第七十七話 サラマンドラとの契り
「カンナちゃん!」
荷台の幕を勢いよく開き、パトが中に入ってきた。
「何でこんな事に、早く外へ出て」
「スピラル君」
カンナがスピラルを抱き上げ外へ行こうとするが、スピラルは足をバタつかせて抵抗を見せた。
「カンナっ。下ろしてっ──うるさいっ。俺は逃げないっ──サラマンドラっ」
スピラルは剣に向かって叫んだ。
──その時、外からシレーヌの声がした。
「サラマンドラっ。まだ意識があったのね」
剣から溢れる炎が一際大きくなったかと思うと、それは形を変え凝縮され、剣から炎の球体へと変化した。
そして球体へから翼が生まれ、角が生え、赤い瞳が開く。
炎は収まり、宙に浮かぶは一匹の小さなドラゴンだった。
「ど、ドラゴン?」
レオナールがパトリシアの後ろから少しだけ顔を出して呟いた。
カンナは目を丸くしてその飛行物体を見つめた。
そして口を開く。
「か、か、可愛い!」
小さなクリクリお目めのドラゴンに、歓喜の声を上げたカンナであったが、ドラゴンに触れようとしてパトリシアに止められた。
「カンナちゃん。こんな汚いもの触っちゃ駄目よ」
「ええっ!?」
『見た顔だな……汚いとは失礼だ。少年、名は?』
「……スピラル」
「ちょっとっ駄目よ! こんな奴を相手にしちゃ……って君は何者?」
パトリシアはスピラルを二度見して早口で言った。
『スピラル。我の力が欲しければ我にその身の一部を寄越せ』
「カンナ。短刀借りるよ」
「えっ?」
スピラルはカンナの腰の短刀を引き抜くと、自身の髪を掴みバッサリと切り落とした。
「スピラル君!?」
「丁度、短くしたいと思ってた。これ、やるよ」
スピラルはサラマンドラに髪を差し出した。
『確かに受け取った』
そう言うと、サラマンドラはスピラルの髪を炎で飲み込み、姿を消したのだった。
カンナは短刀をスピラルから取り返し、スピラルの短くなった髪を悲しげに見つめた。
「スピラル君。何でこんなこと……」
「サラマンドラが……あっつ」
スピラルは手の甲にいた黒い痣を手で覆った。
すると手の甲に小さな指輪が乗っていた。
そしてその指輪から半透明のドラゴンが浮かび上がっている。
「えっ。小さっ」
「どうしたの?」
カンナには何も見えていなかった。
スピラルが掌と会話しているようにしか見えないのだ。
「サラマンドラが君を選んだ? 君はソルシエールの血縁者なの?」
指輪となったサラマンドラを見据え、パトがスピラルに詰め寄る。
「俺は、あんな家の奴等と関係ない!」
互いに睨み合うパトとスピラル。
そこへテツが仲裁に入った。
「まぁまぁ。取り敢えずエテヘ急ぎたい。パトリシアは荷馬車の手綱に戻ってくれ。──スピラル君については、カンナ君とシレーヌに話を聞いてもらおうじゃないか」
シレーヌと聞いて、レオナールは心底嫌そうな顔をした。
カシミルドは二人の関係が気になり、テツにそれを伝え荷馬車に残ることにした。
◇◇◇◇
「それで……あの大きな剣が、ドラゴンになって、その小さな指輪になって……指輪の近くでフワフワ浮いているってこと?」
カシミルドはカンナに聞いたことをまとめ、スピラルに確認した。スピラルはずっと沈黙していたが、カシミルドの言葉に驚き顔を上げた。
「カシミルド。見えるの?」
スピラルは透明になったサラマンドラを指差して尋ねた。
今は指輪から浮き出し精霊体として存在している。
永きに渡り剣で眠り続けたサラマンドラは、形状を変化させる時に力を使い果たしたらしい。半透明の霊体で、スピラルの魔力を補充中らしいのだが。
「見えるよ。……あ、皆には見えないのか……シレーヌは?」
「見たくないけど見えますわ。パトリシアはそれを火口に捨てようとしているのでしょう。スピラルはどう思っているのかしら?」
「俺は……この力を従えたいと思ってる。サラマンドラは、力に溺れた醜い人間の姿を見たいらしい。だから俺に力を貸し、この穢れた世界を楽しみたいそうだ……」
カンナはそれを聞くと身をのりだし、心配そうに尋ねる。
「スピラル君。サラマンドラはそんな酷いことを言っているの? 何か危ないことをスピラル君にさせようとしてるんじゃない?」
「そういうつもりは無いみたい。ただ、俺の周りには面白いやつらが多いから、面白いものが見られるだろうって……」
そう言ってスピラルはカシミルド、シレーヌ、そしてカンナに視線を巡らせた。
カシミルドは心配になり、シレーヌに目配せする。
シレーヌはサラマンドラを睨み付けながら、それに答えた。
「サラマンドラは、面白ければ何でも良いのですわ。それが誰かの命を奪うことでも……スピラルが願うなら、求めるなら力を貸すでしょう。どんな事にも。──スピラルはそんな力を手に入れたのです。軽く考えては駄目よ。サラマンドラは悪意の塊なのですから」
「そんなに悪い子には見えなかったんだけどな」
「カンナ様。サラマンドラは面白い方へ、と言いつつ人を悪の道に陥れるような最低の精霊なんです。それに……見た目も可愛くありませんわ」
「要するに俺次第って事だろ?」
「むぅぅ」
アヴリルがスピラルにすり寄った。ついでにメイ子も。
そしてメイ子がアヴリルの代弁をする。
「スピラルは大丈夫なの。アヴリルも付いてるし、皆もいる。寂しがり屋の精霊さんを追い出すのは可哀想──ってアヴリルは言ってるなの!」
「寂しがり屋?」
シレーヌが顔をしかめ、尋ねると、メイ子は小さく何度も頷きそれに答えた。
「そうなの。他の大精霊は精霊の森にいるのに、自分だけ火山に置いてけぼりで、拗ねてるなの」
「ふふふっ。初めて聞きましたわ。ふふふふふっ」
シレーヌがお腹を抱えて笑いだした。
カシミルドもつられて笑みが溢れた。
「シレーヌ。そんなに面白い? シレーヌはサラマンドラとも知り合いなの?」
「サラマンドラの前の宿主と知り合いですわ。そうだ、ルイに……あっ」
シレーヌは急に表情を失い、肩を竦めて小さく息をついた。
テツと何かあったのだろうか。
「シレーヌ?」
「あっ。火事にならなくて良かったですわ。私はそろそろ失礼します。サラマンドラに関しては、御主人様のご判断にお任せしますわ。──では」
シレーヌは早口でそう答えると、魔獣界へ帰っていった。
「シレーヌさん。どうしたのかな。いつも一人で抱え込んじゃうから、心配だね」
「うん。テツさんと何かあったのかな……」
「なぁ。あの王子とセイレ……シレーヌってどんな関係なんだ?」
ずっと隅っこで話をきいていたレオナールが、カシミルドに興味深そうに尋ねた。
カシミルドもその事は疑問だった。前世の知り合いとは言っていたが、それ以外はほとんど何も知らない。
「う~ん。あの二人は……恋人って感じでは無いみたいだし……何だろうね?」
「って知らないよかよっ!? それに魔獣と人間で恋とかあり得ないだろ」
「そうかな? 気になるならシレーヌに聞いたら?」
「……ちぇっ」
どうやらレオナールは、シレーヌとは話したくないようだ。
また不貞腐れたように頬を膨らませ、荷馬車の隅に丸くなって座った。
「スピラル。取り敢えず、サラマンドラはそのままにしようか? 少しでも心や体に変な影響があるって分かったら、すぐに僕が預かるからね!」
「……分かった」
唇を突き出し、不満そうな顔でスピラルは頷いた。
如何にも仕方なく返事だけしました、といった表情だ。
「スピラルは男の子だから、アヴリルや皆を守りたいって気持ちは分かるよ……でも、スピラルが笑顔でいられる事を、アヴリルは願っているんだからね。きっとメイ子のお姉さんも……それを忘れないでね」
「……うん」
スピラルはアヴリルを抱きしめ顔を埋めた。
お陽様の匂いがする──アンと同じ匂いだ。
指輪をそのままにすることで話はまとまったのだが、カンナが申し訳なさそうにスピラルに問いを投げ掛けた。
「スピラル君。パトさんが、どうしても聞いておいて欲しいって言ってたんだけど……スピラル君のご両親は、ソルシエール家と関わりがあるのかな?」
スピラルは体をビクッと反応させた。
アヴリルを抱く手に、自ずと力がこもる。
自分の生い立ちは、アンやアヴ、そしてメイには話している。
アンに初めて話した時、心がとても軽くなった。
アンは自分を受け入れてくれたから。
目の前にいる二人もきっと……だけど怖い。
アヴとメイが二人並んで俺を見上げる。
二人が何を言いたいかは、分かってる。
「……俺は、ソルシエール家分家のメイドの息子として生まれたんだ……」
「お父さんは?」
「…………父は」
スピラルは重い口を開き、自身について語り始めた。