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天使の祝福があらんことを  作者: 春乃紅葉@コミック版『妹の~』配信中
第二章 東方への誘い 第四部 魔兵器と魔獣の隠れ里
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第八十七話 シエルの兄

 ヴァンは自室で報告書に目を通していた。


 いつもなら膝の上に白いルナールを載せて仕事にあたっているのだが、今日は違う。部屋に人が居るからだ。

 ルナールは篭に入り縮こまって震えていた。


「……で。何の用だ?」


「いや~。良かった良かった~」


 部屋中をぐるぐると歩き回る大男、ラージュはニヤニヤしながら、何度も同じ台詞を繰り返していた。


「いつまでそうしているつもりだ? ラージュ」


「だってよぉ。可愛がったんだよ! 俺の婚約者が! 制服と眼鏡で隠されてはいたが、全部取っ払ったら完全に俺の好みだ!!」


 ラージュは拳を高々と掲げ吼えた。ヴァンは頭を抱える。

 うるさいし暑苦しいし、何よりルナールが怯えているからだ。


「良かったな。おめでとう。祝福するよ。……さあ、後はヴェルメイユにでも聞いてもらえ」


「何だよ~。ヴェルメイユはお前のことばっかで聞いてくれないんだよ……」


 ラージュは肩を竦めてルナールの篭をつつき始めた。ヴァンはそれを不快そうに眺めると、扉がノックされた。


『兄様。シエルです……』


「ラージュ。弟が来た。席を外してもらえないか?」


「おう。分かった!」


「シエル。入りなさい」


「失礼します」


 シエルが扉を開けると目の前にはラージュが立っていた。

 今一番見たくない男の顔に、シエルはつい声を漏らした。


「……げっ」


「……? 今何か言ったか?」


「いえ。何も……」


「そうか。まぁ。俺は今機嫌が良いんだ。細かいことは気にしない」


 シエルはラージュを怪訝そうに見上げた。

 ラージュは余裕のある笑みを浮かべる。


「シエル。ラージュは婚約者にご執心だそうだ。放っておけ」


「まぁそういうことだ! 俺のラルムに会いに行ってくる。またな!」


 ラージュはシエルの背中を平手で叩くと、廊下を颯爽と歩いていった。その背中をシエルが睨みつけているとも気づかずに。


「シエル? 部屋に入りなさい」


「はい」


 シエルはゆっくりと扉を閉めた。


 ヴァンは扉が閉まるのを確認すると、小さな篭から白い狐のような生き物を出し、胸に抱き上げる。

 見たこともない真っ白な生き物に、シエルは目を奪われた。


「兄様。その生き物は何ですか?」


「シエルに紹介しようと思っていたんだ」


「紹介?」


「ああ。これは、ルナールの子どもだ」


「る、ルナール?」


 白いルナールはヴァンに懐いている様だった。ヴァンの胸に顔を擦り当て、クゥクゥと小さく鳴いている。ラルムが好きそうだ。


「まあ。座れ。……このルナールは近くの村で売られていたそうなんだ。腕を怪我していてな。大分よくなったから、そろそろ仲間の元に帰してやりたい」


「それは……そいつを餌に、魔獣の棲みかを探すってことですか?」


 ヴァンは一瞬驚いた顔をして、笑って首を横に振った。


「違うよ。シエル。ただ帰すだけだ。……色々調査をしたが、魔獣による被害なんて出ていないからな」


「でも。それで……納得するんですか?」


「……王都の御偉いさん方か? それとも他か?」


 ヴァンはシエルを試すように、しかし何処か優しい眼差しを向けた。


 兄なら聞いてくれる。そしてきっと、偽りなく答えてくれる。

 シエルはそう感じ、口を開いた。


「……王都の地下で、魔獣を売買する闇オークションがありました。あれは、魔獣が襲ったのではなく、商品だった奴隷の少女が暴走したから崩壊したのです」


 ヴァンはルナールを一撫でし、瞳を閉じた。


「……そうか。あの話は、邪魔なルナールを排除したい連中に利用されただけか……ならば、テツ様はどっちなのだろうな?」


「どっちと……言いますと?」


「自ら志願して視察団を形成したと聞く。テツ様はルナールを排除したい側の人間なのか。それを邪魔したい側の人間なのか。ということだ。──シエルはどう見る?」


「……」


 シエルは解答に迷った。


 テツは魔獣との関係を壊したくないと言っていた。

 しかし、いつも何かを隠している。

 蜥蜴のことも言及しないし、カシミルドやカンナ、レオナールとはよく話しているのに、自分には何も話してくれない。


「どうした? 何か気になることでも?」


「……よく、分からないんです。テツ様は、何故か剣の腕が凄くて……それに、魔法を無効化できる体質だそうなんです。でも、いつも何かを隠している様で……いい人だとは思うんですけど、俺の事は信用してないと思います」


 シエルはテーブルに視線を落とし、寂しさと悔しさの入り交じった声で述べた。ヴァンはルナールを撫でつつ、また瞳を閉じた。


「……テツ様は食えないお人だ。誰にも心は開かないだろう。しかし、魔法を無効化か……それは本人から聞いたのか?」


「……はい」


「ならばシエルは信頼されているのだよ。俺もシエルのことは信頼している。しかし、後発隊は一般人も多いからな……ルナールの事は後発隊には知らせないでくれ。それから念のため、テツ様にも……」


「わかりました。兄様」


「──それから……フォンテーヌの娘とは仲が良いのか?」


「へっ? べ、別に……」


 ヴァンはシエルの動揺する姿を見て、笑いを堪えた。


「隠さなくてもいいだろ? シエルがずっとあの娘の隣を独占していた事は知っている」


「ど、独占って……そんなつもりは……」


「明日の婚約発表……アジュール氏はとても楽しみにしていたな……」


 ヴァンから顔を隠すようにシエルは俯いた。シエルがどんな顔をしているか、ヴァンには想像がついていた。


「そんな顔をするな。シエルがあの娘の隣を今後も独占したいなら……俺が手を貸すぞ?」


「えっ?」


「……そんなに嬉しいのか……」


「いや、別に……」


 シエルは顔を赤くして俯いてしまった。


「メディ=アンヴァンには会ったか?」


「……研究室の?」


「ああ。そうだ。……メディは優秀な研究員であり、アジュール氏の甥、サージュの妻。そして、アジュール氏のお気に入りなんだ。それから──ソルシエール分家の令嬢でもあった。だから、アジュール氏はソルシエール家を贔屓にしている。しかも、娘の相手に名が上がったのが、本家の跡継ぎだからな……だが」


 ヴァンはそこで言葉を切り、シエルを真っ直ぐ見つめ返した。


「……俺なら、ラージュより条件がいい……」


「へ?……兄様が?」


「ああ。俺は英雄という肩書きがあるからな……まぁ。明日の会を壊すことは好ましくない。──しかし。俺なら婚約を取り消すとこもできる。だが今は我慢していてくれ。いいな?」


「……はい。あ、ありがとう。兄様……」


「ああ。──そろそろ後発隊の半分が街に下るんじゃないか? シエルも挨拶してきなさい」


「は、はいっ」


 シエルは立ち上がり深くお辞儀すると、部屋を出ていった。



 扉が閉まると、ヴァンの胸でクゥンと小さくルナールが鳴いた。


「どうした?」


「……クゥ」


 ルナールはヴァンの膝から飛び降りると、ベッドに転がりシーツの中に潜り込んだ。

 そして淡い光を放ち、モゾモゾと体をくねらせながらシーツから顔を出した。三角のフサフサの耳をピンと立て、銀色の真っ直ぐな髪が無造作に顔に落ちる。


「何か話があるのか?──ミィシア?」


「……うん」


 ミィシアは小さく頷くと、シーツを体に巻き付けヴァンの元へと歩み寄った。シエルが座っていたソファーを横目で見やり、顔をしかめる。


「どうした? シエルと話したかったか?」


「……ううん。人は……怖い。でも……」


 ミィシアはヴァンの膝に腰掛け、背中に手を回しギュッとしがみついた。


 安心する──人はとても怖い存在だと知ったばかりだったが、ヴァンにだけは心の拠り所であった。


 さっきまでヴァンが話していたシエルという人間。

 彼から微かだが懐かしい匂いがした。


 ミィシアは里を思い出し、窓の外の夕陽のその先を見つめ、涙を浮かべた。その涙をヴァンは優しく指で拭う。


「どうした? 帰りたいのか?」


「うん……帰りたい。レオ兄に……会いたい」


 ヴァンはミィシアの頭をゆっくりと撫でた。


「里まで、俺が送り届ける……里の場所は分かるのか?」


 ミィシアは首を横に振った。


「……分からない。けど、とても怖い……怖いの……」


「こちらでも探している。無事に送り届けるから……泣くな……」


「うん……ありがとう。ヴァン……」


 ミィシアは微笑み、ヴァンの胸にそっと顔を埋めるのだった。







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