第百八話 空里
途中の村に馬を残し、カシミルド達はヴェルメイユを先頭に険しい山道を進んでいった。小さな川を二つ越え、道無き道を進み、崖を下り森の中を歩く。
「そろそろですわ。もう少し行けば……あら?」
ヴェルメイユが森の奥を差し示した時、空から一枚の封筒が風に運ばれ舞い降りた。ヴェルメイユの頭の上に乗ったそれをテツが素早く掠め取る。
「手紙か。ヴァン殿からのようだな……」
「私が読み上げましょうか?」
「いや。私が読む。──魔獣の里、魔力探知反応無し。空里の模様。内部の調査に向かう。ヴァン=ミストラル──成る程……私達も急ごう」
「あら。ハズレでしたのね。残念ですわ……。この先の洞窟の奥だそうですから、着いてきてくださいませ」
ヴェルメイユはつまらなそうに手紙をテツから受け取り、森の奥へと足を進めた。
ルナールとの対面は無くなったようだ。
カシミルドは肩の力が少し抜けていくのを感じた。
それは隣を歩くカンナも同じだった様だ。
相変わらず殺伐とした雰囲気を放つテツの背を、カシミルド達も無言で追うのだった。
半刻ほど歩くと、巨木前でヴェルメイユは足を止めた。
木の根の隙間に、這って進めばひと一人通れるほどの横穴があり、ここが里へ繋がる洞窟の入り口であるようだ。
「ここですわ。何だか想像していたより小さい入り口ですわね……」
ヴェルメイユは穴を覗き込むと、身震いしてシエルの後ろに隠れた。両手でシエルの背中を押し、穴の方へと押し出す。
「ちょっ……ヴェルメイユ様?」
「狭いところ好きじゃないのよ……。お先にどうぞ」
困惑するシエルを制止させ、テツが前に出た。
「それなら私から行こう。ルミエル君は大丈夫か?」
「子ども扱いしないでくださる?」
そう言いつつも、ルミエルはカシミルドの後ろに隠れていた。
「入り口は一人ずつしか通れなさそうだな。私が先に入り異常がなければ声をかける。では……」
テツは簡潔に指令を出すと、皆が見守る中、自ら穴の中へと進んでいった。そして直ぐにテツの声が返って来た。
『カシミルド君。灯りが欲しい。先に来れるか?』
「は、はい!」
「それなら私の方が得意ですの!」
カシミルドが前へ足を踏み出すと、ルミエルもぴったりとついていく。
「カンナ、先に行くけど、足元気を付けてね」
「うん……」
二人が連れ立って中へ入っていくと、穴の奥から白い光の筋が溢れた。ヴェルメイユはそれを不思議そうに眺めている。
「何の魔法かしら? そうだ、次は誰が行きます?」
言ってヴェルメイユはカンナに視線を向ける。
シエルはヴェルメイユに体を寄せられ、気まずそうに地面を見ているだけである。
「わ、私が行きます。お二人もお気をつけて……」
カンナはヴェルメイユの意図を察し、いそいそと入り口へと体を滑らせていった。そしてカンナの姿が見えなくなると、ヴェルメイユはシエルから体を離し、穴の中を覗き込み腰の杖をホルダーから外した。
「さてと……我が名はヴェルメイユ=ソルシエール。荒ぶる火の精霊よ。我が声に答え──」
「ちょっと待ってください! 早すぎではないですか!?」
呪文を唱え始めたヴェルメイユに、シエルが口を出した。
ヴェルメイユは、恐らく大岩が吹き飛ぶ程度の魔法を繰り出そうとしている。シエルはそう感じたのだ。
ヴェルメイユは邪魔をされ顔をしかめた。
「そうかしら?」
「はい。怪我でもしたらどうするのですか?」
「少し位怪我を負った方が、都合が良いかと思っていますわ」
笑顔でそう答えたヴェルメイユに、シエルは内心ぞっとした。その時、穴の奥からテツの声が響いてきた。
『シエル。こちらに来れそうか?』
「は、はい!」
大声で返事をしたシエルの横で、ヴェルメイユは杖を握り直した。
「今、魔法を放てばテツ様は怪我をするかしら?」
「……兄様はそんな指示を出していないと思います」
「ヴァン様は私に全て任せてくださったわ──後発隊の排除を……」
不適な笑みを浮かべるヴェルメイユに、シエルは言い返す言葉を失い唇を噛み締めた。
◇◇◇◇
カンナが横穴を抜けると、そこには光る蝶が舞う洞窟の中であった。ルミエルが具現化させた光の蝶は洞窟の奥へ向かってヒラヒラと舞っていた。
「出口は直ぐ近くだそうですの。こんな湿気った場所、早く出たいですわ」
「そうだな。シエルはまだだろうか──シエル。こちらに来れそうか?」
『は、はい!』
テツが叫ぶと直ぐに返事が来たが、シエルの声色は慌てた様子である。
「ヴェルメイユ殿は狭いところを嫌っていたな……置いていくか」
「テツさん。ここは空里だそうですし、そんなに急がなくても……」
カシミルドが今日はやけにせっかちなテツを宥めると、テツは瞳を閉じ、心を落ち着かせるようにゆっくりと息を吐いた。
「そうだな……昨夜、酔っぱらいにグラスを叩き割られてから、どうも調子がでなくてな」
「えっ……それってもしかして……」
みるみる顔が青くなるカシミルドをテツは涼しい笑顔でじっと見ている。ルミエルはそんな二人を茶化すように口を挟む。
「もしかしなくてもカシミルドのことですの」
「すみません。テツさん、うっすらとしか覚えていないんです」
「ははは。ハッキリ覚えていて謝罪もなかったら流石に怒るよ。気にするな」
「……本当にすみませんでした」
テツの目が笑っていない。カシミルドは肩を落とすと、今度はヴェルメイユの声がした。
『やっぱり狭くて嫌ですわ~』
『ヴェルメイユ様。頑張って中に入れば兄様に会えますよ。さぁ!』
『ヴァン様には会いたいですけど~』
何やら揉めているようだ。
テツは呆れた様子でシエル達へ呼び掛けた。
「何をしているのだか……。──おーい。無理しなくていいぞ!」
『テツ様、俺はどうしたらいいですか?』
「ヴェルメイユ殿を一人には出来ない。そこで待っていなさい。二人で来れそうだったら来るといい。私達は先に行くからな!」
『分かりました。ここで待ちます』
「さて、行くか」
皆に向き直るとテツは里への道を歩き出す。
シエルもお嬢様の扱いは大変そうだな、と誰しもが思っていた矢先、早くも出口の光が見えてきた。
「……これは。襲撃の後か?」
テツは出口に駆け寄ると散らばっは木片を手に取った。
恐らく、木で出来た砦のようなものがあったのだろう。
しかしそれはバラバラに砕かれていた。
まるで竜巻にでも襲われたかのように。
砦でこの惨状だと、里の中はどうなっているのだろうか。巨木が立ち並び、里はその奥にあるのだろう。
テツがそちらへと足を向けた瞬間──木々の向こうから物凄い勢いで小さな光がこちらに飛んできた。
「御主人様ぁ~!!」
「シレーヌ!?」
それはシレーヌだった。
皆を視界に入れると矢継ぎ早に言葉を紡いだ。
「御主人様。ここはもう使われていない空里です」
「うん。それは知ってるんだけど、襲撃の後が……」
「はい。里の中も大地をひっくり返した様な惨状です。……? 何故、空里だと知っているのですか?」
シレーヌの問いにテツが言葉を返す。
「先発隊から知らせが届いた。今日訪れる予定だった里は空里だと……。しかし、蜥蜴の襲撃を受けた里だったとはな。──シレーヌは何故里に?」
「私は……パトリシア達の代わりにルナールに伝言を届けに来ました。パトリシア達は別の入り口から里へ入る予定です。先発隊は御主人様達と別行動なのですか?」
「ああ。先に里で調査をしているはずだ」
シレーヌはそれを聞き首をかしげた。
「調査ですか? 里には──誰もいませんでしたわ」
「誰も……!?」
テツが血相を変えて洞窟へ振り向いた瞬間、背後から爆発音が轟き、辺りは土煙に包まれた。