第十一話 田舎者の精霊使い
海が見える街外れの丘の大きな木の下で、カシミルドとカンナは再会を喜んでいた。
「ごめんね。お腹大丈夫?」
カンナがカシミルドのお腹にそっと手を乗せて言った。
カシミルドはそう言われて気付く。
「全然痛くないよ。大丈夫」
別に強がって言った訳ではない。
本当に痛くなかった。
カシミルドは首を傾げながら自分のお腹を擦る。
さっきまであんなに痛くて悶絶していたのに、もうすっかり治っていた。
「良かった。昔からそうだったよね。よく転んで怪我するのに、すぐ治っちゃうんだよね」
カンナはほっとして胸を撫で下ろす。
「よく転ぶは余計だよ。カンナこそ大丈夫? 木から落ちてきたよね?」
「私は大丈夫だよ。ほら」
カンナはそう言って立ち上がり、くるりと回って見せた。
「カンナは危ないことしても、いつも無傷だよね。良かった。それに会えたことも良かったよ。丁度会いに行こうと思っていたんだ」
カンナはカシミルドの言葉に顔を紅くしてはにかんだ。
しかしすぐに表情を変え、カシミルドの事を訝しげに見た。
「私に会いに? あの島から出るなんて、ミラルドさん、許してくれたの?」
カンナは真剣な表情でカシミルドに尋ねた。
ミラルドの性格を知っている者なら、誰でも疑うだろう。
「話すと長くなるんだけど。ちゃんと了承は得たよ」
カンナは酷く驚いている。
まだ疑っている様ではあるが。
「そっか。そうなんだ。でも……ミラルドさんは、知らないか。――いつこっちに? 私以外に誰かこの街の人にあった?」
今度はとても心配そうにカンナは考え込み、そしてカシミルドに詰め寄った。
笑ったり驚いたり困ったり、カンナはいつも表情がコロコロと変わり見ていて飽きない。
「今朝ついたばかりだよ。カンナがここに来て初めて会った人だ」
カンナはほっと溜め息をついた。
「良かった。でもそうよね。カシィ君の格好、目立つから。そろそろ街に人が出てくる時間だし……ここで誰にも見つからないように待っていて!」
そう言うとカンナはカシミルドを森の木陰に追いやり、
「すぐに戻ってくるから!」
と言って丘を駆け下り街の方に走り去って行った。
カシィ君の格好が目立つ?
カシミルドは改めて自分の姿を見た。
黒いボサボサの髪。長い三つ編みも雑だ。
頭には姉の呪印が書かれた帯をぐるぐると巻き、呪印入りのブレスレットが2つ。
同じく呪印入りのアンクレットが2つ。
両耳にピアスがいくつも。
指輪も何個も嵌めている。
姉がくれた呪いの魔封具を体のあちこちにつけていた。
小さい頃から少しずつ増えていった魔封具だ。
なんの違和感もなかったが、この街の人はどんな格好をしているのだろう。
自分の世間知らずを痛感する。
「おーい。カシミルド。起きたかー?」
何処へ行っていたのかクロゥがタイミング良く戻ってきた。
「クロゥ! 僕って変な格好してる? 魔封具とか、目立つかな?」
カシミルドはクロゥの事を自分より常識があると思っている。
慌ててクロゥに相談した。
「ん?変っていうか……田舎者って感じだな。頭ボサボサだし、後、精霊使いってバレバレな感じ? 魔封具なんて解る奴が見たら、俺様強ぉい精霊使いでーすって自慢しているようにしか見えねぇだろうな。ケケケッ」
なぜそんな事を聞くのか状況は良くわからないが、クロゥは見たままを答えた。
カシミルドはその言葉を聞き困惑して固まる。
そして急に思い立ち、
「よし、外そう」
慌てて指輪を外し始めた。
一つまた一つ指輪を外し、ある疑問が浮かんできた。
「クロゥ。僕って精霊使いなの? それに、精霊使いって隠した方が良いことなの?」
「んー? 俺は人間の考えることはよく解らん。詳しいことは。あの子に聞けよ。じゃーな」
クロゥは自分の後ろに目をやると、木の上に飛び去って行った。
クロゥが見た先に、息を切らせながら汗を拭うカンナが立っていた。
「はぁはぁ。お待たせ」
――時は少し前に遡る。
カンナは宿屋ビスキュイを目指し走っていた。
心臓がドキドキしているのは走っているからだろうか。
それとも、八年ぶりに彼に会えたからだろうか。
きっと昨日の春風が彼を連れてきてくれたんだ、カンナはそう感じた。
早く彼の所に戻りたい、そう思うと足が羽のように軽くなる。
昔みたいにまた一緒に過ごせるだろうか。
ビスキュイの食堂の煙突から煙が上がっている。
朝食の時間だ。
悠々と靡く看板は……いつもの場所に無い。
そうだカンナは看板を取りに行ったのだった。
「ただいまっ」
「あら。カンナちゃん、看板あったかい?」
「ありました! でもちょっと必要な物があって」
カンナはそう早口で言うと、二階へと階段を駆け上がる。
二階の自室に入り化粧台の引き出しをガチャガチャと漁り、
「えっと……これと、これ!」
茶色い小瓶を二つ取り出すと、すぐに部屋から飛び出した。
忙しないカンナの様子を見て、厨房からポムおばさんが心配そうに声を掛ける。
「ごめんよー。無理はしないでねー」
「はい。いってきます!」
カンナは元気よく答えると疾風の如く宿を後にした。
そのすぐ後に、たっぷりと水の入った桶を持った眼鏡の少年が裏口から厨房に入ってきた。
辺りを見回し誰かを探している。
マロン=ビスキュイ、七歳。この宿の一人息子だ。
「あれ? 母さん。カンナさんは?」
「マロン! 水が足りないよ。早く樽に入れておいておくれ!」
マロンの言葉など気にも止めず、大きな鍋を振りながらポムおばさんが言った。
朝食の支度で大忙しだ。
マロンは母親に急かされるが軽く聞き流し、まだカンナを探し続ける。
そして井戸から汲んできた水を面倒くさそうに樽にそそぎながら言った。
「わかってるよ。ねー、今日カンナさんは? さっき声がしたと思うんだけど」
「カンナちゃんならいないよ。昨日の風で看板がどっか行っちゃったでしょ? 木の上に引っ掛かっているみたいだから、カンナちゃんにお願いしたんだよ」
「えっ。そんな危ないことをカンナさんに頼んだの? 怪我でもしたらどうするんだよ」
マロンは呆れた様子で母親を責めた。
息子に口答えされて黙っているポムではない。
「だったらマロンは木登りできるのかい? 家の旦那も高いところは苦手だし、カンナちゃんにしか頼めないじゃないかい。それにカンナちゃん、さっき戻ってきた時凄く嬉しそうにしていたんだよ。何か良いことでもあったのかね? あんなキラキラしているカンナちゃん初めて見たよ」
ポムは駄目な息子と旦那に文句をつけようとしていたが、いつの間にか先程の嬉しそうなカンナが目に浮かび自分まで気持ちが和んでいた。
「ふん。カンナさんはいっつもキラキラしてるじゃん。まさに第三王区の天使だよ!」
マロンが自信たっぷりに桶を掲げて断言した。
その言葉に同調し、朝食を食べに来た常連のおじさん達も力強く頷く。
皆カンナが目当てなのだろう。
「ほら、マロン、遊んでないで。水が足りないよ!」
「はいはい」
母親に軽くあしらわれ、マロンはつまらなそうに返事をし、水汲みの仕事に戻って行った。
「カンナ! 僕ってそんなに田舎者の精霊使いに見える!?」
カンナが着いて早々、カシミルドは何故か焦りながら恥ずかしそうにそう尋ねた。
カンナはきょとんとしている。
そしてクロゥは木の陰で腹を抱えて笑っていた。
「急にどうしたの? 私の言い方が悪かったかな。その……この辺りで黒髪の人っていないんだ。黒の一族であることは、秘密にしてってミラルドさんにも言われているよね?」
カンナは説明しながら腰に着けた小さな鞄から小瓶を二つ取り出す。
「そういえば、言っていたけど。珍しい髪の色だったんだ」
カシミルドは見慣れた黒髪をまじまじと見つめた。
「だからね。良いものを持ってきたの! じゃーん! これはテラン製の髪の毛と瞳の色を染める魔法の液体なのです。街ではポピュラーな魔法道具の一つだよ。私がやってあげるね」
カンナはカシミルドの頭の帯をスルスルと外し、三つ編みを手に取る。
頭の帯は外さないように姉からしつこく言われていたので、カシミルドは適当に足首に巻き付けておく。
そしてカンナは少し大きい方の小瓶の液体を髪に振りかけた。
液体が触れた所から、髪の色が栗色に染まっていく。
カンナと同じ色だ。
「カンナもこうやって染めたの?」
「うん。私の色も目立つから。次は目だよ。黒は目立つから。はい」
カンナは原っぱに正座して座り、自分の両膝をポンポンと叩いている。
ここにおいでと、言わずもがな伝わってくる。動かないカシミルドを見て、
「カシィ君? 目もやってあげるよ。おいで」
と催促した。
するとカシミルドの後ろからクロゥが耳元で悪戯に囁いた。
「良かったなー。女の子の膝枕。うっらやっましぃー」
「じっ自分でやるよ」
カシミルドは耳まで顔を赤くしてカンナの手から小瓶を取る。
「目の方が難しいのに。出来る?」
「大丈夫。これって他の色と混ぜるとどうなるの?」
「え? やったことはないけど、テラン製は良くできているから、前の魔法を無効にして、新しく染められるはずだよ。薄い色の付いた膜を張るようなイメージらしいから、元の瞳の色によって少し色味が変わるの。カシィ君は黒だから、焦げ茶色かな?」
カンナの説明はとても解りやすく、それなら扱いやすいと手慣れた様子で瞳に一滴垂らす。
カシミルドの瞳の色を見てカンナは不思議そうに言う。
「あれ……夕焼け色だ。綺麗だね」
「この色じゃ駄目かな?」
カンナが想像していた色味と違ったためカシミルドは不安げに尋ねた。
「大丈夫だよ。素敵。これなら街を歩いても平気だね! じゃあ私の部屋に行こうか」
カンナの部屋。
早く行ってみたい……と思ったがカシミルドには一つ気掛かりな事がある。
「あのさ。魔封具とかは……大丈夫かな?」
「……目立つね。外そう!――でも。外しても大丈夫なのかな?」
二人は顔を見合わせた。
魔封具は必要だから着けている筈だ。ただの飾りではない。
年々増えていった魔封具、増えることはあっても減らしたことはない。
魔封具とにらめっこしているとクロゥがカシミルドに小声で伝えた。
「メイ子が傍に居れば平気だろ。あいつが余計な魔力を吸いとってくれる。ただ、メイ子一人じゃキツいかもしれねぇけどな」
カシミルドは成る程と思う。
姉との約束にも、魔封具を外してはいけないとは言われなかった。
ただし魔獣は最低でも一人は召喚しておくように言われた。
「大丈夫。外すよ」
カシミルドの目に決意の色が伺える。
カンナも頷き、二人でどんどん魔封具を外していく。
全て外し終え、数えてみると二十四個もあった。
装飾は鉄で出来ていたため中々の重量だった。
カシミルドは体が軽くなり、今ならカンナより早く走れるかもしれないと思う。
「すっごい量だね。……本当に大丈夫?」
カンナが魔封具をカシミルドの鞄に片付けながら心配する。
カシミルドは大丈夫だよ、と答えようと思い立ち上がった。
しかし立ち上がったとたん、目の前が次第に真っ白になりその場に立っていられなくなった。
視界が全て白い世界に包み込まれる直前、カンナの心配そうな顔が目に映る。
それを最後にカシミルドの意識は途絶えたのだった。




