第八十六話 魔道具研究棟一階演習室
研究棟一階の簡易演習室。その一室で、カシミルドはルミエルと二人で呪術関連の書物を読んでいた。
演習室の隅に置かれたテーブルと椅子に腰掛け、ルミエルと隣り合って座っている。何だか落ち着かない。
先程まではカンナとスピラルもいたのだが、スピラルが魔法の練習をしたいとのことで、隣の演習室へと移動してしまったのだ。
「カシミルド? 呪術の本といっても、ほんの触り位しかのってませんの。大したことないですわ」
そう言うとルミエルは読んでいた本を床に放り投げた。
「ああ。乱暴にしたら駄目だよ。──まぁ。呪いの解き方なんて載ってないよね……でもさ、何でルミエルは光の魔法が使えるの? さっき見た本にも、光魔法は天使と共にこの地から失われたって書いてあったよ?」
「へっ? 光の魔法? そうだったかしら?」
ルミエルはわざとらしく視線を反らし、別の本を手に取った。
「えっと。雨を降らす魔法について……」
「あ!」
カシミルドはルミエルの読んだ本の表紙を指差し声を上げた。
「どうしたんですの?」
「それ、僕の家の書斎にあった本と同じだ!」
「あら? そうですの? じゃあ別の本にします?」
「ううん。ちょっと貸して。実は、読めたことはないんだ……」
読んだ事がないのではなく、読めたことがない?
ルミエルは首を傾げ本をカシミルドに渡した。
カシミルドは瞳を輝かせながらページを捲る。
「わぁ。読める。……家にあった本は、全部、古代文字で書いてあって読めなかったんだ! こんなことが書いてあったんだぁ!」
新しい玩具を手に入れた子供の様な笑顔で、カシミルドは魔導書を読み進めていく。
それをルミエルは複雑な気持ちで眺めていた。
カシミルドは幼い。
真っ直ぐで正直で世間知らずで……昔々のあの人に似ている。
人々を呪おうとする前のあの人に……。だとしたら……。
ボーッと考え事をしていたルミエルに、カシミルドは尋ねた。
「ルミエル? ルミエルは何か試してみる?」
「いえ。私は結構ですの。カシミルドは?」
「僕は……この本を試そうと思う!」
カシミルドは満面の笑みで、一冊の魔導書をルミエルに見せた。
◇◇◇◇
カンナはスピラルと二人で簡易演習室にいる。
初めは四人でいたのだが、スピラルが魔導書の呪文を試したいとカンナに言ったのだ。そしてその後にこう付け足した。
「カンナ。その……俺。文字を読むのが苦手で……。読むの……手伝ってくれないか?」
「も、勿論いいよ!!」
あんな恥ずかしそうに上目使いで懇願されたら断れる訳がない。カシミルドとルミエルを二人きりにするのは少し引っ掛かるが、よく考えたらカシミルドにはクロゥがついているのだ。
カンナはスピラルの姉気分で練習に付き合うこととなった。
しかし、部屋に入るなりスピラルは独り言が多くなった。
『文字が読めないなら、このサラマンドラ様に聞けばいいだろ~!?』
「嫌だよ。嘘を教えて変な魔法を使わせる気だろ?」
『げっバレてる……』
カンナには一人で話しているようにしか見えなかった。
もしかしたらサラマンドラと会話中かも知れない。
「スピラル? サラマンドラがいるの?」
「うん。……カンナ、ここ読んで?」
「いいよ」
カンナはスピラルの指し示したページを読み上げた。
隣で真剣な面持ちでカンナの言葉に耳を傾けるスピラル。
叔母夫婦と住んでいたら、弟と二人で、こんな風に過ごす時間もあったかもしれない。
弟はもう五歳位。スピラルより少し年下だ。
まだ一度も会ったことのない弟。
育ての親が同じだけの、会うことから逃げてしまった血の繋がらない弟。今からでも、姉のように慕ってくれるだろうか。
カンナが指定されたページを読み終えると、スピラルは大きく頷いた。
「カンナ。ありがとう。試してみる!」
スピラルは立ち上がると、また独り言を言いながら部屋の中央へと歩いていった。
そして炎の呪文の演習を始める。
出現した炎は壁に触れると消滅し、壁に魔力が吸い込まれていく。カンナはポシェットから少しだけ顔を出したアヴリルとその様子を眺めていた。
途中スピラルはブツブツと文句をいながら、上手くいくとカンナの方を振り返った。
「カンナ! どうかな?」
「上手だよ~」
「もう少し練習してみる。カンナは何か試す?」
「うーん。本、見てみる」
カンナは七大魔法について書かれた本を手に取った。
ここに書かれた簡易魔法を一つずつ試せば、もしかしたら自分の魔法系統が分かるかもしれない。
「……でも。怖いな」
何も使えなかった時、どうしたらいいのだろう。
まだ叔母夫婦と暮らしていた頃を思い出す。
四大魔法には縁がなかった。あの時、まだ力に目覚めていなかっただけなのか、それとも素質がないのか。
「カンナ……何見てるの?」
スピラルが息を切らせながらこちらに戻ってくる。
カンナは慌てて別の本を手に取った。
その本は、この辺りの歴史について書かれた書物だった。
そうだ。バベルの塔について調べることを忘れていた。
「スピラル君。お疲れ様。──今ね。この辺りの歴史についての本を見ていたのよ」
カンナはパラパラとページを捲った。
どうやらこの本は、旧エテを溶岩で失った後の歴史について書かれた本のようだ。あの塔については……。
「バ…ベルのとう?」
スピラルがページを覗き込み、たどたどしく文字を読んだ。
「そうそう。バベルの塔。この塔の事を知りたかったんだ。黒の一族に伝わるお話があってね。この塔は、天使のいる天界を目指して建てられた塔なんだって……どれどれ。百年前に建てられて、そのすぐ後に自然災害によって倒壊された……あれ? すぐ壊れちゃったの?」
「へぇ。──その塔は……天罰が下って壊れたんだって」
「天罰?」
カンナが首を捻ると、スピラルは頷き、指輪に視線を落として語り始めた。
「うん。天使様のお怒りに触れて雷を落とされたんだって……その後、風の天使様が怒って、その天使様と喧嘩になって?──天使様って喧嘩するの?」
スピラルは指輪に向かって驚きの声を上げた。どうやら、サラマンドラがこの話を教えてくれているようだ。
「スピラル君。その話、サラマンドラが?」
「うん。サラマンドラ、その塔を壊した天使様って……やっぱり……」
スピラルが妙に納得したように、指輪に向かって頷いた。
「ん? スピラル君どういう意味?」
「あっと……。そうだ、もう一人の風の天使様は?──そっか。喧嘩に負けてその後は不明……だって、名前は──グリヴェール」
「グリ……ヴェール?」
カンナはその名に聞き覚えがあった。
しかし、いつどこで耳にしたのか思い出せなかった。
「カンナ、知ってるの?」
「ううん。知らない……と思うんだけど……何処かで聞いたような……」
カンナの頬を一筋の涙が伝う。理由も分からず勝手に溢れたその涙に、カンナは戸惑うばかりだった。
「だ、大丈夫?」
「うん。天使様が喧嘩……とか、何だかびっくりしちゃったみたい」
カンナの頬をアヴリルがスリスリと体を擦り寄せてきた。
フワフワのモコモコに癒される。
──その時、隣の演習室からミシミシと壁が軋む音がした。
カシミルドとルミエルがいる方の部屋だ。
「また何かやらかしちゃったかな?」
「どうかな。見に行く?」
「少しだけ、覗いてみようか……」
カンナとスピラルは顔を見合わせると、ズンズンと地響きまで起こし始めた隣の部屋へと足を進めるのであった。