第九十話 カンナとルミエル
カンナとルミエルは特に会話のないまま各々のベッドに横になった。
カンナのベッドには先客がいた。
先に部屋で休んでいたメイ子だ。
メイ子の分の宿泊予約はされていないので、部屋で待っていたそうだ。待っている間に寝てしまうとは、何とも可愛らしい。カンナは愛しそうにメイ子の額を撫でた。
隣のベッドでは、ルミエルが可愛らしい桃色のネグリジェに着替え、マイ枕を何処からか出し、キチンとベッドメイクしてから横になっていた。
意外と几帳面な所作にカンナは感心する。
ルミエルはそんなカンナの視線に気付きつつもマイペースに支度をし、カシミルドから奪った杖を抱きしめて瞳を閉じた。
寝る時も離そうとしないとは……ルミエルはカシミルドの事が本当に好きなのだとカンナは感じ、胸がギュッと締め付けられる思いだった。
胸を押さえてみるも、痛みが引く気配は無い。
カンナはどうしたらいいのか分からず、小さく息を吐いた。
今まで、困った事があるとパトに相談していた。
しかし、そのパトは王都を離れるという。
大切な心の拠り所を失った様な、感覚に囚われ、寂しくて仕方なかった。
──ふと、カンナは視線を感じて瞳を開いた。
隣のベッドで寝転ぶルミエルが、こちらを見ていた。
「ルミエルさん?」
「……カンナ。カシミルドの事、どう思ってますの?」
「えっ……」
ルミエルは真剣な目付きでこちらを見据えていた。
ルミエルの気持ちを知っているカンナは、どう答えてよいか分からず戸惑ってしまった。
その戸惑いの中には、自分自身の気持ちが分からないことも含まれている。自分にとってカシミルドとは、どんな存在なのか。
「幼馴染みなのでしょう?」
「う、うん。でも、一緒に過ごしたのは、小さい時だけだったから……」
「ふーん。私も小さい頃のカシミルドを見たかったわ……」
不満そうに口を尖らせるルミエルは、小さな子どもの様だった。ルミエルが子どもの頃はどんな子だったのだろう。
カンナはルミエルとカシミルド、二人の子どもの頃を思い浮かべ、自然と顔から笑みが溢れた。
「ふふっ。カシィ君も、今とあまり変わりませんよ?」
「そう? なら、よろしくてよ」
ルミエルはそっとカシミルドの杖を握り、満足そうに微笑んだ。
無邪気で可憐なルミエル。カンナの目にはそう映っている。
こんな可愛らしい人なのに、カシミルドは何故ルミエルの事が苦手なのだろう。ボーッとルミエルを見つめるカンナの視線にルミエルも気づいた。
「どうかしまして?」
「……可愛いなぁ。と思って……」
「わ、私の事ですの!? い、いつもフェルコルヌ臭いカンナなんかに、好かれたくありませんの!」
顔を急速に紅くして慌てふためくルミエルに、カンナは可笑しくて仕方がなかった。
「あははっ。やっぱり可愛いなぁ。ルミエルさんは、いつも素直ですね……」
「べ、別に普通よ。カンナに可愛いと言われても嬉しくありませんの」
「私じゃなくて、カシィ君に言われたいんですか?」
ルミエルは顔を赤らめながらカンナを睨み付けた。
からかいすぎてしまったかもしれない、とカンナは反省する。
「だ、大丈夫ですよ! カシィ君は優しくって素直ですから……可愛いと思ったらすぐ口に出すと思います。……天然でマイペースで掴み所のない部分もありますけどね」
「優しくて、素直で天然ね──あなたは、本当の彼を知っているの?」
「本当の……?」
ルミエルの瞳は、遠い彼方を見ている様だった。
本当の彼と尋ねられ、カンナはどうしてか、自分のせいでカシミルドの力が暴走した時を思い出した。
それから一緒に王都の夜空を飛んだこと。
崖から落ちて助けてくれた時のこと。
浮かんできた記憶は、黒い翼を生やしたカシミルドばかりだった。
「私は知っている。本当のあの人を……だから誰にも渡さない。今度は私が、あの人を幸せにしてみせるんだから。今度こそ、私の番なのだから……」
ルミエルは叶えられなかった過去に悔いるように、そう語った。
「あの人って……誰ですか? カシィ君じゃ、ないですよね?」
ルミエルはハッと目を開くと、一筋の涙を流した。
「……あの人は……あの人はカシミルドの事よ。もう寝ますの!」
ルミエルは急に怒り、くるりと寝返りをうつと黙り込んでしまった。
どうやら怒らせてしまったようだ。
カンナは自分の口にしたことを思い返す。
しかし自分は間違っていないだろう。
ルミエルが言うあの人はきっとカシミルドではない。
だとしたら誰なのだろう?
ルミエルが求めるあの人は、カシミルドと何の繋がりがあるのだろうか……。
カンナは考え込む内に、そのまま眠りについたのだった。
クロゥはカンナとルミエルの会話を窓の外から盗み聞きし、ホッと息を吐いた。
「バレてはねーか……」
そして二人が寝静まったことを確認すると、カシミルドを呼びに行った。
◇◇◇◇
カシミルドは窓からこっそり女子部屋に忍び込んだ。
窓のすぐ隣のベッドでルミエルが眠っている。
テツから借りた、カシミルドの杖を抱いて。
それを見るとカシミルドは目を細めた。
「うわぁ。参ったなぁ……」
「ん? カシミルドの目的は杖の奪還か?」
「うん。クロゥも起きないことを祈ってて……」
カシミルドは大きく息を吸い込むと、息を殺して──むしろ止めたまま、ルミエルに手を伸ばした。
クロゥはそれを固唾を飲んで見守った。
指先に杖が触れる。ルミエルは動かない。
案外簡単に取り返せそうだ。
しかし、カシミルドがルミエルの腕から半分ほど杖を引いた時、急に杖が動かなくなった。
「あれ?」
「……あれ? じゃありませんのよ。カシミルド?」
ルミエルは杖を引き、むくりと起き上がると至近距離でカシミルドを睨み付けた。口元は緩み、カシミルドの行動など全てお見通しといった表情だ。
「あ……おはよう。ルミエル」
「フフフ。おはよう? 夜這いにでもいらしたのかしら?」
「ははは……バレちゃったか」
「? 夜這いですの?」
「うん。クロゥがそう言ってたけど……あれ。クロゥは?」
「逃げたみたいね。それとも……わざと二人きりにしてくれたのかしら?」
ルミエルはカシミルドの手を握り、上目遣いで見つめ返した。カシミルドは、ルミエルの視線に耐え兼ね目を逸らすと苦笑いを浮かべる。
「……僕も部屋に戻って寝ようかな~?」
「夜這いに来たのではなかったのですか?」
「でも、バレちゃったから。今日はもう、杖は諦めるよ」
「杖? ああ。杖を取りに来ただけでしたの……」
ルミエルは口を尖らせ、胸に抱いた杖を恨めしそうに眺めた。カシミルドが夜這いの意味など知らないのだな、と察する。
「じゃあ。おやすみ」
決まり悪げにそそくさと窓から外へ出ていこうとするカシミルドを、ルミエルは呼び止めた。
「ねえ。カシミルド? この部屋、バルコニーがついていますの。一緒に星空でも眺めませんこと?」
「…………」
「カシミルドのせいで起こされてしまって眠くありませんの! 付き合ってくれたら、杖は返して差し上げますわ」
淀んでいたカシミルドの表情がパッと明るくなる。
「じゃあ。ルミエルが眠くなるまで付き合うよ」
「フフフ。さぁ。こっちですの」
ルミエルに手を引かれ、カシミルドはバルコニーへと足を向けた。