第八十一話 王女と悪魔
「ユメア様。戻りましょう?」
振り返ることなく前へと進んでいくユメアに、レーゼが進言する。その姿は、リュミエに戻っていた。
「先程の扉は開きませんよ? 私は二区まで下りて王都を出ます!」
ユメアは燭台の印を確認しながら進んでいく。
その後ろにレーゼもついてきている。
「ついてこないで下さい」
「出口が分かりません」
「適当に階段を上がれば帰れます」
「はぁ……」
レーゼは呆れたように大きく溜め息をついた。
彼は何の為に着いてきているのだろうか。
王女の監視?
それとも……心配してくれているのだろうか。
「怪我は大丈夫ですか?」
「はい」
「先程はありがとうございました」
ユメアは振り返らずに礼を述べ、恥ずかしいのか足を早めた。
レーゼは驚き一瞬足を止めたが、ユメアに合わせて足を早める。そしてその後は会話の無いまま地下の通路を進んでいった。
すると、大きな広間に出た。
あちこち焼け焦げ、広間の中央には、その場に似つかわな巨木が佇んでいた。巨木が天井を支え、この空間が何とか成り立っているようだ。
レーゼはその木の根に足をかけ木を見上げた。
「これは、クロゥ様の……」
「クロゥ? 何処かで聞いた……あっ。カシミルド君の鳥さんですよね! そうですよね」
レーゼは気まずそうに目を反らした。
「やっぱりそうなんですね。あの鳥さんがここにいたということは……カシミルド君も? レーゼさん。ここで何があったんですか?」
「さあ?」
「……また。……またですね。誰も何も教えてくれない。いつも私は蚊帳の外。──こんなところ……もういたくない!!」
ユメアは木の根に伏せ、声を上げて泣き始めた。
レーゼはその後ろで頭を抱える。
正直面倒だった。
お姫様の我が儘に付き合っている暇などない。
「今。どこにいるの? 私も行きたい。私を必要としてくれる人のところに……私もっ……」
泣きながら声を漏らすユメアに、レーゼは溜め息をついた。
「はぁ。……二区からどうやって、その行きたい場所へと行くおつもりですか?」
「…………。分からないわ。──分からない。どうやったらカシミルド君の隣にいられるか。わからないのっ。誰も味方なんかいないもの。──そうだ。レーゼさん」
ユメアは急に立ち上がりレーゼの前に直進した。
「レーゼさん。秘密をばらされたくなかったら、協力してください! 私を馬でエテまで連れていってください!」
レーゼはユメアの憂いを帯びた熱い瞳を一瞥し、冷たい瞳で即答した。
「無理です。私は王都ですべき事があります。──ユメア様もそうでしょう? 貴方はここに存在することが重要です。テツ王子も不在だと言うのに、ご自分の立場を理解されていないのですか?」
レーゼの正論に、ユメアはぐっと拳を握り言葉を飲みこんだ。
「…………分かりました。第一王区へ繋がる階段を上がって、城に戻りましょう。──どうせ。私に味方なんかいないから……」
ユメアは最後の部分だけ、自分にしか聞こえないように、そして自分に言い聞かせるように呟いた。
いつもユメアは一人だった。
だったら一人で堪えられるよね。
きっとお兄様が団体の規律を守らせてくれている筈だ。
──大丈夫大丈夫。
でも、そう言い聞かせても、瞳が熱くて涙が溢れてしまう。
お兄様を信用していないわけではない。
ただただ、誰も自分の味方がいない事が寂しいのだ。
もっとちゃんと魔法が使えたら、皆私を見てくれたかもしれない。もっと、もっと──。
◆◆
『もっと、もっと。何ができたら良かったの?』
ユメアが目を開けると、そこは暗闇だけが広がる世界だった。
しかし目の前に自分の姿が見えた。
「私?」
『うん。私だよ。何ができたら良かったのか、わかる? 私はわかる』
目の前で自分が、自分に話し掛けていた。
その自分は、泣いてばかりの自分とは違って、自信に満ちた精悍な顔つきをしている。
私はこんな顔はしていない。
私の心はいつも不安で満ちているのだから。
『不安? 私は不安じゃないわ』
「そうね。私と同じ顔だけど、違う。きっと貴女は私にはない力を持っているのね。貴女は誰? 何故私の顔で、私に話しかけるの?」
『さすが王女様。ご自分を分かっていらっしゃる』
そう言って目の前の私は、敬意を払うように丁寧なお辞儀をした。
「忘れていたけど……今、思い出したわ。この地下には悪魔が住んでいるんですって。人の弱みに漬け込もうとする、魂を喰らう卑しい悪魔が……」
目の前の私が大きな口でニヤリと笑った。
ぞっと寒気がする様な笑顔で。
『知っていらっしゃいましたか。まあ、王族なら然り。──では、王女様。私と誓約を結びませんか? 私でしたら貴女が欲しがる──』
「いりません」
ユメアは悪魔の言葉に耳を貸すことなく断言した。
その言葉に、悪魔は顔を歪ませると、黒い煙となって消え闇と一つになった。
そしてその声は四方八方から不気味な笑い声と共に響いてくる。
『ヒッヒッヒィ。即答とは流石であらせられますねぇ。折角、王女様の味方になってあげようと思ったのにぃ』
「味……方?」
「そうですよ? ちょっと王女様の魂を分けてくれれば……あれ? あれれれれ? 王女様は誰かと分けっこしたの?」
「それは、どういう意味? 嘘を並べて惑わそうとしても無駄よ。私は悪魔の言葉なんて信じない。早く消え去りなさい!」
「おおっ。怖~い。じゃあ~お隣さんは……あれ? 隣の彼も欠けてるね~。でも、彼は高貴な魂だから戴けないな……王女様の魂が欲しかったな~」
ユメアは暗闇をキッと睨み付けた。
『はいはい。お呼びでないって事ですね~。寂しくなったら、またおいで。私は……私だけは王女様の味方だよ? 忘れないでね……ヒッヒッヒィ』
◆◆
目の前が急に明るくなった。
耳に残る不気味な笑い声に、ユメアは顔をしかめる。
すると背後からレーゼに声をかけられた。
「ユメア様? 戻りましょう?」
「え? ええ。レーゼさん。──貴方は欠けているの?」
「なっ……何がですか?」
「……魂、かしら?」
レーゼは意味がわからないといった顔つきで首を傾げた。
「そうよね。ただの戯れ言よね。……戻りましょう」
ユメアはそう言い捨て、荒れた広間を後にした。
◇◇
その後ろ姿を、レーゼは不審げに目で追った。
内心焦っていたからだ。
妙な気配を感じたと思っていたら、ユメアのあの発言だ。
あの一瞬で何かあったのだろうか。
欠けている。と尋ねられ、心臓がドキッとした。
レーゼラと違い、自分は魔法が使えない役立たずだから。
精霊の声は聞こえても、力を与えることは出来ないし、話し相手ぐらいにしかならない。
その事を指摘されたのかと思った。
「魂が欠けている? 生まれながらに欠陥品な自分には、ピッタリか……フっ……」
レーゼルはそう呟き、クロゥが生やした巨木に目をやった。
クロゥは膨大な魔力をその身に宿し行使することが出来る。
自分より格上の存在とはいえど、羨ましさはある。
「今頃、黒い小鳥君と白い小鳥ちゃんは仲良くやっているだろうか……リュミエ様も、無茶なことをしていないだろうか……」
同族のことを思い浮かべ、愁然とし、踵を返しその場を後にした。
◇◇◇◇
「はっくちゅん」
馬から降りようとしたルミエルが、小さくくしゃみをした。
レーゼラはルミエルに手を貸し、顔色を窺い尋ねる。
「ルミエル。風邪ですか?」
ルミエルは首を横に降り、空を仰いだ。
「分からないの? 寂しいみたいよ?」
「寂しい?」
首を傾げたレーゼに小さく溜め息をつくと、ルミエルはレーゼの耳にそっと囁いた。
「レーゼルよ……」
レーゼはハッとして驚き、そして微笑んだ。
「ふふっ。まさか……でも。意外と寂しがりやですからね……」
「そうよ。あの子の方が繊細なのよ?」
湖を背に、ルミエルはにっこりと微笑んだ。
しかし、まさかレーゼルが、ユメアに正体がバレていることなど、これっぽっちも考えてはいなかった。
第二章 第三部 蒼き湖の街エテヘ
終了です。
次話から、第四部 魔兵器と魔獣の隠れ里
が始まります。
第二章最後の部となります。
よろしくお願いします(*^^*)