第七十九話 荷馬車に揺られて
「あの日もいつも通り女物のメイド服を着て、身の回りの世話をして、仕事を終えて部屋に戻ろうとしたんだ。そしたらあいつは俺を引き留めた。切ることを禁止され、いつの間にか伸びていた俺の赤い髪を掬い上げ、気味の悪い笑顔を浮かべて言ったんだ。ああ、やっとクレアになったって。怖くて体が動かなかった。俺はそのまま寝室に連れていかれて服を剥ぎ取られた。あれだけメイド服を着ることを強制してきたのに、何の躊躇もなく全部脱がされて、訳が分からなかった。でも、あいつは俺を見て、今まで見たことの無いような驚いた顔をして……そして嗤ったんだ」
スピラルの指輪でサラマンドラの霊体が揺らめき、カシミルドは視線をそちらに向けた。サラマンドラが、ふと笑ったように見えた。
「俺には生まれた時から痣があったんだ。それも、身体中を這って動く、黒い蜥蜴みたいな痣が。誰にも見せちゃ駄目だって言われてたのに……あの日、あいつに痣を見られたんだ。そしてあいつは狂ったように歓喜して、俺の胸の辺りの痣を指で押さえつけて、舌を這わせた。そして呼んだんだ──サラマンドラって」
──その時、指輪から細い炎の柱が上がった。
「あっつ。……止めろよ。あの時のあの声、お前だろ? 燃やせ燃やせ、燃やし尽くせ。お前にはその力がある。憎いなら燃やせばいい。殺したいなら殺せばいいって……俺はその声を受け入れて、初めて魔法を使った。後の事は記憶が曖昧だよ……」
サラマンドラはニヤニヤと口元を緩ませ、スピラルの目線まで体を浮かせ、その瞳を覗き込んだ。
『俺はよく覚えてるぜ。スピは心の中で叫んでた。こいつさえ居なくなれば、メイド達は解放される。誰もお仕置きされない。こいつを殺す力があるなら、俺は殺るって。我好みの人間にやっと会えて嬉しかった。火剣がスピの所に運ばれたのも運命だ。お前は力を欲し、我は怒りと憎しみに犯されたお前と、もう一度会いたかった。お互いの想いに引き寄せられたのだ』
「……」
スピラルは無言でサラマンドラを睨み付けた。
もちろん、この声が聞こえているのは、カシミルドとスピラルだけだ。
「サラマンドラ。スピラルは怒りや憎しみで力に溺れたりなんか……もうしないよ。──スピラルには仲間がいるから。力なんかに頼らなくても、仲間に頼ればいいんだから。ね?」
「う、うん」
スピラルはうつむき、恥ずかしそうに小さく頷いた。
サラマンドラは不満そうにその顔を覗き込む。
『そういうのは弱い奴が言うことだ。一人じゃ何もできないから仲間に頼る。弱い者同士で群れる。それでずっと弱いまま。強くなりすぎたらハブられるからな。強いなら、強くなりたいなら仲間なんていない方がいい。皆ただの足枷で邪魔者だ』
スピラルはサラマンドラの言葉に顔を曇らせ、カシミルドは肩を震わせ……笑った。
「あははっ。サラマンドラって本当に寂しがり屋なんだね」
『なっ何をぉ! 生意気な!』
カンナとスピラルが顔を見合わせて驚いている。
「だって、まるで自分がそうだったみたいに話すから。……リリィさんには会ったことないの? きっとリリィさんなら、サラマンドラのことも大好きだよ」
『だだだだ大好き? 我を? いや。騙されないぞ。そいつはオンディーヌと仲の良い光の──』
「ぉぉぉぉおい! おはよっ! そろそろ着くか!?」
サラマンドラの言葉を遮るように、クロゥが起床音を発した。驚いたサラマンドラは、煙の様に姿を霧散させ消えてしまった。
「クロゥ! ビックリさせないでよ。あっ。ほら、サラマンドラに逃げられちゃったじゃないか」
「あー。わりぃわりぃ。で、着いたか?」
「知らないよっ」
その時、荷馬車が大きく揺れ、その場に停車した。
「本当に着いたかも」
レオナールが荷馬車の後ろの布を捲り外を確認すると、外の風景が見え、カンナとスピラルは歓声を上げた。
「わぁ。綺麗!」「湖だ……」
山々の間に、大きくて美しい湖が広がっていた。
そしてその真ん中には、水に浮かぶ街が見えた。
「ミィシア……」
レオナールの呟きはカシミルドにもしっかり聞こえた。
会えるといいね。そう言いたかったけど、唇を閉じた。
気休めなんて言わない方がいい。
「皆! 荷馬車から降りて。船で街まで移動するから~」
パトの声がカシミルド達に届いた。
荷馬車の中では、カンナがスピラルを抱きしめ、二人で話をしている。
カシミルドは二人を見て微笑むと、荷馬車から降り立ち湖に目を向けた。
遂に目的のエテまで来た。
しかし、カシミルドは美しい湖に違和感を感じた。
「こんなに綺麗なのに……精霊は少ないな」
王都と同じくらいだろうか。水の精霊も、風の精霊も好きそうな場所なのに、思っていたより光が少ない。
「カシィ君?」
「ううん。何でもない……」
カンナに続き、スピラルも荷馬車から降りようとするが、サラマンドラに呼び止められた。
『なあ。スピ。お前に会えてよかったぜ。お前は運がいい』
「何だよ。あんまり我が儘ばかり言うと、カシミルドに預けるからな」
『我を捨てるのか?』
「違うよ。カシミルドは魔法の使い方が凄いから、こき使ってもらうだけだよ。皆の自己紹介、聞いてただろ? サラマンドラを捨てるような人はいないよ。皆、一人ぼっちの寂しさを知っているから……」
サラマンドラは首を捻りスピラルの言葉の意味を考えた。
前の主人は、そんなひ弱な考えをするような人間ではなかった。
『……スピはヒュンに似ていると思ったんだが……これはこれで面白そうだ』
「ヒュンって誰だよ」
『ヒュンデルク=ソルシエール。我と初めて契りを交わした──我に面白いものを見せてくれた、人間の男だ』
「ソルシエール……嫌いな名前だ」
『スピだって……いや。もういい。そんなに我といたいなら、一つ我の願いを叶えよ』
サラマンドラはスピラルの目の前で胸を張って宣言した。
「いちいち偉そうだな……」
『我は会ってみたい。精霊の森のリリィ殿に。あの小僧が言っていた様に、光の大天使であったあの者が、我の事を……大好きなのか確認したい』
「今……何て言ったんだ?」
『何度も言うことではないだろうが! 何故聞いていないっ。──その、リリィ殿が我を好きなのか知りたい』
照れくさそうにサラマンドラはそう呟くのだが、スピラルが気になったのはそこではない。
「そこじゃなくて……リリィさんが何だって?」
「ん? 光の大天使だ。元たが……今は妹君が引き継いだ筈だ」
「は? 天使?」
『知らないのか? さっき話してた小僧も──』
「ぉぉおーい! サラマンドラ。そういうデリケートな話はしたらダメだろ?」
スピラルの目の前に突然クロゥが現れた。
サラマンドラを嘴でつつき、威嚇する。
『や、止めろっ』
「なら、もう余計なことは言うなよ? 後……スピラルだっけか? リリィさんが天使ってことは、カシミルド達には言うなよ? そこがバレるとあっちもこっちも面倒だからな」
「あっちもこっちも……あ。リュミエ?」
クロゥは察しの良いスピラルをキッと睨み付けた。
そしてスピラルはクロゥに尋ねた。
「君もそうなの?」
「おっ俺はっ……」
「いつもカシミルドの側にいるのに、言えないんだ……」
クロゥはスピラルから視線を反らし、押し黙ってしまった。
そんなクロゥにスピラルは親近感を覚え、囁くように言った。
「言わないよ。だから、いつか自分で言えるといいね」
「…………」
『おお。やっぱ、スピは面白いな。天使を黙らせた』
「サラマンドラっ。それは言わない」
『はいよ』
「だから火の精霊は嫌いなんだよ……」
クロゥはそう呟くと、カシミルドのフードに身を忍ばせた。
「クロゥ。サラマンドラが気になるの?」
「いや。別に……」
「リリィさんなら、サラマンドラも歓迎してくれるよね? クロゥはどう思う?」
「んー? 森が燃えるんじゃねーか?」
「それは考えなかった……でも、王都に戻るときに、寄れるといいな。クロゥも、リリィさんに会えるのは嬉しいでしょ」
「まぁ……な」
「ははは。珍しく素直だね!」
クロゥは歯切れの悪い返事をした。
実は昨夜もリリィに会いに行っていたとは言い出せなかったからだ。呪いの種子について相談していたのだ。
呪いについて知った翌日、カシミルドは想像していたより落ち込んでいなかった。
クロゥはそれがとても不思議だった。
「なぁ。呪いの種子についてはリリィさんに聞いてみたりとか……」
「リリィさんに? それは考えてなかったよ。取り敢えず姉さんに聞こうかと思ってて。それからかな?」
「随分余裕だな」
「焦っても何も出来ないし、姉さんの呪印。壊れてるんだって。──だから、呪いの種子も、壊せたりしないかな~なんて思ってたりもしてるよ? だから今はこの杖で、魔力のコントロールが出来るようになることが目標!」
「そっか。特訓なら協力するぜ?」
「よろしく。……でも、レオの妹も探したいし、パトさんも心配だし……」
いつも通りお人好しで前向きなカシミルドにクロゥは安堵の笑みを溢した。ずっとこのまま、こうしていられたらいいのに……と。
「カシィ君! お迎えの人が来たって!」
船着き場には赤い髪の大柄の男性が教団の者達と立っていた。
カシミルドはその人に見覚えがあった。
先発隊の出発式の時に見た男性だ。
確か、ソルシエールの人だ。
テツがその人と固い握手を交わしている。
二人は挨拶を交わした後、ソルシエールはマントを翻しカシミルド達に向き直り声を張った。
「待っていたぞ。視察団後発隊の諸君。本日から一週間、ここエテの研究を視察して行きたまえ。何だか新人が弛んでいないか?──さあ。気を引き締めて、俺についてくるが良い」
いきなり大声を上げたソルシエールに、新人団員達は張り詰めた空気に背筋をピンと伸ばした。ルミエルだけは、マイペースに髪を弄っている。
緊張したカシミルドとカンナに、ラルムは小声で話しかけた。
「ここは私の故郷ですので、気兼ねなく過ごして下さいね」
そのラルムの瞳はギラギラと輝いていた。
これは何か実験体にでもされるのではないだろうか。
そんな一抹の不安を抱きつつ、カシミルドは湖に浮かぶ街をを眺めるのであった。