第百十一話 幕開け
「私には無理ですの。テツ、他の方法を考えなさい」
「しかし……」
ルミエルとテツが言い合っていると、空から羽音がした。見上げるとそこには黒い翼のクロゥがいた。
「よっ。何してんだ、お前ら。なんかヤバそうな気配がしたから来たんだけど」
「おお。クロゥ君。タイミングバッチリだな。あの黒煙の場所まで行きたい。連れていってくれないか?」
「えー。俺が?」
「それが無理なら、ルミエル君に頼もうと思っていた」
「へー」
クロゥはルミエルに視線を送った。
しかしルミエルは不機嫌そうに睨み返してきた。
「仕方ねぇな。ルミエル、俺に貸しだな。後で聞きたことがあるんだ。絶対俺の質問に答えろよ」
「ふん。いいわよ」
ルミエルが承諾するとクロゥは早速テツを持ち上げた。
「あー。こいつ重いんだった」
テツには魔法が効かない。
クロゥの腕力のみでテツを持ち上げる。
「悪いが頼むぞ。クロゥ君。……しかし、どこに行っていたんだ?」
「ん? リリエルさんと話していたんだ。魔獣が……パトって奴が、天使を敵対視してるから、何でか気になってな。お前は知ってるか?」
「天使を敵対? そんな覚えはないな……」
「……そうか。──なぁ。これから何があっても、俺は手を貸さないからな」
「カシミルド君が困ってもか?」
「……それは別の話だな」
その後、テツが話しかけてもクロゥは何も言わなかった。カシミルドはカンナを運ぶこととなる。
「カンナ。向こうに着いても、僕から離れないでね」
「うん……」
カンナは水鏡に視線を落とした。
鏡の中には燃え盛る紅い炎が映っていた。
「これが、パトさんが見た未来なのかな」
「分からないけど……早く行って、火を消さないと……」
「そうだね……」
カシミルドの声は緊張の色が窺えた。
この鏡の先──炎の中で待つのは、先発隊の人たちだろうか。それとも──。
◇◇
先発隊の三人は、ヴァンを先頭にルナールの里を目指し、里の入り口まで来ていた。教団の精鋭部隊も一緒だ。
「あそこか?」
ヴァンが尋ねると、籠の中のミィシアは、その小さな瞳をゆっくりと瞬きし頷いた。
里の入り口は巨木と巨木の隙間にある、洞穴だった。洞穴の前には誰もおらず、気配すら感じない。
「先ずは俺とエルブさんの二人で行く。ラージュはここでヴェルメイユの到着を待ってくれ」
「ああ。だが、向こうが好戦的だったらどうすんだよ。さすがに二人じゃ危ないだろ?」
「そんなことはない」
ヴァンは言って右目の眼帯に手を添えた。
最悪この瞳を使えば、自分以外誰も残らない。
ヴァンの手の動きに、エルブは過敏に反応した。
「えー。やめてよヴァン。それは最終手段だからね。──それからラージュ。僕が一番得意とするのは隠密行動だからね。要するに、ラージュや他の精鋭部隊の皆がいない方が、僕たちは安全なんだよ」
「そりゃぁご立派なことで」
「では、行ってくる」
ヴァンはミィシアを籠から出し抱きかかえ、洞窟へと足を向けた。
二人が洞窟へ入って行くと、木の影から現れた教団の制服を着た一人が、精鋭部隊が不思議そうに見守る中、ラージュに歩み寄り耳打ちした。
「おお。そうか。じゃあ、俺も行かないとな。──精鋭部隊。皆、俺についてこい」
ラージュはそう号令を出すと、ヴァン達が目指した洞窟とは違う方向へと隊を向けた。
◇◇
洞窟を抜けると丸太で作られた塀が見えた。
ミィシアはそれを見るとヴァンの腕の中で震えて言った。
「塀の向こうが里なの……でも変。誰もいないのはおかしいの。洞穴に見張りがいないのも変」
「まさか、空里か?」
「ううん。この塀の向こうからみんなの気配はするんだ。でもね……とても殺気立っているの。声をかけてみるね」
丸太の塀の上には見張り台も設置されていた。
しかしそこにルナールの影はない。
ミィシアは、塀の向こうへ届くように遠吠えをした。その声は柔らかく、皆に無事を知らせているようだった。
そしてその直後、見張り台の上にルナールが姿を表した。
「ミィシア!?」
「れ、レティ姉!」
「そうか。人間に捕らえられていたとは本当だったのだな。貴様、ミィシアを返せ!」
レティシアは激昂してヴァンを睨み付けた。
「違う。俺はミィシアを送り届けに来ただけだ。戦う意思はない」
「うそをつくな! あれだけ同胞を殺しておいて!」
「えー。僕らは君の仲間を傷つけちゃいないよ。聞きたいんだけどさ、この里に人間の女の子はいる? 髪の色は薄いも──」
「だまれ! 人間などいるはずないだろっ。貴様ら、洞穴のルナールをどうしたのだ!?」
「洞穴には、誰もいなかったわ」
ミィシアがそう言うと、レティシアは目を見開いて絶句した。洞窟横の木の上から、塀に向かって何か大きなものが投げつけられたのだ。
「うわぁっ」「なっ……」
それを見て、エルブは驚き、ヴァンはミィシアの視界を手で覆った。
木から投げ捨てられたのは、四体のルナールの死体だった。
その誰もが手足を肥大化させ、怒りを露にした表情で亡くなっていた。そして、特徴的な耳や尻尾はその身体から失われていた。
その姿は確認できないが、木の上から青年の声がした。
「ヴァン様。洞穴にいた魔獣どもは、撃退し、耳と尾を回収しました」
「だ、誰だ!?」
木の上へ向け叫んだヴァンに、レティシアは怒りを向けた。
「お前がヴァンか? お前の命で殺したんだな!?」
「ち、違うよ。僕たちは何も知らないよっ」
「そうだ。これは……何者かの策略だ。騙されるな、ルナールよ」
否定するエルブにヴァンも同意しレティシアに発言するも、ヴァンの言葉をレティシアが信じる筈もなかった。
弓を向け、ヴァンに照準を合わせる。
「問答無用。取り入ろうとしても無駄だ。ミィシアを解放しろ」
ミィシアは人型に戻ると、ヴァンの前へ飛び出した。
「やめて、レティ姉。ヴァンは違うの。これはきっと、いつも里を襲っていた奴らの仕業よ! ヴァンは味方だよ。ヴァンに協力してもらおう!」
「そうだ。力になる!」
「ミィシア。退きなさい。人間なんか信じられるわけがないでしょう。馬鹿なこと言わないで!」
レティシアがそう叫んだ時、木の上から火矢が塀に向かって放たれた。そして大地が微かに揺れ始めた。
ヴァンも異変を察知し揺れる足元に目を向けた。
その瞬間、ミィシアの足元の大地が隆起し、数十の木の根が大地を裂いて上空へと根を伸ばした。目の前のミィシアの身体を引き裂いて──。
「ミィシアっ」
ヴァンは手を伸ばすも、ミィシアの身体は上空で一瞬だけ光を放ち、霧散した。
「ミィシアぁぁぁぁぁぁ!?」
レティシアの悲痛な叫び声が、ヴァンの頭にこだました。