第百六話 二日酔いの朝
「はっくしゅん……ん……朝?」
カンナは背中に冷気を感じて目を覚ました。
朝陽が差し込み始めた部屋は静かで清々しいのだが、頭がズキズキと痛む。何度か瞬きをして眠い目を擦り、ゆっくりと体を起こした。
背中がスースーすると思ったら、ドレスのまま寝てしまっていたのだ。ふと隣の寝息に気付き目を向けるとそこには同じく昨夜の姿のままのカシミルドが眠っていた。
「あ、カシィ君……。そっか、一緒に宿に戻って……それで……」
カンナはベランダでパトに声を掛けられたことを思いだし両手で顔を覆った。
恥ずかしい。
カシミルドの寝顔を見つめ、更に顔が火照っていく。
でも、もしかしたら全て夢だったかもしれない。
カシミルドからあんな事をするなんて……。
「よし。顔洗って着替えよう……あー。頭痛いなぁ……」
フラフラと洗面台に向かうカンナに気付き、クロゥが目を覚ました。窓辺で丸くなって黒鳥の姿で眠っていたのだが、カンナの後ろ姿を見て、舌打ちする。
「ちっ。カンナちゃんが先に起きたか……ったく。この寝坊助め!」
クロゥはカシミルドの額へ舞い降り小さな嘴でつつく。
「ぅー」
カシミルドは唸り声を上げるも起きる気配がなかった。
「おーい! カンナちゃんが着替え中だぞー!? 俺様が覗いちゃうぞー!」
「ぅー。クロゥ。煩い……」
額を抑えて青白い顔でカシミルドは声を絞り出した。
クロゥの声が響き、頭が割れるように痛い。
「んなこと言ってねぇで……って顔色悪いな。二日酔いか?」
「カンナ……は?」
「だから、洗面所で着替えてんじゃねぇか?」
カシミルドが洗面所へ目を向けた時、丁度ドアが開いた。
中から出てきたのは昨夜と同じ、ドレス姿のカンナだった。
カンナも頭が痛いのか額に手を添えている。
「あ。カシィ君!? お、おおおはよう。わわわ、私。自分の部屋に戻るね!」
カシミルドを見るとカンナは視線を反らし真っ赤な顔で部屋を飛び出していった。
「おお? 何かあったんだな!? 昨日何があった? カシミルドぉ。吐きやがれ~」
「ちょっ……何もないよ!? つつかないでってば!」
「酔って覚えてねぇとか無しだからな~!?」
「そんな事言われても……何も……」
つつかれた額を押さえカシミルドは思い出す。
昨夜バルコニーでカンナに何か言った気がする。
それに、宿に戻る前にテツへ向かって何か言い叫んだような……。
「お。その顔は何か思い出しただろ」
「ぅう……頭が痛い……」
「誤魔化すんじゃねぇ~」
「あらあら。仲が良いのね?」
声がした方に振り向くと、コップを持ったパトが立っていた。呆れた顔で室内に入り、カシミルドの前にコップを差し出す。
「これ。二日酔いに効くわよ。飲んで」
「あ、有難うございます」
カシミルドはコップを受けとると一気に飲み干した。
ちょっと苦いが頭がすっきりした。
クロゥはパトを警戒しつつ窓辺から様子見中だ。
パトは興味津々と言った様子でカシミルドに顔を近づける。
「カシミルド君。カンナちゃんと何かあったの? 私、君にならカンナちゃんを任せてもいいんだけど?」
「な、何も無いですよ。スープ有難うございました……」
「ふーん。あんな綺麗なドレスを着たカンナちゃんが、顔を赤くして廊下を走っていったから……期待しちゃったじゃない。昨日の夜だって……」
「パトさん! そ、それよりカンナにもこのスープを届けてあげてください」
カシミルドはパトの言葉を遮りコップをパトへと突き出して言った。パトはコップを受け取りクスッと笑みを漏らす。
「それはもう済ませたわ。カシミルド君よりカンナちゃんが大切だもの」
パトは大きな胸を張ってそう答えた。
「そ、そうですよね。すみません」
「フフフッ。分かればいいのよ。カンナちゃんは私の娘みたいなものなんだから」
パトさんにとってカンナは娘……。
パトさんはルナール種の一人として黒の一族と繋がっていたのなら、色々知っていてもおかしくないのでは……。
「娘……。パトさんって、カンナの両親とも知り合いなんですよね?」
「そうよ」
「もしかして、カンナの本当の両親のことも知ってるんじゃないですか?」
「……ええ。まぁ……知りたいの?」
「えっ!? 知ってるんですか!?」
パトはあっけらかんと答え、カシミルドはベッドから立ち上がった。しかしパトはクロゥを見ると目を細めた。
「知りたいなら教えて上げてもいいけど……でも、光の天使には言わないって約束できる?」
「はい?」
カシミルドは一瞬言葉が理解できなかった。
パトは小さくため息をついて言い直す。
「だから──」
「ちょっと待ったぁ!」
カシミルドの後ろでクロゥが叫んだ。バサバサと羽音を立てながらパトへと一直線に飛んでいく。
「えっ何々!?」
驚くカシミルドを無視し、クロゥはパトを扉近くまで追いやりこそこそと小声で話し出した。
「おい。光の天使が何なんだよ!?」
「貴方に言うわけないでしょ。貴方が敵か味方か分からないもの!」
「俺は……」
「あ~。カシミルド君知らないんだ。光の天使の事も、貴方の事も……」
「そうだよ。──それより光の天使に言ったら不味いのか!?」
「……」
耳元で小声で騒ぐクロゥを睨み、パトは口を閉ざした。
そんな二人に苛立ちカシミルドは割って入る。
「……ねぇ。二人ともどうしたの? 光の天使って何?」
お互いお前が説明しろ、と言った顔で睨み会う二人にカシミルドはため息を漏らした。
「もう。喧嘩しないでよ……。カンナの事は、カンナがいる時にまた話そう。カンナが知りたいと思った時に知ることができた方がいいだろうし……。で、光の天使って?」
カシミルドの質問に二人は顔を見合わせ、互いに牽制した。
そしてパトが口を開く。
「それは……光の天使の祝福を受けたあのルミエルって子がカシミルド君の事を気に入っているみたいだったから。カンナちゃんの事、邪魔者扱いしそうでしょ? そんな人にカンナちゃんの秘密は話せないでしょ?」
「えー……と。成る程……」
カシミルドは考え込んだ。
思い当たる節は色々あるものの、言われてみなければ気にも止めていないことばかりパトに指摘されたからだ。
ルミエルがカンナと話している姿は見たことがないが、嫌っていると言われたら……そこまでではないような気もする。
それに光の天使の祝福か……ガラザ村で見た魔法を思い出した。
色々と記憶を想起させていると、やはり自分はルミエルの事が全く眼中に無かったのだと再確認した。クロゥは何となく納得した様子のカシミルドを見てひと安心し、パトの背中をつつく。
「よし。じゃあまたな。──今度話聞かせろよ!」
「嫌よ──じゃあ。カシミルド君、私はカンナちゃんの所に行くわ。もう朝食が終わっててもいい時間だから、早く着替えなさいね」
「えっもうそんな時間!? 分かりましたっ」
慌てるカシミルドに笑みを返し、パトは部屋を出た。
すると扉の外にはシエルが仏頂面で立っていた。
「あら。おはよう」
「……」
シエルは無言で横を通り、部屋を軽くノックすると中へ入って行く。パトはそれを特に気に止めずに立ち去ろうとした。その時、シエルの声が部屋から漏れてきた。
『おい。まだ着替えてないのかよ。ほら、お前の杖』
部屋の中からは、シエルの怒声とカシミルドのあわてふためく声がする。そして次にシエルから放たれた言葉に、パトは己の耳を疑った。
『早く支度しろよ。今日は先発隊のヴェルメイユ様と───魔獣の里へ視察に行く』
パトはその場に立ち尽くし呟いた。
「魔獣の里……ですって?」