第十四話 王都の夜
辺りはすっかり暗くなり、宿も通りも静けさを取り戻す。
星は自由に瞬き、それに負けじと街灯も煌々と街を照らす。
カシミルドは部屋の窓から静かな夜の様子を眺め、物思いにふけっていた。
空はいつもと同じ色をしているのに、星の数がいつもより少なく感じるのはどうしてだろう。
人のいない通りを街灯は何故照らし続けるのだろう。
この街はカシミルドの知らないことばかりだと。
静かな夜に、忙しなく階段を駆け上がる足音がしたかと思うと、その足音は部屋の前で止まった。
そしてノックと共に扉が開きカンナが顔を出した。
「ごめんね。バタバタしていて。カシィ君。夕御飯食べた?」
「大丈夫だよ。お疲れ様。ご飯はメイ子と一緒に頂いたよ。カンナは?」
「私も下で食べた。今日は混んでいたから、もう遅い時間だね。――そうだ。ポムおばさんが寝間着くれたよ。お客さん用のだけど。良かったら着て」
「ありがとう」
寝間着とは助かる。
カシミルドは旅支度など分からず、普段着しか持っていなかった。
カンナから寝間着を受け取るとカシミルドはすぐに服を脱ぎ、着替え始めた。
それを見たカンナは慌てふためいた。
「あっ私。洗面所で着替えるねっ」
と言って洗面所へと駆け込んで行った。
「おいおい。女子に気ぃ遣わせてんじゃねーよ。ケケケッ」
クロゥが窓辺に現れカシミルドを冷やかす。
今まで何処に行っていたのか。
いつもタイミングよくクロゥはやってくる。
「なぁ。今、あの扉を開ければ、素晴らしいものが見られるんじゃねーかー? ケケケッ」
洗面所の扉を右翼で差しクロゥが悪戯に笑う。
カシミルドはクロゥが指す扉の先を思い浮かべ、顔がみるみる赤くなる。そこにクロゥは
「生着替え中だぜ」
と追い討ちをかけた。
カシミルドは額に手を当て恥ずかしそうに俯いた。
「本当にやめて、クロゥ」
そう言い、カシミルドは脱いだシャツをクロゥに投げつけた。
小さい黒鳥はシャツの下でパタパタと動き回るが抜け出せずにいる。
「ケケケッずるいぞ! 独り占めする気だな!」
「クロゥっ」
カシミルドが怒ってクロゥに言い返そうとした時、カンナの部屋の扉をノックする音がした。
そして扉の向こうから少年の声がする。
「カンナさん。カンナさん。マロンですー。ちょっとよろしいですか?」
聞いたこともない少年の名前と声に、カシミルドは首を傾げ、漸くシャツから顔を出したクロゥと顔を見合わせた。
するとカンナが洗面所から返事をした。
「はーい」
「開けますねー」
部屋の入り口と洗面所の扉が両方とも同時に開いた。
「なっ!!」
マロンは驚きの声を挙げ固まる。
まず視界に飛び込んできたのは、上半身裸の少年がカンナのベッドに座っている姿だった。
そして次に洗面所から無防備な寝間着姿で現れたカンナを見た。
カンナはタオルを首に掛け、顔を洗ってきたばかりなようだ。
カンナと上半身裸の少年を交互に見て、マロンは状況を推し量ろうとする。
「マロン君。どうしたの?」
カンナはマロンに声を掛けるが返答はない。
マロンの視線の先を見て溜め息をついた。
「もう。カシィ君ったら、まだ着替えて無かったの?」
「えっ? あー……」
カシミルドはそう言われて自分の着替えをすっかり忘れていたことに気付く。
クロゥがカシミルドの後ろでケタケタと笑っている。
カシミルドはクロゥを一瞥し、急いで寝間着のシャツを羽織り笑って誤魔化す。
その様子を見ていたマロンはうわずった声で、小刻みに震えながらカンナに尋ねた。
「カッカカカカンナさん! 今日は、あっあの変態を部屋に置く気ですか?――ねっ寝る場所だって無いですよね?」
カンナは顎に手を当て考える。
「そうね……。もう二人でベッド一台じゃ、狭いわよね」
カンナの発言には、場にいた皆が凍りついた。
いや、クロゥだけはカシミルドの後ろで腹を抱えて声を殺して笑っている。
そして何とか笑いを収めてカシミルドの耳元でと囁いた。
「お前。男としてみられてねぇのな」
カシミルドはクロゥを静かに睨み付けた。
「カンナさん。ぼっ僕の部屋にどうぞ。僕、父さん達の部屋で寝ますから……」
マロンが死んだ魚のような目をして言った。
「でも悪いよ。私、床でも寝られるから」
「カンナさん! そういう問題じゃないんですっ。あんな奴と同じ部屋って事が……」
マロンはカンナを説得しようと必死だが、カンナの反応を見て言葉を詰まらせた。
カンナは首を傾げて困ったようにマロンの話を聞いている。
まるで小さい子供の我儘を聞いてあげているように。
マロンは悔しくて目に涙を浮かべる。
しかしここで諦めたら、憧れのカンナが変態と一夜を過ごすことになる。
それだけは阻止しなければ。
「カンナさん! 僕は宿屋の息子として、お客様を床で寝かせることも、カンナさんを床で寝かせることも出来ません! 今日は、僕の部屋を使ってください!」
マロンの涙の訴えにカンナも漸く頷いた。
マロンの顔から笑みが溢れる。
「わかったわ。今日は予備のお布団も準備出来てないみたいだし。マロン君の言うとおりにするね」
「はい! では、すぐ行きましょう! もう夜遅いですから! ねっ」
マロンはカンナの了承を得ると、カシミルドを睨み鼻で笑った。
そしてカンナの手を引き部屋からすぐに去ろうとした。
「わわっ。マロン君。そんなに急がなくてもっ。――カシィ君。ごめんね。昔みたいに、こっそりカシィ君のベッドに潜り込んで、朝までお喋りしたかったんだけどな。また明日ね。おやすみなさい」
カンナは残念そうにそう言い残して部屋から出て行った。
部屋に静けさが戻る。
メイ子の小さな寝息が、カシミルドの背後から聞こえた。
陽が沈んでからどれくらい時間が過ぎただろうか。
陽と同じサイクルで生活しているミラルド程ではないが、カシミルドも陽が沈んでから、そんなに長く起きていることはない。
今日は大分夜更かしをしていた。
多分それは、カンナと話しをしたかったからだ。
この街がカシミルドの知らない事で溢れているのと同じように。
カンナと離れていた時間分の、カシミルドが知らないカンナを知りたかったからだ。
カンナが部屋に戻って来るまで待っていた時と同じ静けさの夜だが、もう戻って来ないと思うと部屋のランタンの灯がやけに寂しく感じた。
ランタンをボーッと見つめていると肩を何かがつついた。
振り返るとクロゥだった。
「なぁなぁ。そんな寂しそうな目ぇしてんならさ、俺様がカンナちゃんの代わりに一緒に寝てやろうか? カンナちゃんに変身してやってもいいぜ!」
カシミルドは軽蔑したような目でクロゥを見ると、ランタンの灯を消しベッドに倒れ込んだ。
「もう寝る。おやすみ」
「へいへい」
クロゥはつまらなそうに街灯と星明かりに照らされた窓辺で羽を休めた。
ベッドには一足先に休んでいたメイ子が眠っていた。
カシミルドが横に寝そべると、寝ぼけ眼で嬉しそうにすり寄って来た。
「むぅ。カチィたまなのの」
「ごめん。起こしちゃった? ちょっ、メイ子くすぐったいよ」
メイ子がスリスリと左の脇の間に身体を埋めてくる。
フワフワとした毛がくすぐったくて、左腕でメイ子の身体を抱き締めて落ち着かせる。
「何だか体がダルいなのの。ずっと人間の世界にいるのも疲れるなのの。なんか……カチィたまの魔力、前より重いなの」
「大丈夫? 無理はしないでね。姉さんとの約束はあるけど、メイ子が疲れたらシレーヌと代わってもらうから」
いつも元気一杯のメイ子だが珍しく様子がおかしい。
魔力が重いなど初めて言われた。
魔封具を取ったからだろうか。
「大丈夫なのの! チレーヌは人の多いところとか嫌いなのの。ここはメイ子に任せるなのの」
「うん。頼りにしているよ」
メイ子はそう言われ背中を撫でられると気持ち良さそうにカシミルドの腕の中でモゾモゾしている。
少し目が覚めてしまった様だ。
メイ子を抱き締めると陽だまりの匂いがする。
静かで寂しげだった夜が、じんわりと温まっていく。
「おやすみ。メイ子。そうだ、僕が好きだった絵本のお話。聞かせてあげるよ」
「嬉しいなのの!」
「このお話は、まだ天使が地上にたくさん住んでいた頃のお話です。精霊たちはーーあっ部屋の中なら大丈夫だよね? 良かったらシレーヌも……」
「お呼びでして? 私も聞きたいですわ。お話が終わったらすぐ帰りますけど」
「うん。わかった。じゃあ聞いてね」
二人は静かにカシミルドのお話に耳を傾けた。
カンナはマロンのベッドで横になるが眠れずにいた。
今日一日の事を思い返すとまるで夢のようだった。
今眠りにつくと現実に戻されてしまうのでは、と不安に思う程である。
ベッドの上を右へ左へとゴロゴロするが、全く落ち着かない。
「うーん。駄目。やっぱり眠れない」
人のベッドで眠ることは、こうも落ち着かないものだろうか。
いや、カンナには一つ思い当たる事があった。
それはワンコフだ。
ワンコフとはカンナがいつも抱き締めて眠っている、メイ子と同じぐらいの大きさの白いモコモコのぬいぐるみだ。
マロンの枕を抱き締めてみるが少し固い。
やはりこれでは眠れない。思い立ったが今、である。
カンナはベッドから飛び起き、自分の部屋へと向かって行った。
カンナは皆を起こさないように、そぉーっと扉を開けベッドまで音を立てずに近寄った。
星明かりに照らされて、ぐっすりと眠るカシミルドの横顔が見えた。
しかもワンコフを両手で抱きしめている。
こちらに背を向けて眠るカシミルドからワンコフを救出するのは容易ではない。
少し面倒なことになったが、ワンコフは万人に愛される存在なのだから仕方がない。
「ごめん。カシィ君」
カンナはベッドに膝を乗せ、カシミルドの体の向こう側にいるワンコフの状態を確認する。
そしてまずはそっと、カシミルドの右腕をワンコフからはずす。
「んっ……」
カシミルドは仰向きになり小さく声が漏れたが、起きる気配はない。
仰向けになったことで顔がよく見えた。
男の子のくせに、睫毛が長くて肌も白い。
そして首の右横に刃物で切られた古い傷跡が目に入った。
「まだ残っているんだね。もうあんな思いは絶対させない。カシィ君は私が守るんだから。……でも」
ワンコフは連れていきます。
カンナの目に決意の色が光る。
そっと左手もほどきワンコフを掴む。
「やった!」
ワンコフは柔らかく生暖かい。
そして見慣れない焦げ茶色の顔があった。
「あれれ?」
「むぅぅ。安眠妨害! 油断大敵なののー! ネムネムプードォー!」
カンナが気付いた時にはもう遅く、メイ子は必殺技を発動した。
眠りの粉が部屋中を舞う。
この粉を吸い込むと一瞬で眠気に襲われる。
もちろんメイ子自身にもその効果は及ぶ。
そしてメイ子はカシミルドの左腕に、カンナは右腕に崩れ落ちそのまま深い眠りについた。




