第百三話 僕の場所
カシミルドはテツに向かって啖呵を切った後、カンナを抱き上げバルコニーの柵の上に立った。ルミエルにスピラルを託し、湖へ向かって飛び降りる。
これで三回目だ。カンナと一緒に空を飛ぶのは。
カンナとなら大丈夫。クロゥがいなくたって自分は飛べる。
「カンナ……掴まって……」
「きゃっ」
カンナが小さく声をあげ、カシミルドの首に回した腕に力が入る。
宿屋まではすぐそこだ。
一気に湖の近くまで落ちて行き、水面に映った星を瞳に照らしながら、カシミルドはカンナを抱き抱えて漆黒の羽を広げた。
カンナは心臓をドキドキと高鳴らせながら、瞳に光を宿したカシミルドの横顔を見つめた。珍しく眉間にシワが刻まれている。
「カシィ君……怒ってる?」
「怒って……るのかな?」
「ふふっ。怒ってるよ。何で?」
「何でって……ほら、もう宿屋だよ」
「ああ。本当だ……」
カンナはゆっくりとバルコニーに降り立った。
すると背中からカシミルドの両手がカンナを包み込む。
「わっ、大丈夫? カシィ君もお酒飲んじゃった?」
「うん。……カンナがずっとテツさんと一緒にいるから…… 」
「それは……テツさんはパーティーの時、いつも大変らしくて……」
「それでも、カンナの隣は……テツさんじゃない──僕の場所だよ」
カンナは頬を紅潮させ、全身に緊張が走る。
心臓の鼓動が大きくなり、胸を押さえた。
「か、カシィ君……」
「嫌? 僕じゃ……嫌?」
「い、嫌なわけないよ……でも、私はカシィの隣にいていいのかな……結局、魔法も使えないし、何も役に立てなくて、迷惑ばかりかけて……」
「そんなことない。カンナが隣にいないと駄目何だよ。迷惑でもないし、役に立たないなんて事もない。みんなカンナの存在が力になってるんだよ……」
カシミルドはカンナの肩を握り、ゆっくりと向かい合った。
視線が交わり、顔をゆっくりと近づける。
カンナがそっと瞳を閉じた。
『──へっくしゅん』
その時、誰もいないはずの室内からくしゃみが聞こえた。
カシミルドとカンナは驚いてそちらへ目を向ける。
窓越しにうっすらと影が動いた。
「ふぇっ!?」
「えっ……れ、レオナール!?」
部屋の中にはレオナールとパトがいた。
パトは微笑みながらバルコニーに顔を出す。
カンナは恥ずかしさのあまりカシミルドの後ろに隠れて背中に顔を埋めた。
「あのね~。レオナールはまだお子様なのよ。そういうことは、自分達のお部屋でやってくれないかな?」
「えっ、ここって!?」
「うん。私とレオナールの部屋よ。君達の部屋は真裏ね。外からじゃ大変よね。よかったら部屋の中を通っていく?」
「だ、大丈夫です。お邪魔しましたっ」
カシミルドはカンナを抱え上げると、バルコニーの柵に足をかけ上空へと飛んでいった。
「あらぁ。便利ね~」
「……ふん。酒臭かった……」
「明日は、酔い覚めのスープでも持っていってあげようかしら? あ、お邪魔かな?」
「俺に聞かないでください……寝ます!」
「おやすみ。レオナール……」
◇◇
カシミルドとカンナはバルコニーに降り、今度はちゃんと自分達の部屋か、中を直ぐに確認した。
「おっかえり~」
「げっ。クロゥ……しかも、鳥じゃないし……」
「ひっで~。お留守番してた俺様に何て態度だよ」
「また何処か行ってたのかと思ってた」
顔が真っ赤な二人を見て、クロゥはニヤつく。
「ああ~。カンナちゃんと二人っきりになりたかったのか。しょうがねぇなぁ~。俺様は一人。寂しく屋根で寝ますか~」
「別に……あ~駄目だ。フラフラする~」
「私も……眠い……」
「おっ? ってお前ら酒臭いな。未成年は飲むんじゃねぇよ」
「だって、ジュースだって…………何かクロゥ見たら、どっと疲れが……」
カシミルドは上着を脱いで椅子にかけ、そのままフラフラとクロゥにもたれ掛かる。
カンナもフラフラとベッドに倒れ込んだ。
「しゃーねぇなぁ……」
クロゥはカンナをベッドの端に寄せ、その隣にカシミルドを寝かせた。
「よし! 朝起きた時の反応が楽しみだな!」
「ぅう~」
うなされつつもカンナに寄り添って眠るカシミルドに、クロゥは満足そうに頷くのであった。
◇◇
その頃ルミエルはレーゼの部屋でベッドに横になっていた。
隣にはスピラルがすやすやと眠っている。
スピラルは食べ過ぎと緊張で倒れたようだ。
エルブに気に入られ、吐き気を催しつつも豪華なディナーを吐き出すことはしたくなかったらしく、我慢していたら気絶したそうだ。今は、レーゼに介抱され顔色も良い。
「よりによってロリコンのおっさんに好かれるなんて……」
「ルミエル様。エルブ様に失礼ですよ」
「はぁ~」
「溜め息をつくと幸せが逃げていきますよ」
「ふんっ」
レーゼはルミエルの反応に戸惑った。いつもなら勢いよく空気を吸い込む筈なのに、今日はしないからだ。
「何かありました?」
「別に。知らないわよ。あんなバカ……」
レーゼは首を傾げた。
ルミエルがカシミルドをバカと言うとは思えない。
だとしたらその相手は……。
「クロゥですか?」
「はぁ!?」
違ったようだ。ならばあの人しかいない。
「では、テツ様と何かあったのですね」
ルミエルは眉をつり上げ、顔をそらした。
分かりやすい人だ。
「……ふん。何よ。テツのバカ。意気地無し。無駄に優しいのよっ」
「……無駄に優しいのは分かりますが……」
「レーゼも優しくされたの!?」
「いえ……特段の配慮を戴いた覚えはありませんよ」
「何それ。意味がわかりませんの……そう。分かりませんの……私…………きゃぁぁぁぁ!?」
ルミエルは急に、驚いた様な叫び声をあげた。
目の前のスピラルが目覚めていたからだ。
「お、起きてましたの?」
「……うるさいから……」
「…………」
「それから……テツさんは優しいけど、秘密が多い。自分のことは言わない。自分のテリトリーには他人を寄せ付けない……」
淡々と話すスピラルに、ルミエルは勝ち誇ったように笑みを浮かべた。
「……ふふっ。私はテツの秘密を知っていますのよ?」
「……なら、ルミエルはテツの大切な人だね。秘密を打ち明けるなんてさ」
そう言うとスピラルはまたは瞳を閉じた。
ルミエルはスピラルの言葉の意味を思い悩む。
秘密を知っているが、打ち明けられた訳ではない。
だったら、自分はテツの大切な人になれていないのだろうか。
「……別にあんな奴の大切な人になんかなりたくありませんの! おやすみっレーゼっ」
「おやすみなさいませ……」
レーゼは怒りながら眠りにつこうとするルミエルに笑みを漏らし、ソファーに丸くなって瞳を閉じた。
最近、ルミエルの色々な表情が見れて楽しい。
レーゼルにも見せてやりたかった、と思いを馳せて。