第八十八話 演習室での戯れ
「ちょっ!? 危ないじゃないですか!!」
カシミルドは飛んできた斬擊を寸での所で避け、声を荒げた。その斬擊を放った張本人、テツは剣を担ぎ上げ愉しそうにカシミルドを見返す。
「はははっ。それぐらい避けるか魔法で相殺したまえ!」
「……ぅぅ。分かりました! 怪我しても知りませんからね!」
「それはこっちの台詞だ」
──演習室の片隅で、ルミエルは呆れた顔で二人の会話を眺めていた。カシミルドは杖を構え直し、テツは輝剣七煌を両手で握りカシミルドに向ける。
何故このようなことになったのかというと──。
カシミルドが魔導書を試そうとした時のことである。カシミルドが選んだのは天気を変える魔法についてだった。雨を降らすページを眺めるカシミルドに、ルミエルは素朴な疑問をぶつけた。
「室内で何て事をしようとしてますの?」
「えっ……駄目かな? 雨を降らす事が出来たら、畑の世話が楽なのに……じゃぁ……」
カシミルドは風の魔法に関する書物を手に取る。
そしてページを捲るとぶつぶつと独り言を呟いた。
「箒で空を飛びたいんだよね……あるかな……」
「何故……箒ですの?」
「え? 何でかな……姉さんが箒で飛んでるのを見たからかな?」
「ふーん。変ですの。……でも、室内でそんな事したら天井に頭をぶつけますわ」
「それもそっか……。じゃあ……」
「これなんかどうだ?」
クロゥは地の魔法に関する書物をカシミルドに見せた。
「ああ。これ、書庫にもあったけど、植物の本じゃなかったんだ……種から植物を成長させて操るのか……」
「これなら相手を捕らえて動けなくできるし……庭の野菜も良く育つんじゃねーか?」
「確かに! 使えそうだね。じゃあ種をまず探さなきゃ!」
カシミルドが本を手に立ち上がると、クロゥは羽毛の間から小さな赤い木の実を取り出しテーブルの上に置いた。
「ほい。森で拾った木の実」
「さすが鳥だね! クロゥ!」
「それは誉められているのか?」
「……でも、カシミルドがそんな物を成長させたら、天井を突き破りますの。まずは花がいいと思いますわ」
「そっか。じゃあ、花の種を探しにいこう!」
カシミルドが扉の方へ向かうおうとすると、演習室の扉が開いた。顔を出したのはテツだった。
「お。いたいた。今は何をしているんだ?」
「花の種を探して、それを成長させる魔法の練習をしてみようと思っていたんです」
「……成る程。ではこれで……」
テツは廊下に活けられていた花瓶の花を一輪取り、カシミルドに手渡した。
「あ、ありがとうございます」
「種じゃなくても出来そうだもんな」
「あ、でもテツさんは何の用で?」
「私は……」
テツは扉が閉まっていることを確認すると、腰の剣を引き抜いた。
「七煌を振りに来たんだ。良かったら相手をしてくれないか?」
「……はい?」
──数十分後、ルミエルは小さな溜め息をついた。
美しかった一輪の花は見る影もなく、カシミルドの魔力で成長を遂げ、テツを捕らえようと四方八方にうねうねと根を伸ばしている。
それをテツが笑いながら切り裂く。七煌の力を試したいとか言っていたが、ただ剣を振り回したいだけなのではないだろうか。しかも、カシミルドの魔法を相殺するだけでなく、反撃までしている。
「……馬鹿馬鹿しい。男って何なんですの?」
「……」
テーブルの上の黒鳥──クロゥに向けて言ったのだが、反応はなかった。クロゥは、地の魔法に関する書物を熱心に読んでいる。わざと無視したと言うより、本気で聞こえていないようだ。
「……何よ。無視だなんてムカつくわね」
「ん……何か言ったか?」
「別に……」
「まぁ。いいんじゃねーか? カシミルドも上達してるし……」
ルミエルはカシミルドに目を向けた。確かに、上手く植物に魔力を送り込み、根を生やし蔦を伸ばさせコントロールできている。しかもテツが不意に撃ち込む斬擊にもよく対処している。
「テツは、何の為にカシミルドを鍛えているのかしら?」
「ただ遊んでるだけだろ……」
「それもそうね……きゃっ」
その時、ルミエルに向かってカシミルドが消し漏らした斬擊が飛んできた。咄嗟に避けはしたものの、当たっていたら顔に傷が出来ていただろう。
乱れた髪を直すと、ルミエルはゆっくりと指輪に口づけをした。
「あー。怒らせたぁ。俺知ーらねっ……」
クロゥは瞳に光を宿し小声で呪文を唱えるルミエルから身を引いた。すると演習室のドアがノックされ、カンナとスピラルが恐る恐る入室してきた。
「あっ。カンナちゃん。俺の後ろに隠れとけよ」
「えっ? 何で……うわぁ……」
カンナはスピラルを庇うように抱き寄せクロゥの後ろに身を隠した。
髪を逆立て、指輪から魔力を溢れさせるルミエルの後ろ姿を見たからだ。ルミエルはズンズンと一歩ずつ、何故か戦っている様子のカシミルドとテツの元へと歩み寄る。
「クロゥ。二人は何してるの?」
「遊んでるんじゃねーの。んで、ルミエルは、とばっちり食らって切れたとこ」
「そっかぁ……」
カンナが呆れたように息を吐くと、ルミエルが呪文を唱え始めた。しかしカシミルド達は気付いていないようだ。それほどお互い夢中で遊んでいるのかもしれない。
◇◇
街の宿へ向かう小舟の上に、余り物メンバーの四人と船頭がいた。
「ルミエルごめんってば~」
「ふんっ。許しませんの!」
ルミエルはカシミルドの杖を抱きしめ、頬を膨らませた。
カシミルドはカンナに助けを求め視線を向けるも、笑ってはぐらかされた。
「ルミエル。杖返してよ。……テツさんには剣を返してたでしょ?」
「……剣は重くて持てないから返しましたの。杖なら持てますから、カシミルドが反省するまで返しませんわ」
ルミエルは演習室での二人の遊びに怒り、光の鎖を無数に具現し、カシミルドとテツの武器を取り上げたのだった。
今はカシミルドの杖をがっしりと抱き、絶対に離さないといった様子だ。
カンナとスピラルは二人の会話をじっと黙って聞いていた。さっきからずっと二人の会話は平行線である。
それに、カシミルドは反省しているというより、テツから借りた杖を返してほしくて仕方がないようだった。
ルミエルが許そうとしないのは、そんなカシミルドの心が透けて見えているせいではないだろうか。
「カシィ君が反省してないのも悪いと思うよ?」
「だって、危ないから別の部屋に行ってって言っても、移動しなかったルミエルだって……」
「へぇ~。部屋を破壊しそうだった貴殿方を止めた私が悪いんですのね~。この杖は私が貰おうかしら?」
「ルミエル。ごめんってば~」
と、同じことばかり繰り返している間にエテの宿屋前に小舟は止まった。三階建ての大きな宿だった。ルミエルは宿を見上げて不適な笑みを浮かべる。
「カシミルドが私と同じ部屋で今夜過ごしてくれるなら……杖を返して差し上げますの!」
「えっ。部屋は二つ借りてあるんでしょ? 僕はスピラルと二人部屋でいいよ」
「「えっ???」」
スピラルとカンナが同時に疑問の声を上げた。
口には出さなかったが二人とも同じ事を考えていた。
ルミエルが一人部屋で、スピラルとカンナとカシミルドが同じ部屋だと。
「あれ。二人ともどうしたの? ラルムさんも言ってたよね。部屋割りは男女別でって……」
スピラルはいつも通りの無表情のまま、指輪に視線を落とし呟いた。
「俺は……」
「僕とじゃ……嫌?」
「……男は苦手で……」
スピラルは無意識の内に鞄の中のアヴリルを撫でながら、口ごもった。空かさずルミエルが間に入る。
「なら、私と二人で……」
ルミエルの期待の込められた言葉を、カシミルドが遮った。
「駄目だよ。──スピラル、男嫌いを治そう!」
「えっ。別にいいよ……」
スピラルはカシミルドの突然の提案に身構え首を何度も横に振った。ルミエルもそれに同調する。
「そっそうですの! 嫌がる男の子を無理矢理なんて駄目ですわ!」
『嫌がる男の子~? 何の話を、恥ずかし気もなく大声でしているのかしら?』
宿の方から聞き覚えのある女性の声がした。
皆一斉にそちらへ視線を向ける。
「「パ、パトさん!?」」
宿の船着き場にはパトが立っていた。フード付きのマントを羽織り、一見誰だか分からなかった。
「同じ宿みたいね。船頭が困っているじゃない……中で話しましょう?」