第九十八話 吐露
「貴様、見ない顔だな……」
「あ……」
カンナは喉元に杖を突き立てられ、恐怖で声を出すことも出来なかった。
杖を持つのは先発隊の団長ヴァン=ミストラル。
階段から降りてくると一瞬で距離を詰められ、殺気のこもった左目で睨まれる。右目の眼帯からも不穏な気配を感じた。
一言でも間違った答えを発すれば、命は無いだろう。
そう思わせる男だ。
「──レーゼの部屋の前……? ああ。後発隊の新人か。会議にいたな。……何をしている?」
ヴァンはカンナの顔を覚えていたようだ。
杖を下ろし眉間にシワを寄せてカンナを見下ろした。
不機嫌そうな目付きがシエルに似ていると気付き、カンナは緊張から少し解放された。
「レーゼさんの部屋から、ラルムさんの部屋へ行こうとしているのですが、部屋が何処か分からなくて……」
ヴァンはカンナの瞳をじっと睨み付けた。
そして嘘ではないと理解してくれたのか、杖を腰に戻した。
「……ついてきなさい。こっちだ」
移動中、会話は一切許されないような威圧感を背中から感じた。カンナはラルムの後ろを歩いた時を思い出す。しかし、あの時のラルムとは大分イメージが変わったな、と感慨深い気持ちになり、そして──。
「きゃっ」
「ちゃんと前を見て歩け……」
「し、失礼しましたっ」
ヴァンの背中に突撃してしまい、カンナは深々と頭を下げて謝った。そして顔を起こした先にいたのはヴァンとラルムであった。
「あ。ラルムさん……」
「私は失礼する」
ヴァンは短くそう言うと、踵を返して二人の前から去っていった。
ラルムはヴァンの背を見つめ、おどおどと不安がるカンナの顔を覗き込んだ。
「カンナ。……ヴァンさんに送って貰ったの?」
「た、多分……」
「ふーん。中々やるわね」
そう言って微笑むラルムの表情はいつになく青白く今にも倒れてしまいそうだった。
「あの。……ラルムさんは大丈夫ですか。顔色がまだ良くないですよ?」
「……ルミエルは?」
「よく分からないんですけど、大丈夫そうです。ただ、さっきの実験については思い出したくないそうです……」
「そう。……リュミエ様って精霊が見えるって噂があるの。あの子もそうなのかしら──」
ラルムは額を押さえたままフラつきカンナへと倒れかかった。
「ラルムさん!? お部屋どこですか?」
「ご、ごめんなさい。部屋は……あそこよ……」
「分かりました。すぐ運びますからね!」
ラルムは廊下の一番奥の扉を指差した。カンナはラルムを軽々と背負うと、真っ直ぐに廊下を歩いていった。
◇◇
「くそっ。あいつは何であんなに怪力なんだよ……」
「──何だ。出ていかないのか?」
「うわぁぁっ。兄様、驚かさないでください!」
小声で会話するのはシエルとヴァンであった。シエルはラルムが心配で物陰からこっそり覗いていたのだ。
「ラルムが倒れたらシエルが出てくるだろうと思って、俺は直ぐに二人から離れたのだが……こんな誤算があったとは……」
「……。俺は、ラルムが無事ならそれでいいので。後はあいつに任せておきます……」
シエルは全て兄に見透かされていたことが分かると、開き直ったように言った。
ヴァンはそれを見て嬉しそうに笑みをこぼす。
「そうか。あいつ、という奴を信頼しているのだな」
「べっ、別に……。ラルムの部屋に俺は入れませんし、一人でいるよりは怪力女がいた方がましかなって思っただけです」
「そうか。怪力女か……。名は何という?」
「カンナのことですか?」
「姓は?」
「……忘れました。確か宿屋で働いてたとか。ただの庶民ですよ。何か気になることでも?」
「右目が……」
「疼くんですか?」
「いや……」
ヴァンはそれ以上言葉を続けず、眼帯を押さえた。
いつもより調子がいい。
右目の疼きや倦怠感もなく、落ち着いていた。
ラルムと廊下で出会い、カンナと接触した後、急に憑き物が取れたようにフッと軽くなったのだ。
今なら、右目でまた物を見ることも出来るかもしれない。
そう感じて眼帯に手をかけた。
「痛っ」
「兄様!?」
ヴァンは眼帯を覆うように手を顔に添え苦痛で顔を歪ませた。しかし、シエルの心配そうな声が聞こえ、平静を保とうとした。
「そろそろ……夜会の準備をしなくてはな」
「は、はい。それより、目は……」
「大丈夫だ。ちょっと疼いただけだ。また、夜に会おう」
ヴァンはそう言い、部屋へと戻って行った。
取り残されたシエルは、ラルムの部屋の扉を見つめ、小さくため息を吐くと自室へ向かって歩きだした。
兄の瞳を心配する気持ちと、兄に言われたことが言葉が頭を過る。
自分がカンナを信頼している。だと?
そんな筈はないが、ラルムを任すことはできる……。
これを信頼と呼ぶのだろうか。
「いや。そんなことはない。あんな庶民……」
シエルはそう吐き捨てるように呟いた。
◇◇◇◇
ラルムは誰かの背に揺られながら、暖かい光を感じていた。
この光は前にも感じたことがある。
そう。メイ子ちゃんだ……。
──ラルムは額に冷たい布が置かれ、目を覚ました。
「あ……」
「ラルムさん。大丈夫ですか?」
「あら。カンナ……そっか。さっき廊下で会ったわね。あっ、私、どれくらい寝てたかしら?」
カンナはラルムの額のタオルを受け取ると、にっこりと微笑んだ。
「今、横になったばかりですよ」
「そう。何だか、体が軽い。そっか……──メイ子ちゃんにお礼が言いたいのだけれど……どこかしら?」
「メイ子ちゃんは……」
カンナは腰のポシェットをつつく。
するとメイ子がひょっこりと顔を出した。
「むぅ? 出てもいいなのの?」
「うん。ラルムさんがメイ子ちゃんに会いたいって」
メイ子はそれを聞くとベッドの上のラルムの手の中にすっぽりと収まった。
ふわふわの毛、ほんのりと陽の香りがし、暖かい。
ラルムはメイ子を撫でながら言う。
「ありがとう。メイ子ちゃんのお陰で、すぐに元気になっちゃった」
「むぅ? メイ子は……。メイ子はとても嬉しいなのの。ラルムが元気になって」
「うふふっ。メイ子ちゃんに元気をもらったし、私、頑張らなきゃ……」
辛そうに微笑むラルムをカンナは不安げに見つめた。
「ラルムさん。無理しないでくださいね。健康第一ですからね?」
「そうね。そうだ、夜会の支度をしなくちゃ……カンナも一緒に。あ……ごめんね。メイ子ちゃんは……」
「メイ子は大丈夫なのの! 皆で楽しんでくるなの。カシィたまがヘマしないように、宜しくなのの!」
「そうね。手伝いを呼ぶから、仕度しましょう」
「ありがとうございます。あの、私、夜会とか初めて何ですけど……」
顔をこわばらせてカンナが尋ねた。
ラルムはクスクスと笑い答える。
「ああ。大丈夫よ。好きなものを食べて、好きな人と話していれば、それで平気よ……」
「それなら、ラルムはずっと、シエルと一緒なのの!」
「あー……」
ラルムは顔を曇らせた。
今までもそういった会があると、いつもシエルと一緒だった。
そう、いつも。
でも、今日ラルムの隣にいるのはきっと……。
ラルムはポロポロと涙をこぼした。
自分でも泣いていることを驚いているようだった。
「ら、ラルムさん?」
「ご、ごめんなさい。何でもないの……ちょっと、色々、心苦しくて……」
「メイ子が聞くなのの……苦しいことは皆で分けると、ちょっとだけど苦しくなくなるなの」
ラルムは肩を引くつかせて泣き始めた。メイ子をギュッと抱きしめ、その上からカンナも二人を抱きしめた。
「め、メイ子ちゃ……ん。私……わ、たし……」
ラルムは引くつきながら思いを吐露した。カンナはラルムの背を擦り、じっとラルムの言葉に耳を傾けるのだった。