第七十四話 輝剣七煌
「未来?」
カンナはパトの言葉に首をかしげた。
「そう、未来。私の力は弱いから、沢山は見られないけれどね。──私の名前はパトリシア。パトリシア=ルナール。先詠みの力を有する魔獣が一人……今まで秘密にしていてごめんね。カンナちゃん」
パト──パトリシアは、カンナに寂しそうに微笑みかけると、両手で印を結び白い煙に包まれた。
カシミルドはこの煙に見覚えがある。
レオナールと同じだ。
煙はすぐに晴れ、パトが現れた。
頭の上には大きなフサフサの三角耳が二つ。
背中には三つに別れたフサフサの尻尾が生えている。
カンナは驚いて目を見開き、そしてパトに飛びついた。
「パトさん!! 可愛い!」
「あら。カンナちゃんったら。よしよし。もうカンナちゃんは可愛いいんだから」
「あの……パトさんはルナールの一人なんですね」
カシミルドが訪ねると、パトは小さく頷いた。
「そうよ。皆、あまり驚かないのね……。私は力を使って、この七煌の未来を見たの──私は、燃え盛る炎を見つめる自分の姿を見た。燃えているのは私の故郷。そしてこの剣は他の誰かが握っていたの。ルナールを共に守ろうとしてくれる人──ここに来る間、ずっとそれが誰か考えていたの」
パトはカシミルドをじっと見据えた。
「私はね、それがカシミルド君。貴方かと思って」
カンナの手を優しく振りほどき、一歩ずつカシミルドに近づく。パトはカシミルドに剣を突きつけた。
「受け取って、カシミルド君。剣は主を自分で選ぶ。さあ……」
カシミルドは目の前に差し出された剣を見据えた。
七煌……何処かで聞いたような。
恐る恐る、その鞘に触れた。
その瞬間──バチンっ。
「いっ……いったぁ」
カシミルドの指は何かに弾かれた。赤くなった指先を擦るカシミルドを見て、パトは残念そうに剣を眺めた。
「あら? カシミルド君じゃないのね」
「カシィ君っ大丈夫?」
「大丈夫だけど……痛い。──でも、パトさん。故郷が燃えているって、どういう事かな?」
「それは分からないの。遠くない未来……かもしれない。私の先詠みは不確かだから……でも、ルナールの郷に危険が迫っているのは確かよ。蜥蜴を使って、視察団に何かをさせようとしているみたいなの」
「それは誰が……」
パトはカシミルドの口を人差し指で塞いだ。
「知らない方がいいわ。でもカシミルド君じゃないなんて……シレーヌが御主人様と呼ぶ人だから、絶対にそうだと思ったのに……どうしよう……」
パトは剣を抱きしめてカシミルドを見つめた。
そして腰に光る杖に気付いた。
「カシミルド君。それ……まさか。レイラ様の杖? 王家の紋章、七煌と同じ虹珊瑚から造られた魔石。どうして貴方が?」
「これは、テツさん……テツ王子から借りたものです」
「そっか。あの王子様ね。カンナちゃんと一緒に馬に乗っていた人ね?」
「うん、そうだよ。パトさん……その、テツさんに相談してみたらどうかな? テツさんならルナールにも詳しくって、力になってくれると思うし。それに今ね。ルナールの男の子も一緒なの。妹さんが……蜥蜴に拐われて迷子になって……」
「その子、名前は?」
「レオナールです」
「レオ……じゃあミィシアが……レオに会わせてもらえるかしら?」
「今、隣の部屋でシレーヌと喧嘩して……郷に帰るって言ってたんだけど……」
パトさんはそれを聞くと印を結び、いつもの人間の姿に変身し、部屋を飛び出した。
◇◇◇◇
ラルムはシエルの部屋をノックした。「どうぞ」と返事が聞こえ扉を開けると、ベッドから体を起こし、足の包帯を交換しているテツと目があった。
「へっ? テツ様? その包帯は……」
「おっ。ラルム君か。ちょっと掠り傷だ。シエルならまだ寝ているぞ」
シエルはベッドの上で熟睡していた。三階全体を包み込む防護壁を長時間形成し続けたため、魔力も体力も使い果たしていたのだが、そんな事を知る由もないラルムには、とても不思議な光景だった。
その反対側のベッドでは、昨日から行動を共にしている少年がメイ子の後ろに身を隠し、ラルムの事を警戒している。
メイ子はラルムに手を振ると、少年と何か小声で話している。
ラルムは視線をシエルに戻した。枕を抱き込む様にうつ伏せで眠るシエルは、会話に反応することなく小さな寝息を立てている。
「まあ。珍しい。こんなこともあるんですね。温泉が気持ち良かったのかしら」
「たまにはゆっくり寝かせてやろう。昼までに出ればエテには日が落ちる前にギリギリ着くだろう」
「そうですね。ふふふっ」
「どうした?」
「初めてかもしれません。こんな気持ち良さそうに寝てるシエルを見るの。いつも不機嫌そうな顔をしていますからね」
「そうかもな」
「あっメイ子ちゃん。一緒に朝風呂に行きませんか? 昨日はバタバタしちゃって、ゆっくり出来なかったでしょう?」
「むぅ~。でもまたカシィたまに怒られるなのの……」
「大丈夫よ。今度はちゃんと女風呂だから。ねっ?」
メイ子はテツに視線を送る。テツはそれに笑顔で答えた。
「行っておいで。カシミルド君には伝えておくよ」
「分かったなの! む?」
立ち上がったメイ子の服を、レオナールが掴んでいた。
「フェルコルヌ。お前人間なんかと……」
「むぅ。……レオナールはいつも誰と話してるなのの?」
「えっ?」
「メイ子は、フェルコルヌだけど、メイ子なのの。メイ子はメイ子なのの!」
「はぁ?」
メイ子はレオナールの腕を振り払うと、ラルムと手を繋ぎ部屋を出ていった。
「何だよ。意味わかんねーよ……」
「レオナール君。魔獣にも人にも、皆、名前があるだろう? 名前で呼んでみれば、メイ子君が言った意味が、いずれわかるんじゃないか?」
「……?」
その時また、扉がノックされた。朝から騒がしい。
「どうぞ」
「失礼します」
声と共に、長い金髪の女性が慌てた様子で入室した。女性はレオナールを見ると駆け寄り、勢いのまま抱き締めた。
「レオナールっ」
「ぱっ……んんっ」
レオナールはパトの胸に押し潰され悶え苦しむが、パトには伝わらず更に力が込められる。
「パトリシア。レオナールが窒息死しますわ」
頭上からシレーヌの声がした。
部屋の隅でずっと様子を伺っていたのだ。
パトはハッとしてレオナールを離した。
そして、レオナールの赤い顔を、愛しそうに両手で包みこんだ。
「ごめんなさい。──レオナール。無事で良かった」
「ぱ、パトリシア様ぁ。俺、何も出来なくて。ミィシアがぁミィシアがぁ……」
泣きじゃくるレオナールを皆静かに見つめた。
カシミルドは扉の前にカンナと並んで立ち尽くした。
カンナの手には、七煌が抱えられている。
シレーヌだけはその光景に冷たい視線を送っていた。
「ルナールの事はルナールでどうぞ。カンナ様。その剣は七煌ですね。それは我が種族の剣。私が預かります。パトリシアもそれで良いでしょう?」
「……そうね。そういう運命なのかも知れない。私はもう一つの剣を……」
「もしや。石竜の火剣もあるのか?」
テツがベッドから立ち上がって言った。
パトリシアはテツを警戒し、探るような視線を送る。
「何故それを? まさか、蜥蜴側の人間なのですか?」
シレーヌが呆れた様に首を振る。
「パトリシア。テツは……。いえ、何でもないわ」
「私は蜥蜴とは対立関係にあるのだよ。パトリシア……君。その火剣をどうするのだ?」
「ラージュ=ソルシエールに届けるのです」
テツが苦悶の表情を浮かべた。
「なっ何故……」
「それが私の今回の任務なの。──驚くということは、蜥蜴の人間ではないようですね。これ以上は話せません。カンナちゃん、その剣をシレーヌに渡してくれる?」
「は、はい。シレーヌさんっ」
シレーヌが手を伸ばすが、それよりも先に、テツがその剣を握りしめた。
「あっ、テツ……さん?」
カンナは驚いたものの、剣をテツに委ねた。
剣がそう望んでいるかの様な気がしたからだ。
テツは、剣を鞘から少しだけ抜き、刀身を見つめると、瞳にその七色の光を反射し、一筋の涙を溢した。
その瞬間、カンナとテツは目と目が合い、お互い気まずく、直ぐに目を反らした。
「ちょっと。何故貴方が七煌をっ……」
パトリシアは、剣がテツの元へ渡った事に納得出来ずに声を上げるが、刀身から放たれた七つの光を目にすると言葉を接ぐんだ。そして消え入りそうな声で呟いた。
「七煌が……認めた? ルイ兄の……子孫だから? ──カンナちゃん達は、これからエテヘ行くのよね?」
「そうだよ。パトさんは?」
「私も行くわ。王子様が七煌を持つ者に相応しいか、この眼で確かめたいわ。それに、エテに用があるもの」
「パトリシア君。ラージュに火剣を渡してはいけない」
「……レオナール。行こう」
パトはテツを睨み付けると、部屋から出ていった。
カシミルドとカンナはその後を追いかけた。
──皆が部屋を出た後、シレーヌはテツの持つ七煌に手を触れた。
「あの頃と変わらない。ずっとパトリシアは、この剣を守っていたのですね」
「そうだな……」
「言わないのですか? 記憶のこと」
テツは俯き眉を潜め、小さくため息をついた。
「……シレーヌ。君は魔獣界に戻るんだ。嫌な予感がする。君が私の隣に居ることが、どうしようもなく不安なんだ」
「でも、私も一緒に──」
「駄目だ! もう……もう君をあんな目に会わせたくないんだっ。君が消えそうになる姿は、もう見たくないんだよ……」
テツは瞳に涙を貯めて、思いの丈をシレーヌにぶつけた。
シレーヌはまた、瞳から白い珠をポロポロと溢した。
「私──」
「……すみません! 寝すぎました……ん?」
シレーヌのか細い声が、寝呆けたシエルの第一声にかき消された。
シレーヌはそっと泡となって消えて行く。
魔獣界に戻ったのだ。
「あの……何かお話し中でしたか?」
「いいんだ。丁度話がついたところだよ」
テツはそう言い、シエルに微笑みかけた。