えようとしたら、声が聞こえた。
「君は……力を貸してくれるんだね──オンディーヌ」
『随分と東の果てまで来たのだな。ここは空気が淀んでいる』
「そうだね。魔獣の里を守りたいんだ。力を貸して」
『勿論だ……』
カシミルドは虹珊瑚の杖を地面に突いた。
青白い魔方陣が里全体へと広がっていった。
◇◇
ヴァンとエルブは互いに連携を取りながら里を疾走した。
里は閑散としていた。
逃げ遅れたとみられるルナールをヴァンが風の魔法で閉じ込め、エルブがそのルナールを蔦で絡めとり捕縛する。
しかし、ラージュの火が邪魔で仕方なかった。
「ヴァン。あんまりいないね」
「ああ。奇襲を察知し逃げたあとか。我々の前に誰かに襲われたか……」
「あー。後者みたいだね」
炎に巻かれて見えなかったが、気付くとヴァンたちの足元には傷だらけのルナールが転がっていた。
「息は……あるよ。でも酷い怪我だ。鋭い刃物で斬られたみたいな傷だね。動かさない方がいい」
「……あいつにやられたみたいだな」
ヴァンの視線の先には、レティシアや数名のルナールと交戦中の男がいた。両手に剣を握り攻撃の手数が多く、複数相手でも余裕そうな男だ。
「あれが蜥蜴の尻尾?」
「さあ? 確かなのは敵だということだな」
ヴァンは杖を構えて全身に風を纏った。
「えっ。ヴァン、相手は剣だよ? 部が悪いでしょ」
「都合の良い敵などいない。エルブさん。援護とルナールの捕縛お願いします」
「分かった……任せろ。──我が名はエルブ=テラン……」
エルブの詠唱にルナールが先に反応し、続いて蜥蜴の尻尾──ディーンも察知し身を翻し木の上に退避した。
しかし、その次の瞬間、大地が大きく揺れ始め、エルブ目掛けて地面が裂けた。
「うわぁぁ。えーーー! ヴァン!?」
エルブは裂けた大地を避け、自身が出した蔦と木を結び空中で弾みながら叫んだ。
ヴァンは木上に待避し、エルブに応えた。
「エルブさん。どうした!?」
「光ったぁぁぁぁぁ!!」
エルブは胸のペンダントを掲げていた。
ついでにエルブの瞳も輝いている。
しかし今はそんなことで気を散らしている場合ではない。右も左も敵だらけなのだから。
「エルブさん。それは後だ。今は──」
「今は……ルナールに集中した方がいい」
ヴァンの背後からディーンの低い声がしたかと思うと枝を切り裂かれ、ヴァンは裂けた大地の間で獲物を待ち構えるルナール達の元へ真っ逆さまに落ちていった。
「ルナールは任せた。英雄殿?」
「貴様っ」
ヴァン突き落とし嘲笑うディーンは、里の奥へと去っていった。