第八十二話 蒼き湖の街エテ
蒼き湖の街エテ。
その名の通り、湖の上に浮かぶ街。
街の下に広がる湖は澄んでいて、空の蒼をそのまま映し出している。
カシミルドは船頭が漕ぐ六人乗りのボートから顔を出し、そんな美しい湖を覗き込んだ。
「お気をつけくださいね」
「はい」
穏やかな笑顔を浮かべ、船頭の青年が注意を払う。
カシミルドは頷くも、湖から視線を反らすことは無かった。
湖水は、精霊の森の湖よりは透明度は低いが、とても美しかったからだ。意外なことは、その割に精霊が少ないということだけだ。
「カシミルド。あんまり覗き込むと危ないですの。それに、そろそろ着きますわ」
隣に腰かけたルミエルは、カシミルドの腕を掴み自身に引き寄せた。そしてカシミルドの肩に頭を預ける。
それを向かいに座るカンナとスピラルが無言でじーっと見つめていた。そんなカンナ達の視線にルミエルは目を細める。
「カンナ? カシミルドは私のですからね?」
「るっルミエルさん!? カシィ君は物じゃないですからねっ」
「モノだなんて言ってませんの。私の、と言っただけですの!?」
カンナが困ったようにルミエルを見つめ、ルミエルは頬を膨らませカシミルドの腕に顔を埋めた。
カシミルドとスピラルは顔を見合せ溜め息をつく。
暫くはこの面子で過ごすことになるだろうに、先が思いやられるのであった。
何故この四人かというと……。
ラージュに迎えられ、皆で船着き場へ移動した時のことである。
ボートが六人乗りの為、テツがメンバーを分けようとしたのだが、ラージュが当たり前だと言わんばかりに、貴族であるラルムとシエル、そしてテツを先のボートに乗せた。
そして教官であるレーゼも同等と待遇を受ける。
余り物は問答無用で後発のボートであった。カシミルドやカンナは特に気にしていなかったが、ルミエルだけがラージュにずっと睨みを利かせていた。
因みにパトとレオナールは、隊とはぐれた行商であり、偶然同行していた者達だとテツが説明した。二人は一般のボートへ乗り、街の宿屋にてミィシアについて探るとのことで、一旦別れることとなった。
カシミルドは右斜め前を行く船に目を向けた。
何やらラージュが機嫌よく笑い、シエルがお葬式のような顔をしている。
一体どんな話をすれば、会話の輪の中であのような温度差が生まれるのだろうか。
「カシミルド。エテではお互いをゆっくりと理解しあっていきましょうね?」
「……うん」
ルミエルに上目遣いで熱い視線を送られ、カシミルドは仕方なく肯定の返事をした。それでもルミエルは満足そうにカシミルドの腕にしがみついたのだった。
◇◇◇◇
屋敷の窓から、ボートに揺られる後発隊を見下ろしている二人の男性がいた。
シエルの兄であるヴァン=ミストラルとエルブ=テランだ。
ヴァンはシエルを視界に捉えると口元を緩ませ、隣のエルブはボーッと外を眺めている。
エルブは後発隊──もとい人に興味はないのだ。
しかし、そんなエルブもヴァンにはそれなりに懐いている。
「ヴァン。嬉しそうだね?」
「ん? 顔に出ていたか?」
「うん。いつも怖い顔してるからさ。それぐらいが丁度いいと思うよ?」
「……いや……ん? エルブさん。胸元が光っていますよ?」
ヴァンはエルブのシャツの下から漏れる紫色の光に注視した。エルブも視線を落とし光る胸元を見る。
そしてロケットペンダントを胸元から取り出すと、興奮したように騒ぎ始めた。
「ひっ光ったぁぁぁぁ!! ヴァン!? 光ってるよね? すっげぇ~」
「光ると何なのだ?」
「いや~これが光るってことは、探し人が近くにいるってことなんだよ~!」
ロケットを片手に右往左往し辺りを見回すエルブに反し、ヴァンは至って落ち着いている。
「探し人とは?」
「それは王から……」
そこまで口にするとエルブは一瞬で真顔になった。そして周囲を確認すると、ヴァンの耳元に手を添え小声で話し出した。
「ヴァン。これは王からの密命なんだけどさ。ある人を探しているんだ。……その人はルナールの所にいるかもしれなくてね。もし、ルナールの里に人間の女の子がいたら、保護して欲しいんだ……」
「人間が魔獣の里に? 何故だ?」
「詳しいことは流石に言えないよ。でも、おかしいな……何で今反応したんだろ……うーん」
エルブは腕を組み天井を仰いだ。
人間が魔獣の里に? しかしヴァンは、そのことよりもエルブが密命を受けていたことに驚いていた。
王都にほとんどいない割に、王家の信頼が厚いエルブ──掴み所のない男である。
「ヴァン。考え事したいから部屋に戻るよ。何かあったら呼んで」
「後発隊が着いたから、今すぐ会議室に集合なのだが……」
「あー。お腹痛いから寝込んでるって言っておいて。じゃっ」
エルブは右手を軽く挙げると、光るロケットを片手に自室へと駆けていった。
恐らくあのロケットのことが気になり、他のことがどうでもよくなったのだ。
エルブらしいといえばらしいのだが……王が探す女の子とは一体何者だろうか。
ルナールのことなら、後でミィシアに聞いてみよう。
窓の外に目やると湖上のボートはいつの間にか見えなくなっていた。
もう後発隊は屋敷に着いたのだ。
ヴァンは襟を正し、小さく息をつく。
そして、踵を返し階下を目指すのだった。
◇◇◇◇
城を思わせるほど広い玄関ホールに、一人の中年男性が待ち構えていた。
ラルムと同じ形の眼鏡をかけた濃い藍色の髪の男性だ。
その男性は、カシミルドの予想通りの自己紹介をした。
「ようこそ。エテまで長旅だったでしょう。私はアジュール=フォンテーヌ。ラルムの父です」
ラルムの父の紹介を受け、テツが代表して皆を紹介した。
ラルムはあまり嬉しそうな顔はしておらず、対照的に、その隣に立つラージュはニコニコしていた。
屋敷までのボートで何かあったのだろうか。
シエルはいつもより不機嫌そう……というより、具合でも良くないのかと思うほど顔色が悪かった。
挨拶もそこそこに、ラルムの父を先頭にカシミルド達は会議室へと案内された。室内には既にヴァンとヴィルメイユが待っている。
テツが代表して挨拶をし、各々長テーブルを囲うように席についた。
暗い顔つきだったシエルの顔が兄を見て自然と綻ぶ。
ラルムは何処と無く表情が暗い。
カシミルドの隣に座ったカンナは、物凄く緊張している様子で、カシミルドはそれが可笑しくて気持ちを和ませていた。
ラルムの父は後発隊のメンバーに視線を巡らせると、朗らかな表情で語りだした。ラルムの父親は穏和な性格のようだ。
「よくぞエテヘ足を運んでくれた。先発隊はもう施設内の視察を終え、エテ周辺の視察の最中だ。後発隊には、まずフォンテーヌの研究について見ていただく予定だ。大まかな日程を説明しよう」
アジュールが話し始め数秒……。カンナは隣のカシミルドに違和感を覚え、そっと横目で見た。
カシミルドはテーブルに視線を落とし、瞳はうっすらと開いているようで──恐らく寝ている。ラルムもそれに気づいた様子で、唇をキュッと結び笑いを堪えているようだ。
「今日は昼食の後は研究施設の見学を、明日は湖を出て山の麓の実験施設にて性能を見ていただく予定だ。そして夜には先発隊も含め夜会を開こうと思っている。そこで……私事で申し訳ないが……娘のラルムと、ラージュ=ソルシエール氏の婚約を発表したい」
ラルムの父の突然の発表に、皆がラルムとラージュに視線を向けた。ラージュは嬉しそうに笑みを浮かべ、ラルムはうつ向き顔はよく見えない。
「いや~。そういう訳だから、皆、祝福してくれな!」
ラージュがラルムの肩を抱き皆に軽い口調で挨拶をした。
苦笑いのラルムと目が合ったシエルは、瞳を曇らせサッと反らす。そんなシエルを不思議そうに見つめるラルムであった。