第八十九話 宿屋にて
宿屋の一階の食堂は、カシミルド達だけであった。先発隊付きの教団の精鋭部隊も、同じ宿にとまっているそうだが、早々に休んでいるそうだ。
エテはとても静かな街だった。エテの名物である湖には、冬になると他の島から渡り鳥が来るらしく、その時期は鳥を見るために沢山の人が訪れるらしい。今は繁盛期を終え、街は落ち着いていた。
夕食はパトとレオナールを迎え、六人でとることになった。
レオナールはパトの言うことはよく聞き、素直に同じテーブルで食事をした。
パトは食事中、カシミルド達に先発隊の様子や動向を詳しく聞いてきた。先発隊の日程は詳しくわからないが、今後の後発隊の日程を話すと、パトは唸り考え込んだ。
「う~ん。明日の夜会までは動きは無さそうね……何かあるとしたらそれ以降かしら……それから、ミィシアのことは、どうだった? 街でそれとなく探ってみたのだけれど。手掛かりはなかったの……」
「あのさ。この前みたいに、魔法で探せないのか?」
レオナールがカシミルドをチラチラと見ながら尋ねると、ルミエルは食事の手を止め目を細めた。
「やめた方がいいですの」
「えっ何で?」
「……ここの人達は魔法に関して詳しい者ばかりですの。街の中でそんな魔法を使ったら、逆に探知されてカシミルドを問い詰めると思いますわ。何故探るのか? お前は何者か? とか」
「それは危険ね。──レオナール。ミィシアは二人で探しましょう」
パトの判断にレオナールは渋々頷いた。
やはりパトには従順だ。
「明日また、屋敷の中も探ってみるよ。夜会の時に、先発隊の人とも話せるかもしれないし」
「ありがとう。カシミルド君。それと──」
パトはスピラルの方に視線を動かした。スピラル、というより、その指に嵌められたサラマンドラが宿る指輪を見据える。
カンナは心配そうにスピラルとパトを交互に見た。
「サラマンドラのこと……パトさんはどうしたいの?」
「火口に棄てて灰に戻したいわ」
パトはサラッと言い切った。
カンナは荷馬車での出来事を思い返し考え込んだ。
サラマンドラにも意思がある。
それを消すのは、可愛そうだと。
「……サラマンドラ、物識りだし、根っからの悪い子だとは思えないんだけど……」
カンナの言葉にパトは首を捻る。
パトは一体、サラマンドラにどんなイメージを持っているのだろうか。
「でも、あいつの手に渡ったら厄介だし。悩みの種は芽吹く前に消し去りたいの」
スピラルはそれを聞くと俯き、ブツブツと独り言を呟いた。
サラマンドラが文句を言っているのだ。周りの者には聞こえていないが、カシミルドにはどちらの声も耳に届いていた。
「パトさん。……サラマンドラは、パトさんが剣を渡す予定だった人の事、よく思っていないみたいだよ。何不自由なくぬくぬくと育った貴族のボンボンは嫌いなんだって」
カシミルドがそう言うと、スピラルがまた盗み聞きかという表情でカシミルドを見た。そんなスピラルにカシミルドは苦笑いを浮かべる。
「そう……。サラマンドラらしいと言えばらしいわね。だから、ヒュン以外の者には従わなかったのね。彼の後継者は誰もあの剣を引き継げなかったの。次期当主は期待されていたけれど……」
パトはスピラルをじっと見つめた。
なら、どうしてこの子が後継者になれたのか。
「じゃあ。スピラルが持っていてもいいよね」
「好きにするといいわ。まさか指輪の形状になっているなんて、誰も思わないだろうし」
「でも、パトさんは大丈夫なの? 届けられなかった事がバレたら……」
パトは下唇を噛み顔をしかめ、レオナールに視線を伸ばした。
「私、もう王都に戻るつもりはないの。火剣は奪えたし、七煌も……手放した。──いい機会だし、レオナールと里に帰ろうと思うの」
「え……」
カンナは口元に運んだスプーンを止めテーブルに手を下ろした。
そしてパトを見つめる。
いつも助けてくれたパトが王都からいなくなる。
そんな事、考えたこともなかった。
「カンナちゃん。そんな顔しないの。カンナちゃんにはカシミルド君もいるし、もう大丈夫でしょ? 私も、家族の所に帰ろうと思うの。それだけよ?」
パトはそう言うとレオナールに微笑みかける。
それをレオナールは喜んでいるような、悲しんでいるような、複雑な表情で見ていた。
その後、会話は弾むことなく食事を終え、各々の部屋で休むことにした。
◇◇◇◇
レオナールは、窓辺で星を見上げるパトの背中をベッドに寝転び眺めていた。とても寂しげなその背中に、戸惑いながらも疑問をぶつけた。
「パトリシア様は、俺と一緒に里に戻るんですか?」
「そうよ? どうして?」
「……王都で誰かを待っているって聞いていたので……」
「……もういいの。私が待っていた人には、会えないから……」
「何故ですか?」
「……約束を破ったから。彼が託した七煌を……私は手放した。──でも不思議ね。七煌はあの王子を選び、火剣はあの小さな少年を選んだ。どちらも三百年の永い時、主人を選ばずにいた剣なのに……これもあの子が生まれたからかしら……」
「あの子? カンナ……ですか?」
「……カンナちゃんか……」
パトリシアは星空から視線を外し、湖に目を向けた。
「パトリシア様は、カンナとどんな関係なのですか?」
「あの子は、妹のような娘のような……そんな存在よ。生まれてすぐに捨てられたあの子を、最初に抱きしめたのは、私だもの……」
「捨てられた?」
「──のシナリオ通りに、カンナちゃんは捨てられたのよ。あの子を守るために……」
「守るため……?」
パトは悲しげに微笑むと、ベッドに倒れ込んだ。
そして大きなため息をつくと、レオナールをからかう様に目を向ける。
「レオナール。カンナちゃんのこと好きなの? 気になるの?」
「えっ。ちっちが、違います!?」
「慌てちゃって。可愛いわね。──でも、カンナちゃんは諦めなさい。あ~。人間だからじゃないわよ?」
「別にそんなんじゃないですから。おやすみなさい!」
レオナールは掛け布団を頭まで被ると、枕に突っ伏す。
パトリシアの笑い声が聞こえるが、聞こえないふりをした。
◇◇◇◇
カシミルドは部屋に着くなり窓辺に立ち、外へ向け手を翳した。
「風の精霊よ。我が名は──」
「ちょっと待った! カシミルド、探知魔法はルミエルが止めた方がいいって言ってただろ」
スピラルはカシミルドの前に立ち、翳した手を払い落として訴えた。カシミルドは呪文を止め、迷惑そうにスピラルに目を向ける。
「……夜ならバレないかな、って思ったんだけど……」
「皆にも迷惑だから止めろってば……」
「分かった。止める……」
スピラルは頭を掻きながら窓辺のベッドに腰を下ろした。
カシミルドも空いたベッドに仰向けに寝転んだ。
結局部屋割りは男女別にした。
一番自然な分け方だと思う。
しかし、スピラルのベッドにはアヴリルが転がっているし、ついでにサラマンドラとクロゥもいる。
男性が苦手とは言うが、二人っきりではないのだから、きっと大丈夫だろう。
窓辺で羽を休め、クロゥは笑って言った。
「ケケケッ。良かったな~カシミルド。男友達を作るチャンスだな! 風の兄ちゃんよりは話が合うんじゃないか?」
クロゥの言葉にカシミルドとスピラルは顔を見合わせた。
──友達。二人ともそんな存在はいなかった。
歳は少し離れているが、精神年齢は近い気がする。
スピラルは恥ずかしそうにアヴリルを抱きしめ顔を埋めた。
カシミルドは考えた。
スピラルと仲良くなれば、スピラルの男嫌いも少しはよくなるかもしれない。
それに、友達が欲しい。一石二鳥ではないか。
「よぉし! スピラル。今夜は男同士、語り明かそうっ! ……って、寝てるね」
「……寝てるな」
スピラルはアヴリルを抱きしめ、スヤスヤと寝息を立てていた。
「僕も寝ようかな……あっ。その前に……」
カシミルドは急に思い立ち、窓枠に足をかけた。
それを見てクロゥは驚いて跳び跳ねる。
「なっ、何してんだよ!?」
「あ、クロゥ。ちょっと隣の部屋に行ってさ、カンナとルミエルが寝ているか調べてきてよ」
「……夜這いでもする気か?」
「夜這い?」
「女の子を襲いに行くことだ」
「まぁ。そんなとこかな。ほら、見てきて!」
「うぉっ。マジか。カシミルドがそんな事を口走る日が来るとは……」
「いいから行ってきて!」
クロゥは喜んでいい様な、よくない様な……複雑な心境のまま、隣の部屋を覗き見することになった。