第七十三話 パトリシア
カシミルドはソファーの上で目を覚ました。
こんなに目覚めの良い朝は久しぶりだ。
頭はすっきりし、体が軽い。
ベッドでは、スピラルとレーゼが同じベッドで仲良く寝ている。その奥のベッドにはルミエルが寝ていた。
ここはガラザ村の宿だ。
調子が良いのは温泉効果か……。
それとも安眠草の効果だろうか。
ん? 安眠草って何だっけ?
──カシミルドは昨夜の事を思い出した。
蜥蜴の三人の事、そしてシレーヌにレオナールを任せた事を。
「シレーヌ!?」
カシミルドの喚び声と共に泣き腫らした顔でシレーヌが水泡の中に現れた。
「御主人様っ申し訳ございません。テツは? テツは……」
シレーヌが青ざめた顔で辺りを見回した。そしてテツの気配を察知したのか、扉に向かって飛んでいく。
「シレーヌっ。僕も行くよっ」
シレーヌが向かったのは隣の男部屋だった。
手前のベッドには青ざめた顔でレオナールが寝ていた。
枕元にはクロゥとアヴリルがいる。
「メイ子……」
僕はメイ子を喚び治療を任せた。メイ子は昨日の事を反省しているのか、何も言わず治療に当たった。
昨夜、何があったのだろう。テツは奥のベッドで寝ている。
何処と無く違和感があるのは、剣を抱いて寝ていないからか。ベッドの横のテーブルの上には、折れた剣が置かれていた。
シレーヌは心配そうにテツの上を行ったり来たりしている。
「シレーヌ。何があったの?」
「……」
シレーヌは泣き出してしまった。今は何も聞けそうにない。
テツのベッドに近づくとカシミルドはあることに気付いた。
ベッドの足元の方に、血が滲んでいる。
そっとテツの薄い掛け布団を捲ると、膝から下に巻かれた包帯は赤黒く染まっていた。
「なっ……メイ子っ」
「はいなのの! むぅ!!」
メイ子も包帯を見て顔をしかめた。そっと包帯に手を掛け、ゆっくりと剥がしていく。
「んっ……朝か。おはよう」
テツが足元の異変に気付き目を覚ました。
体を起こし、シレーヌ、そしてカシミルドと目が合うと、苦笑いを浮かべる。
「テツさん! 笑ってる場合じゃないですよ!? 昨晩何があったんですか!」
「ははは。蜥蜴にしてやられたよ。……私の力不足だ。クロゥ君に助けてもらったのだが……そんな怖い顔をしないでおくれよ。カシミルド君」
「僕、テツさんの事は信じてたんですよ。テツさんは無茶なことはしないって……」
カシミルドの言葉を受け、シレーヌは涙を拭って力強く反論した。
「テツのせいではありませんわ! レオナールが勝手に……それに、レオナールを止められなかった私の責任です」
シレーヌは俯き、またポロポロと大粒の白い珠を溢した。
「シレーヌ……」
緊迫した空気を他所に、包帯を取り終えたメイ子が感嘆の意を漏らした。
「むぅ。流石テツなのの。怪我は殆ど治ってるなのの。姉たまの角を使ったとしても、普通こんなに良くなることなんて無いなのの。……テツは、慈愛の精霊に愛されているなのの。──でも何で精霊にお願いしないなの? テツが頼めば絶対に喜んで力を貸してくれるなの!」
メイ子の明るい言葉に、カシミルドが顔を緩ませたのに対して、テツとシレーヌはお互い見つめ合って、俯いてしまった。
その反応にメイ子も首をかしげる。
すると、後ろのベッドから声が上がった。
「うぅっ……っぁあ!」
微妙な雰囲気の中、レオナールが呻き声をあげて起き上がった。シレーヌは目覚めたレオナールを睨み付けると、テツから離れレオナールに詰め寄った。
「レオナール!!」
「うわっ、セイレーンっ」
レオナールはシレーヌに怒鳴られると、ベッドの上で正座をして俯いてしまった。
「誰のせいでテツが怪我をしたか分かってますか? あんな身勝手なことをして、あなたのお望みの妹の情報は手に入れられたのかしら? どうせ何も出来なかったのでしょう? ほら、何とか言いなさい!」
「シレーヌ。皆無事だったのだからそれぐらいにしてやれ」
「駄目です! レオナールは昨日の様なことがあれば、また同じ事をしますわ。ハッキリさせておかないとっ」
「……ああ。俺はまた同じ事をする。あいつらを見たら、また抑えられなくなる。今度こそ喉元に食らいついてやるって……それしか考えられない」
レオナールは拳を震わせ、歯を食いしばって言い切った。
「レオ……一人で抱え込まないで、皆で……」
「俺をお前たちと一緒にするなよっ。馬鹿じゃねーの。人間なん信じられる訳ないだろっ。人間なんか人間はなんかっ……ぶはっ」
突然、滝のような水流がレオナールの頭へと降り注ぎ、むせ返った。ずぶ濡れのレオナールの前にシレーヌが降り立つ。
その瞳は氷のように冷たく、レオナールは身じろいだ。
「今すぐ里に帰りなさい。同胞にお願いして妹を探せばいいですわ。一人では無理なことくらいはもう学習したでしょう? これ以上面倒見きれませんわ」
レオナールは俯き瞳をぎゅっと瞑った。
そして顔を上げてシレーヌを睨み返した。
「……わかった。俺は行く」
「レオ? 行くって何処に?」
立ち上がろうとするレオナールにカシミルドが遮るようにして問いかけた。
レオナールはカシミルドと視線を合わさずに呟いた。
「ミィシアの所だよ……」
その時、窓の外を見ていたテツが驚いたように声を漏らした。
「あれは……」
宿の外に一台の荷馬車が到着していた。そこからフードを被った人が一人降り、積み荷から布にくるまれた大きな棒状の荷物を抱えて宿の入り口へと駆けていく。
シレーヌはそのフードの人を見ると不機嫌そうに呟いた。
「パトリシア……」
「へっ?……」
レオナールは窓に駆け寄って外を見下ろしたがもうその姿は見えなかった。
「セイレーン。今、誰の名を呼んだ!?」
「呼んでないわ。口にしただけよ」
シレーヌは目を細め怒った様に言い、反対にレオナールは瞳が輝きうずうずし始めた。
「パトリシアって誰? 知り合い?」
「御主人様もご存じでしょう? カンナ様と仲の良い雑貨屋の女主人ですわ。別に顔見知り程度ですわ。何の用で来たのかしらね」
「カンナに会いに来たのかな? 僕、パトさんにお礼が言いたかったんだ。ちょっと挨拶してくるね」
「あっおっ……俺も……」
「何でレオが?」
「レオナールは一先ず残りなさい。パトリシアが何の目的で来たのか、それが分かるまでは、邪魔しないでくださいます?」
「……分かった」
レオナールは窓辺をウロウロしている。カシミルドは皆の行動の意味がよく分からなかったが、パトを探すことにした。
部屋を出て、隣のカンナにパトが来たことを伝えようとすると、階下からフードの人物が駆け上がって来たところだった。
その人物はカシミルドを見つけるとフードを取りにっこりと微笑みかけてきた。
「あら。カシミルド君。何だか少し大人っぽくなった?」
「パトさん!」
すると、カンナの部屋の扉が勢い良く開いた。
「パトさん!?」
「カンナちゃん!」
パトとカンナは再会を喜びあい抱き合った。
それを見ていたラルムは、気を利かせて部屋を出てくれた。
パトは二つある内の大きな方の荷物を壁に立て掛け、もう一つは大事に抱えたままソファーに腰を下ろした。
随分疲労の色が窺える。
「パトさん。会えて嬉しい! でも、どうしてここに?」
「……えっと。ワインの仕入れのついでにね。あの剣をエテに届けるために来たのよ」
パトは壁に立て掛けた荷物を指差して言った。
どうやらあれは剣のようだ。
「剣ですか? 大きい。パトさんが持っているのは……」
「ええ。これも剣なのよ。あの剣とは相性が悪くて。お互い生まれた時からライバルだったのよ」
「へぇ~。剣にライバルとかあるんだ。面白いね」
「そうね……」
そう言ってパトは瞳を曇らせた。
「あの。パトさんってパトリシアって言うんですか?」
「ええ。シレーヌから聞いた?」
「それが……シレーヌは何も教えてくれなくて……シレーヌとは顔見知りだって聞きました」
「そっか。顔見知りか……。シレーヌは私の事が嫌いだものね。仕方ないわ。──今日は二人にお願いがあってきたの」
パトは手に持っていた棒状の荷物の布をスルスルとほどいていった。
そして現れたのは一メートル程の両手剣。黒い光沢のある鞘に収まり、柄の部分は、魚の鱗の様な装飾が施され七色の光を反射する。腰につけたカンナの短刀もそれに呼応するかのように煌めいた。
「これは輝剣七煌。セイレーンによって造られた虹珊瑚の剣よ。私はこの剣の──未来を見たの……」