第百五話 先発隊の動向
心臓がバクバクしていた破裂しそうだ。
この扉の向こうには、俺の婚約者がベッドの上で待ってるんだ。
俺を……俺を待っているのだ!
ラージュは扉を破壊するが如く勢いよく開いた。
そしてベッドに視線を伸ばし──驚愕した。
「えっ……いねぇじゃねぇかぁ!!?」
ラージュはベッドに駆け寄り、床にラルムが落ちてないか必死で探した。
「いない……。しかし、ベッドはまだ温かい。しかもいい香りがする……」
ラージュはラルムの枕に手を伸ばし、柔らかな枕を抱きしめ顔を埋めた。すると、扉がノックされた。
「ヴェルメイユか!?」
「──失礼するよ」
その声はヴェルメイユでは無かった。
落ち着いた男性の声。
ラージュはそれが誰かすぐに分かった。
扉は開き声の主が顔を出す。
「やっぱりな……」
「おや? ラルム君の体調が優れないと聞いて来たのだが……ラージュ殿は枕を抱いて何をしているのかね?」
ラージュは舌打ちし、慌てて枕を戻すと、テツを睨み返した。
「……テツ様。ラルムは何処ですか?」
「さぁ? ここにいないなら。医務室か何処かではないか?」
「……くそっ。邪魔しやがって……」
「ラージュ殿。後発隊は異性交流を厳しく取り締まるようにユメア王女に言われているのだよ。だから──そういうことは控えてくれよ?」
「ああ? 俺はラルムの──」
「私の隊の新人団員だ。覚えておくように。──失礼する」
テツは笑顔で会釈し去っていった。
ラージュは廊下に飛び出しテツの背を睨み付ける。
「絶対許さねぇからな……」
テツはその背にラージュの熱い視線を浴びている。
これでいい。
自分が疑われればシエルにラージュの目は向かないだろう。
◇◇◇◇
ヴァンはシエルの部屋でソファーに深く腰掛けていた。
そして膝の上で丸くなって座るミィシアの背を優しく撫でる。泣いては気絶し、それを繰り返しやっと落ち着いたところだ。
「大丈夫か?」
「……里が、里が燃えてしまう。帰らなくちゃ。皆に知らせなくちゃ……」
「里の場所は分かるのか?」
「うん。視えた……あの杖を通して、里の未来が……」
「未来か……。杖とは虹珊瑚の杖か。その杖の持ち主が、里を燃やすのか?」
「分からない……でも、杖を持っている人、凄い魔力なの。黒くて……怖いよ。──ヴァン」
ヴァンは夜会で会った少年を頭に浮かべた。
エルブが一目置く、地の魔法を操るという少年を。
「あの少年が……? ミィシア、里へ案内してくれ。早い方がいい。明日、ルナールの里へ行こう」
「……うん」
ミィシアはそのまま泣きつかれて眠ってしまった。
折角ドレスをプレゼントしたのに、それは涙で濡れ、一曲も踊ることすら叶わなかった。
ヴァンはミィシアをベッドへ寝かせ一人ベランダへ出た。
夜風が冷たく身が引き締まる。
「虹珊瑚の杖……少年の黒い魔力。──不安要素は取り除かなくてはな……」
明日、ミィシアを里へ返す。
しかし里は誰かに狙われている。
恐らくそれは蜥蜴の尻尾。
裏で魔獣や人の子を売買しているという闇組織が関わっているのだろう。ミィシアが見た未来が、あの杖が見た未来であるなら、杖が里へ辿り着かなければよい。
いっそのことシエルから預り杖を燃やしてしまおうか……。
しかし国宝だからな。
やはりここは、あの杖より先に里へ着けば良い。
そして守るんだ。
ミィシアを──そしてミィシアの大切な者達を。
◇◇◇◇
ここは北の僻地にあるルナールの里。
樹齢千年を越える木々が立ち並ぶ深い森の奥に位置している。巨木の間にひっそりと隠れ里の入り口があり、山の小さな谷間に家々が建ち並ぶ。
ペペジィは数日前から一人部屋で塞ぎ混んでいた。
そんなペペジィの隣に座り、レオナールの姉であるレティシアは重い口を開いた。
「ペペジィ様。レオナールもミィシアも見つかりませんでした。あの時私が、レオナールを一人で行かせたからです……」
「レティシア。自分を責めるでない。しかし……」
深刻な顔で俯くペペジィの横顔に、レティシアは悟った。
きっと、誰かの死が視えたのだと。
「ペペジィ様。もしかして、また視えたのですか?」
「……それが。視えぬのじゃ。何も、何も視えぬのじゃ」
「えっ……?」
レティシアは戸惑った。何も視えないとはどういう意味と捉えてよいのか、分からなかったからだ。
何も視えない──それ則ちその者の死を意味するのではないのだろうか。
ペペジィはゆっくりとその思い腰をあげた。
「胸騒ぎがするのじゃ。兎に角、里の者を集めよ。レティシア。きっと奴らは来る……」
「わ、分かりました」
レティシアは戸惑いながらも里の者へと知らせに走って行った。ペペジィはその背を静かに見送った。
今日ほど恐ろしい日は今までに一度も無かった。
誰の未来を視ようとしても、何も視えないのだから。
──勿論それは、自分も含めて。
「ワシは長く生きた。もうよい。……しかし、里の者はまだまだ若い。若い命を守らなければならん……」
未来が視えない──それ則ちその者の死。
しかし他の者の未来が視えないのは、自分が死ぬ事によって起きているだけかもしれない。自分が死んだ後の未来まで視えないだけかもしれない。
自分の死を覚悟し受け入れるも、他の者達の死は受け入れられず、ペペジィは淡い期待を抱き、皆の無事を祈るのだった。
◇◇◇◇
早朝。ヴァンは先発隊の指揮官達を会議室に召集した。
これからの作戦を指示する為だ。
ヴァンがルナールの里の場所が判明したことを告げると、ラージュは口角を上げ声を張る。
「おぉ。ついにあのルナールの餓鬼が吐きやがったか!?」
「ラージュ。目的は調査だ。まずは対話を試みる」
「分かってるって! まぁ、俺は成果さえ上げられればそれでいい!!」
そう断言するラージュにエルブは感心したように頷く。
「成果かぁ。──ルナールの子どもを見つけたのはラージュだし……これをきっかけに、ラージュが、魔獣と対話なんて出来たら、凄いことだよね!」
「俺の実績に繋がるな……しかし対話か。めんどくせぇな……あの餓鬼を餌に奴等を引きずり出して、悪事を暴いて弾圧すればいいんだろ?」
ラージュは当然のように言い、エルブはその高圧的な態度に困り頬をかいた。一方、ヴァンはラージュの言葉に深く頷き口を開く。
「……ふっ。力には力を言葉には言葉で応じる。──それから、これは内密にしなくてはならない事なのだが……」
ヴァンはエルブに一瞬だけ視線を向けた。
「あ、ヴァン。もしかして……」
「実は、エルブさんは王からの密命を受けていてるのだ。その命を達成する為に、まずは俺とエルブさんだけで里に入る。それから……後発隊には内密に頼む」
「後発隊か……」
ラージュはテツの顔を浮かべ昨夜の出来事を思い出し、沸々と怒りが沸いてきた。
ヴァンはそんなラージュの顔つきの変化を見逃さなかった。
「ラージュ。後発隊は信用できない……よな?」
「ああ! 特にテツ様は俺の……」
「俺の?」
エルブが疑問を口にするとラージュは首を思いっきり横に振り雑念を払い除けると叫んだ。
「と、とにかく! 後発隊に俺達の手柄は横取りされる訳にはいかん! あんな奴は信用できない。排除だ!」
「……そうだな。後発隊の動きは──ヴェルメイユ。君に任せようと思う」
「はい。お任せください。ヴァン様」
ヴェルメイユはヴァンに指名され、意気揚々と頷くのだった。