第七十六話 燃ゆる剣
カンナはスピラルとレオナールと荷馬車の中で揺られていた。積まれた樽の上でモコモコ姿のメイ子とアヴリルが追いかけっこをして遊んでいる。
とても微笑ましい光景だ。
スピラルも微かに笑っているように見える。
口角は下がったままだが、瞳が優しい。
唯一、険しい表情をしてそっぽを向いているのはレオナールだ。
ここは、レオナールが喜びそうな話を振らなければ。
カンナは謎の使命感に押され、話を切り出した。
「レオナール君。同じ郷の人と会えて良かったね」
「はぁ?」
レオナールはスピラルに視線を這わせ、表情をさらに険しくさせた。
しまった。スピラルにも、ルナールだと言うことは秘密だったのだ。レオナールは、これ以上余計なことを話すなと目で圧をかけてくる。
「えっとー。パトさんには、私も小さい頃からお世話になっていてね。仲良しなんだ。それで、同じ郷出身だって聞いてたんだ~」
私は言い訳がましくそう付け足した。
これならスピラルも変に思わない筈だろう。
「……」
レオナールはまたそっぽを向いてしまった。
──会話が終了した。
しかし意外なことにスピラルから話しかけられた。
「カンナ……」
「ん? スピラルちゃん?」
「あのさ。俺、男ってこと、黙っててごめん……なさい」
いつも無表情なスピラルだが、今のスピラルは捨て猫のような目でカンナを見つめていた。
可愛い。今すぐ抱きしめたいけど、男の子にそれはしちゃいけない気がした。
「スピラルちゃん。気にしなくて良いよ。同じ部屋にいた時も、いつも隅っこにいたり、着替えの時は慌てていなくなったり、お布団被ったり……。私とラルムさんに言えなくて、辛かったよね。肩身の狭い思いをさせちゃってごめんね」
スピラルは小さく首を横に振った。
そこにメイ子がフワフワと寄り添ってきた。
「スピラルはずっと悩んでたなの。でも、誰にでも秘密の一つや二つある事なのの! レオナールだって魔獣だってこと隠してるなの。一緒なのの!」
「な、何言ってんだよ。フェ……めっメイ子!」
「むぅ? レオナールがメイ子って呼んだなのの。一歩前進したなの!」
「そうなの? 良かったね! レオナール君」
二人に笑顔を向けられ戸惑うレオナール。
何しろ勝手にメイ子がスピラルの前で魔獣であることを暴露してしまったのだから。
その事が気がかりで頭の中はパニックだった。
「よくねーよ。何で人間の前で言うんだよっ」
「スピラルは知ってるなのの」
スピラルは表情を変えず、コクりと頷いた。
「……アヴから聞いた。特に気にしてない」
「何だよそれ」
「俺、魔獣とか人間とか興味ない。嫌な奴は嫌だし、良い奴は良い奴。善悪は種族で決まらない」
「……ぅぐっ」
「レオナールが、ぅぐって言ったなのの!」
「メイ子ちゃん。そう言う事で笑わないの! ねえ、スピラルちゃんとレオナール君、歳も近いだろうし、同じ男の子! きっと良いお友達になれるよ!」
二人は顔を見合わせると、目が合った瞬間に顔を背けた。
「ほら! 息ピッタリ!」
ご満悦のカンナとメイ子。
そして樽の上で嬉しそうに跳ね回るアヴリル。
荷馬車の中に穏やかな空気が流れていた。
スピラルは珍しく顔を紅くしていた。
そしてカンナを見て呟くように言った。
「カンナ。……出来たら、呼び捨てか君付けがいい」
「そ、そうだね! スピラル君って呼ぶね」
「むぅ!!」
アヴリルは嬉しくなり、樽からスピラルに向かって飛び降りた。
その時、バランスを崩した樽が、アヴリルと一緒にスピラル目掛けて落下した。スピラルは反射的に顔を両手で庇った。
「……あっ!」
カンナが短刀を抜き、レオナールは手の爪を肥大化させたその瞬間──樽が燃え上がった。
「スピラルちゃんっ」
カンナはスピラルを抱き寄せ庇うが、樽は一瞬で燃え尽き、灰すらスピラルに降りかからなかった。
空中で、生きた焔に飲み込まれてしまったかの様に、消え去ったのだ。
穏やかだった荷馬車の空気が一変した。
「今のは……スピラルちゃん?」
「違う……熱っ」
「大丈夫!?」
スピラルは胸の辺りを押さえて踞った。
すると樽の隙間に寝かされていた大剣が燃え上がり、剣に巻かれていた布を燃やしながら、宙に浮かび上がった。
それは真っ直ぐにスピラルの前まで移動した。
◇◇
「──我が主から痕を与えられし魂よ──」
スピラルは頭上から低い男性の声が聞こえ、驚いて顔を上げた。
「……だ、誰?」
『スピラルちゃん?』
スピラルの隣からカンナの声がした。まるで水の中で会話をしているかの様に、カンナの言葉は不明瞭だった。
鮮明に聞こえてくるのは、目の前の剣の声だけだ。
巻かれた布は燃え尽きたものの、火の勢いは収まることなく荷馬車の屋根を焦がしている。
『このままじゃ荷馬車が燃えちゃう』
『俺、パトリシア様に伝えてくる』
カンナとレオナールか何か言い合い、レオナールは荷馬車から飛び出して行った。
「──我が名も知らぬ、ソルシエールの血を引く少年よ──」
「何で、俺が……俺はあんな奴の血なんか引いてない!」
ソルシエールの名を聞き、スピラルは急な目眩に足がフラついた。
──屋敷の風景が頭を過る。
ベッドの上でせせら笑う男性の声。
赤く燃える炎の中で響く断末魔の叫び声。
どちらも自分が焼き尽くした旦那様の声だ。
あんな奴と同じ姓などあり得ない。
スピラルが倒れかけたその時、誰かに支えられた。
カンナがスピラルの肩を強く抱きしめていた。
カンナの背中には、怯えた様子のメイ子とアヴリルとが寄り添いくっついている。
この炎を止められるのは自分だけだ。
倒れてなんかいられない。
『スピラルちゃ……じゃなくて、スピラル君! どうしたの? 何か聞こえるの?』
他の人には剣の声は聞こえていないのかもしれない。
カンナが心配そうに何か尋ねている。
「──我が力が欲しいか? 我は欲しい。貪欲に力を求める魂が──」
「力……?」
「──お前は自らの力を持て余しているのだろう? そして自らの力を憎んでいる。憎しみを知る者は、時に貪欲に力を求め、その憎しみ故に、己を見失い力に溺れる──」
「まるでそんな奴を見てきたような言い方だな」
「──我が主はそんなちっぽけな人間だった。お前は似ている。また我に面白い世界を見せてくれないか?──」
スピラルは俯きアヴリルを探した。
アヴリルもそれを察してスピラルの前に飛び出した。
燃え上がる剣に怯えながら、スピラルにすり寄る。
「アヴ……力さえあれば、アヴを守れるかな?」
『むぅ???』
不思議と、声は聞こえずともアヴリルの気持ちは分かった。『今も充分、君は私を守ってくれているよ』そう言っている。
でも、本当にこれからもアヴを守れるのだろうか。
俺に力があれば──オークションの時の様な暴走ではなく──ちゃんと力が使えたら、アンは生きていたのかもしれない。
スピラルの瞳に赤い光が宿る。
「──我が力を受け入れよ。我の名を呼べ──」
「……名前?」
その時、スピラルの体がぐるっと反転した。カンナの顔が眼前に迫るが、視界がボヤけてハッキリしない。
『スピラル君。止めて。何をしようとしてるか分からないけど、駄目だと思う。スピラル君!』
「カンナ……何て言ってるか分からない。大丈夫だから……」
それでもカンナは何か言い続けている。
確かにこの剣から溢れる魔力は底知れぬ力を感じる。
気を抜けば飲み込まれてしまうほどに。
精霊の森で会ったオンディーヌとは相反するような、荒ぶり熱い感情の畝りを、全面に押し付けるような気配だ。
「──我が名を呼べ、お前は知っている筈だ。お前自身が呼ばれていただろう?──」
「……」
俺が呼ばれていた。俺じゃない俺の名前?
──屋敷でのある記憶が蘇る。
それは、初めて旦那様が、俺の衣服を無理やり全て剥ぎ取った時。母に隠すようにいわれていた黒い痣が、隠れる場所を失い、旦那様は気味の悪い笑みを浮かべて、俺のその痣を舐めた時……俺を知らない名で呼んだ。
旦那様の最期の言葉だった。
それは──。