第十三話 アン=フェルコルヌ
――アン=フェルコルヌ。
窓も家具も一つもない暗闇に閉ざされた部屋の片隅に、大きな鳥籠のような檻が二つ置かれている。
その檻の中で、アン=フェルコルヌは目を覚ます。
誰かに呼ばれたような気がしたからだ。
懐かしい誰かに。
アンの両手には錠が掛けられ脚にも枷がついている。
朝か夜かも分からない、陽の光が一切届かない部屋に閉じ込められて何日が過ぎただろうか。
身体が重く時折ギュッとお腹を締め付けるような痛みを感じ、そっと胸を撫で下ろす。
その時ドアの向こうから騒がしい声が聞こえた。
男達の怒号と、獣の様な唸り声が暗闇の中に響く。
部屋に一つしかない扉が勢いよく開いたかと思うと、扉横のランタンに火が灯った。
二人の男が、唸り声の主を必死で引き摺りながら部屋に入ってくると、アンの隣の檻にその生き物を投げ込み鎖と錠でしっかりと鍵をかけた。
「ったく。手間掛けさせやがって」
「やっぱり。もう一発ぶん殴っときましょうか!」
血の気の多い男達が、苛立ちながら檻に向かって悪態をつく。
すると何かが焦げるような匂いがしたかと思うと、唸り声とともに檻に荒々しく何かがぶつかる音が何度も何度も部屋に響く。
「ひっ。この檻、壊れねぇよな」
「くそっ。服が焦げてやがる。さっさとずらかるぞ」
男達は慌てて部屋から出ていった。
ランタンの火は消され部屋は暗闇に還る。
それでも唸り声の主は檻に何度も体当たりしているようだ。
檻が激しく音を立てて揺れ、血の匂いがする。
アンは隣の檻に向かって声を掛ける。
「ねえ。あなた。怪我をしているんじゃない? もうやめて」
その言葉を無視し、檻は益々ガシャガシャと音をたて続ける。
何かが焦げている様な匂いをまた感じ隣の檻をじっと見ていると、チラチラと赤い火が見えた。
「あなた、火の魔法が使えるのね。お洋服かしら? 燃えているわよ」
アンの助言に隣人は動きを止め、静かにアンの方を睨みつけた。
紅く燃えるような光を放つ二つの瞳が、アンの視界に映る。
アンはそれを見てニッコリと笑った。
「魔法を使う時、どうして私達の瞳は光るのかしら? とても綺麗ね。――火の魔法が使えるなら、このランタンに火を灯すことは出来る? 暗闇はとても寒くて」
食事の時だけ灯されるランタンを隣の檻の方へ差し出した。
紅い二つの光はランタンを見つめると、ボォと音を立ててランタンに火が灯る。
アンは灯りに照らされて浮かび上がった隣人の姿を見て驚いた。
紅く大きな瞳。
髪も瞳と同じ真っ赤な色をしている。
腰まで伸びた柔らかく癖のある髪の毛の持ち主はまだ若く、十もしない容貌だ。
手と足の枷は魔封具になっているようだが、その力を抑えきれてはいないようだ。
口元を縛っていた布がチリチリと焼け切れ、音もなく床に落ちる。
服も所々焼け焦げ、身体はあちこち傷だらけで額からはダラダラと血を流していた。
隣人を心配してアンは隣の檻に手を伸ばす。
「ランタン、ありがとう。ねえ、あなた怪我してる」
「ひっ。さっ触るな!」
アンが赤毛に触れようとした時、隣人はビクッと怯えるように肩をすくめ後ずさりした。
ここに連れて来られる者は皆訳有りだ。
まだ子どもなのに、きっと辛い目に合ってきたのだろう。
「ねえ、あなたの魔力。少し頂戴。――世界を廻る精霊よ。我が友よ。光と共に傷を癒せ」
呪文を唱えると、アンの身体から白い光が溢れだした。
紫色の瞳は艶やかに光に照らされ、銀色の角も光を纏う。
赤毛の子は魔力を吸われたせいか、身体から力が抜けその場に座り込んだ。
その瞳には光を纏う魔獣の姿が映る。
見たこともない角の生えた生き物を前に、身体が強張り辛うじて口だけ動かす。
「お、お前。何する気……」
怯えながらそう言いかけた時、アンの光の中に取り込まれた。
それは赤毛の子には見たことも触れたこともないような、暖かい光だった。
「私は、アンフェルコルヌ。あなたお名前は?」
何も見えない。
ただ白い光の中で、アンの声だけが優しく響く。
紅い瞳から涙が零れた。
名前を聞かれたことなど、今まで生きてきて、一度も無かったからだ。
そうだ……名前は、
「ス……スピラル」
か細い声でスピラルは答えた。
辺りが余りにも眩しくて、スピラルは瞳を閉じて光に身を任せた。
不思議と身体の痛みも心の痛みも和らいでいく。
随分と昔、感じたことのある温もりだ。
「ああ。……母さんみたいだ」
スピラルはそう言葉を残し、緊張の糸が切れたのか、同年齢の子どもと変わらぬ寝顔で床に小さく丸くなって眠りについた。
「ゆっくりおやすみ。スピラル」
アンはまるで我が子を撫でるように、スピラルの頭を優しく撫でた。
夕焼けを背に、カシミルドとカンナは宿屋ビスキュイへの帰路につく。
大通りに建ち並ぶ店先に付けられた街灯はポツポツと光り始めた。
カシミルドが点灯を始めた街灯を目で追っていると、カンナがそれに気付き楽しそうに教えてくれた。
「すごいでしょ。この街の街灯は勝手に付くんだよ! これは、ソルシエール製だよ」
「へぇー」
街灯という物すら初めて見るカシミルドは、物珍しそうに辺りを見回しながら答えた。
夕方だというのに大通りは人で溢れていた。
暗くなる前に家に帰ることが当たり前だったカシミルドは、街灯など考えもしなかった。
都会の人は忙しいから、夜でも外を明かりで照らして働いているのだと感心した。
そんな事を考えながら歩いていると、カシミルドはいつの間にか人の波に流されそうになるが、カンナに手を引かれ何とか流されずに済む。
「ねえ、カンナ。もう夕暮れなのに、王都ってこんなに人が多いの?」
「明後日、選定の儀があるからだよ。普段はこの半分くらい」
半分でも多いよ……とカシミルドは心の中で思った。
しかし十五歳までしか参加できない筈なのに、子どもよりも大人の方が通りに溢れている。
カシミルドの納得していない表情をみて察し、カンナが説明を足す。
「遠くの村や町から来ている人が多いのよ。子どもだと、一人では来られないでしょ? 親も同伴なの。それに、城に行けるなんて一生に一度あるかないかでしょ? だから、王都中の宿屋が今日は満員……いけない!! そろそろ夕食だ! 急がなきゃ!」
カンナは急に慌ててカシミルドを急かした。
そして急ぐ理由も知らされぬまま、人混みを縫って二人で大通りを駆けて行った。
宿屋ビスキュイに戻ると、食堂は大賑わいだった。
「ポムおばさん! ごめんっ」
カンナは厨房へと駆け込んでいった。
食事を運ぶ手を止めて、ポムおばさんがカンナの帰還を大いに喜ぶ。
「あら良かった~。混んできちゃってね。助かるわ~。あら? 坊や。元気になったのね」
カシミルドに気付くと、ポムおばさんはカシミルドの背中を思いっきりバシンッと叩いた。
ゲホッ、ゴホッ。カシミルドは派手にむせ返る。
それを見てポムおばさんは、
「あら。悪かったわね。あはははは。カンナちゃんの彼氏、可愛いじゃない~」
店中に聞こえるような大きな声で笑った。
おばちゃんは周りの視線に全く気付いていないが、二人に回りの視線が集まる。
おそらく常連客と思われる少年やおじさんが、カシミルドを睨んでいる。
カンナもそちらの視線には気付いていないようだ。
手を洗い終えると、顔を真っ赤にしながら、ポムおばさんに反論する。
「もう。ポムおばさんったら! 彼は、私の従兄のカシミルド=ファタール君です! さっき連れてきた時に言ったのに……」
「あはははは。そうだっけ~。お似合いだから本当は彼氏なのかと思ったわよ。儀式で来たのかい? 今日は混んでいるからね。後で夕食をご馳走するよ」
「あっありがとうございます」
カシミルドがポムおばさんに向かってペコリと頭を下げてお礼を言った。
ここでは偽名が使われているようだ。
自己紹介の時は気を付けなくては。
「じゃあ、先に上がっていて。私は手伝いをしてから行くから」
カンナが慣れた手付きでエプロンを着ける。
ポムおばさんのエプロンは普通の真っ白いだけのエプロンだが、カンナのエプロンには可愛らしくフリルやリボンがこれでもかとばかりに付けられている。
カシミルドがエプロンを凝視していると、ポムおばさんがこっそりと耳打ちした。
「可愛いだろう? ごめんね~。これ、うちの旦那の趣味なのよ」
そしてポムおばさんは、あははははっとまた大笑いし、カシミルドの背中を勢いよく叩いた。
今度は衝撃に耐え、カシミルドは咳き込まず苦笑いした。
カンナはカシミルドの背中を擦ると
「また後でね」
と言いながらカシミルドの肩に手を乗せ、階段の方へカシミルドを促した。
そしてカシミルドは、背中を擦りながら二階のカンナの部屋へと上がって行った。




