第九十九話 夜会の始まり
「動きにくい。背中がチクチクする……」
「そんなもんだよ。ほら、もう会場につくからな。同じ後発隊のメンバーとして恥ずかしい真似はするなよ?」
夜会の会場へ向かう廊下にて、シエルはカシミルドに釘をさした。
カシミルドは背中をモゾモゾと動かしながら、聞いているやら、いないやら。
「テツさんはどこ行ったんだろう。シエル知ってる?」
「さぁな。あの人の事はよく分からない。お前の方が知っているんじゃないか?」
「そんな事ないよ。……あ、テツさんが好きにしてていいって言ってたんだけど、結局なにしてたらいいのかな?」
「はぁ。……好きな物を好きなだけ食べて、好きな奴と一緒にいればいいだろ? あんまりバカがばれるような会話はするなよ?」
「……バカ?……僕ってバカだったんだ……」
落ち込むカシミルドにシエルは呟く。
「……めんどくせぇ。せいぜい田舎者だとばれてバカにされるなよって意味だよ」
「ああ。成る程!」
シエルは、能天気なカシミルドを見て思う。何故自分がカシミルドのお守りをしなくてはならないのだろうかと。
だが、一人でラルムが他の奴と一緒にいるのを見ているのはキツイ。カシミルドといた方が気が紛れるかもしれない。
そんなシエルの思いなど露知らず、カシミルドは会場に入ると大興奮であった。
天井には氷で出来た大きなシャンデリア。
テーブルの上に並ぶ豪華な食事。
食事はビュッフェになっていて、好きなものを食べていいのだ。丸ごとチキンがテーブルに置かれ、切り分けてくれる料理人もいる。
しかし、一番目を引かれるのはデザートだ。
「シエルさん……食べてもいいかなぁ~」
「おいっ。よだれを垂らすな、恥ずかしいだろ!?」
シエルは周りを見回し確認する。
会場には、エテの研究員や教団の者もいるが、皆、談笑しており、こちらを見ているものなどいない。
指揮官クラスの人間はまだ来ていない様だ。
シエルに注意され、カシミルドは慌ててよだれを袖で拭った。
「ごめん。デザートばかり見てて、意識が飛びそうだったよ」
「袖で拭くなよ。それ借り物だろ……」
「あぁっ!?」
カシミルドはエテの仕立屋で借りた黒のタキシードを着ている。汚したらどうなるのだろう。因みに、シエルは家紋の入った深碧色のタキシード姿だ。
まぁ、黒い服だから平気だろうと高をくくり、カシミルドは袖の事は忘れてデザートに手を伸ばした。
──その時、会場の入り口付近にざわめきが広がった。
そのざわめきの中心には、黒いタキシードを着こなしたレーゼと、その手に引かれて黒いドレスを着たルミエルがいた。
レーゼは背が高く目立つし、ルミエルは髪をアップにまとめ、黒のドレスに銀髪が映え、お人形さんの様に可愛い。
「カシミルド!」
ルミエルは視界にカシミルドを捉えると、こちらに一直線に突き進んでくる。そう、黙っていれば可愛いのに。
「何故先に来ていますの!? 部屋で待っていましたのに!」
「えー。ごめんね。そういうのよく分からなくて……」
「ふんっ。気が利かないですの!」
ルミエルは拗ねたように顔を反らし、シエルを鋭い目で睨む。その視線をサッと反らしたシエルであったが、その先に見えたものに、思わず口を開けて固まった。
「えっ……」
「シエル。どうしたの?──って、スピラル!?」
レーゼの後ろに隠れるようにして立っているのは、ルミエルと色違いの赤いふんわりとした花弁の様な裾のドレスを着たスピラルだった。
身も心も男だと告白されたばかりだと思っていたが……結局どっちなのかカシミルドは混乱した。
しかし、ドレスはとても似合っていた。明らかに苛立っているスピラルにカシミルドは恐る恐る声をかけた。
「す、スピラル。……可愛いよ!」
「!!?」
スピラルが顔を真っ赤にしてカシミルドを睨み付ける、そしてルミエルに詰めより小声で怒りをぶちまけた。
「どういう事だよ!? 普通に教団の制服着てる奴も参加してるじゃないか!?」
スピラルは先発隊の精鋭部隊の面々を指差して言った。
カシミルドとシエルは、その言葉でスピラルがルミエルに騙されたのだと理解した。
しかし、ルミエルは涼しい顔で答える。
「制服でも参加できますのよ?」
「だったら何で言わなかったんだよ!?」
「聞かれませんでしたもの。それに、皆、正装の方が素敵ですのよ。ね? カシミルド?」
「えっ。何で僕に聞くのかな……えっと。スピラル。す、凄く似合ってるよ! な、何か食べよう!」
カシミルドがデザートに手を伸ばすとスピラルはため息を吐く。
「甘いものは、好きじゃない……」
「では、私と一緒にあちらで食事を選びましょう?」
レーゼがスピラルに手を伸ばした。
「ふん。このドレス、腰が締め付けられてて、苦しくってあんまり食べられないよ……」
スピラルは文句を漏らしつつ、レーゼの手を取り別のテーブルへと足を向けた。その後ろ姿を見てシエルが呟く。
「レーゼさんがいるなら大丈夫か……」
カシミルドは一瞬なんの事か分からなかったが、周りをよく見るとスピラルを気にして見ている男性陣がパラパラと見受けられた。夜会とは、女の子──スピラルは男の子だけれど──を一人にしておくのは危険らしい。
「あのさ、ルミエル。カンナは……何処かな?」
「へっ? カンナはラルムと一緒に仕度していたから知りませんの。スピラルが着替えるのにカンナがいては出来ませんもの」
カシミルドはふと思い出した。
カンナと王都の宿屋で過ごした日々を。
着替えは女性の前ではしてはいけない。そう学んだ。
「そうだね……あれ? でも……」
ルミエルは女の子で、レーゼさんも女性だ。
しかし、レーゼさんは表向きは男性だから、結局スピラル以外は女性なのだけれど……。
カンナは駄目? スピラルは男の子だから?
考えるほどによく分からなくなってきた。
さっきから混乱してばかりである。
今日は……今日だけは楽しむって決めたのに。
カシミルドは素早くデザートを手に取り、フォークをさした。
食べよう。今日は食べて食べて食べまくるんだ!
するとまた入り口の方が賑わってきた。
今度は先発隊のおでましだ。
シエルの兄と、演習室で会ったテランさんが二人で登場した。女性たちがキャーキャーし始めたのは言うまでもない。
カシミルドはそんな事に興味はない。今の内にこのプルんと輝く黄色い不思議なデザートを頂こうと口を開く。
「カシミルド。いきなりデザートですの? それにそのデザートでしたらスプーンですわよ」
大口を開けるカシミルドにルミエルはニコニコと寄り添いながら言う。
「あ。成る程。スプーン、スプーン……」
カシミルドがスプーンを捜索していると、ルミエルが袖を引いた。
いつの間にかヴァンとエルブが目の前に立っていたのだ。
エルブはカシミルドを見ると気軽に話しかけてきた。
「やぁ。また会ったね! えっと……そちらは……」
エルブはルミエルを見て尋ねた。この人もカシミルドと同じ、会議は寝るタイプの人間だ。ルミエルを知らないのも仕方がないと、カシミルドは思う。
「初めまして。私はルミエル=ブランシュですわ」
ルミエルは素っ気ない返事をし、エルブはハッとしてルミエルを指差した。
「あ~。昨日ヴェルメイユが言ってたのは君か! リュミエ殿のご息女だとか? そう言えばそっくりだね!」
「えぇ。よく言われます。それが何か?」
「え? いや、別に……」
あまりにもぶっきらぼうなルミエルの態度にエルブはちょっと引き気味でヴァンに助けを求めた。
しかし、ヴァンはシエルと話していて全く聞いていない。
カシミルドはエルブが可哀想になった。
「ルミエル。年上の人にその態度は失礼だよ」
「それもそうですわね。さ、カシミルド、あ~ん?」
「だからさ……」
カシミルドはルミエルに呆れて言葉を漏らすが、目の前に黄色いプルプルとした甘い香りのデザートを見せられると、どうでも良くなってくる。
マイペースなルミエルに翻弄されていると、シエルが相変わらずだな、といった表情でこちらを見ていた。
ヴァンはそんなシエルの視線に興味を持ち、カシミルド達を見てシエルに尋ねた。
「シエル。同期か?」
「えっ。あー……はい。一応そうですね」
ヴァンがカシミルドとルミエルを交互に見ていると、エルブがその横で急に叫んだ。
「あっ! わかった。リュミエ殿が探していた少年って君だろ? カシミルド!?」
「えっ?」
「ああ。あれか……しかし、こんな少年をか?」
「ヴァン、この子こう見えても結構魔法が使えるんだよ? 演習室を草で一杯にしてたし」
「地の属性か……」
ヴァンは興味深そうにカシミルドを見る。
「あっ。こいつは……」
シエルはそこまでいって口ごもった。
黒の一族だとつい口にしそうになったからだ。
そんなシエルを見て、エルブは何か納得したように頷いた。
「あ~。だからレーゼを使って影でずっと探してたんだ」
ルミエルの顔が急に強ばった。
それはレーゼとルミエルしか知らないからだ。
選定の儀の後にカシミルドを探していたことは。
もしかしたら、レーゼが二人いることも知っているのではないかと不安が過る。
「あら? 何故それを?」
「へっ? あ~僕さぁ。情報通だから!」
あっけらかんとそい言うエルブからはなんの悪意も感じないのだが、ルミエルの目はエルブをじっと探るような瞳で睨みつけていた。
その時、また入り口から声が上がった。
紫色の髪の青年が入場し周囲をざわつかせている。
「ああ、テツさんか……」
とカシミルドは呟き、皆が注目している間に今度こそデザートを口にしようと、プルプルのデザートにフォークを突き刺した。たが、フォークでは少量しか掬えず、不満ではあるが取りあえず口に運ぶことにする。
しかし、それはカシミルドの口に入る前に床に滑り落ちていった。デザートを食べることも忘れ、カシミルドはその場で動きを止めた。まるで時間を止められたかのように動かなくなり、一点を見つめる。
テツの隣にいる女性──薄桃色のロングドレスを着た、カンナの事を。