百四話 夜会の後で
シエルは会場の中でラルムの姿を探していた。
人は大分減り、問題のラージュはラルムの父親と談笑しているが、ラルムの姿はどこにもない。
「シエルどうした?」
「兄さん。ラルムを見ませんでしたか?」
「さっきヴェルメイユが部屋に連れていっていたぞ。酒が回ったようだったな……」
「ちっ。ラルムは酒に強いのに……」
シエルは焦りの色を露にし、ラージュを確認する。
まだ会話中だ。
今の内にラルムを……自分に何が出来るのだろう。
動揺するシエルにヴァンは粗方の状況を察し、気を落ち着かせる様に肩に手を置いた。
「シエル。力になろうか?」
「兄さん……」
◇◇◇◇
ラルムは自室のベッドに横になった。
ヴェルメイユに肩を借り、何とか部屋まで戻ってきたのだ。
今まで酒に酔ったことなど無かったのに、今日は気を張っていたからだろうか。吐き気は無いが、目眩が酷いのだ。
「大丈夫。ラルムちゃん?」
「あ、ありがとうございます。ヴェルメイユ様……」
霞む視界の中、ヴェルメイユの冷たい手が額に触れ、声が耳元で聞こえた。
「ラージュを呼んでくるわね。ゆっくり休んでいなさい……」
ヴェルメイユはそう言い残して部屋から出ていく。
ラルムは酩酊感の中思考を巡らした。
しかし何故ラージュを呼ぶと言ったのか、意味が分からない。
頭の中をかき回されるようにぐらぐらしていて、どうでも良くなってきた。柔らかい枕に頭を預け、それが心地よくて深く息を吐く。
そしてラルムが思考を停止させた時、扉が開き声がした。
「……ラルムっ」
「シ……エル……?」
ラルムはその声にほっと安堵し、意識を放棄した。
◇◇
シエルはラルムを背負いヴァンの部屋を目指した。
途中、廊下でヴァンとヴェルメイユが会話している姿を目にし、物陰に身を寄せた。ヴァンが時間を稼いでくれている。
気づかれないように静かに階段を降りようとしたが、腰の二本の杖がぶつかり合いカチャカチャと音を立てた。酔ったカシミルドが落としていった杖を預かっていたのだ。
手で杖を抑え、ヴェルメイユへと視線を伸ばす。
幸いにも、ヴェルメイユはヴァンに夢中の様で気付かなかった。
シエルは兄の部屋に入ると鍵をかけた。そしてベッドにラルムを寝かせて漸く一息つくことが出来た。
「はぁ……。って、ぅわぁ!?」
ベランダからこちらを覗く影が一つ。
シエルの上げた声に驚きビクビクと震えていた。
「だっ誰だ!?」
その影は恐る恐る姿を表した。
銀色の髪に大きな三角の耳、それに白いふんわりとしたドレスを着た少女だ。シエルはその可愛らしい姿に拍子抜けし、大きな耳を見てその子が誰か気付いた。
「お前……兄さんと一緒にいた魔獣か?」
「……ぅん」
少女は不安げな表情のまま小さく頷いた。
どうしたらよいか分からず、その場に立ち尽くしている様だ。
「急に押しかけて悪かったな……今晩はベッドを借りる……」
「……具合、悪いの?」
少女はフワリとドレスを揺らし、ラルムの側へと歩み寄った。シエルには、その姿がカシミルドと一緒にいたチビ魔獣と重なって見えた。
「もしかして……お前、治せるのか?」
少女は目を丸くして驚き、眉を垂らすと首を横に振った。
「そっか。お前はルナールだもんな……」
「……。誰と間違えたの?」
「いや。良く分からない小さい魔獣とだよ」
少女はまた目を丸くし、シエルを不思議そうに見つめる。
「な、何だよ……」
「私を見ても驚かない。シエルは魔獣と知り合い?」
「えっ。何で俺の名前……?」
「ヴァンから聞いてるよ。自慢の弟だって……」
悪戯に微笑みながら少女はそう言った。
そして、ラルムの額に手乗せる。
やはり、カシミルドのチビ魔獣と似た気配だ。
「俺の知ってる魔獣は、褐色の肌に白い髪で角が二本生えている子どもだ。お前と気配が似てる」
少女はまた驚いた顔をしてシエルを見つめる。真ん丸の瞳はキラキラと光り、見つめられると目が離せなくなる。
「フェルコルヌ……生き残りがいたんだ……あ。もしかして、その子は人に捕まっているの?」
シエルはオークションで見た魔獣を思い出した。
あんな姿、こんな小さな子に想像させたくない。
「いや。……いつも好き放題飛び回ってはしゃぎ回って迷惑している」
「へへっ。不思議……。半分本当で半分嘘みたい」
「な、分かるのか?」
「……何となくだよ? それより、この人から毒の匂いがするよ。死んだりしちゃう毒じゃないけど……一日中まともに動けないと思う」
「くそっ。ラージュの奴……」
少女はラージュの名を聞くとその場に小さく踞った。
そして体をガタガタと震わせていた。
「大丈夫か!? 」
シエルが駆け寄ると少女はシエルの胸に飛び込んできた。
そしてシエルの胸に顔を埋めると顔の緊張を緩め頬を擦り寄せた。
「懐かしい匂いがする……。私を、一人にしないで……」
「……お前、名前は?」
「私はミィシア……。お兄ちゃん……」
「お、お兄ちゃんって……」
胸の中で泣き出したミィシアに……そして生まれて初めて兄と呼ばれたシエルは困惑した。
何故か懐かれ、兄と呼ばれ、しかし儚げに人の温もりを求めるミィシアを無下にも出来ず、ぎこちなく背中に手を回し抱きしめてやった。
柔らかくて温かい。
自分に妹がいたらこんな感じだったかもしれない。
フワフワの耳がシエルの鼻をくすぐった。
人では有り得ない、三角耳。
そしてドレスの裾からはフワフワの尻尾が出ていた。
この子は魔獣だ。でもどうしてだろう。
人間と何も変わらないと思ってしまう。
見た目は違うけれど、そんな事は誰でも同じじゃないか。
「ミィシ……」
シエルがミィシアの名を呼び掛けようとした瞬間、鍵の音がし、扉が開く。
音もなく室内に入ってきたのはヴァンであった。
鍵をかけ、シエルを視界に入れると眉間にシワを寄せた。
何となく罪悪感に見舞われシエルはミィシアから手を離し、そっと胸から引き剥がした。ミィシアはまたその大きな瞳を丸くさせ、ヴァンを見て微笑む。
「あ、あの。兄さん……。ら、ラルムの婚約者の名を出したら、ミィシアが怯えてしまって……」
「そうか。ありがとうシエル」
そう言いヴァンはミィシアに手を伸ばした。
しかしミィシアはシエルの胸にもう一度抱きついた。
「えっ!?」
「シエル。いい匂いするの!」
ヴァンはそれを見て固まった。
怒っているというより、茫然自失としている。
「あ、あれです。俺、魔獣の知り合いがいて、多分そいつの匂いが……」
「そ、そうか……」
「シエル。これ貸して!」
ミィシアは徐に腰の杖を引き抜いた。
それはシエルの杖ではない。
カシミルドの杖である。
ミィシアが持つと何だか大きく見えた。
「そ、それは俺のじゃないから……」
しかし嬉しそうに杖を抱えるミィシアに強く言うことも出来なかった。もしかしたら、ミィシアが懐かしいと言っているのは、あの杖のせいかもしれない。シエルは何となくそう思った。
ミィシアは杖を持ってヴァンの方へ走っていく。
その杖を見て、ヴァンも驚いていた。
「そ、それは国宝、虹珊瑚の杖じゃないか!?」
「あ。それ、テツ様の杖で……今はカシミルドが……」
「見て、ヴァン。この珊瑚、とても綺麗で懐かしいの!」
言ってミィシアは杖の虹珊瑚に触れた。
──その時。ミィシアは雷にうたれたかの様に目を見開き体を硬直させ、床に崩れ落ちた。
「み、ミィシア!?」
力なく横たわるミィシアをヴァンが抱き上げ軽く頬を叩く。
シエルも何が起きたのか分からず、床に落ちた杖を拾い上げた。
「兄さん、一体何が……?」
「ぅ……ヴァン……ヴァンっ」
ミィシアは意識を取り戻すと急に泣きじゃくった。
何かに怯え、震え、ヴァンにすがり付く。
「大丈夫だ。ミィシア……俺はここにいるぞ。怖いものは何もない。大丈夫だから……」
「はぁ……はぁはぁ……はぁ……見えたの。杖の……燃えてるの……全部……」
ミィシアはそう言って気を失った。
ヴァンは心配そうにミィシアをマントで覆い、ベッドに目をやる。ベッドではラルムがすやすやと眠っている。
「シエル。ミィシアは、その杖から何か感じ取った様だ。今は杖を近づけたくない。それはシエルが預かってくれ」
ヴァンはそう言って立ち上がり、扉の方へと向かう。
「え? 兄さんはどこへ?」
「ミィシアをベッドで休ませたい。シエルの部屋を借りるぞ。早朝には戻る。鍵は持っているから誰が来ても無視しなさい」
「は、はい。って、俺は!?」
「ラルムに付いていてやれ……では、おやすみ」
「え……お、おやすみなさいっ」
扉は静かにしまり鍵がかけられた。
シエルはカシミルドの杖を握りしめたままその場に立ち尽くす。
ミィシアは大丈夫だろうか。
急に取り乱したがこの杖の力なのか、ミィシアの力なのか、シエルに知る由もなかった。
ミィシアは兄に任せておけば大丈夫だろう。
後の問題は、この部屋で朝までどう過ごすかだ。
ミィシアが毒がどうこう言っていたが、ラルムはよく寝ている様だ。一日動けないだけだと言っていたからこのまま寝かせておけば大丈夫だろう。
ラルムを兄の部屋で寝かせた後の事は何も考えていなかった。
まさか二人きりになってしまうとは……。
するとラルムが苦しそうに唸り寝返りをうつ。
確かあれだ。
ドレスの下のコルセットで体を締め付けているんだ。
それが苦しいのかもしれない。
子どもの頃母親が着替える姿を見たことがある。
シエルはラルムの背中にそっと手を伸ばした。
見てはいけない気がして、目を細めて手探りでコルセットの紐を手繰り寄せ紐を緩めた。
「ん……シエル……」
「ら、ラルム?」
名前を呼ぶが反応はなかった。どうやら寝言だった様だ。
シエルはラルムの無防備な寝顔に顔を歪ませた。
ラージュはこんな状態のラルムに何をしようとしていたのか考えると頭に血が上ってくる。
「あのクソ野郎……」
ラルムのドレス姿を前に、シエルは夜会での光景を思い出していた。
細い腰に回されたラージュの手。
緩んだ頬にイヤらしい目。
ラルムの肩を掴み、腕に触れ手を握る。
ラルムの指にはラージュから贈られた指輪が嵌められていた。その指輪を外してやろうと指をかけ、思いとどまる。
「はぁ……何やってんだよ……俺」
シエルは上着を脱ぎソファーに横になる。そして、言い様の無い焦燥感に駆られながら、キツく瞳を閉じた。