第八十五話 魔道具研究棟三階資料室
シエルは小銃に興味を持っていたこともあり、ラルムと同じく魔道具の研究資料の棚へ。スピラルも同じかと思ったが、魔法の勉強がしたいらしく魔導書の棚へ案内してもらっていた。
カシミルドはスピラルと同じく魔導書の本棚の前へ来た。
呪術や歴史に関する本は一冊ずつしかなく、リーヴルが持ってきてくれたからだ。
カシミルドは、隣で一緒に本棚を眺めるリーヴルに礼を言った。
「ありがとうございます」
「はい。魔導書は種類が多いので、お好みの系統がありましたらお探ししますよ?」
リーヴルはとても気が利く女性のようだ。ルミエルは興味無さそうにカシミルドの隣で本棚を眺めている。
「じゃあ、ルミエルに、光の魔法の本とか……」
「光……ですか? 光の魔法に関する書物はありません。地上に光の魔法を行使できる人間はおりませんので。──あ! よろしければ、この七大魔法論をお読みいただければと……」
リーヴルは本棚からさっと一冊の本を抜き取り、カシミルドに手渡した。
「あ、ありがとう。後は……」
カシミルドが本棚に視線を巡らしていると、ルミエルがリーヴルを押し退けカシミルドの隣に入り込んだ。そして本棚に手を伸ばす。
「私が見繕って差し上げますの。──カシミルドに良さそうなのは……これとこれとこれと……」
その余りの選別の速さにリーヴルは目を丸くしている。
「おおっ。四大魔法の中上級呪文の本ですね! しかも実戦的なものばかり。中々マニアックです! もし、魔導書の呪文を試したければ、一階の演習室をご利用ください! 余り過激なものは駄目ですよ」
「あら。便利なのね──さあ。カシミルド! 私と一緒にお勉強しましょう?」
ルミエルは不適な笑みを溢すと、カシミルドに腕を絡ませ階段へ向けてぐいぐいと引っ張った。
「えっ? ちょっ……か、カンナも……」
カンナはスピラルと魔導書を探していた。
カシミルドに気付くとスピラルの肩を叩き、二人とも一緒に演習室へと向かうことにした。
資料を高速で読み進めるラルムと、その隣でラルムばかり見ているシエルは三階に残ることになった。
◇◇◇◇
シエルは資料室の一人掛けソファーに腰を下ろし、魔道具の資料に目を通していた。隣のソファーで同じように資料を読み耽るラルムを横目で見やりながら。
「ラルム。どうだ?」
「そうね。これは狩猟用小銃とのことだけど、扱いが難しそうね。弾の元の素材となるものは、研究室の技術では製造不可能。……加護石のように石に精霊の力を込めて、それを弾に置き換える様だけど……どうなるのかしら?」
「そ、そうか……」
ラルムは短時間の間に、先程見た小銃についての資料を殆ど読み終えていた。しかし、武器に対してラルムが興味を持つとは意外だった。
ラルムは資料をテーブルに置くと、小さくため息をついた。
「精霊の森での事……覚えてる?」
「え? オンディーヌの事か?」
「うん。オンディーヌは、精霊が減少しているって言っていたの」
「精霊が減少?」
「それも、フォンテーヌのせいで……。だから、最近の研究に何かヒントがないかなって思ったんだけど……資料を見た限りでは、不審な点は無かったわ。他の研究も目を通さなくちゃ……」
「そうか……」
ラルムが次の資料を手に取り、シエルも改めて資料を見直した。精霊が減少しているということは、精霊に何らかの影響を及ぼすほどの研究という事だろうか。
資料を見ただけでは全く分からなかった。
まあ、ラルムが分からない事が自分に分かる筈もないかとも思う。
「シエル? 何だか珍しいわね。シエルが資料を読んでるの。研究……とか、興味無かったわよね?」
ラルムは微笑みながらシエルに尋ねた。
その笑顔が、いつも隣で見ていたラルムの笑顔のままで……シエルはそれが気に入らなかった。何故、普通に笑っていられるのだろうかと。
「まあ。そうだな……。ラルムは楽しそうだな。……婚約……いいのか?」
「へっ? ああ……そうだったわね……」
ラルムは婚約の事を忘れていたのか、思い出すと少しだけ表情を曇らせ、また資料を読み始めた。それはまるで現実から逃げるかのように、シエルの目に映る。
「なぁ。本当に結婚するのか?」
「え? そうね……。私に拒否権はないわ。それに……私はこうやって、自分のやりたい研究を続けられるなら、それでいいわ」
ラルムの諦めたような、自分自身の事と言うより他人の事を語るような物言いに、シエルは怒りを覚えた。
ラルムに、というより……何もできない自分に。
「……俺は嫌だよ」
「シエル? 何か言った?」
「……だからっ。ラルムが誰かと結婚するのは嫌だって言ってるんだよ!」
シエルが勢い余って怒鳴ると、後ろでドサドサと本が崩れる音がした。リーヴルが驚いて本を落としてしまったのだ。
ラルムは顔を真っ赤にして驚き、シエルを見つめたまま資料を手に固まっていた。シエルは二人の視線に堪えきれず頭を抱えて唸る。
「あーー。もうっ──にっ兄さんに呼ばれてるから……行ってくるっ」
そう吐き捨てる様に言い、ソファーから立ち上がると、誰とも視線を合わせず階下へと去っていった。
「うわー。びっくりしたなぁ~」
本棚の影で、山の様に資料を抱えたサージュが感嘆の声を上げた。
「さ、サージュ兄さん。いたのですか?」
「ああ。最新の資料は研究室に置いてあったから、ラルムなら見たがると思って持ってきてやったんだ。──まさかこんな場面に出くわすとはなぁ~」
テーブルに抱えていた資料を置くと、サージュはラルムの肩にそっと手を乗せた。何故かニヤニヤしている。
「何ですか。その何か言いたげな表情は?」
「ラルム。お前みたいな研究馬鹿も青春をしていたとはな。兄さんは嬉しいよ!」
「サージュ兄さん。シエルは……私みたいな研究馬鹿ではないんですよ」
「シエルって、あのミストラル家の次男坊か。……じゃあ、ウチのラルムちゃんは荷が重いか……」
「兄さんは何の話をしているのですか?」
「ん? だから、ラルムとシエルの話だろ?」
お互い顔を見合わせて首をかしげた。
「シエルは、私の唯一の友人です。私はいつも本を読んでばかりだけど……シエルは違うの。実技の方が得意だし、好きな筈なの。──でも、今日は変。……ずっと隣で資料を見ていたし。いつもならすぐ何か試しに行くのに。それに……」
「ラルムと誰かが結婚するのは嫌だ! って叫んでたな」
「うん。別に結婚しても今まで通り好きな研究だって出来るのに……」
「うわぁ~。研究馬鹿は人間の心が理解できないんだなぁ」
「サージュ兄さん? さっきから私の事、バカにしてるでしょ!?」
「だって馬鹿なんだから仕方ないだろ? シエルは何が嫌なんだと思う?」
「私が……結婚する事? そっか。シエルのお兄さんもまだ結婚してないのに……私の方が先にっ──痛いっ」
サージュがラルムのおでこを軽く指で弾いた。
「違う違う。全然違う。あそこまで言わせておいてその反応は可哀想だよ」
サージュの発言にラルムは唇を噛み、新しい資料を手に取った。そしてポツリと呟いた。
「だって。……そう思うしかないじゃない」
サージュはラルムの言葉に小さく唸る。
「ラルム? それでいいのか?」
「いいの。今はそんな事より、もっと大切なことがあるんだから……ねえ。サージュ兄さん。資料のこの部分なんだけど……」
「はぁ……どこだ?──」
サージュの解説を聞きながら、ラルムは自分に言い聞かせた。
今はオンディーヌとの約束が最優先だと。
どうせ婚約について、自分が口出すことなど出来ない。
そんな無駄な足掻きなど時間の浪費だ。
精霊減少について探ることが、今の自分が一番にすべきことなのだ。